本当にお待たせしてごめんなさい!
首都高湾岸線を駆けていく車は、大井ふ頭を縦貫して羽田に出た。もうしばらくすると川崎に抜けるだろう。
車窓左側には太平洋が広がっていて、午後の太陽を反射してきらきらと光っている。
「眠いなら寝てていいですよ。着くとき起こしますから」
「大丈夫です。今日、いっぱい寝ましたから」
運転席から声をかけてきた志麻さんに答える。昨日からお世話になりっぱなしである。
「しっかし廣井のやつ、無茶苦茶ですよ、ほんと。まだ神奈川に居やがると思ったら、いきなり機材持ってこいなんて」
怒り半分、おふざけ半分といった感じでそう言う志麻さんの様子がなんだか可笑しくて、思わず笑みが溢れる。
「……ま、でもそんぐらいじゃないと張り合いが無いな、あいつは」
「ですねぇ。あの人はあのぐらいが丁度いいです」
「違いない」
そして志麻さんにも笑みが。なんだかんだ、きくりさんの事を大切にしているのだろう。
「……蒼井くん」
「はい?」
「初めてだよな」
「初めてです」
「…がんばれ、な」
「……、はい」
カーナビが、神奈川に入ったことを告げた。
志麻さんから受け取ったエールに身震いしながら、到着を待った。
「おーきた、こっちこっち〜」
指定された場所に着くと、そこにはきくりさんと後藤さんがいた。
「あれ、後藤さん?」
「あっ、どうも……」
意外である。なぜなら、この子は極度の人見知りだからだ。路上ライブなんてやってしまったら、この子はぶっ壊れてしまうのではないか。
「蒼井くん、機材降ろすの手伝ってもらえますか?」
「あ、了解です!」
「おー若いの、働くねぇ」
「おめーも手伝えや」
横から志麻さんに言われたので、一旦考えるのを止めて、機材を降ろす。スピーカーやら、コード。そして最後に、自分のギター。
「それじゃあ、このバカをよろしくお願いします」
そう言うと、自分の背中をぽんと叩いて、志麻さんは車に乗り込んで行ってしまった。後ろできくりさんは「バカは酷くないかなー!」とかなんとか言っている。
「そういや、なんで後藤さんがここに?」
しばらくしてから、到着以来ずっと気になっていた疑問をぶつけてみる。
「あ"、すすすみませんすみません私なんかがこんなところに居ていいわけ無いですよねごめんなさい失礼しました」
「そんなことは言ってないが!?」
「あっはは、やっぱりひとり
ちゃんやべーやつじゃん!」
「そこのバカも笑ってないでどうにかしてくださいよ!!」
「だからバカは酷くないかな!?」
暫くして。
後藤さんを落ち着かせて、路上ライブ決行までの経緯を説明してもらった。
曰く、スターリーでライブをするにあたって、チケットノルマというものがあるのだという。
売らなければならない数は五枚。普通は友達にでも買ってもらえたらすぐ売れるだろうが、人脈が全くと言っていいほどない彼女にとって、それは難しい話だった。
だから路上ライブして売ってやれ!というのがきくりさんの案らしい。何ともきくりさんらしい。
「で、でも、やっぱり怖くて…それで、蒼井さんに…」
「知ってる人がいたほうがいいんだって〜」
「なるほど……」
こうして頼られるのは初めてなので、なんだか不思議な気分になる。
ふと周りを見渡してみると、着物姿の人達が多く居る。
「今日、なんかありましたっけ?」
「あ、えぇっと、なんかお祭りみたいな…」
「あーそっか、そんなのあったなぁ」
きくりさんの狙いはこれか。人が多く集まっているから、チケットを売るのにもってこいということだ。
「じゃあ蒼井くん、ひとりちゃん、準備しよ〜!」
ぶちかますぞ〜!だなんだと騒ぐきくりさんの言葉で、ここに来た理由を今一度思い出す。
俺は今から、ここで路上ライブをやる。人生で初めて人と組み、演奏する。
―――これが最後になるかもしれないが。
そう考えると、少し緊張する。人前でやるのは久しぶりだ。
「……、………!」
後ろでもぞもぞと何かが動いている気がする。十中八九後藤さんだ。
「どしたの、後藤さん」
「うぎぃ…あ、これ、スコアです」
「あ、そっか。ありがとう」
そういや曲について何一つ聞いていなかった。そう思いながら、スコアをぱらぱらと見ていく。
曲は【ギターと孤独と蒼い惑星】。この前オーディションで結束バンドが演奏した曲だ。
―――覚えられるか?今から……
というより、人と合わせられるのか?
最後になるかもなのに、失敗して、満足できるのか?
