日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第三十話『六摂家』 序

 ワゴン車の中で、根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)は一本の電話を取った。

 

「もしもし。麗(うる)真(ま)君、連絡を待っていたぞ。岬(さき)守(もり)君は?」

『彼も此(こ)方(ちら)で無事です。ただ、敵の能力を受けてしまい、今日は動けそうにありません』

 

 鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)の相手を引き受けた麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)の報(しら)せに、根(ね)尾(お)は一(ひと)先(ま)ず胸を撫(な)で下(お)ろした。

 彼の雰囲気から二人の無事を悟った他の者達(たち)にも安(あん)堵(ど)が伝搬する。

 

「良かった。此(こ)方(ちら)は目立たないように高速道路を使わず一般道を走っている。何処か近場の駐車場で待つことにするから、動ける様になったら追い掛けて来てくれ」

 

 鷹(たか)番(つがい)を撃破した以上、合流するのはそう難しくないだろう。

 魅(み)琴(こと)がその鷹(たか)番(つがい)、そして第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)と遭遇したあの日、白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)のことを今一つ頼りにならないと感じた根(ね)尾(お)は魅(み)琴(こと)にも電話端末を持たせることにした。

 今の彼女には目的地への道筋を調べる手段があるのだ。

 

『いいえ、其(そ)方(ちら)はそのまま統(とう)京(きよう)へ向かってください』

 

 しかし、魅(み)琴(こと)は根(ね)尾(お)の提案を断った。

 根(ね)尾(お)は眉(み)間(けん)に皺(しわ)を寄せて彼女の真意を問(と)い質(ただ)す。

 

「どういうことだ? 合流出来ない訳でもあるのか?」

『此(こ)方(ちら)の再起はおそらく明日以降になる。それまでみんなのことを足止めにする訳にはいきません。こうしている間にも次の刺客が忍び寄っているかも知れない』

 

 根(ね)尾(お)は暫(しば)し沈黙し、考える。

 魅(み)琴(こと)の言うことも解(わか)らないではなかった。

 

『根(ね)尾(お)さん、私(わたし)達は六(ろく)摂(せつ)家(け)当主の一角を撃退したんです。次に襲ってくる相手もおそらく同じ六(ろく)摂(せつ)家(け)当主、皇(こう)國(こく)でも最上位の貴族でしょう。一箇所に留(とど)まって手を拱(こまね)いているのはあまりにも危険です』

「しかし……」

『私(わたし)達のことは心配要りません。私(わたし)は勿(もち)論(ろん)のこと、航(わたる)も見違える程逞(たくま)しくなりました。鷹(たか)番(つがい)を撃退したのは私(わたし)ではなく航(わたる)ですから』

「なんだと?」

 

 俄(にわ)かには信じられない言葉だった。

 根(ね)尾(お)は岬(さき)守(もり)航(わたる)という男を侮っている訳ではない。

 狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)から自ら逃げ延びてきたことは驚嘆に値する。

 しかしそれでも、六(ろく)摂(せつ)家(け)当主を乗り越えるとしたら魅(み)琴(こと)の力だろうと思っていた。

 

「……解った。我々はこのまま統(とう)京(きよう)の龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸(てい)へ向かう」

『ありがとうございます』

「但し、君(きみ)達も必ず無事に辿(たど)り着(つ)け。さっき君(きみ)が言った言葉はそのまま君(きみ)達の方にも当(あ)て嵌(は)まるんだからな。君(きみ)達の力を見(み)縊(くび)っている訳ではないが、それでも油断するなよ」

『問題ありません。誰が相手であろうと、私(わたし)は敗けません』

 

 魅(み)琴(こと)の返答に、根(ね)尾(お)は何かを思う様に目を閉じた。

 

「呉(くれ)々(ぐれ)も無(む)茶(ちや)はするなよ」

『はい』

「では、龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸で待つ。必ずまた会おう」

『ええ。ではまた』

 

 電話を終えた根(ね)尾(お)は、白(びやく)檀(だん)にこのまま統(とう)京(きよう)へ向かうように指示した。

 二人を欠いたワゴン車はこのまま一般道を南下していく。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 統(とう)京(きよう)は皇宮、御所。

 中庭を一望出来る広縁に、上等な革椅子が小卓を挟んで向き合うように置かれている。

 そこに、若い皇族が二人腰掛けて中庭を眺めていた。

 昼食会も終わり、一息吐(つ)いているところである。

 

「龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)、本気で言っているのかい?」

 

 第三皇子・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)は細面の顔を姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)に向けて問い質した。

