日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第二十一話『狼と鴉』 破

 同日、夕刻。

 栃(とち)樹(ぎ)州ではこの時間帯、航(わたる)達も狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)側も動きを見せていない。

 丁度、翌日の行動に向けて休み、力を蓄えている頃だ。

 

 そんな方角へ、皇(こう)國(こく)首都統(とう)京(きょう)から一本の高速列車「神(しん)幹(かん)線(せん)燕(つばめ)號(ごう)」が北上していた。

 乗客の中には、数時間前に皇(こう)國(こく)の政府筋から密(ひそ)かに連絡を受けた日本国からの使者が混じっており、上級客席に腰掛けている。

 一列二人ずつの並びに三人が席を取り、前の窓際席に日本国防衛大臣兼国家公安委員長・皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)の秘書・根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)、後の窓際席に皇(すめらぎ)の娘・麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、その隣に諜(ちょう)報(ほう)員(いん)・白(びゃく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)という風に坐(すわ)っている。

 

 後部座席で寝息を立てる魅(み)琴(こと)、隣で弁当を食う白(びゃく)檀(だん)を差し置き、根(ね)尾(お)は一人スマートフォンの画面を睨(にら)んでいた。

 

「なんだ、これは?」

 

 前日より、根(ね)尾(お)はもう一人の諜報員・仁(に)志(し)旗(き)蓮(れん)からの連絡を待っていた。

 その仁(に)志(し)旗(き)から一日越しに届いたのが、添付画像だけのメッセージである。

 根(ね)尾(お)はその画像の意味に首を捻(ひね)っていた。

 

 仁(に)志(し)旗(き)の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)は一瞬にして長距離を移動する能力で、本来の予定ならば既に合流している筈(はず)であった。

 根(ね)尾(お)の隣が空いているのは、仁(に)志(し)旗(き)が坐る予定だったからだ。

 

「やっと連絡が来たと思ったら、これだけか。こんな画像だけ送ってきて、どういうことなんだ?」

 

 画像には四人の人物が写っている。

 

「ファイル名に付いているのが四人の詳細か? それにしては、二人分しか判(わか)らない。これは何処(どこ)で撮影されたものだ? 何やら豪勢な御(お)屋(や)敷(しき)らしいが……」

 

 何一つ補足のメッセージが無いということは、仁(に)志(し)旗(き)はどうしても先んじてこの画像だけは送りたかったということだろうか。

 何か、続報を出せない事情があるのか。

 

「まさか、仁(に)志(し)旗(き)の奴(やつ)……」

 

 もしや何か重要な情報を掴(つか)み、口封じの為(ため)に消されたのか――根(ね)尾(お)の胸中で疑念が渦巻く。

 彼は席を立ち、後部座席の白(びゃく)檀(だん)に声を掛けた。

 

「すまん、一寸(ちょっと)電話を掛けてくる。麗(うる)真(ま)君を見ていてくれ」

「蓮(れん)君の件ですか?」

「ああ。ひょっとすると、最悪の事態も想定せねばならんかも知れん」

 

 白(びゃく)檀(だん)は箸を置き、少し顔を伏せた。

 彼女と仁(に)志(し)旗(き)は同じ児童養護施設で育った旧知の仲だ。

 諜報員になってからも、二人は互いを信頼し合っていた。

 

「すまん。確証が無いまま言うことではなかったな」

「いえいえ、大丈夫ですよ。私(わたし)達、その覚悟だけは常にしていますから」

 

 普段と違い、白(びゃく)檀(だん)に間の抜けた様子は見られない。

 彼女なりに、諜報員としての危険性に自覚はあるのだろう。

 

「そうか……」

 

 根(ね)尾(お)は車(しゃ)輌(りょう)を出て電話室に向かった。

 

⦿

 

 電話室で、根(ね)尾(お)は答えない電話を見詰めては耳に当て、それを何度も繰り返す。

 だが一向に仁(に)志(し)旗(き)からの応答は無かった。

 状況から言えば、仁(に)志(し)旗(き)が電話に出られない状態であることは間違い無いだろう。

 メッセージは送付出来るのに、である。

 

「ここで仁(に)志(し)旗(き)を失うのか……」

 

 電話を切り、根(ね)尾(お)は頭を抱えた。

 仁(に)志(し)旗(き)はプロフェッショナルを自認する、非常に優秀な諜報員だ。

 根(ね)尾(お)や白(びゃく)檀(だん)が不都合無く皇(こう)國(こく)で活動出来るのは、彼が齎(もたら)した情報に依(よ)るところが大半である。

 

「だとすると、あいつが遺(のこ)したこの情報は何としても解読せねばならん。この移動中に、取っ掛かりだけでも掴んでおけないものか……」

 

 写真に並んで何かを話している風なのは、女が一人に男が三人。

 その内、少年のような出(い)で立(た)ちの小柄な男と、長髪を髷(まげ)の様に結った巨(きょ)躯(く)の男の名前はファイル名に記されている。

 