俺は――
「あっ、あの!」
ふいに、目の前の後藤さんが声を上げる。
「あ、えーと、あのですね、えーと……」
「ゆっくりでいいよ、言ってみて」
そう言うと、後藤さんは意を決したようにこちらに向き直る。
「蒼井さんが何で苦しんでるかとか、何でそんなに辛そうなのかはよく分からないですけど――」
「――蒼井さんなら、きっとできる、と、思いますっ」
『わたしはできると思うけど』
『気づいたのは君自身だよ』
目の前の、とても引っ込み思案な子から放たれた言葉に、心を震わす。
そうだ。喜多さんがバンドに入った時だってそうだ。この子の言葉は、人に勇気を与えてくれる。
「おーい、準備できたよ~」
きくりさんが呼ぶ。もう始まる。
満足に準備もできちゃいない。迷いだって捨てられない。
でも今、心に火をつけられてしまった。絶やすことのできない、絶やしたくない火を。
――やるんだ、蒼井。やってみろ。
「後藤さん」
「え、あっはい」
「ありがとう」
背中に返事を受けながら、きくりさんの待つ方へ向かった。
夕日が空を赤く染めている。
目の前の道路を行く人は多く、時より立ち止まってこちらへやってくる人もいる。
「みなさーん、金沢八景のみなさーん!今から路上ライブやりまーす!」
声高らかにきくりさんが叫ぶ。その声に足を止める人が多くなる。いよいよだ。
「演るのはこの子のバンド、結束バンドの曲でーす!」
後藤さんの方を見ると、緊張が取れきっていない様子だった。無理もないだろう。
スコアを完璧に覚えることはできなかったので、前のオーディションの記憶から思い出すことにした。付け焼き刃だが、やるしかない。
「それじゃあ、いきまーす!」
きくりさんの合図で、演奏を始める。
ボーカルなし、ドラムなしのインスト演奏だ。
始まってまず感じたことは、きくりさんの技量の高さ。きくりさんも自分と同じで初めて演奏する曲なのに、確実にこちらの2人を支えてくれている。
しかし、同時に違和感も感じた。きくりさんの演奏はどこかふわふわしていて、つかみどころが無いように思えたからだ。
こちらが踏み込むと引いてしまう。逆に引くと押してくる。まるでこちらを煽るような、そんな感覚。
(曲に慣れては来たけど…きくりさんに慣れねぇ…!)
そろそろ全開でいきたい。けど、どこか不安定な感じがして、出し渋ってしまう。
ふと後藤さんの方を見る。緊張からか、彼女は目を瞑ったまま演奏している。目を閉じながら正確にギターを弾けることに驚くが、そのクオリティはオーディションより落ちる。
サビが近い。このままじゃだめだ。
こんなとき、どうすればいい。どうしたら、ばらばらなこの音たちがピタリとハマる――
「頑張れっ」
――前の方から、そんな声が聞こえる。楽器の音で聞こえるはずないのに、はっきりと聞こえる。
思わず顔を上げると、茶髪の女性が2人、こちらを真剣な顔で見ている。おそらく声の主はこの2人だろう。
――そうだ。頑張るんだ。やってみろ。
(ダメでもいい、飛び込んじまえ!)
意を決し、思いのままにギターをかき鳴らす。後藤さんもほぼ同時にスイッチが入ったようで、音のキレが一層良くなる。
きくりさんも例外でなく、つかみどころのなかった演奏から一変、ガンガン押してくるようになる。
互いの音が混ざり合って、一つの曲を形成していく。互いが滅茶苦茶しているようで、互いの音が調和する。
すごい、すごいな。これがバンドというものなのか。
曲が終わる。同時に、群衆から拍手。静かに降り注いできたそれは、とても心地よかった。
その後、通りがかりのお巡りさんに注意を受けたので、路上ライブを終了し、チケットを売ることになった。
「あのーっ」
「…ぅあっ、はい!」
声をかけられた方を向くと、さっき応援してくれた2人が寄ってきていた。
「このライブのチケット、買ってもいいですか?」
「2枚くださいっ!」
あまりに唐突だったからか、後藤さんは固まってしまっている。
「よかったねぇひとりちゃん!」
後ろからきくりさんが声を掛けても反応がない。
「後藤さんどうした?体調でも悪い?」
「感動してフリーズ?」
すると突然、後藤さんがぶっ倒れる。本当に体調が悪かったのかと心配したが、顔が高速で変化しまくっているのを見るに、いつもの後藤さんである。ちょっと安心した。
「えぇーっと、1枚1500円なので、3000円です。だよね、後藤さん」
「っは、はい」
後藤さんが復帰し、チケットを2枚渡す。2人は嬉しそうにそれを握りしめ、こちらに手を振りながら去っていった。
「……あ」
その時、後藤さんが呻くように呟く。
そちらを見ると、後藤さんの手に1枚、チケットが残されている。そういえば、余っていたチケットは3枚。1枚余っていたのだ。
