七月一日は、前夜の雨も上がり、珍しくよく晴れた日だった。
皇國の気候は日本国とよく似ているが、梅雨明けも近いのだろうか。
この日、岬守航達が軟禁されている武装戦隊・狼ノ牙の碧森支部を首領Дらが訪問し、訓練の進捗などを確認する予定となっている。
即ち、航にとっては脱出の決行日である。
航は一人、格納庫で全高二十八米にもなる超級為動機神体・ミロクサーヌ改の威容を見上げている。
航以外のメンバーは、例の如く屋渡倫駆郎によって地獄の訓練へと駆り出された。
屋渡としてはその様子を見せられれば充分なのだが、訪問者の一人がどうしても超級為動機神体・ミロクサーヌ改の調子を見たいということで、格納庫へも通す予定になっている。
水徒端早辺子の計画は、これを見越してのものだった。
「今し方、屋渡から連絡が入りました。間も無く此方に到着するそうです」
早辺子が航の横に並んだ。
何やら物思いに耽る様に目を閉じ、時の流れに身を委ねている。
やるべきことをやりきったという表情である。
即ち、航は為動機神体の操縦技術を身に付けて万全の状態で今日に臨むことが出来たのだ。
「岬守様、愈々で御座いますね」
「はい」
航と早辺子は互いに向き合った。
この三週間、もっと言えば素性を明かされる以前から数えて一箇月、早辺子には本当に世話になった。
航にとって、恩人と言って何ら差し支えないだろう。
「早辺子さん、本当に、本当にありがとうございました。貴女が居なければ、僕は闇の中を藻掻き続けるしかなかった」
航は早辺子の手を取り、心からの感謝を表した。
早辺子は頬を僅かに紅潮させ、潤んだ眼で微笑み返す。
「岬守様、おそらくはこれが今生の別れとなりましょう。ですが、水徒端早辺子はいつも貴方の幸せを心より願っておりますわ。仮令想い報われずとも、貴方と貴方の大切な御方が末永く息災でありますように……」
「こちらこそ、貴女と大切な人が相見え、再び共に歩めますように……」
二人は別れを惜しみ、互いに見つめ合う。
それは予め決められた通過儀礼だが、それでも淡々と処理出来ない感慨がある。
「岬守様……いえ、航様、どうか今一度無礼をお許しくださいね」
最後に初めて、敢えて航を名前で呼んだ早辺子は、不意に彼の頬に軽く口付けた。
「貴方の唇を奪うのは流石に憚られますが、せめて私の唇くらいは献上したく、このような真似を致しました」
早辺子がそう言って浮かべた満面の笑みは、初めて会った時の仏頂面からは想像も出来ない、少女の様な花を咲かせていた。
航は今、早辺子のもう一つの美しさを認めた。
凜と澄ました、事務的で怜悧な彼女も素敵だが、今の彼女もまた別の意味で素晴らしい。
そんな遣り取りをしていると、部屋の外、長い廊下の奥から大勢の足音が聞こえてきた。
どうやら、組織の連中と航の仲間達を引き連れた屋渡が到着したようだ。
「早辺子さん、どうか御達者で」
「岬守様、そちらこそ御武運を」
航は早辺子と最後の挨拶を交わし、超級為動機神体・ミロクサーヌ改に乗り込んだ。
⦿
屋渡倫駆郎の後に続くのは合計十人――航と同じ拉致被害者が六人、武装戦隊・狼ノ牙のメンバーが首領を含めて四人である。
拉致被害者の中で、神為の第三段階「術識神為」を会得していない虻球磨新兒と繭月百合菜は、屋渡からこっ酷く痛め付けられて他の者達に肩を借りている。
狼ノ牙からは首領を含めた最高幹部「八卦衆」から三人と、首領の息子らしき青年が屋渡の傍らを歩いている。
「こちらです、首領Д」
屋渡は顔、指紋の照合を行い、合言葉を述べる。
「使命は地球より重い」
『三重認証完了、解錠します。どうぞお入りください、同志よ』
格納庫の扉が開き、十一人が室内に足を踏み入れる。
そこへ、昇降機を使って早辺子が降りてきた。
「ようこそおいでくださいました、我らが同志、最高幹部「八卦衆」の皆様方にお会い出来て、誠に光栄に御座います」
早辺子は昇降機から降りると、わざとらしい程に深々と頭を下げ、「扇小夜」として彼らを出迎えた。
