神聖大日本皇國首都統京都特別行政区千世田区、林立する摩天楼が一角だけ、穴が開いた様にパタリと途切れる区域がある。
その中央に見える「皇宮」と呼ばれる建築物の中、盛り立てられた小高い丘の上に構えられた神皇の住まい「御所」は、地上二階地下一階の鉄筋コンクリート造和風宮殿である。
またその脇には、皇族と縁の深い独占巨大穀物企業の地上七階建て本社棟が聳えている。
皇國の近代史は日本国と異なり、この地域が首都としての機能を持ったのは神皇帰還後、即ち八十年前のことであり、皇宮と御所は皇都府にある旧御所の外観を模して建てられた新しいものである。
これは、神皇が米国から帰国し、選挙と内戦を経て旧ヤシマ人民民主主義共和国政府の勢力を鎮圧する際に拠点としたのがこの東国平野の都市一帯であった為、そのまま首都としたことに由来する。
勿論、築数十年となれば充分古いのだが、日本国の皇居や京都御所の歴史には到底及ばない。
西暦二〇二六年七月五日日曜日午前十一時四十五分。
御所内部、松の大板張りの天井に薄紫のシャンデリアが備え付けられ、黒御影石の床を薄らと照らす優雅な回廊を、燃える様な紅い髪の第二皇女・龍乃神深花が足早に歩いて行く。
臙脂色の燕尾服を纏った、如何にも男装麗人といった趣の凜々しい出で立ちではあるが、その表情には怒りが見て取れる。
眦を決したその視線の先には彼女の姉であり、神皇が儲けた最初の子女である第一皇女・麒乃神聖花の姿があった。
一七七糎の長身、長く真直ぐ伸びた美しい黒髪、透き通る様な白い肌に、色彩の対比を織り成すような紫紺のドレスを纏い、張り詰めた弓弦の様に背筋を伸ばした出で立ちには高貴さと清楚さを、グラマラスな肉付きと引き締まった腰の括れ、薔薇色の虹彩と紅梅色の唇に蠱惑的微笑を湛えた表情には妖艶さと底知れなさを醸し出している。
「おや、御機嫌良う深花。そんなに肩を怒らせて、どうしました?」
妹の姿に気が付いて振り向いた彼女は、鈴を転がすような声で尋ねた。
その甘美な響きには、穏やかさの裏に有無を言わせぬ支配者の迫力が潜んでいる。
「姉様、お伺いしたいことが御座います」
龍乃神はその迫力に負けじと切り出した。
彼女にはどうしてもはっきりさせておかなければならないことがあるのだ。
その理由には、姉の政治的な立場があった。
「昨日、叛逆者による拉致事件の被害者が烏都宮警察署で襲われた件、姉様のお耳にには届いておりますか」
第一皇女・麒乃神聖花は皇族で唯一、貴族院議員としての政治活動を積極的に行っている。
彼女は表向き、如何なる派閥に属さない独立した立場を貫いているが、実際には皇族という権威を背景として全ての派閥に強い影響力を持っている。
また、その背景故に貴族閥と相対的に近くなってしまうことは否めない。
つまり、政争の情勢によっては前内閣総理大臣・甲夢黝に加担することもあり得ると、龍乃神はそう懸念していた。
「ええ、知っておりますよ。それがどうかしましたか?」
「では、その黒幕については何か御存知ではないですか?」
麒乃神は眉を顰めた。
妹の問いが、暗に自分を黒幕と疑っているということは充分察することが出来る。
麒乃神は己の政治的立場について、公平中立を謳っている。
あくまで議会に送られる予算案や法案を国益に沿って審査し、改善点や賛否を一議員の立場で示すに留めている。
しかし当然、そんな彼女の内心にも主義主張はある。
麒乃神聖花はその実、武力に物を言わせて日本国を吸収することも厭わない考えを持っている。
