日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第百二十一話『物哀』 序

 閏(うる)閒(ま)三(みつ)入(なり)の異空間から脱出した岬(さき)守(もり)航(わたる)と雲(くも)野(の)兄妹は皇(こう)國(こく)側の歴代帝の像が建ち並ぶ廻(かい)廊(ろう)を進んでいく。

 その中で三人は、最後に拵(こしら)えられた小柄な、しかし精(せい)細(さい)に彫刻された像の前を通りかかった。

 名札は「光(こう)文(ぶん)神(じん)皇(のう)・鳳(おおとり)乃(の)神(かみ)大(だい)智(ち)」と表示されている。

 

「先代神(じん)皇(のう)、今の神(じん)皇(のう)の父親……」

 

 航(わたる)は、この像だけ他の像とやや色味が違うことに気が付いた。

 おそらく、本来設置される筈(はず)ではなかったのだろう。

 神(じん)皇(のう)にとって、父の崩御は不慮の事態だった。

 

「……行こう。神(じん)皇(のう)を止めないと」

 

 航(わたる)は右手に雲(くも)野(の)幽(ゆ)鷹(たか)、左手に雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)の背中を押して、やや足早に奥へと進んだ。

 もし父親が生きていたとしたら、息子の蛮行を咎(とが)めただろうか。

 その死の遠因が戦争だとすれば、自分の戦い振りも今の状況を呼び込む一因になったのだろうか。

 

 ……考えても仕方が無いことだ。

 一個の人間が責任を持てる因果には限界がある。

 航(わたる)に出来ることは、今まさに生まれようとしている戦慄の因果を自らの手で変えることだ。

 

「ふにゅ、ふにゅっ」

「そんなに押されても速くなりませんですよ」

「あ、ごめん……」

 

 航(わたる)は幽(ゆ)鷹(たか)と兎(と)黄(よ)泉(み)をついつい急(せ)かしてしまっていた。

 二人の体はまだ子供なのだから、当然歩幅も狭い。

 大人の航(わたる)が急ごうとしても、付いて来られる訳が無いのだ。

 

「とはいえ、時間は無いんだよな。抱えるか?」

「大丈夫」

「その必要は無いです」

 

 幽(ゆ)鷹(たか)と兎(と)黄(よ)泉(み)は斜め上を指差していた。

 指の先に目を向けた航(わたる)は季節外れの冷や汗を流し、強い緊張感と共に息を呑(の)む。

 黄金と白金で拵えられた、荘(そう)厳(ごん)極まる大扉。

 その上には右書きで看板が掲げられている。

 

『高(たか)御(み)座(くら)の間(ま)』

 

 どうやら航(わたる)と雲(くも)野(の)兄妹は「皇(こう)祖(そ)皇(こう)宗(そう)の廻(かい)廊(ろう)」の最奥に辿(たど)り着(つ)いたらしい。

 とはいえ、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)を抜きにしてこの中へと足を踏み入れる訳にも行かない。

 

「心配は無いと思うが、迎えに行った方が良いよな……」

 

 航(わたる)が頭を掻(か)いて溜息を吐いた、その時だった。

 絹を裂く様な悲鳴が反対側の廻廊の奥から響く。

 

『あああああっっ! ひいいいいいっっ!! 陛下あああああっっ!!』

「あーあ、やっぱりこうなったのか。こりゃまた事件性の強い悲鳴だな。魅(み)琴(こと)の奴(やつ)、嘸(さぞ)かし滅(め)茶(ちや)苦(く)茶(ちや)に痛め付けたんだろうな……」

 

 判(わか)り切っていたことだが、魅(み)琴(こと)の無事を確信した航(わたる)は安(あん)堵(ど)と呆(あき)れを同時に覚えた。

 そして、このまま反対側――日本国の歴代帝側へ回って戻れば、魅(み)琴(こと)と合流出来ることも判明した。

 

「行くか……」

 

 振り向いた航(わたる)は双子を前に屈(かが)んで片膝を突き、二人の肩に手を置いて言い聞かせる。

 

「僕(ぼく)は魅(み)琴(こと)を迎えに行く。君(きみ)達は此(こ)処(こ)で待っていてくれ」

「うん」

「解(わか)りましたです」

 