「『最右:甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)前首相秘書・推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)、最左:狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)首領補佐・八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)』だと……? そういうことなら確かに、この写真は皇(こう)國(こく)の一大スキャンダルかも知れん。だが、態(わざ)々(わざ)俺に送ってくるような情報なのか?」

 

 残る二人の詳細は判らない。

 男一人は顔の解像度が悪いし、女の顔は写っていないのだ。

 根(ね)尾(お)は、本当に重要なのはこの不明な二人の方ではないかと考え始めていた。

 

 と、その時、一人の壮年男が電話室に入ってきた。

 

「おや、これは根(ね)尾(お)殿。奇遇ですな」

 

 根(ね)尾(お)はこの男と面識があった。

 先んじて極秘で皇(こう)國(こく)を訪問した際、接触した政治家の一人である。

 実力者であり、無下には出来ない人物だ。

 

「お久し振りです、大(たい)河(が)侯爵閣下」

 

 大(たい)河(が)當(まさ)熙(ひろ)――皇(こう)國(こく)の貴族院議員である。

 頭髪や顔の皺は年齢を感じさせるものの、体付きは二十代の若者の様に健康的だ。

 

「統(とう)京(きょう)から出られるのですか?」

「許可は得ていますよ。政治に携わるものとしては、中央だけでは無く地方も見ておきたいのです。そうでなくては見えてこないものもある」

 

 根(ね)尾(お)は出任せを答えた。

 狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に拉致された邦人を救出すると素直に言うわけにはいかなかった。

 

 抑(そもそ)も、皇(こう)國(こく)の警察権力を差し置いて根(ね)尾(お)達が動いていることには、皇(こう)國(こく)政府が本件の発覚を恐れているという理由がある。

 皇(こう)國(こく)政府は或(あ)る理由により、日本国側の感情悪化を恐れていた。

 またそれは、議会の非主流派や報道にとって格好の攻撃材料になる。

 

 そして、その非主流派の最有力政治家こそ、今根(ね)尾(お)に接触してきた大(たい)河(が)當(まさ)熙(ひろ)の従兄(いとこ)・甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)である。

 大(たい)河(が)は甲(きのえ)家の人間ではないが、幕藩体制下の大名から旧華族となった名門の出であり、侯爵位を授爵している。

 根(ね)尾(お)としては今、大(たい)河(が)とあまり関わりたくはなかった。

 

「それはそれは、御(ご)立(りっ)派(ぱ)な志だ。根(ね)尾(お)殿はまだお若いというのに明達な御(ご)意(い)思(し)をお持ちのようで。斯(か)様(よう)な若者を抱える明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)は、やはり皇(こう)國(こく)と同じく誉れ高き大和民族の国ということですな」

 

 根(ね)尾(お)は「またか」と眉を顰(ひそ)めた。

 皇(こう)國(こく)の政治家というのは、やたらと自国や自民族の優位性を誇示するような言動をする者が多い。

 

(これはおそらく、反動なのだろうな。八十年程前まで続いた、過剰なまでに伝統的国民精神を否定して世界主義的労働者運動を称揚した反理想郷(ディストピア)・ヤシマ人民民主義共和国時代への……)

 

 狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の前身であるヤシマ人民民主主義共和国は、それまでの帝国主義的体制の否定を徹底するあまり、国家の繁栄すらも捨て去って「足るを知る農業国家」を目指した。

 それは民衆にとって地獄ともいえる貧困と抑圧的体制を生み出し、神(じん)皇(のう)を中心とする現体制「神(しん)聖(せい)大(だい)日(にっ)本(ぽん)皇(こう)國(こく)」に覆されて現在に至る。

 

(確かに、愛国心や歴史・文化への誇り、国家への帰属意識を全否定するような思想は不健全だ。そんなものを強要されては堪(たま)らんし、我が国が戦後そちらに偏りがちだったのは是正が必要だと俺(おれ)は思う。だが、皇(こう)國(こく)のこれも良いとは思わん。こうやって兎(と)にも角(かく)にも国家や民族の優位性を全肯定するのは、全否定の鏡写しではないか)

 

 根(ね)尾(お)はこの「皇(こう)國(こく)の過剰な自国意識」を非常に危ういものだと感じていた。

 何かが切(きっ)掛(かけ)で、脆(もろ)く崩れ去るのではないか。

 そうなった時、皇(こう)國(こく)はそれを補償する為にとんでもない暴挙に出るのではないか。

 

(必要なのはもっと自然に沸き起こる自国への愛着、歴史や先人への敬意、それに根差した自己肯定感――そんな健全な幸福感に基づく誇りと、それを未来へ繋(つな)いでいく社会奉仕の精神じゃないのか)

 