貴族閥に主戦派が跋扈しているのは、実のところ甲夢黝だけでなく彼女の影響も無視出来ない。
もし龍乃神の懸念が当たっていたとすれば、かなり危険な事態だった。
拉致被害者を帰国させる上で、甲夢黝よりも遥かに大きな壁となるだろう。
「この私があのような蛮行を指示したと、そう疑っているのですか御前は?」
その声色には明らかに不快感が滲んでいた。
龍乃神は姉の表情から真意を読み取ろうと、更に追求する。
「そこまでは申しておりません。しかし、姉様の周囲に群がる者共は如何でしょう」
「議員が臣民の命を脅かすなどあってはならぬことです。主義主張はどうあれ、彼らは皆皇國を導く誇り高き者達です。根拠も無くそのような疑いを掛け、貶めること罷り成りません」
「甲公爵も等しく、ですか?」
妹・龍乃神が出した名前に、姉・麒乃神は手に持っていた黄金の扇で口元を隠した。
これは妹・龍乃神が幼少期から散々見せられてきた、姉・麒乃神が不快な表情を隠す仕草である。
妹は思わずたじろいだ。
皇族達の教育には侍従達だけでなく、母親代わりだった第一皇女も関わっており、その影響で上下関係が染みついているのだ。
「甲が何を申しているのかは知りませんが、彼の立場と私は何の関係もありません」
麒乃神の声色は明らかにそれ以上の詮索を拒んでいた。
だが、龍乃神にとっては充分だった。
この反応は、姉が甲の企みと無関係だと証明しているに等しい。
「申し訳御座いません。聊爾に御座いました」
龍乃神は姉に頭を下げた。
姉の真意を確かめることは重要だが、これからのことを考えるとあまり不興を買うわけにはいかない。
「解れば宜しい」
龍乃神はほっと胸を撫で下ろした。
この場はこのまま引き下がるが、後で姉には頼まなければならないことがある。
この問答で、その為に「自分は甲と何の関係も無い」という言質も取れた。
「なんだ、二人揃って難しい顔をしてどうした?」
そんな二人のところへ、二米を優に超す偉丈夫が歩み寄ってきた。
黄櫨染色の肌に白金色の長い髪をした皇位継承者、第一皇子・獅乃神叡智だ。
第一皇女・麒乃神聖花の二つ下の弟、第二皇女・龍乃神深花の七つ上の兄にあたる。
「おや、皇太子殿下、御機嫌良う」
「姉上、深花と何かあったのか?」
「なんでもありませんよ。少し深花が私について誤解していたようです」
「何?」
獅乃神の、柳緑と深紅の眼が妹・龍乃神へ向いた。
「どういうことだ?」
「そう深花を責めることはありません。既に誤解は解けましたし、謝罪も受けました。私と深花の間にはもう何の蟠りもありません。そうですよね、深花?」
「はい。御気遣いありがとうございます、姉様」
二人の言葉を聞いて、獅乃神は安心した様に微笑んだ。
その顔色が薄らと青みを帯びる。
「ならば良い。折角の、二月に一度の家族の集まりなのだ。父上の前で険悪な空気を見せることがなくて良かった。さあ、休所にて残る者達を待とうではないか」
獅乃神は満面の笑みを浮かべて姉と妹の背に手を遣り、回廊を進む様に促す。
「兄様が最後です。というか集合は十一時ですよ。今いらっしゃった兄様は一人遅刻です」
そんな三人の許へ、もう一人の男が現れた。
豪奢な軍の儀礼服を身に纏った、筋肉質な男だ。
「おお、那智」
第二皇子・鯱乃神那智――第一皇子の三つ下の弟で、第二皇女の四つ上の兄である。
その服装が示すとおり、皇族でありながら軍に所属しており、若くして大佐の階級を持つ。