 航(わたる)は雲(くも)野(の)兄妹に背を向け、一人魅(み)琴(こと)の許(もと)へと駆けていった。

 目を離したとて、二人を襲う敵などもう居ないことは明らかだ。

 神(じん)皇(のう)に忠誠を尽くす者が控えているならば、彼の坐(おわ)す「高(たか)御(み)座(くら)の間(ま)」の扉の前まで航(わたる)が来るのを指を銜(くわ)えて見ている筈が無い。

 襲うとすれば君(くん)側(そく)の奸(かん)だが、その佞(ねい)臣(しん)二名の内一名は航(わたる)が斃(たお)して二度と此(こ)方(ちら)に顕(あらわ)れないだろうし、もう一名は現在魅(み)琴(こと)から酷(ひど)い目に遭わされている。

 

「待っていろよ、魅(み)琴(こと)」

 

 航(わたる)は廻廊を足早に急ぐ。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 命辛々逃げるなどという失態は果たしていつ以来だろうか。

 すっかり戦意を失った貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)は、主である神(じん)皇(のう)・叡(えい)智(ち)の許(もと)へ逃亡しながら考えていた。

 

 いつもいつも、何故(なぜ)自分がこんな目に遭わされなければならないのか。

 あの麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)という小娘は何も解っていない。

 

「私(あたくし)は唯(ただ)、幸せになりたいだけなのに!」

 

 思い出すのは、遙(はる)かなる太古の記憶。

 媛(ひめ)蹈(たた)鞴(ら)五(い)十(す)鈴(ず)媛(ひめ)の暗殺に失敗してからというもの、天(あま)津(つ)神(かみ)の怒りを買った彼女は幾多の厄災に襲われ、必死の思いで生き延び続けた。

 身を寄せた邑(むら)も滅び、身を挺(てい)して守る男も大して役に立たずに死に絶え、孤独の中で神(じん)武(む)天皇と五(い)十(す)鈴(ず)媛(ひめ)の子孫を呪い続けた。

 

「こんなのおかしいっ! 絶対におかしいわぁ! 私(あたくし)は御(お)媛(ひめ)様(さま)なのに! 私(あたくし)がこの世界の御(お)媛(ひめ)様(さま)なのにぃぃっっ!」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)はその偏執的な、分不相応の自己愛を歪(ゆが)んだ怒りと恐怖の表情、その全面に滲(にじ)み出(で)させ、息も絶え絶えに走り続ける。

 しかし、今の彼女は真(まと)面(も)に走ることも覚(おぼ)束(つか)無(な)かった。

 足を縺(もつ)れさせた彼女は、その場に転んでしまった。

 位置は「後(ご)村(むら)上(かみ)天皇・憲(のり)良(よし)」の像の前――向い合う様に並ぶ「光(こう)厳(ごん)天皇・量(かず)仁(ひと)」「光(こう)明(みょう)天皇・豐(ゆた)仁(ひと)」に囲まれ、宛(さなが)ら冷ややかな眼(め)で見下ろされているかの如き構図だ。

 

「うううっっ、許さない……!」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は折れた刀を床に突き立て、震える足で立ち上がろうとする。

 悪いことに、彼女は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。

 

(私(あたくし)にはあの女を殺せないことは能(よ)く解ったわぁ。仮に今殺意を念じても、あの女が何処(どこ)からともなく顕れて意識を飛ばされる未来が見える。でも、神(じん)皇(のう)陛下の御(お)側(そば)に舞い戻りさえすれば……!)

 

 そう、それが貴(き)龍(りゆう)院(いん)の狙いだった。

 神(じん)皇(のう)の庇(ひ)護(ご)下に入れば、如(い)何(か)に魅(み)琴(こと)であろうと自分に手出しは出来ない。

 そうなってしまえば此(こ)方(ちら)のもの、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は安心して魅(み)琴(こと)に殺意を向けることが出来るという訳だ。

 

(もう廻廊の七分を過ぎた……。後少し、後少しで……)

 

 足を前に進める貴(き)龍(りゆう)院(いん)――しかしそんな彼女の前方から、一人の男が駆けてきた。

 

「あっ!」

「くっ! 岬(さき)守(もり)航(わたる)!」

 

 魅(み)琴(こと)と合流すべく走ってきた航(わたる)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)が鉢合わせた。

 これは彼女にとって想定外の事態である。

 

(何やってるのよ三(みつ)入(なり)君っ! なんでこいつが外に出ているのぉ!? 本当にどこまでも使えない男!)