 根(ね)尾(お)は爛(らん)々(らん)と輝く大(たい)河(が)の眼(め)に若干の嫌(けん)悪(お)感を抱いた。

 

(皇(すめらぎ)先生、貴女(あなた)は本気であの計画を推し進めるつもりですか? 確かに、それは貴女(あなた)の為だけでなく日本国を圧倒的に押し上げる神の一手となるでしょうが……)

 

 根(ね)尾(お)は揺れていた。

 写真のことが頭から離れる程に。

 

 と、そんな根(ね)尾(お)に大(たい)河(が)は不気味なくらい顔を近付けてきた。

 根(ね)尾(お)はギョッとして少し身を引いた。

 

「大(たい)河(が)卿(きょう)、如(いか)何(が)なさいましたか?」

「根(ね)尾(お)殿、少し内緒のお話が御座いまして、お耳を貸していただけませんか?」

 

 根(ね)尾(お)は立場上断る訳にもいかず、身を屈(かが)めた。

 大(たい)河(が)の唇が根(ね)尾(お)の耳に近付く。

 

「うっ!?」

 

 根(ね)尾(お)は異様な気配から身を引いた。

 大(たい)河(が)は僅(わず)かに舌を出し、明らかに耳打ち以外の何かを試みていた。

 否(いな)、それだけではなく、大(たい)河(が)からは異様な神(しん)為(い)と殺意が放たれている。

 

「大(たい)河(が)卿(きょう)! 何をなさいますか!」

「若造が……! もう少しのところで耳から我が術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)を流し込み、脳髄を破壊出来たものを……!」

 

 大(たい)河(が)の眼は焦点が合っておらず、また口からは涎(よだれ)を垂らし、完全に正気を失っていた。

 どうやら何者かに操られているようだ。

 

「電話を寄(よ)越(こ)せ……」

「電話?」

 

 根(ね)尾(お)は自身の手に握られていた電話端末に目を遣った。

 狙いがこれだとすると――根(ね)尾(お)は眦(まなじり)を決して大(たい)河(が)と向き合った。

 

「電話を寄越せええエッッ!!」

「断る」

 

 根(ね)尾(お)は飛び掛かってきた大(たい)河(が)の両腕を取った。

 大(たい)河(が)は蹴りを振り被る。

 だが、大(たい)河(が)はその姿勢のままで固まってしまった。

 

『術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)』

 

 大(たい)河(が)の体に異変が起きた。

 根(ね)尾(お)に掴まれた腕から、徐々に石化し始めていた。

 

「そんなに俺(おれ)が受け取った写真が重要なのか? ならば誰の差し金か、ある程度想像が付くな。裏に居るのは甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)か? それとも、甲(きのえ)の思惑すらも超えて推(つき)城(しろ)が勝手に動いているのか?」

 

 甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)という皇(こう)國(こく)最大の貴族が、推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)の所属する皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゅ)黨(とう)だけでなく八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)の所属する叛(はん)逆(ぎゃく)組織にまで接点を持っている可能性――根(ね)尾(お)が受け取った写真にはその重大なスキャンダルが示されている。

 だが、ただそれだけならば有力な議員を鉄砲玉にして殺しに来るのではなく、もっと権力を背景として確実なやり方で潰(つぶ)しに来る筈だ。

 

「お前が殺しに来たことで確信したぞ。どうやら、裏で何やらとんでもない闇が蠢(うごめ)いているらしいな。そして残念ながら、仁(に)志(し)旗(き)はそれを知って消されたのだな!」

 

 大(たい)河(が)は鼻から上を残して石化し、瞼(まぶた)を痙(けい)攣(れん)させるばかりであった。

 根(ね)尾(お)は大(たい)河(が)の両腕から手を放した。

 

「安心しろ。俺(おれ)はお前を殺さない。寧(むし)ろ依頼人に殺されないように助けてやろう。俺(おれ)と一(ひと)悶(もん)着(ちゃく)合った直後に死なれては不都合だからな。石化も俺(おれ)達が下車したら解いてやる」

 

 根(ね)尾(お)の指先が大(たい)河(が)の額に当てられた。

 

「俺(おれ)の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)は石化する相手の精神を上書き出来る。先(ま)ず、石化を解いたらお前はここで俺(おれ)との間に起きたことは全て忘れろ。今からする命令以外は綺(き)麗(れい)さっぱりな。命令は『甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)と推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)からなるべく離れろ』だ。良いな?」

 

 根(ね)尾(お)は踵(かかと)を返し、電話室を出て行った。

 一人取り残された大(たい)河(が)は完全に石と化してしまった。

 

 触れた相手を石に変える。

 石化を解いたとしても、石化するまでの時間で下した命令を相手の精神に上書きし、従わせる――それが根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)である。

 

 根(ね)尾(お)はこの術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)を、航(わたる)と出会った五年前の時点で既に身に付けていた。

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