日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

79 / 399
第二十五話『人外の暴威』 急

 蹲(うずくま)る屋(や)渡(わたり)は苦(く)悶(もん)の中で混乱を極めていた。

 今の「形(けい)態(たい)惨(さん)」となった屋(や)渡(わたり)にとって、鳩尾(みぞおち)のある胴部というのは堅固な装甲に守られた安全域の筈(はず)だった。

 その耐久力が超(ちょう)級(きゅう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)にも匹敵するというのは、決して誇張ではない。

 現に、今までの戦闘で貫通出来たのは航(わたる)唯(ただ)一人だった。

 

(た、立てん……! なんだこの糞(くそ)重(おも)い拳打は……!)

 

 屋(や)渡(わたり)にとってそれはあり得ない異常事態だった。

 彼が感じ取った魅(み)琴(こと)の神(しん)為(い)は話にならない程度、遥(はる)かに格下の筈だった。

 とはいえ、屋(や)渡(わたり)は決して手を抜いていない。

 全力で、魅(み)琴(こと)を滅(めっ)多(た)刺(さ)しにするつもりで襲い掛かった。

 

(なのに俺(おれ)の槍(やり)は全て千切れ飛んだ……! それもこの女がやったというのか?)

 

 そう、屋(や)渡(わたり)は単に地に伏しているわけではない。

 膝を突かすことならば繭(まゆ)月(づき)にも、体を倒すことならば航(わたる)にも出来ている。

 

 しかしあろうことか、魅(み)琴(こと)は屋(や)渡(わたり)の鳩尾へ拳打を見舞い、一発でこの状態を作り上げたのだ。

 何の術(じゅつ)識(しき)神(しん)為(い)も用いず、ただ素手でぶん殴った、それだけ。

 その直前には、おそらく屋(や)渡(わたり)の槍を全て素手で引き千切っている。

 その一連の動きは速度も、タイミングも、破壊力も常軌を逸しており、屋(や)渡(わたり)は為(な)す術(すべ)無く悶(もん)絶(ぜつ)躄(びゃく)地(じ)する他無かった。

 

 そうやって芋虫の様に藻(も)掻(が)く屋(や)渡(わたり)を冷たく見下ろし、魅(み)琴(こと)は大(おお)袈(げ)裟(さ)な溜(ため)息(いき)を吐く。

 

「居るのよね、神(しん)為(い)を抑えることも知らない間抜けが。力の使い方として、実に非効率。必要最低限の場合に、必要最小限の神(しん)為(い)を発揮するのが鉄則。お前の様に態(わざ)々(わざ)神(しん)為(い)を光(ひけ)らかす莫(ば)迦(か)は、御(お)爺(じい)様(さま)の組織にも裏切り者にも腐る程居たわ」

 

 屋(や)渡(わたり)の髪が魅(み)琴(こと)の小さな手で鷲(わし)掴(づか)みにされ、無(む)理(り)矢(や)理(り)上体を起こされる。

 彼の目の前には屈(かが)んだ魅(み)琴(こと)の冷め切った侮蔑の眼(め)があった。

 

「お前は下(へ)手(た)糞(くそ)なのよ、神(しん)為(い)の扱いが。海浜公園に、二週間経(た)って尚(なお)、残存神(しん)為(い)を嗅ぎ取れる程の稚拙さ……全くお話にならない。『犯人は自分です。どうか駆除してください』と大声で言い触らしている様なものね。そんな程度の相手に神(しん)為(い)など必要無いわ」

 

 は、は?――屋(や)渡(わたり)は耳を疑った。

 この女は今何と言ったんだ?

 殴る瞬間、その刹那だけ神(しん)為(い)を爆発的に増大させて膂(りょ)力(りょく)を強化したという、そういう話ではないのか?

 

 ――しかし、そんな屋(や)渡(わたり)の思考は、再び振り被られた魅(み)琴(こと)の拳を前に恐怖で消し飛んだ。

 

「ヒィィッ!?」

 

 魅(み)琴(こと)の拳が、今度は屋(や)渡(わたり)の顔面を激しく殴打した。

 痛烈無比という形容があまりにも似合い過ぎる一撃だった。

 屋(や)渡(わたり)は首が捻(ね)じ切(き)れんばかりに仰(の)け反(ぞ)り、体を宙に浮かせ、後頭部を土瀝青(アスファルト)に叩(たた)き付(つ)けられた。

 

「あ……が……。が……!」

 

 グシャグシャに顔面を崩壊させた屋(や)渡(わたり)の脳(のう)裡(り)に、先程の魅(み)琴(こと)の言葉が囁(ささや)く。

 

『必要最低限の場合に、必要最小限の神(しん)為(い)を発揮するのが鉄則』

 

(つ、つまり今あの女は、こんな無(む)茶(ちゃ)苦(く)茶(ちゃ)な芸当をやってのけるのに一切の神(しん)為(い)を必要とせず、素の膂力で充分だというのか……? あり得ない! これでは、これではまるで……!)

