日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

5 / 399
第二話『閑話の談笑』 破

 喫茶店の店員が航(わたる)に水を持ってきた。

 魅(み)琴(こと)の真後で息を潜める航(わたる)は店員の言葉に無言で頷(うなず)き、二人の会話を聞き逃すまいと後方へ耳を欹(そばだ)てる。

 根(ね)尾(お)という、魅(み)琴(こと)と相席する男は一旦コーヒーに口を付け、話を続ける。

 

「この一年、皇(こう)國(こく)に目立った動きは無い。我々の予想していた通りだ」

「ええ、そうですね」

 

 魅(み)琴(こと)の前には水だけが置かれている。

 注文が届いていないのか、それとも何も頼んでいないのか、航(わたる)はそれを把握していなかった。

 

(話を合わせてんじゃねえよ)

 

 航(わたる)は内心で理不尽な批難を魅(み)琴(こと)に浴びせていたが、こういう言葉を面と向かって言うことは無い。

 恋情故の気後れと、それ以上に初対面の苦い経験が強く出ることを憚(はばか)らせる。

 一年前、相変わらず彼女が強(きょう)靱(じん)さで自身の遥(はる)かに上回っていると知って、内心おっかなく感じている。

 

 そんな臆病者の航(わたる)とは違い、この根(ね)尾(お)は随分と自信に満ちた風(ふう)体(てい)をしている。

 おそらく、年齢の割にかなりの金を持っている。

 鍛えられた身体のラインにぴったり沿ったスーツも、所々に光沢を放つ装飾品も、そのような物品を嫌(いや)味(み)無く身に着ける熟(こな)れ感も、どのような相手であろうが左側に囲ってしまえる甲(か)斐(い)性(しょう)に満ち満ちていた。

 少なくとも、魅(み)琴(こと)に対して何ら引け目を感じていないと、航(わたる)にはそう見えていた。

 

 漫画やアニメ、月並みの進路、他(た)愛(あい)の無い世間話しかレパートリーの無い航(わたる)と違い、話題にも知性がある。

 

「だが、国際社会は混(こん)沌(とん)を深めている。君(きみ)達のような子供にはピンと来ないかも知れないがな。そう遠くない未来に、米国が皇(こう)國(こく)に対して軍事的な対応をするという予想がある。それに伴って、各国の動きもきな臭くなっているな。また、イデオロギー団体やカルト・セクトの動きも活発化していると聞く」

 

 知った風に国際政治の話をする根(ね)尾(お)に対して、航(わたる)は嫉妬から来る悪印象を強めていた。

 高校生を相手に政治の話を持ちかけるような人間は碌(ろく)なものではないのだから、さっさと席を立てと、魅(み)琴(こと)に届く筈(はず)の無い念波を送っていた。

 だが、続く会話は再び航(わたる)を慄(おのの)かせる。

 

「我が国も例外ではない。あの日、君(きみ)の学校に来たらしいな」

「ええ。まさかあんな無(む)茶(ちゃ)をするとは思いませんでした」

 

 突然、一年前のテロリストに話が及んだとあって、航(わたる)の心臓が大きく脈打った。

 音で魅(み)琴(こと)に自分の存在がばれやしないかと、肝を冷やした程だ。

 

「あの様な真(ま)似(ね)は政治結社『崇(す)神(じん)會(かい)』の本懐に反すると言わざるを得ない。愚かな連中だ。皇(こう)國(こく)が転移して来た時点で、我が国は俎(まな)板(いた)の鯉(こい)も同然だというのに。その時、国体国家国民を守るべく挙国一致で戦うことこそ、総(そう)帥(すい)の理念だった筈だ」

 

 根(ね)尾(お)は物(もの)憂(う)げに目を伏せて溜(ため)息(いき)を吐いた。

 

 一方で、航(わたる)の気は静かに動転していた。

 聴けばこの根(ね)尾(お)という男、一年前のテロリストの事情にかなり通じている。

 しかも口振りからすると、首(しゅ)魁(かい)となる存在の人物像も知っているらしい。

 

 今、航(わたる)はかなり悪い想像を働かせている。

 魅(み)琴(こと)は「崇(す)神(じん)會(かい)」とかいう団体の一員に、一年前とは違った穏(おん)便(びん)なやり方で声を掛けられているのではないか。

 そんな航(わたる)の思いなど知る筈も無い根(ね)尾(お)は、不敵な笑みを浮かべて航(わたる)の予想を裏切る。

 

「尤(もっと)も、俺(おれ)の考えは少し違うがね」

「貴方(あなた)の考え?」

「知っているだろう、君(きみ)も。皇(こう)國(こく)と真(まと)面(も)に戦って、勝てる訳が無いのだ。国力が、文明力が、軍事力が、それ以前にもっと純粋な『力』が違い過ぎる。それは米国ですら同じことだ。おそらく彼らの目(もく)論(ろ)見(み)は挫(くじ)かれ、相当に痛い目を見るだろう。そして世界情勢は制御不能の動乱に陥る」