「只今、屋渡様より給わりました私の助手・岬守航が私の任務の一つ、為動機神体の挙動確認を行い、整備に不良が無いか点検しております」
モヒカン頭の大男が早辺子を押しのけ、柵越しにミロクサーヌ・改を見上げる。
「新入りに任せて大丈夫だろうな。この状況で実戦起動されたら一溜まりも無いぞ」
「土生様、私に僅か二・三日でそこまで仕上げる技量があると思われるのは、些か買い被りが過ぎるのでは? 屋渡様が匙を投げられた彼を」
八卦衆の一人・土生十司暁は、二米にも及ぶ長身に屈強な筋肉を備えたモヒカン頭の男で、元軍人である。
それ故に、組織でも数少ない為動機神体の操縦技能を持った人員である。
彼はその職業柄、為動機神体の仕上がりだけは確認しておきたかった。
早辺子の計画は、この土生の存在を計算に入れてのものだった。
「同志土生、扇の言う通り、心配のし過ぎだ」
屋渡も早辺子に同調した。
ミロクサーヌ改を見上げる冷笑には、航への侮蔑が多分に入り交じっている。
「扇も実戦起動は出来るが、それを他人に指導出来る教官の水準には至っていない。それは他ならぬお前が一番よく知っているだろう。しかも、仮に指導したとしても岬守の才覚では話にならん」
為動機神体がその能力を十全に発揮するには、実戦起動状態と呼ばれるモードに入らなければならず、これには高い水準の技能と神為の扱いが要求される。
この機構に依り、為動機神体は素人の人為的誤動作や敵軍の鹵獲・再利用を防いでいるのだ。
この三週間、航が苦労したのは、まさにその実戦起動状態に単独で入ることだった。
「しかし同志屋渡、何か様子がおかしくはないかね?」
真っ先に異変に気が付いたのは、胸に十字を装飾された黒い服を纏う神父然とした格好の男、首領Дこと道成寺太である。
この長身で痩せた髭の男と、息子である小柄な青年・陰斗が凸凹したコントラストを演出している。
そんな彼は、怪訝そうな面持ちでミロクサーヌ改を見上げていた。
「我輩も挙動確認には立ち会ったことがあるが、こんなに激しく廃熱音が鳴るものかね?」
「確かに、これは異常だぞ」
土生も首領Дに同調する。
彼もまた、為動機神体の挙動には当然詳しく、首領Дと違和感を同じくしていたのだ。
彼らから少し離れ、黄色いタートルネックの男――八卦衆の一人・仁志旗蓮が辺りを見回している。
というより、この男は視線を三点に行ったり来たりさせている、という方が正確だろう。
ミロクサーヌ改、早辺子、そして拉致被害者達にそれぞれ目を遣り、何か思う所があるのか、腕を組んでいる。
「莫迦な。皆、岬守航という男の程度の低さを知らんのだ。あの能無しに、そんな大それた真似が出来るものか」
屋渡だけは唯一、ポケットに手を突っ込んで暢気に構えている。
だが、彼以外の八卦衆は皆この状況にそわそわしていた。
それは、拉致被害者達にもはっきりと異変を伝えていた。
「こいつら、様子がおかしくねえか?」
「ああ、何かトラブルのようなのだよ」
虻球磨新兒と、彼に肩を貸す虎駕憲進が最初に気が付いた。
「岬守君……」
久住双葉は繭月百合菜に肩を貸しつつ、航の身を案じていた。
その繭月は、気絶はしていないものの、また最初の様に無気力な状態でただ双葉に身を預けている。
椿陽子は、怪訝そうな視線をミロクサーヌ改に向けている。
折野菱も概ね椿と同じ様な調子だが、彼は何かを企む様に全体へ視線を配らせている。
「これは……そんな筈は……」
早辺子――「扇小夜」は、ミロクサーヌ改の様子に困惑している、といった様子で狼狽を見せていた。
勿論、これは「彼女にとって想定外の事が起きている」という演技である。
そして、ミロクサーヌ改は喧しく鳴らしていた廃熱音を停止させた。
「まさか……!」
この後起こるであろう事を最初に察したのは、勝手知ったる土生だった。
同時に、全高二十八米の機械巨人の両目が青く光り、音声が流れる。
『有害波動相殺機構、作動準備完了。超級為動機神体・ミロクサーヌ、実戦起動しました』
間髪を入れず、土生は慌てて格納庫の外へと飛び出した。
他の者達は何が起きたのか理解が遅れ、その場でこの後の暴挙を目撃することになる。