 

 虫(むし)螻(け)蛄(ら)の様に藻掻く屋(や)渡(わたり)の下へ、魅(み)琴(こと)はゆっくりと歩を進める。

 その表情は、喩(たと)えるならば、雑誌で叩(たた)き潰(つぶ)した蜚蠊(ごきぶり)の死骸をティッシュで包んで棄(す)てようとしている様な、極めて冷酷な無表情である。

 

 二人の戦い、否(いな)、一方的な蹂(じゅう)躙(りん)を目の当たりにした航(わたる)達も開いた口が塞(ふさ)がらない様子だ。

 あの屋(や)渡(わたり)が――五人掛かりでもギリギリまで追い詰められ、些(さ)細(さい)なミスで仕留め切れなかった、恐ろしいまでに強かった屋(や)渡(わたり)が、まるで赤子扱い。

 

 麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)――宛(さなが)ら地獄か終末の様な戦場に舞い降りた戰乙女(ワルキューレ)。

 圧倒的、怪物的な強さ。

 それはまさに人外の暴威であった。

 

「そして、その程度の三流悪党の分際で私(わたし)の大切な人達を傷付けた。誰かの大切な人達を奪った」

 

 魅(み)琴(こと)は屋(や)渡(わたり)に跨(また)がり、両腕を膝で抑え付けた。

 一切の抵抗を許さない、所謂(いわゆる)マウントポジションである。

 

「ひぎッ……!?」

 

 屋(や)渡(わたり)の二の腕にゆっくりと圧が掛かる。

 プレス機で押(お)し潰(つぶ)される様に、神(しん)為(い)で耐久力を増した筈の骨がミシミシと軋(きし)みを上げる。

 やがて屋(や)渡(わたり)の両腕は凄(すさ)まじい脚力に耐え切れずに圧(へ)し折(お)れてしまった。

 

「グギャアアアアアアッッ!!」

 

 見下ろす魅(み)琴(こと)の口元から白い歯が覗(のぞ)いている。

 屋(や)渡(わたり)は、彼女が敢(あ)えてゆっくり自分を痛め付けているのだと察した。

 愚かにも、彼は圧倒的強者の逆(げき)鱗(りん)を弄(ろう)撫(ぶ)してしまったのだ。

 怒りが必要以上の残忍さとなって、屋(や)渡(わたり)を残酷に苛(さいな)んでいた。

 

 今、屋(や)渡(わたり)の胸の中に感情が渦を巻く。

 魅(み)琴(こと)に与えられた激痛と恐怖が、肺から、胃から、心臓から大爆発となって噴火した。

 彼は恥も外聞も無く泣き叫んだ。

 

「ば、化物! 化物オオオッッ!!」

 

 悲鳴を上げる屋(や)渡(わたり)だったが、更なる一つの事実が追い打ちを掛ける。

 今、魅(み)琴(こと)は屋(や)渡(わたり)の心を痛め付けている。

 じわじわと、超絶なる恐怖が真綿の錦で首を絞むるが如く屋(や)渡(わたり)の息を詰まらせる。

 屋(や)渡(わたり)は魅(み)琴(こと)に気付かされた。

 

(し、神(しん)為(い)が増大している……?)

 

 そう、今魅(み)琴(こと)はわざと、屋(や)渡(わたり)に見せ付けるように、自身の神(しん)為(い)を敢えて増大させていた。

 それは航(わたる)達には勿(もち)論(ろん)のこと、屋(や)渡(わたり)にとっても規格外の強大な神(しん)為(い)だった。

 必要最低限でも、必要最小限でもない、前言と明らかに矛盾した行動である。

 間違い無く、ただ屋(や)渡(わたり)を恐怖させることだけを目的としていた。

 

「や、やめっ……!」

 

 ただでさえ常軌を逸した膂力なのに、更に規格外の神(しん)為(い)が上乗せされようとしている。

 そんな暴威に暴威を重ねた打(ちょう)擲(ちゃく)を叩き付けられてしまったら、頭が西(すい)瓜(か)の様に割れて死んでしまうに違いない。

 屋(や)渡(わたり)は恐怖の絶頂だった。

 

 魅(み)琴(こと)は口を結び、能面の様な表情で屋(や)渡(わたり)を見下ろす。

 氷の様に冷たい怒りを纏(まと)い、酷薄に宣告する。

 

「その罪、死を以(もっ)て償え」

 

 屋(や)渡(わたり)の表情が底無しの恐怖と絶望に歪(ゆが)んだ。

 凄絶無比の破壊力、完全無欠の殺傷力を握り締めた拳が振り上げられる。

 

 しかしその時、魅(み)琴(こと)の背後から一人の青年が手に拳を取った。

 

「魅(み)琴(こと)、やめろ」

 

 魅(み)琴(こと)は目を瞠(みは)り、振り下ろさんとした拳を止めた。

 そんな彼女を、航(わたる)が憂(うれ)いと悲しみに満ちた眼で見下ろしている。

 

 ⦿

 

 ……彼は知っていた。

 航(わたる)にとって、この状況は遠い昔の記憶である。

 時を超え、出会った時に彼女から受けた手痛い仕置きが蘇(よみがえ)る。

 