 

 魅(み)琴(こと)は根(ね)尾(お)の話から目を逸(そ)らすように窓の外へと視線を遣った。

 対する根(ね)尾(お)は、そんな彼女に言い聴かせるように身を乗り出して話を続ける。

 

「そのような事態を事前努力で防ぎ、壊れかけの秩序を土俵際で支え、日本の国益を守る。その為(ため)に俺(おれ)は今の生き方を選んだのだ」

 

 魅(み)琴(こと)の目線が根(ね)尾(お)へと戻る。

 それを待っていたかのように、根(ね)尾(お)の纏(まと)う空気が変わった。

 陰から盗み聴く航(わたる)は、天災の前触れを察知した野生動物の心持ちで、アドレナリンの蛇口が壊れたと自覚した。

 根(ね)尾(お)の口から、とんでもない言葉が飛び出した。

 

「その生き方を、麗(うる)真(ま)君、君(きみ)に助けてほしいと思っている」

 

 その瞬間、航(わたる)は足場が音を立てて崩れるような感覚に襲われた。

 奈落の底へ向けて自由落下する様な、現実感の無い浮遊感が放心状態を作り出していた。

 視力はあるのに、目の前が何も見えない。

 透明になってしまった心を、漆黒の闇が覆い尽くしてしまう。

 

(こいつ、ふざけんなよ!! 僕(ぼく)は魅(み)琴(こと)と六歳の頃からの付き合いなんだぞ!! 列には先に並んだ方が優先だって小学生でも知ってるんだよ!! 順番守れや!!)

 

 尚(なお)、実際のところは並んだと勝手に思っているだけで、抑(そもそ)も列など出来ていなかったというオチなのだ。

 

「君(きみ)には高い知性と華がある。俺(おれ)と同じ志で共に歩み、未来を守る為の重要な資質だ」

「未来、ですか……」

「そうだ、この国の未来だ。今の日本には諦めが満ちている。『もう衰退するのは確実なのだから、成熟した国として身の丈に合わせて慎(つつ)ましやかな幸福を分かち合おう。未来に手を伸ばしても都合良く使われて疲弊するだけだ。もう充分頑張った、これからはせめて穏やかな余生を過ごそう』……そんな空気が蔓延っている。だが、それは一世代で完結して去り往(ゆ)く老人の発想だ。国家とは、世代交代しながら次生まれ来る命により良い未来を託し続け、千代に八千代に続いていくものだ。だから無責任な戯(たわ)言(ごと)にはしっかりとNOを突き付けてやらなければならない。その為には若く優秀な人材が要る。俺(おれ)は君(きみ)が欲しい」

 

 航(わたる)の頭の中は「断れ」の二文字で一杯だった。

 夢なら一人で勝手に見ろと、幼(いたい)気(け)な女子高生を巻き込もうとするなと、自分の都合で強い呪念を根(ね)尾(お)にぶつけていた。

 

「私(わたし)でなくては駄目なのですか?」

 

 航(わたる)の心に僅(わず)かな光が差し込んだ。

 丁度、食堂のテラスを秋の木漏れ日が照らすように。

 少し分が悪くなった根(ね)尾(お)は、説得を続けようとする。

 

「君(きみ)が良いんだ。俺(おれ)は君(きみ)のことをよく知っている」

 

(ほーう、僕(ぼく)よりも知っているんですかね?)

 

「俺(おれ)はずっと、君(きみ)の御(ご)両(りょう)親(しん)と懇意にさせてもらってきた。だから分かる。君(きみ)は間違いなく、あの人の娘だ」

 

 魅(み)琴(こと)の眉が僅かに動いた。

 航(わたる)からは見えないので、魅(み)琴(こと)の反応が唯(ただ)々(ただ)怖い。

 分かるのは、彼女が水を一口飲んだことだけだ。

 魅(み)琴(こと)は小さく溜息を吐いた。

 

「根(ね)尾(お)さん、母は母、私(わたし)は私(わたし)、ですよ。貴方(あなた)が母を尊敬し手伝ってくれるのは有難いです。志を応援するのも吝(やぶさ)かではありません。でも、私(わたし)は単なる十七歳の小娘ですよ。他人から切掛を貰(もら)わないと上(う)手(ま)く友達も作れないような、コミュニケーション能力の低い生意気な餓鬼です。それ以上の、何者でもありません」

 

 魅(み)琴(こと)は席を立った。

 航(わたる)は九死に一生を得た気持ちだったが、彼女が店を出るつもりなら脇を通るので、通路から見えない様に慌てて顔を背け縮こまる。

 

