一台の自動車が碧森州の道を走っていた。
長い山道を抜け、大通りを走り、漸く高速道路に差し掛かった、という頃合いである。
運転席には「扇小夜」こと水徒端早辺子、後部座席に「首領Д」こと道成寺太とその息子・道成寺陰斗、助手席に椿陽子が坐っている。
早辺子は密かにある話題を期待していたが、首領Дの口からはまだ語られていない。
首領Дの妻の好きだったという歌だけが沈黙を包み込んでいた。
(此方から催促するのも妙な話、今日のところは諦めるか……)
早辺子がそう考え始めた、その時だった。
首領Дが溜息交じりに呟く。
「この歌手も飽きてきたね」
「然様で御座いますか。変えましょうか」
「いや、曲を止めてくれ給え。出発前の話の続きをしよう。そういえば忘れていた」
来た――早辺子の心臓が強く脈打った。
愈々姉のことが聞けるかも知れない、そう思うと体が震えそうになる。
首領Дはそんな彼女の心持ちなど露知らず、曲の停止と共に語り始めた。
「嘗て、狼ノ牙は我輩を含めて四人の指導者が居た。一人は八卦衆・久地縄元毅、一人は秘中の秘で、八卦衆でない君には明かせないが、後一人は組織の別働隊『地上ノ蠍座』を率いていた」
「別働隊、初耳です」
「あくまでも嘗ての話だからね。地上ノ蠍座は武力闘争に特化した精鋭部隊だった。その隊長、名を黄柳野文也といった」
精鋭部隊、という言葉に早辺子は息を呑んだ。
姉ならば、そこに入っても何ら遜色はないだろう。
「では、屋渡様が繰り上がる前に首領に次ぐ実力者だったのは、その黄柳野なる方?」
「いいや、彼はあくまでもリーダーを務めていたというだけで、その婚約者の女性が地上ノ蠍座で最強だった」
「その者の名を訊かせていただいても?」
早辺子は最早、自然な問いを取り繕う事も忘れていた。
目的が目の前に迫っているという確信があった。
「水徒端早芙子。嘗て全国高校剣術大会で女性として初めて優勝した経験を持つ、新華族水徒端家の才媛。正式な結婚はしていないが、後に黄柳野早芙子を名乗っている」
やった――早辺子は震えた。
だが喜ぶのはまだ早い。
問題は姉の現状である。
「それで、『地上ノ蠍座』は……その女性はどうなったのですか?」
「六年前の蜂起で壊滅したよ。黄柳野文也と水徒端早芙子はもうこの世に居ない」
早辺子は束の間瞠目し、そしてその表情を苦悶に歪めた。
覚悟はしていた。
叛逆者としての道を択んだ以上、既に誅されていても何らおかしくはないと。
だがいざ現実として突き付けられると、姉を喪失した痛みが有刺鉄線を巻かれた様に胸を締め付ける。
耐え難い悲しみの中で、怒りと憎しみがふつふつと湧き上がってくる。
姉さんが、強く優しく美しい姉さんが、その気高さに付け込まれて下衆共に利用され、そして殺された。
「彼女は……虐げられる弱者にいつも手を差し伸べてきた……。そんな彼女が……どんな思いで命まで投げ出したか……!」
早辺子の目から涙が零れ落ちた。
「なんだ扇君、君は彼女と知己だったのかね。まあ、あれはあれで脆弱だったのだよ。君の様な庶民と違い、貴族というものはその育ちの時点で弱者を虐げる弾圧の罪を背負っている、それを受け容れさせるのには苦労した。君の思い出を否定するのは心苦しいがね。その割に、思っていた程の役にも立たなかった。宝を持ち腐れてしまったことは、我輩も反省すべきかな」
殺す――首領Дの言い草に、早辺子は静かに沸騰した。
己が組織の理念に殉じた者を、形だけでも労いすらしないのか、その怒りが殺意となって早辺子を駆り立てる。
そんな早辺子の殺気に、助手席の陽子以外は気付く素振りも見せない。
陽子は密かに横目で早辺子の表情を見ていたが、特に動こうともしない。
早辺子は首領Д・陽子・陰斗と戦って勝てないので、陽子のこの態度は当然だった。
おそらく術識神為も、首領Дは難なく破るだろう。
そんな時、早辺子の助手席で電話端末が震えた。
画面に表示された名前とメッセージは助手席からも後部座席からも死角になっており、早辺子だけが確認出来る。
〈岬守航の件で話がある。私はあなたの同類だ。折り返されたし〉
送り主は行方不明となっている八卦衆の一人・仁志旗蓮だった。
岬守航――その名前が早辺子を思い止まらせた。
自分の同類、つまり間諜として話があるという仁志旗は黙殺しない方が良いだろう。
