繭月百合菜は固まっていた。
咄嗟の事で致し方無かったとはいえ、航は雲野兄妹をよりにもよって彼女に押し付けたのだ。
何も知らない雲野幽鷹は繭月の腕の中で寝息を立てている。
「繭月百合菜さん、御兄様を下ろしてもらっても構いませんですよ?」
雲野兎黄泉は戦いをじっと見詰めたまま繭月に言った。
「え、でも……」
「大丈夫です、兎黄泉も御兄様も子供じゃありませんから。それに、予感がするのです。すぐに繭月百合菜さんの力も必要になる予感が……」
今のところ、繭月は蚊帳の外に置かれている。
だが、もし今闘っているメンバーが全員屋渡に抜かれたら、否が応にも彼女にお鉢が回ってくる。
彼女が動くのは手遅れになったその後か、それとも……。
⦿
航は双葉を庇い、膝立ちで刀を構えていた。
対峙する屋渡は両腕、両肩、両脛、後首、そして口内から蛇の様に伸びた肉の槍を蜿らせている。
「驚いたな、岬守。貴様までが術識神為を身に付けていたとは」
言葉とは裏腹に、屋渡は嘲るように口角を歪ませている。
航のことなどまるで問題としていない、とでも言いたそうだ。
実際、それは当たっているだろう。
(悔しいが、僕の力では屋渡に勝てないだろう。虎駕・久住さん・虻球磨の三人掛かりでも危なっかしいんだ。僕一人でどうにかなる相手じゃない)
航は立ち上がり、柄の感触を確かめる。
厳密に言えば、刀を握るのは今日が初めてではない。
六年前の高校襲撃事件の際、テロリストの刀を奪って一時的に手にしている。
だがあの時は、鞘ごと投げ付けただけだった。
雲野研究所で戦った相手は弐級為動機神体、つまりロボットだ。
今、航は初めて刀で人間を相手にしようとしている。
まさに命の遣り取りの様相だ。
しかも目の前の相手は遥かに格上である。
(だが、やれるだけのことをやらないと! なんとか活路を切り開かないと! 一人で駄目でも、みんなと一緒なら!)
航は覚悟を決め、飛び掛かった。
一の太刀、二の太刀――刃が屋渡に向けて振るわれる。
だが、屋渡を捉えることは出来ない。
「何だ、その素人丸出しの大振りは? 欠伸が出るぞ!」
航の攻撃を難なく躱す屋渡は、腕の槍で航へ反撃に出る。
がその時、氷を纏った拳が屋渡の顔面に叩き付けられた。
「こっちを忘れんじゃねええッッ!!」
新兒が屋渡の顔面に渾身の連打を浴びせる。
屋渡は額に青筋を浮かべて腕の槍を振るおうとしていた。
だがその刺突を、今度は航の刀が防ぐ。
「虻球磨、無理はするな!」
「悪い、助かったぜ岬守!」
「貴様らァ……!」
槍と押し合う刀身が光っている。
それは刀の悲鳴のようにも見えた。
実際、力で勝る屋渡に航は押し込まれてズルズルと後退していた。
「貴様如き、俺の敵じゃないんだよ……!」
屋渡の武器・伸縮自在の槍は一本ではない。
当然、他の槍が航を串刺しにしようと急所に狙いを定めていた。
がその時、屋渡の体に木の蔓が巻き付いて動きを封じる。
ピンチが一転、双葉の能力でチャンスを掴んだ航は、刃を翻して再度屋渡に斬り掛かった。
しかし、屋渡は航の刀身に自ら頭をぶつけてきた。
真横から強い衝撃を加えられた刀は折れ、鋒が弾け飛んだ。
錐揉み回転する刃が航の頬を掠め、紅い血飛沫を散らす。
「なんだと!?」
「クク、鈍だな。ま、貴様にはお似合いだぞ」
追い詰められた咄嗟の機転、卓越した戦闘技術――屋渡の実力は神為だけに頼ったものではないということだ。
「ヌオオオオオッッ!!」
更に、屋渡の雄叫びと共に彼を拘束していた木の蔓が弾け飛んだ。
その勢いのままに、八本の槍が縦横無尽に振るわれる。
「虎駕!!」
「任せろ!!」
間一髪、虎駕の鏡が屋渡を覆い、槍の攻撃を防ぐ。
だが障壁は槍の殴打で砕け、破片を撒き散らす。
そしてそのまま、屋渡の槍は旋風の様に航達四人を弾き飛ばした。
「ぐああっ!!」
「きゃあっっ!!」
「くっ!!」
「うおああっ!!」
四人は地面に叩き付けられた。
新兒と虎駕はすぐに起き上がる。
航はふらつきながらもなんとか立ち上がった。
だが双葉はダメージが大きくて動けない。
「大丈夫か、久住さん!」
「ま、まだ……!」
呼吸を乱し辛うじて戦意を保つ双葉に、航が駆け寄る。
だがそんな彼女に屋渡は容赦しない。
「さっきから鬱陶しいと思っていた。一人潰しておくか」
屋渡の槍が三本、双葉に真直ぐ伸びて襲い掛かる。
虎駕の防御壁は間に合わない。
「させない!」
航は新しい刀を作り出し、渾身の力で槍の攻撃を弾いた。
だが槍はまだ五本残されている。
新兒と虎駕はそれぞれ二本の槍を相手に攻め倦ねていた。
(駄目だ、埒が明かない。本気の屋渡がこれ程までに強いとは……!)
