翌日・七月四日土曜日。
旅館の男部屋で最後に目を覚ました岬守航は、まだ眠い目を擦りながら朝の身支度を進める。
歯磨き、洗顔……当たり前の行程を一つ一つ進めるごとに、平穏な場所へと無事に辿り着いた実感が少しずつ湧いてくる。
そこへ、根尾弓矢が部屋電話の子機を持ってきた。
「岬守君、電話だぞ」
「ふぁい? 誰からです?」
「龍乃神殿下からだ」
「深花様から……」
航は顔を漱ぎ、タオルで拭くと受話器を受け取った。
第二皇女・龍乃神深花は根尾ら日本政府筋の人間と落ち合える様この旅館を手配してくれた張本人、紛れも無い恩人だ。
しかし、この電話には少し応答を躊躇わせるものがある。
とはいえ、応えないわけにはいかないので、航は戦々恐々としながら応答する。
「もしもし、お電話代わりました」
『やあ岬守君、その後調子はどうかな?』
言葉だけならば何ということのない挨拶に思える。
しかし、電話口の龍乃神の声は少し機嫌が悪そうだった。
「はい、御陰様で。この度はどうもありがとうございます」
『礼には及ばないよ。それより、君は妾に何か言うことがあるんじゃないかな?』
やはり怒っている――航はすぐに理由を察した。
というより、彼女からの電話と聞いたとき、真先に脳裡にそれが過った。
航と龍乃神は、二日前に出会ってこの場所を手配してもらった際に一つの問答をしている。
殺人鬼・折野菱を生かして連れ帰るか、即時処刑するか。
航は前者を強く主張し、後者の立場を取った龍乃神を説得している。
しかし結局、折野は道半ばで命果てている。
これは、二人の誓いに背く結果だ。
「御連絡が行ったかと思いますが、僕は結局折野を死なせてしまいました。あれだけ大口を叩いて、結局この様です。申し開く言葉も御座いません」
『ふーん……』
少し、耐え難い沈黙が挟まれた。
もし龍乃神が臍を曲げてしまったら、帰国に支障が出るかも知れない。
尤も、彼女はそこまで意地が悪くはなかった。
『ま、聞き苦しく言い訳せず、素直に認めただけ良しとしようじゃないか。というか、実のところ妾はそこまで頭ごなしに叱り付けられる立場ではないんだ』
「と、言いますと?」
『抑も、その者が死ぬこととなった発端だよ。そこまでの道中で何があったか、大方のことは聞いている』
龍乃神の声から刺々しさが消え、それどころかやや遠慮がちな小声に変わった。
『君達を襲撃した叛逆者共が根城にしていた建物だけれど、あれは元々公営の研究施設だったものが奴らに乗っ取られたんだ。つまり、それは皇國の統治に於ける失態。そうとも知らず、妾はあの時その研究施設を素通りしてしまった。この手で始末しておけば、君達はもっと楽にそこまで来られた筈だった。妾の非は否めない。申し訳無かった』
叱責を覚悟していた航は、逆に謝罪を受けて拍子抜けしてしまった。
「しかし、どちらにせよ僕が無力なせいで誓いを果たせなかった……」
『まあ確かに、本音を言えば少しがっかりしたのも事実かな。有言実行してくれれば本当に格好良かったからね。あと、不謹慎だが取り逃がした場合に比べれば遥かに許容出来る』
「それはまあ、そうですね……」
もし仮に、折野が逃げ出してしまっていて罪も無い皇國の人間を殺してしまっていたら目も当てられない、それは確かにその通りだ。
つまり、そうなってもおかしくない状況だったということにもなる。
「あの時、僕が間違っていたとは今も思えません。でも、僕が唱えた正しさを実行するには、僕はあまりにも未熟だった」
『そういうことだろうね。妾は別に、弱者が無価値とは思わない。けれども、弱いならば謙虚にそれを受け止めて克服する姿勢を見せて欲しいと思う。その点、君はまだ全然見所があると思っているよ。幻滅には全く及んでいない。まだ妾を射止められる可能性は充分にあるから、その気になったらまた遊びにおいで』
「それは……ありがたいですね」
ピリピリした話し始めから打って変わり、和やかな雰囲気で電話する航の様子に、周囲の男達も安堵の様子を見せている。
『では、帰国まであと少しだ。最後まで気を抜かずに、屹度無事に帰るんだよ』
「はい。どうも、大変お世話になりました。では、失礼します」
電話が切れると、航は深く深呼吸して胸を撫で下ろした。
今日この後、航達は色々と野暮用を済ませてから帰国する手筈となっている。
まず、向かうのは警察署である。
⦿⦿⦿
一時間後、航達一行は或る二人の遺体を身元確認する為、警察署へ訪れた。
航達と共に拉致され、此処へ辿り着けなかった二井原雛火と折野菱である。