「首領、この後何処かで休憩させていただきたく存じます。今の電話、どうやら折り返さなければならないようです」
「まあ運転も長いからね。それは構わんが、何かあったのかね?」
「はい、今問題となっている件で、少し……」
まだ無茶をする訳には行かない、航が無事に帰国したことを確認するまでは……。
道成寺太、それまでは命を預けておく――早辺子は休憩拠点へと自動車を走らせた。
⦿⦿⦿
栃樹州の森林地帯に着地した航達は、まず早辺子との約束通りに直靈彌玉を破壊することにした。
これで、屋渡倫駆郎と土生十司暁は直靈彌玉を回収不能となり、武装戦隊・狼ノ牙はミロクサーヌ改を完全に喪失する。
直靈彌玉を囲み、そのことについて航は仲間達に相談した。
ここで問題となったのは、誰がそれを行うか、である。
「俺しか居ねえだろ……」
手を挙げたのは折野だった。
「こいつァかなり頑丈だ。破壊するには結構な神為か適した術識が要る。今までの訓練から見るに、それが出来るのは俺か椿くれぇのもんだ」
だが、折野にはいくつかの問題がある。
まず、折野は椿陽子に不覚を取った傷がまだ癒えていない。
その影響か、航に次いで彼の体から神為が消えていた。
「岬守、東瀛丸を寄越しな」
もう一つの問題点は、折野の人間性である。
ここまでは利害の一致から共に行動していたものの、彼は人殺しの無法者である。
力を得れば何をするか解らないのだ。
「折野、本当にやってくれるんだな?」
「何を躊躇ってんだよ。ま、俺が神為を身に付けたら困るよな? でも、俺は良いんだぜ? こんな物、別に放って置いても」
航は渋々、折野に東瀛丸を渡した。
「おい、大丈夫なのかよ?」
「大丈夫だよ。折野、すぐにやってくれ」
虎駕の心配を余所に、折野は東瀛丸を口に入れた。
彼の体に神為が蘇った。
「ククク、ありがとうよ」
折野が直靈彌玉に手を当てると、罅割れてバラバラになった。
彼の術識神為は、手で触れたものを罅割り破壊するという異能だ。
「こっちこそ、ありがとう折野。さて、じゃあ明後日まで野宿だ」
「あん? どういうことだ、野宿って」
折野は首を傾げた。
当然、直靈彌玉を破壊したらすぐに街を目指して移動すると思っていたのだろう。
「東瀛丸には用法上の注意点があってな。効果が切れた場合、次に飲むのは中一日空けないと、六時間しか効果が持続しないんだ」
「なんだと!?」
折野は声を上げた。
つまり、先んじて東瀛丸を飲んでしまった航と折野は六時間で再び神為を失う、と云っているのだ。
「岬守、嵌めやがったな……」
「そう言うな。東瀛丸の余りは後二つある。一錠は僕が飲むけど、どうしても必要になったら最後の一錠を渡さないこともないさ」
早辺子から貰った東瀛丸は、当初の人数に予備一つの八個、航以外の五人に東瀛丸が行き渡り残り三つ、その内の一つを今折野が飲んだから、残るは二つという訳だ。
「みんな、今日東瀛丸の効果が切れる筈だけど、明日は一日空けておいてくれ。明後日の朝、確実に二十四時間経ってから飲もう」
こうして、追加の東瀛丸を得るという折野の企みは挫かれた、かに見えた。
(悪いな折野、お前のお陰で助かったのに。けどお前を好きにさせる訳にはいかない)
後ろめたさを感じる航だったが、背後で折野は不気味な笑みを浮かべていた。
⦿
日が沈みかけ、航達は予定通り野宿に入ろうとしている。
その前に腹拵えが必要と思い、航は準備を進めていた。
食器にはミロクサーヌ改の破片を使う。
「出来てるか、家事担当?」
採った山菜・釣った魚を包丁で捌く航に、新兒が話し掛けてきた。
航はすぐさま新兒の狙いに気が付き、料理に伸びた新兒の手を平手打ちで制した。
「へへ、バレたか」
「この一箇月でお前の厚かましさはよく解ったからな」
航は食材を金串に刺し、集めた木材に点火棒で燃やして、料理に火を通し始めた。
また、汲んで来た水も直靈彌玉の残骸に溜め込んで煮沸しておく。
「ふーん、まあそれはどうでもいいんだけどよ」
「自分の行いを注意されて『どうでも良い』って云えるのも良い性格だよな」
「良いツッコミだな、岬守。一寸妹みてえだ。ま、そんなことよりもよ……」
新兒は火に焼べられた魚と、熱される山菜に目を遣った。
「さっきから気になってたんだが、岬守、その料理道具は何処から持って来たんだ?」
「え?」
新兒の疑問に、航は驚いて振り返った。
航はその当然の疑問に気付いておらず、指摘されて呆然としてしまった。