 

 しかし、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は先刻(さっき)まで程には取り乱していない――これは航(わたる)にとって危機である。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は航(わたる)を突破すべく、咄(とつ)嗟(さ)に殺意を念じようとする。

 

 が、その瞬間、貴(き)龍(りゆう)院(いん)の顎先に魚の疑似餌が激しく衝突した。

 脳を揺さぶられた貴(き)龍(りゆう)院(いん)の意識が一瞬飛ぶ。

 

(こ、こいつもかよぉ……!)

 

 両膝を突いて気が付いた貴(き)龍(りゆう)院(いん)は顔を上げ、航(わたる)が何をやったのか理解して内心悪態を吐いた。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)を見掛けた航(わたる)はすぐさま自らの能力――正確には二(に)井(い)原(はら)雛(ひな)火(び)の能力で釣(つ)り竿(ざお)を形成して振るい、疑似餌を飛ばして貴(き)龍(りゆう)院(いん)にぶつけたのだ。

 尤(もつと)も、これは魅(み)琴(こと)の様に勘で貴(き)龍(りゆう)院(いん)の不穏な行動を察知した訳ではなく、単に貴(き)龍(りゆう)院(いん)との遭遇を予測していた航(わたる)が出会い頭に予定通り仕掛けただけである。

 

「退(ど)きなさいよぉっ!」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は航(わたる)に折れた刀を振るった。

 焦燥に駆られているとは言え、彼女の剣技は一流である。

 しかし、魅(み)琴(こと)との特訓で大きく力を上げた航(わたる)には掠(かす)りもしない。

 

「はぁっ、はぁっ、ちょこまかとぉっ……好(い)い加(か)減(げん)に、死っ……!」

 

 が、その瞬間、貴(き)龍(りゆう)院(いん)の脳天に別の踵(かかと)が減(め)り込(こ)んだ。

 凄(すさ)まじい衝撃に、貴(き)龍(りゆう)院(いん)の視界は暗転する。

 

「お前、私(わたし)の航(わたる)に何をしようとした?」

 

 朧(おぼろ)気(げ)に覚醒した意識の中、貴(き)龍(りゆう)院(いん)は余りにも恐ろしすぎる声を聴いた。

 彼女を此処まで無(ぶ)様(ざま)な逃亡に駆り立てた張本人・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)が追い付き、脳天に踵落としを喰(く)らわせたのだ。

 それに気が付いた彼女は、振り向いて魅(み)琴(こと)の姿を認めた瞬間、勢い良く尻餅を搗(つ)いて壁際まで後(あと)退(ずさ)った。

 

「ひいいいいいっっ!! 嫌! 嫌ああああああああッッ!!」

 

 恐怖一色に染まりきった貴(き)龍(りゆう)院(いん)の悲痛な絶叫が、廻廊の壁という壁、像という像に反響し、空間を覆い尽くした。

 神(じん)皇(のう)の許(もと)へ逃げ込むという彼女の最後の目(もく)論(ろ)見(み)は、脆(もろ)く崩れ去ってしまった。

 

「あががががっ、あひいいいっっ……!」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は顔中を汁塗れにして、絶望をこれ以上無い程に表情に出していた。

 それだけではない。

 彼女の股間からも生(なま)温(ぬる)い液体が染み出し、微(かす)かな臭気が立ち上り、航(わたる)と魅(み)琴(こと)は顔を顰(しか)める。

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は余りの恐怖に失禁してしまったのだ。

 

 なんという失態だろうか。

 御(お)媛(ひめ)様(さま)の姿か、これが?

 凡(およ)そ二千七百年にも亘(わた)って日本を呪い続けた世紀の黒幕とは思えない醜態だった。

 

「な、なんなのよ……!」

 

 貴(き)龍(りゆう)院(いん)は恥辱に歯(は)噛(が)みする。

 

「なんなのよ、貴方(あなた)達!」

 

 逆ギレ――貴(き)龍(りゆう)院(いん)に出来ることは最(も)早(はや)それだけだった。

 そんな彼女を、魅(み)琴(こと)は眉根を寄せつつ酷く冷たい眼で見下ろしていた。

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