 と、その時、根(ね)尾(お)の表情は歪(いびつ)な笑みに変わった。

 それまでの厳しいが生真面目な様子とは打って変わった、腹黒さを強く浮かばせた笑みだった。

 魅(み)琴(こと)は構わず去ろうとするが、根(ね)尾(お)はそんな彼女の手首を素早く掴(つか)んだ。

 

「麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)……俺(おれ)を甘く見るなよ。この大(おお)嘘(うそ)吐(つ)きめ」

「何のつもりですか?」

 

 魅(み)琴(こと)は根(ね)尾(お)の変貌に対して取り乱すことなく、落ち着き払って静かに、しかし相手の脅しに対して確かな圧を返すように冷厳な視線を向けていた。

 

「他の連中のように、この根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)のことも誤(ご)魔(ま)化(か)せると思ったら大間違いだ。君(きみ)が単なる小娘だと? くく、冗談も大概にしろ」

「大概にするのはお前だよ」

 

 航(わたる)は横から根(ね)尾(お)の手首を掴み、魅(み)琴(こと)から引(ひ)き剥(は)がした。

 

「航(わたる)……」

「国よりもいきなり女子高生に掴みかかる自分の性根をどうにかしろよ」

 

 根(ね)尾(お)は航(わたる)の握力をものともせず立ち上がり、上から睨(にら)み付(つ)ける。

 一九〇センチ近くある鍛え抜かれた体(たい)躯(く)が、航(わたる)に強い威圧感を与える。

 

(こいつ、強いぞ。多分、喧(けん)嘩(か)になったら負けるな)

 

 航(わたる)は自身の展望が明るくないことを瞬時に悟った。

 対(たい)峙(じ)して威嚇し合うだけで力の差がありありと解(わか)る。

 しかし、だからこそ航(わたる)は退けなかった。

 この威圧が魅(み)琴(こと)に向けられたとあっては、到底許せなかった。

 

「君(きみ)が……岬(さき)守(もり)航(わたる)か」

「よく知ってるじゃないか。誰から聞いたんだよ。『崇(す)神(じん)會(かい)』とかいう連中には名(な)告(の)ってない筈だがな」

 

 根(ね)尾(お)は「ふん」と鼻を一つ鳴らし、航(わたる)の手を力尽くで振(ふ)り解(ほど)いた。

 

「どこから聴いていたか知らんが、君(きみ)は誤解しているようだ」

「何が?」

「先(ま)ず、俺(おれ)自身は崇(す)神(じん)會(かい)ではない。それに、君(きみ)達の学校を襲ったのも厳密には崇(す)神(じん)會(かい)とは別組織だ」

 

 どういうことだ、と航(わたる)が根(ね)尾(お)に問(と)い質(ただ)そうとした時、喫茶店の自動ドアが割れた。

 迷彩服に目出し帽を被った二人の男が、軍刀を振り翳(かざ)して店内に入ってきていた。

 来店客に対応する為、入り口付近で待機していた店員が腰を抜かしてしまっている。

 

「な、何ですか貴方(あなた)達は!?」

「何だろうがお前達には関係無い! 我々は女と話をしに来た!!」

 

 瞬間、航(わたる)は魅(み)琴(こと)を背中に隠そうとする。

 如(い)何(か)にもな格好と武器から、一年前に学校を襲ったテロリストの集団だと推察するには充分だ。

 

「あいつら……!」

「噂(うわさ)をすればなんとやらだな。序(つい)でだから教えておこう。あいつらが君(きみ)達を襲った過激派組織『崇(す)神(じん)會(かい)廻(かい)天(てん)派(は)』、本家から分派した別団体だ。本家の崇(す)神(じん)會(かい)と廻(かい)天(てん)派(は)は国政に対する考え方から犬猿の仲でな、一緒にすると双方烈火の如く怒る。奴(やつ)らは本家に優位を取るべく一人の女子高生を狙っているのだ」

 

 航(わたる)は背後に庇(かば)った魅(み)琴(こと)の方を見たが、いつの間にか彼女の姿は無かった。

 気が付くと、魅(み)琴(こと)はテロリスト「廻(かい)天(てん)派(は)」と向かい合っていた。

 

「おい、魅(み)琴(こと)!」

「やれやれ、向こう見ずな御(お)嬢(じょう)様(さま)だ」

 

 航(わたる)も慌てて魅(み)琴(こと)を追うようにテロリストへ向かって行こうとするも、根(ね)尾(お)に引き倒されてしまった。

 

「魅(み)琴(こと)御嬢様、一年間お待たせしました。今度こそ国家防衛の為に我々と来てもらいましょうか」

「お断りするわ」

「お前らの如き国家転覆を企む塵(ごみ)屑(くず)に、彼女が手を貸すと思うか」

 

 店内に悲鳴が谺(こだま)し、和やかな日常の風景は急転して喧(けん)噪(そう)へと変わり果てた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。