現状、航達はなんとか持ち堪えているだけのジリ貧と言えた。
航達の立ち回りや気力、虎駕の防御壁などでどうにか屋渡の猛攻に耐えてはいるものの、攻撃面では決定打が無い。
更に、三人とも着実に疲労とダメージが蓄積してきていた。
新兒も虎駕も、肩や腿に何度か傷を負わされている。
そして航にも、残された一本の槍が襲い掛かってきた。
「くっ!!」
航は刀身で槍の刺突を受け止めた。
だが敵の圧の強さに、刀はまたしても折れてしまった。
(糞!! この武器じゃ駄目だ! もっと扱い易くて強力な武器が欲しい!)
航は肩で息をしている。
雲野研究所でもそうだったが、この日本刀を使うと妙に体力を消耗する。
この感覚にはどこかで覚えがあるが、はっきりとは思い出せない。
(気のせいか? あの日本刀、本来の力を出せていない気がする。本当はもっと、強力な使い方があって、でも僕の神為不足でそれを発揮出来ていないような……)
しかし、そんなことを考えている航に屋渡の槍が二本差し向けられる。
航に油断は無い。
考え事の最中に不意を突かれた、という経験は羆との戦いで懲りている。
なので、紙一重のところで攻撃を躱す、躱そうとした。
「いや、駄目だ!!」
航は状況に気が付いて青褪めた。
傍では双葉が動けないままだ。
航は三度刀を手にして弾かなければならなかった。
しかし、焦って防御の当たり所が悪かったのか、三本目の刀は一撃で圧し折られてしまった。
「しまった!」
一本の槍が航に、二本の槍が双葉に襲い掛かる。
万事休す、航は辛うじて攻撃を躱せるかも知れないが、双葉がやられてしまう。
航は折れた刀でなんとか三本の槍を打ち払おうとするが、明らかに望み薄である。
だがその時だった。
巨大な火炎が屋渡を包み込み、怯ませる。
目が眩んだせいか狙いが外れ、航達は勿論の事新兒と虎駕も助かった。
「今度は何だ!」
屋渡は怒りから唸り、周囲を睨み回す。
彼が答えを見付けたのは、航達のすぐ後だった。
「繭月……さん……?」
繭月が川を背にして立っていた。
その背中からは巨大な焔が燃え上がり、湾曲して紅い翼の様相を呈していた。
更に、その周囲には黒い菱形の結晶が浮いている。
「今度は貴様かァ、繭月……。どいつもこいつも今更術識神為に覚醒しやがって……。まるで夏休みの宿題を忘れて居残りで体裁を整える落ち零れだなァ」
「みんなが必死に戦っている中、自分だけ何も出来ないのは確かに歯痒かった。一番年上なのにね」
繭月の背中からもう一本の焔が上がり、宛ら不死鳥の翼となった。
更に、彼女は羽撃いて体二つ分程空中へと舞い上がる。
その両眼は屋渡を真直ぐ見据えている。
「雌豚卒業おめでとう、繭月。だが、今また俺の言付けを破ったな? 豚語しか喋るなと言っていた筈だが。ククク、これはお仕置きだなァ……!」
繭月を嗜虐的に挑発する屋渡。
しかし、彼女は全く動じない。
繭月と共に舞い上がった黒い菱形の結晶体を焔の翼が打ち付ける。
結晶は燃え盛る弾丸となって、恐るべき速さで屋渡の頬を掠めて出血させた。
「ヌウッ!」
「どうした? ビビったの? 減らず口を続けてみなさいよ、チキン野郎!」
屋渡は眼に怒りを剥き出しにして、繭月へ槍を向ける。
再び繭月の燃える結晶弾が放たれ、屋渡の鋒と激しく衝突する。
結晶は砕けたが、槍もまた弾かれた。
「ぐっ……!」
肉の槍が震えていた。
両者の運動量は互角らしい。
屋渡の槍の刺突は真正面から完全に弾き返された。
さしもの彼も驚愕を禁じ得ない。
そんな中、繭月は大声で指示を出す。
「みんな動いて! 私が屋渡を釘付けにする! 虻球磨君は双子を守る! 岬守君は長手の武器で屋渡の気を引く! 虎駕君はみんなを守りつつ岬守君の援護! 久住さんは無理せず休んで、回復次第屋渡を拘束! ここが踏張りどころよ!」
繭月は本来、大手企業のキャリアウーマンである。
他人を引っ張るその姿こそが本来の彼女だった。
彼女が戦意を取り戻した理由、心の奥底に眠っていた力が目覚めた理由は、一つ大きな心境の変化があったからだ。
それを齎したのは、三人の人物だった。