日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第十六話『颯爽たる姫騎士』 急

 思わぬ出会いだった。

 何処(どこ)とも知れぬ森の中の川辺で、皇族に巡り会うと想定出来る者など誰も居まい。

 航(わたる)は龍(たつ)乃(の)神(かみ)との接し方(ちら)に迷ったが、一(ひと)先(ま)ず失礼にならないように挨拶を返さなくてはならないと思った。

 

「初めまして、御丁寧にありがとうございます、龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下。僕(ぼく)は航(わたる)、岬(さき)守(もり)航(わたる)です」

「うーん、まだ堅いなあ……。せめてその『龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下』っていうのは止(よ)してくれないかい? 称号で呼ばれるのって、相手との距離を感じて好きではないんだ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は肩を竦(すく)めた。

 何気ない仕草が一々絵になる。

 

 しかしそう言われると、航(わたる)は却(かえ)って困ってしまう。

 距離を感じるも何も、初対面の相手に馴(な)れ馴(な)れしく接するのは憚(はばか)られるし、第一気安く接して良い相手ではない。

 だが、だからこそ龍(たつ)乃(の)神(かみ)がそういう扱いにうんざりしているのも解(わか)らぬではない。

 航(わたる)は考えた末、こう返す。

 

「じゃあ、僕(ぼく)の国の呼び方に倣(なら)って『深(み)花(か)様』で」

「……まあ、それならまだ良いか」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は手を腰に当てて口を尖(とが)らせた。

 不満はあるが、取(と)り敢(あ)えずそれで妥協しよう、というところだろうか。

 

「ところで深(み)花(か)様、さっき僕(ぼく)のことを誰かに聞いていた風に仰(おっしゃ)ってましたが……」

「ああ、兄が明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)政府の人と酒の席で引接したらしくてね。君(きみ)達のことを色々と聞かされたらしいんだ。正直、君(きみ)の国の機密意識はどうなっているのかと思ったけれどね」

 

 日本の、というよりは龍(たつ)乃(の)神(かみ)の兄に何でもかんでも話してしまった白(びゃく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)の機密意識だろうが、知る由も無い航(わたる)は苦笑いを浮かべるしか無かった。

 しかし、航(わたる)にとっては大きな朗報である。

 

「そうか、僕(ぼく)らを助ける為(ため)に政府も動いているんだ……」

「兄の話によると、君(きみ)達を奪還する為の人材も既に皇(こう)國(こく)入りしているらしい。此(こ)方(ちら)としては余り歓迎出来る話ではないが、取締りを怠った不届き者が迷惑を掛けてしまった以上、多少は致し方あるまいね」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の言葉で、航(わたる)は帰国に大きく近付いている実感が湧いた。

 互いの国の上層部が合意し、動いてくれているという情報が心強かった。

 そして、祖国に思いを馳(は)せる。

 心に浮かぶのは、やはり恋い焦がれる幼(おさな)馴(な)染(じみ)・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)であった。

 

「待っていてくれ、魅(み)琴(こと)。もう少しで帰る、必ず帰るから」

 

 空を仰ぎ、航(わたる)は拳を握り締めた。

 そんな航(わたる)の横顔を、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は興味深そうに見詰めている。

 そして、薄らと笑みを浮かべて声を掛けてきた。

 

「岬(さき)守(もり)君、モテるだろう?」

「はい?」

 

 唐突に揶(か)揄(らか)われ、航(わたる)は困惑を隠せなかった。

 

「君(きみ)は魅力的だと、そう言っているんだよ」

「深(み)花(か)様、突然どうしたんですか?」

 

 蠱(こ)惑(わく)的(てき)な眼(め)で見据えられた航(わたる)は慣れない事態に目を泳がせる。

 そんな反応が、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は面白いらしく、揶揄いがエスカレートする。

 革手袋越しに、彼女の掌が航(わたる)の頬(ほほ)に触れた。

 

「意外と初心(うぶ)なんだね。若い燕(つばめ)になれそうな顔をしている癖に、女慣れしていないのかい? 可(か)愛(わい)いね、仔(こ)猫(ねこ)ちゃん」

 

 若い燕、確か水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)にもそんなことを言われた気がする。

 年の離れた大人の女の愛人になっている若い男を指す言葉だが、年上から見てそれを思わせる何かが航(わたる)にあるのだろうか。

 一応、航(わたる)はそれなりに童顔の美形で甘え上手な自覚はあり、心当たりを問われれば否定しない。

 

「どうかな、世界一の大国のお姫様を射止めてみようとは思わないかい?」

「いや、それは……」

 

 冗談ぽく嘯(うそぶ)く龍(たつ)乃(の)神(かみ)だが、このアプローチはお姫様というより王子様だろう。

 航(わたる)でなくとも、麗(うるわ)しの皇女様にこう迫られて気後れしない男は居まい。

 

「まあ、君(きみ)にとって今はそれどころではないだろうね」

「え、ええまあ……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)に翻弄されてタジタジになる航(わたる)だったが、ふと考えたことがある。