 窓から吹き込む風が京紫色の髪を揺らし、睫(まつ)毛(げ)の下から除く澄んだ向日葵(ひまわり)色の眼(め)と相(あい)俟(ま)って、どこか物(もの)憂(う)げな雰囲気を醸し出している。

 膝の上には羽の傷付いた鳩(はと)を乗せ、何やら掌(てのひら)から発する優しい光を当てている。

 その佇(たたず)まいは典型的な、優しく気弱な王子様といった様相だった。

 

「本気だからこそ、皇族の中では君(きみ)にしか話せないんだ」

 

 対する第二皇女・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は燃える様な紅(あか)い髪と菫青石(アイオライト)の様な澄んだ眼に力強い意思を感じさせる。

 歳(とし)が近いこともあって、この二人は皇族の中でも特に関係が良好であった。

 姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)にとって弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)は普段見せられない弱みや立場上言えない本音を打ち明けることが出来、かつ聡(そう)明(めい)さから有意義な回答を期待出来る良き相談相手であった。

 

「賢(けん)智(ち)、君(きみ)なら或(ある)いは解ってくれるような気がしてね」

 

 弟は答えない。

 掌から発した光が収まり、傷の癒えた鳩が窓の外へと飛び出していった。

 

「今の鳩には少し悪いことをしてしまってね……。元々はとある御(ご)令(れい)嬢(じよう)の飼っていた伝(でん)書(しよ)鳩(ばと)だったんだ。その娘(こ)には親友が居て、伝書鳩を通じて手紙の遣(や)り取(と)りをしていたらしい」

「それは……また随分と古風で酔狂な話だね」

「可(か)愛(わい)らしいだろう? ところが二人は或(あ)る理由で険悪になってしまった。というより、どちらかというと飼い主の御令嬢の方が嫉妬から相手を嫌うようになった。相手の娘(こ)はどうにか復縁しようと手紙を送ったんだが、その内容が却(かえ)って御令嬢の逆(げき)鱗(りん)に触れてしまった。御令嬢は怒りから飼っていた鳩を深く傷付けてしまい、僕(ぼく)の邸宅の門前に捨てて行ってしまったんだ」

 

 随分と過激な話に、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は苦笑いを浮かべた。

 

「でもその話のどこに、君(きみ)が鳩に悪いことをしたという要素があるんだい?」

「姉(ねえ)様(さま)、二人の女性の仲が拗(こじ)れた話をどうして僕(ぼく)が知っているか、もう分かっているんだろう? 恍(とぼ)けないでおくれよ」

「ああ、また女性二人に甘い言葉を掛けて誑(たぶら)かしたのか。君(きみ)は優しい男だが女性関係が絡むと偶(たま)に酷(ひど)いからな」

「だって、折(せつ)角(かく)好意を持ってくれた女(ひと)を傷付けたくないじゃないか」

 

 おそらくは後ろめたさから目を伏せる蛟(みずち)乃(の)神(かみ)を見て、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は呆(あき)れたように溜息を吐いた。

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は見た目に反して結構な女(おんな)誑(たら)しなのだ。

 弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)賢(けん)智(ち)にとって姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)は、そんな醜聞を打ち明けられる絶好の相手だった。

 尤(もっと)も、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)が突然こんな話を始めたのは、無意味な話題逸(そ)らしではない。

 

「まあ、曖昧な言葉でありもしない希望を持たせるのは残酷だと、解らない訳じゃないんだけれどね。でも、大抵の女性は不都合な現実よりも甘い夢想を求めているから仕方が無いでしょう」

「それは……どうかと思うよ、賢(けん)智(ち)」

「そう? じゃあさっきの姉(ねえ)様(さま)への返事ははっきりと言ってあげた方が良いかな」

 

 弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の視線が姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)の方へと戻った。

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の表情も改まる。

 

「確かに、姉(ねえ)様(さま)の言うように明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の独立性を尊重するのが本来は正しいことだろうと思う。美しく尤(もつと)もらしい大義を掲げようが、結局は自国の都合で数々の世界線に於(お)ける日本国を強引に吸収してきたのが皇(こう)國(こく)の現実だからね。本道を言えば、皇(こう)國(こく)は神(しん)為(い)の安定した継承を自国だけで目指すべきだ。成程、確かにその通りだろう」

 

 身構えていた龍(たつ)乃(の)神(かみ)に安堵の笑みが零(こぼ)れた。

 

「そうか、君(きみ)なら解ってくれると思っていたよ」

「でも、それこそ甘い夢想というものだよ。姉(ねえ)様(さま)は皇(こう)國(こく)にありもしない希望を持たせようと言っているんだ。それは極めて高い確率で失敗し、残酷で悲惨な結果を齎(もたら)すことになる」

「残酷で悲惨?」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は眉を顰(しか)め、思わず立ち上がった。