 航(わたる)にとって魅(み)琴(こと)の圧倒的な暴力を受(う)け容(い)れるのは、他の者達ほど困難ではなかった。

 想像を遥かに超えてはいたが、これが麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)なのだと一致した。

 だからこそ、今の彼にとってこの状況は居(い)た堪(たま)れ無かった。

 

「やめてくれ、頼む。ここで君(きみ)がこいつを殺してしまったら、僕(ぼく)はどうすれば良いのか分からない」

 

 魅(み)琴(こと)が介入しなければ、航(わたる)達は絶体絶命だった。

 それを招いたのは、屋(や)渡(わたり)を殺せなかった航(わたる)の甘さである。

 もしここで魅(み)琴(こと)が屋(や)渡(わたり)を殺してしまったら、航(わたる)にとってこれ程間抜けな話はあるまい。

 恋い焦がれた大切な幼(おさな)馴(な)染(じみ)が、自分の失策で自分に代わって人殺しになってしまうのだから。

 

 魅(み)琴(こと)の体から強(こわ)張(ば)った力が抜けた。

 そのまま立ち上がり、屋(や)渡(わたり)の体が解放された。

 しかし、屋(や)渡(わたり)に最(も)早(はや)戦意は見られない。

 

「離して」

 

 魅(み)琴(こと)は小さく呟(つぶや)いた。

 殺意も神(しん)為(い)も今の彼女からは失(う)せている。

 魅(み)琴(こと)の手首は航(わたる)の手から緩やかに擦り抜けた。

 

 両腕の使えない屋(や)渡(わたり)は、体を反転させて両脚をばたつかせている。

 何とか逃げようとしているのだろうが、実に無(ぶ)様(ざま)な醜態である。

 超一流の戦士に飛躍したと嘯(うそぶ)いていた屋(や)渡(わたり)だが、今の彼は地に伏したまま藻掻くことしか出来ない。

 

 そんな姿が癇(かん)に障ったのか、魅(み)琴(こと)は再び屋(や)渡(わたり)を睨(にら)むと、彼の両腿を素早く激しく踏み付けにした。

 四肢を全て圧し折られた屋(や)渡(わたり)は、声にならない絶叫を上げた表情で白目を剥(む)いて気絶してしまった。

 

「魅(み)琴(こと)……」

 

 航(わたる)は魅(み)琴(こと)の後姿に声を掛けた。

 土瀝青(アスファルト)の火は随分と衰え、今にも消え掛かっている。

 戦いが終わりを迎えようとしていた。

 

 魅(み)琴(こと)は深呼吸をして、ゆっくりと航(わたる)の方へ振り向いた。

 その眼には先程までの凄まじい怒りと氷の様な冷酷さは露程も見られず、心底からの安(あん)堵(ど)に潤んでいた。

 

 二人は久々に互いの顔を見つめ合っている。

 この時を、一体どれだけ待ち焦がれていただろうか。

 やっと、やっと二人は再会出来たのだ。

 

 まだ日本に帰り着いたわけではない。

 まだ日本に連れ帰ったわけではない。

 しかし航(わたる)と魅(み)琴(こと)は、お互いそれぞれの立場でこの時の為に手を尽くしてきた。

 

 航(わたる)の胸に、感極まった思いが込み上げてくる。

 様々な形で払った犠牲は決して小さくなかったが、遂(つい)に二人はここへと至ることが出来たのだ。

 

 魅(み)琴(こと)は航(わたる)の草(くた)臥(び)れ果てた体を抱き締めた。

 航(わたる)は彼にとってずっと出会いたかった相手の、ずっと触れたかった体に包み込まれた。

 しかし、そこに邪(よこしま)な思いは一切介在しない。

 ただ再会の歓(よろこ)びだけが夜を包んでいた。

 

「航(わたる)……。無事で良かった……!」

 

 魅(み)琴(こと)の発した言葉、そこには全ての重みが乗せられていた。

 

 そんな中、遠くから自動車の走行音が聞こえてきた。

 新(しん)兒(じ)が近付いて来る明かりに気が付いた様だ。

 

「あ、おい。道空けた方が良いぜ」

「いや、虻(あぶ)球(く)磨(ま)君、あれは……!」

 

 今度は双(ふた)葉(ば)が歓びの笑顔を花咲かせた。

 手前を走ってくる車を運転している顔に覚えがあったからだ。

 

「あれ、日本の人だよ! 日本政府の人が迎えに来てくれたんだ!」

 

 二台の乗用車を運転しているのは皇(すめらぎ)奏(かな)手(で)防衛大臣兼国家公安委員長が送り込んだ遣い・根(ね)尾(お)と白(びゃく)檀(だん)である。

 航(わたる)達が合計で七人、魅(み)琴(こと)を入れて八人、運転手二人を入れて十人。

 対して、五人乗りの車が二台あるので、全員を乗せられる。

 

 間も無く、航(わたる)達は日本政府の人間によって保護されるだろう。

 彼らの、武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)からの脱出・逃亡劇は、今漸(ようや)く終わりを告げようとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。