 彼女が皇族いう皇(こう)國(こく)に於(お)いて比類無き権威を持っているのなら、航(わたる)達を帰国させることなど訳無いのではないか。

 ひょっとすると、このまま龍(たつ)乃(の)神(かみ)を仲間のところへ案内出来れば、脱出の道程は一気に完結してしまうのではないか。

 

 だが、そんな航(わたる)の心を見透かしたのか、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は申し訳無さそうに眉尻を下げ、溜(ため)息(いき)を吐いた。

 

「君(きみ)の期待していることは解る。しかし悪いが、君(きみ)達を直接助けることは出来ないんだ」

「え? どうしてですか?」

「本来、皇族はあまり勝手な動きをすべきでない、とされている。何気ない一挙手一投足の影響が大き過ぎるからだ。まあ、約一名それを無視して政治的影響力を行使して憚らない人も居るけれどね。だが妾(わらわ)の場合、それは何かと問題になる。実は此(こ)処(こ)へも、思うところあってお忍びで来ているんだよ」

 

 そんなものか、と航(わたる)は納得せざるを得なかった。

 日本に於いても、皇室の方々は様々に配慮を尽くされている――そんなことを航(わたる)も聞いたことがある。

 皇(こう)國(こく)の皇族も同じ様なものだと考えれば理解は出来る。

 

「本来は今すぐにでも君(きみ)達を然(しか)るべき場所へ送り届けるべきだとは思うんだが、妾(わらわ)にも第二皇女としての色々な柵(しがらみ)がある。解ってくれ」

「……まあお供も無しに来ているとなると、僕(ぼく)達と一緒に行動するのは危険でしょうしね。というか、一刻も早く此処から離れた方が良いですよ。狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が僕(ぼく)達を諦めたとは思えない。奴(やつ)らに身柄を確保されたら、何をされるか分かったもんじゃない」

 

 航(わたる)の本心からの気配りに、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は目を丸くする。

 

「君(きみ)は妾(わらわ)の心配をしてくれるのかい?」

「いや、しますよそりゃ。唯(ただ)でさえ女性の一人歩きなんですから」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は口角を上げ、込み上げる可(お)笑(か)しみを堪えられないとばかりに含み笑いを零(こぼ)した。

 

「岬(さき)守(もり)君は面白いなあ。やっぱり君(きみ)、モテるだろう?」

「そんな変なこと言いました? 普通の考えだと思いますけど」

「変だね。だって、皇族たる妾(わらわ)が叛(はん)逆(ぎゃく)者の破落戸(ごろつき)如(ごと)きに後れを取る訳が無いじゃないか」

「そ、そうですか……」

 

 胸を張って己を誇示する龍(たつ)乃(の)神(かみ)の姿は、自信と誇りに溢(あふ)れた高貴な女騎士を思わせた。

 

「ではそんな岬(さき)守(もり)君の心遣いに免じて、支障の無い範囲で良い事を教えてあげようかな」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はそう言うと、再び電話端末を弄(いじ)り、航(わたる)に画面を見せてきた。

 そこにはこの辺り一帯と思(おぼ)しき地図が映し出されている。

 

「御覧、妾(わらわ)達の現在地が此処だ。此処から川沿いに三十粁(キロ)ほど下って行くと、少し大きな道に出る。更に途(みち)次(すがら)二十粁(キロ)歩くと、大きな街に出る。後は、此処の角を曲がって西に五粁(キロ)、この宿を目指すと良い。此処は妾(わらわ)がお忍びで出掛ける時に重用していてね。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)政府の人間と落ち合えるよう、宿と役人に話を通しておいてあげよう」

 

 航(わたる)の胸から顔に喜びが込み上げる。

 これから米国大使館を目指して何日も歩く覚悟をしていた航(わたる)にとって、目的地が明確になった上に六十粁(キロ)以内にまで距離が短縮されたのは朗報だ。

 即座に帰国させては貰(もら)えずとも、これは充分過ぎる程大きな助力だった。

 

「凄(すご)い! これならかなり頑張れば明日にも辿(たど)り着(つ)ける! ありがとうございます。本当にありがとうございます!」

「礼には及ばないよ。結局、直接助けてはあげられないんだから」

「いいえ、とんでもない! これは凄い助けですよ!」

 

 と、興奮していたものの、航(わたる)は一つ重大な懸念点を思い出した。

 

「後は折(おり)野(の)が大人しく付いて来てくれれば良いんだが……。絶対、素直には帰国しないよなあ……」

 

 折(おり)野(の)は何件もの殺人容疑にて裁判中であり、帰国後に待っているのはほぼ確実な死刑判決である。

 当然、彼はこのまま皇(こう)國(こく)にとどまって姿を眩まそうとするだろう。

 今や折(おり)野(の)には航(わたる)達に協力する理由など無い。

 いつ裏切って襲い掛かってくるか分からないのだ。

 