昨日、航達を旅館まで送り届けた根尾は、すぐに皇國の政府高官へ死者の発生と死体の大まかな場所を連絡した。
この件の処理を皇國政府と相談する為だ。
皇國政府は、死者が出た以上日本国に対する一連の事件の隠蔽は不可能と判断し、傷が浅く済む様に早急に対応する道を選んだ。
二人の遺体は身元確認の後、皇國の輸送用回転翼機で日本国へ送られる。
現在、皇國から海外へ行き来する正規の窓口は米国しか無いが、態々経由していては費用と手間が掛かり過ぎる。
そこで、日本国内でありながら米国として扱うことが出来る米軍基地へ輸送対象を運び込むことで、手順を簡略化することになった。
これを通す為に、皇奏手防衛大臣兼国家公安委員長がかなりの剛腕を振るったらしい。
身元確認が終わると、今度は航達の事情聴取である。
この件に関わった警察は、全て皇國政府の息が掛かっている。
面倒な勢力に関わらせまいと、徹底した措置が執られていた。
予定では遺体輸送より半日遅れで航達も日本に輸送されることになっていた。
だがそれは、白檀揚羽に入った一本の電話で覆る。
丁度航達が一通りの事情聴取を終え、待合室で迎えが来るのを待っている時だった。
「もしもーし。あ、龍乃神様、お久し振りですー。この度は大変お世話になりましたー」
第二皇女・龍乃神深花からの電話だった。
彼女もまた白檀の人脈に入っている。
しかし、どうもただの挨拶とは様子が違う。
白檀は怪訝そうに目を眇める。
「え? 今からですか? 取り調べも終わって、後は米軍機で日本へ帰国するだけなので待機しているところなんですが……」
白檀は首を傾げる。
だが、不意に待合室全体へ濃い影が差した。
不穏な気配の訪れと共に、白檀の電話から龍乃神の叫びが漏れる。
『駄目だ!! 早くそこから離れて!! 貴女方の動きは察知されてしまった!!』
瞬間、外で爆音が響き、衝撃が航達を襲った。
窓という窓が割れ、警察署は阿鼻叫喚の様相を呈する。
「なんだ!! 何が起きた!!」
根尾が怒号を上げた。
岬守航・麗真魅琴が雲野兄妹を庇い、身を伏せる。
久住双葉と繭月百合菜もそれぞれ虎駕憲進と虻球磨新兒に庇われた。
航は窓の外を見上げ、瞠目した。
そこには驚くべきものが降り立っていた。
「超級為動機神体……!」
全高二十八米――為動機神体でも最大級のサイズ、ミロクサーヌと同じ等級の巨大ロボット兵器である。
しかしその姿はミロクサーヌ改に似ているが、明らかに別機種であった。
その名も、「ミロクサーヌ零式」――皇國が誇る超級の二大機・ミロクサーヌ及びガルバケーヌの長所を合せ、どちらも全てに於いて上回る最新世代機である。
その型式の由来は、皇國臨時政府――国家を不当に簒奪した共産主義勢力「ヤシマ人民民主主義共和国政府」を撃滅すべく一九二五年に発足した亡命政府の成立から百年を記念してのものである。
超級為動機神体の火力は、街の一つや二つは軽々と消し飛ばす。
もしこの場でこの超兵器が暴れれば、想像を絶する惨状となるだろう。
現に、駐車場へこの機体が降り立っただけで機体の足下の自動車が大破し、警察署の建屋は火の海に包まれている。
が、この事態に一人、迷うことなく窓から飛び出して超級為動機神体・ミロクサーヌ零式へと向かって行く人影があった。
「場を弁えなさい、屑鉄が」
壊滅した駐車場で、麗真魅琴によるミロクサーヌ零式の解体ショーが繰り広げられた。
拳が、蹴りが、機体に浴びせられる度に凄まじい衝撃音が鳴り響き、巨大な鉄の塊が木偶人形の様に破壊されていく。
「ええ……?」
航達は唖然、呆然とする他無かった。
超級為動機神体は一定以上の神為を受け付けないので、当然これを為しているのは魅琴の素の膂力である。
「俺、喧嘩やめて良かったぜ……。あんな化物が同年代に居ると思わねーよ……」
「生まれてくる世界、間違えてない?」
「久住、お前麗真があんな感じだって知ってたか?」
「知るわけないでしょ。一番付き合い古い岬守君が吃驚してるんだから」
彼らが散々苦戦した屋渡倫駆郎をあっさり倒してしまった魅琴だったが、その衝撃はいとも容易く塗り替えられた。
外では、涼しげな顔で着地した魅琴の背後でミロクサーヌ零式が膝を突いて機能停止していた。
とその時、辺りを極彩色の幻惑が包み込んだ。
「みなさん! 私の術識神為で攪乱している間にこの場を離れましょう!」
白檀揚羽が声を張り上げた。
十人の男女は急遽予定を変更し、場所を移るべく特に当てもなく警察署を後にした。