 

「皇(こう)國(こく)が今まで行ってきたことが、残酷で悲惨な結果を齎(もたら)さなかったとでも?」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)の語気が強くなる。

 しかし、そんな姉に対して弟は掌を指しだして制止し、もう一方の手で口元に人差し指を立てた。

 

「駄目だよ、あまり大きな声を出しちゃあ。麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)に聞かれたらどうするの?」

「っ……すまない……」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)は再び椅子に腰掛けた。

 先程も述べた様に、姉・龍(たつ)乃(の)神(かみ)がこのことを弟・蛟(みずち)乃(の)神(かみ)に話すのは、その内容を他人に聞かせられないからだ。

 特に、政界に通じている第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)に知られることだけは何としても避けなくてはならない。

 

「何も、皇(こう)國(こく)の行いを肯定するつもりは無いさ。寧(むし)ろ、それについては尚(なお)のこと龍(たつ)姉(ねえ)様(さま)の言うとおりだと思う。皇(こう)國(こく)の繁栄を維持するという、そんな自国の都合で、一体どれ程の血が流れ、どれ程の痛みが生まれたのか……。考えただけで恐ろしいし、辛くなるよ。だから僕(ぼく)は、今回の転移で全て終わりになってほしい。それも、なるべく穏当な形でね」

「そうか……。すまない、君(きみ)の気持ちも考えず、強く言い過ぎた」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は女癖が悪いという欠点こそあるものの、基本的には穏やかで心優しい青年である。

 しかし同時に、現実を前にすると理想や原理原則を貫き切れない臆病さを同時に抱えていた。

 彼が女性関係のトラブルを引き起こすのは、その優しさと臆病さが災いするのだった。

 

「まあ、こんなことは力による現状変更を辞さない麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)や鯱(しゃち)兄(にい)様(さま)には絶対に言えないし、問題が解っていない獅(しし)兄(にい)様(さま)や嵐(らん)花(か)に言っても無駄だろうね。けれども、皇(こう)國(こく)が変わるという面では希望が無い訳じゃない」

「どういうことだい?」

「明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)だよ」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)はここへ来て真剣な視線を龍(たつ)乃(の)神(かみ)に向けた。

 

「伝え聞くところによると、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)には皇(こう)國(こく)にとって学ぶべきところが多くある。それを取り入れることが出来れば、皇(こう)國(こく)は真の意味で素晴らしい国家に生まれ変わることが出来るかも知れない」

「学ぶべきところ? そこまで言う程のものが? 明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)は、言っては難だが、国の汎(あら)ゆる指標で皇(こう)國(こく)の足下にも及ばないだろう?」

 

 そう、一方で龍(たつ)乃(の)神(かみ)の考え方も完全に善性のものとはいえない。

 彼女は平和的な人物ではあるが、一方で国家として皇(こう)國(こく)の優位は疑っていない。

 それは弱者に対する上から目線の優しさと誠実さである。

 その点では、蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の方が自国と日本国を引いて見る考え方の持ち主だ。

 

「姉(ねえ)様(さま)、国家の優れた点は国力や経済力、文明力といった目に見える側面だけでは測れない。皇(こう)國(こく)が変わる為に大事なのは何よりも、それを知ることじゃないかな」

 

 蛟(みずち)乃(の)神(かみ)は珍しく真(まっ)直(す)ぐな意思を眼に宿している。

 

「彼らと接しているなら、姉(ねえ)様(さま)も今に解ると思うよ」

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)はどこか嬉(うれ)しそうに微(ほほ)笑(え)む。

 

「そうか……。賢(けん)智(ち)も大きくなったね」

「いやいや、相変わらずだよ。臆病で優柔不断で、頭でっかちなだけの小物さ」

 

 窓の方へ差し出された蛟(みずち)乃(の)神(かみ)の指に紋(もん)白(しろ)蝶(ちよう)が止まった。

 鳥の囀(さえず)りと共に、穏やかな午後が皇宮を包み込んでいる。

 語り合う中で弟の成長を見た龍(たつ)乃(の)神(かみ)は満足げな表情を浮かべて立ち上がった。

 

「じゃ、そろそろ妾(わらわ)は自邸に戻ろうかな」

「うん、僕(ぼく)は例の件を麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)に話してから帰るとするよ」

「ああ、頼んだよ。突っかかってしまった妾(わらわ)からは頼みにくい」

「お安い御用さ。僕(ぼく)は麒(きりん)姉(ねえ)様(さま)からの覚えが一番良いからね」

 

 控えていた侍従に襖(ふすま)扉(とびら)を開けさせ、龍(たつ)乃(の)神(かみ)は部屋を後にした。

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