「折(おり)野(の)? ああ、確か君(きみ)達の中に一人、殺人犯が居るんだったね。君(きみ)達にとっては孰(いず)れ炸(さく)裂(れつ)する爆弾であり、皇(こう)國(こく)にとっては心(こころ)許(もと)ない鎖に繋(つな)がれた猛獣というわけか。あいわかった。ではその者だけ妾(わらわ)が始末しておこう」

 

 そう告げた龍(たつ)乃(の)神(かみ)は、先程までの気さくな言動からは打って変わって厳しい表情を浮かべていた。

 打ち解けてきたように思えていた航(わたる)は、別人の様な鋭い視線に思わず面食らってしまう。

 航(わたる)は慌てて龍(たつ)乃(の)神(かみ)を制止する。

 

「ち、一寸(ちょっと)待ってください! それは駄目だ!」

「どうして? 厄介払いしたくはないのかい?」

「駄目なんですよ。あいつには、ちゃんと法に基づいた裁きを受けさせないといけない。その為にも、絶対に一緒に帰国しないといけない」

「それは其(そ)方(ちら)の都合だろう。君(きみ)達だけが危ないんじゃない。野に放たれた獣が皇(こう)國(こく)臣民に牙を剥(む)いたらどう責任を取る?」

 

 今の龍(たつ)乃(の)神(かみ)には皇族としての威厳さえ感じられる。

 しかし、怯(ひる)んではいられない。

 航(わたる)は胸ポケットに手を入れ、東(とう)瀛(えい)丸(がん)の包装を掴(つか)んだ。

 最悪、全ての恩恵を捨ててでも龍(たつ)乃(の)神(かみ)と戦わなくてはならない。

 

「貴女(あなた)の言う事も一理あるかも知れない。だけど、僕(ぼく)はそれでも貴女(あなた)を止めなくちゃならない」

「君(きみ)が? それは無理だ。仮令(たとえ)万全であろうが、君(きみ)は妾(わらわ)に万に一つも勝てないよ」

「折(おり)野(の)には命を助けられ、大切な誓いを果たす手伝いもしてもらった。その為に、あいつは大きな利益を手放してもいる。今、そんなあいつを売ることは出来ない」

「一人の罪人の為に、折(せっ)角(かく)の機会を棒に振り、剰(あまつさ)え命をも棄(す)てると?」

 

 折(おり)野(の)が自分の東(とう)瀛(えい)丸(がん)を航(わたる)に飲ませていなければ、今頃は皆ミロクサーヌ改の墜落で死んでいる。

 また、そのミロクサーヌ改の直(なお)靈(ひ)彌(み)玉(だま)を破壊し、早(さ)辺(え)子(こ)との約束を守る事が出来たのも折(おり)野(の)のお陰だ。

 

 一歩も退かない航(わたる)に根負けしたのか、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は肩の力を抜いて息を吐いた。

 

「君(きみ)は損な性格だね。あいわかった。そこまで言うなら君(きみ)の覚悟を見せてもらうとするよ。その男、見事連れ帰ってみせるが良い」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の纏(まと)う空気が変わった。

 元の雰囲気に戻った彼女に、航(わたる)は少し安心した。

 

「あ、でも一寸後悔し始めたかも知れません。結局あいつの問題は残る訳ですし」

「あはは、駄目駄目じゃないか。でも、もう遅いからね」

 

 何はともあれ、少し拗(こじ)れかけた場は丸く収まったようだ。

 航(わたる)は改めて龍(たつ)乃(の)神(かみ)に謝意を述べる。

 

「本当に、ありがとうございます」

「どういたしまして。じゃあ、妾(わらわ)は失礼するよ。無事帰れると良いね」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は一つ伸びをして航(わたる)に別れを告げた。

 そして最後に、再び蠱惑的に揶揄う様な笑みを航(わたる)へ近付け、小声で囁(ささや)く。

 

「妾(わらわ)のことを本気で射止めたくなったら、また皇(こう)國(こく)に遊びにおいで。皇族には下の立場の相手しか居ないから、君(きみ)の身の上は気にしないよ。婚約の成り行き次第だけれど、何なら真実の愛を教えてくれても構わないからね」

 

 自身の魅力を確信した誘惑の眼(まな)差(ざ)しに、航(わたる)は思わずドギマギしてしまう。

 航(わたる)はずっと龍(たつ)乃(の)神(かみ)に翻弄されっぱなしだ。

 そんな反応を愉(たの)しんだ龍(たつ)乃(の)神(かみ)は、にっこりと微(ほほ)笑(え)んで航(わたる)の頬を小突いた。

 

「なんてね。では、また会おう!」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はそう告げて、航(わたる)の前から忽(こつ)然(ぜん)と姿を消した。

 

「凄い女(ひと)だったな……。白馬の王子様……いや、姫騎士か? さて、すっかり遅くなっちゃったし戻るか。虎(こ)駕(が)の奴、時間は守れって怒るだろうな……」

 

 颯(さっ)爽(そう)たる彼女は航(わたる)に強力な援助と鮮烈な印象を残し、朝の川辺を通り過ぎて往(い)った。

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