瑠璃色の髪が特徴だが、それ以上に精悍ながらもどこか余裕の無い気難しそうな顔立ちが印象的である。
「どうせまた遅くまで遊び歩いていたのでしょう。好い加減に襟を正し、放蕩癖を直されては如何か。あまり素行が臣民の目に付くと、廃嫡論が出かねませんよ。ま、私はそれでも一向に構いませんがね」
鯱乃神は鼻を鳴らし、皮肉めいた笑みを浮かべた。
しかし、そんな弟を姉が咎める。
「那智、滅多なことを言うものではありません。第一皇子・獅乃神叡智は陛下の後を継ぎ高御座に御掛けになられるに金甌無欠の御大器です。最上の敬意を欠いてはなりません」
姉の過分な賞賛に、獅乃神は得意気に、満足気に目を細めて微笑んだ。
対してその弟・鯱乃神は眩しい日差しを避ける様に目を背けて自嘲的に微笑んだ。
「冗談ですよ、私が兄様を腐すのはいつも。姉様の仰ることは、言われるまでもなく私が誰よりも存じ上げております」
そんな第二皇子の表情に何か思うところがあるのか、麒乃神はそれ以上言葉を続けなかった。
代わりにもう一人、別の女声が回廊の奥から呼び掛ける。
「獅兄様ーっ! 御到着なら早く来てーっ! 私様もう腹ぺこなんですけどー!」
そこでは派手な装飾と化粧が施された制服姿の女子高生が、痺れを切らした様子で腰に手を当てて立っていた。
末っ子の第三皇女・狛乃神嵐花は十六歳で、長女の麒乃神とは歳が十四も離れている。
緑色の派手なツインテールにラメの着いた顔は、如何にもな「ギャル」といった様相だ。
「待たせていたか。三人とも、行くぞ。父上も屹度お待ちだ」
自分が遅れてきたことを棚に上げ、獅乃神は姉と弟妹を引き連れるように回廊を進む。
⦿
五人は食堂に入った。
既に一人の青年が着席している。
食卓の長机は決して派手な装飾を施されてはいないものの、見事な一枚板はそれだけで最上級の素材と仕上がりが見て取れる。
部屋の装飾も、これ以上無い静かな高級感と気品に満ちている。
「お久し振りです、獅兄様」
長兄に挨拶した青年は第三皇子・蛟乃神賢智――龍乃神深花の二つ下で狛乃神嵐花の三つ上である。
京紫色の髪をした優男だが、気弱そうな顔付きと細身の体が、兄二人の屈強な体格と比較して如何にも頼り無さげに見える。
「賢智、汝は相変わらず細いな。那智のように軍で鍛えたらどうだ?」
右の一番奥の席に腰掛ける獅乃神の横では、鯱乃神が多分な苛立ちを含んだ目を兄に向けている。
だが兄は全く気付いておらず、他の者も指摘する様子は無い。
どうやらそういう習慣が皇族間で共有されているらしい。
弟も例に漏れず、苦笑いを浮かべて言葉を返す。
「獅兄様、僕は鯱兄様ほど勇敢ではありません。そのようなことは却々……」
「虫も殺せない蛟兄様に軍人なんて務まる訳ありませんよねー」
妹・狛乃神嵐花が左の一番手前に腰掛けながら、正面の兄を揶揄った。
「嵐花、汝はまた随分派手になったな」
「皇國は世界一の大国なんですよ、獅兄様。身に付けたくなる可愛いものは余りに余っているんです。当然じゃないですか?」
「成程、それはそうかも知れんな」
六人の皇子と皇女が全員席に着いた。
残すところは中央最上位の上座のみである。
無論、六人の父親である神皇の席だ。
「揃ったようだな」
誰も居ない筈の席から男の声が鳴った。
深く、落ち着いた渋みのある、世界一の大国に君臨する国家元首としての威厳に満ちた声だ。
「二月振りに我が子達の壮健な顔ぶれを見られて、朕は心より嬉しく思う」
男の気配が空席に舞い降りた。
間も無く、皇族達七人の会食が始まる。