じゃあ自分が買おう、そう思い声をかけようとしたとき――
「あの!!」
後ろから突然声をかけられる。
振り向くと、そこには同い年くらいの男の子が立っていた。
その子はずんずんとこちらへ寄ってくると、俺の手をがしっと掴んで言った。
「あの、ライブ、凄かったです!後ろのお二人もですけど、特にあなた!もうなんというか、すっごい凄かったです!」
「あ、はい、ありがとうございます」
「で、その、まだチケットって余ってたりしますか?」
「あぁっはい、余ってます!」
後ろで男の子の熱量が移ったのか、後藤さんがいつにもなく大きな声で言う。
男の子は少し焦り気味で財布を取り出して、1500円を差し出す。チケットと交換すると、男の子はより一層目を輝かせた。
「うおぉ……感無量です…」
「よかったです」
「そういや、あなたはライブ出るんですか?」
「あーいえ、出るのはこのジャージの子のバンドです」
「あ、そうなんですね。じゃあ、バンドとかって組んでるんですか?」
「いや、特には…」
「えーっ勿体ない!こんなに上手いのに!」
ちくり。褒め言葉のはずなのに、なぜか胸が痛い。
「またやって欲しいです、絶対!」
また、かぁ。
「じゃあ、ライブ行かせていただきます!楽しみにしてますね!」
にこやかにそういうと、その子は走り去っていった。
「うむむ、若いっていいなぁ……くそぉ、今夜はやけ酒だぁ~!」
「ほどほどにして下さいね、ほんとに」
路上ライブが終わった。
結果的にかなり成功した部類に入るのだろう。チケットも売れた。
だけど、なぜか心の霧が晴れない。嬉しいはずなのに、もやもやしたままである。
「で、蒼井くん、どうだった」
ふいにきくりさんに声をかけられる。
「……楽しかった、です」
「…だよね」
ぽろっと、本心が口から溢れる。
「やっぱりわたしの言ったとおりだったよ。蒼井くんにはできるんだ」
「……そうでしたね。きくりさんの勘はよく当たる」
さっきの男の子や女性を指しての発言。確かにあの子は、自分の音が心を動かした。
「……でも、俺は、音楽を続けたら家に居られなくなります」
そう言った瞬間、きくりさんが目を見開く。
紫色の目が、自分を射抜く。すべてを見透かしてしまいそうな目が、自分をじっと見つめている。
「そんなことを聞いてるんじゃないよ。建前はもういいんだよ。君の本音を聞きたいんだ」
本音。そんなのとうに分かっている。
「言ってほしい。聞かせてよ。わたしはね――」
その先を聞けば、本音をこぼしてしまうのもわかってしまった。それでも尚、聞き入ってしまった。
「君が音楽やってるのをずっと見てたいんだ」
今日の蒼井くん、ずっと楽しそうだったもん、と、きくりさんは付け加える。
「……今日」
唐突に、後藤さんが口を開く。
「組んでみて、わかったんです。蒼井さんは、その、ギターがないと、蒼井さんじゃなくなっちゃうというか……」
けして悪い意味ではないです、と早口でまくし立てる。
「とっ、とにかく、これからもギター弾いてて欲しいですっ」
「…だってさ、蒼井くん」
後藤さんからも、そう言われてしまう。今までの自分は、そんなにつらい顔をしていたのだろうか。
この2人の言葉は、自分の心をこじ開けるには十分だった。
「…俺は」
「まだ音楽を続けたい」
「もっと、スターリーに居たい」
本音が溢れる。胸が熱い。でも、さっきより心が軽い。
「……よぉし、じゃあ、また明日から頑張ろ〜ひとりちゃん!」
「はっはい!」
さっきよりも軽い調子できくりさんが言い、それに後藤さんが呼応する。このやり取りを見ていると、なんだか心があったかくなっていく。
「…あの、きくりさん」
「ん?」
きくりさんに声を掛け、ケースにしまったギターをきくりさんに差し出す。
「これ、星歌さんに預けてくれませんか」
「……何で?」
「逃げないためです。俺が、音楽から」
そういうと、きくりさんはなんとなく察してくれたみたいで、ギターを預かってくれた。
「じゃあ、ちゃんと届けるよ」
「ええ、お願いします」
それじゃあね~、と、きくりさんは駅へ歩いていく。
昨日と今日を振り返ると、きくりさんに助けられっぱなしだった。あの人が居なければ、自分はもっと悲惨なことになっていたかもしれない。
――今度、ちゃんとお礼を言おう。
そんなことを考えていると、きくりさんが猛ダッシュでこちらへ戻ってきた。
「ごめーん!豪遊しすぎてお金無いの忘れてたぁ!電車賃貸してくれないかな!?」
―――台無しだよ、こんちくしょう。
「そうか、そんなことが」
「うん。結構思い詰めてましたよ」
「近くに居たのに気づけなかったなんてな……」
「…こっからは多分、先輩の出番ですよ。蒼井くんのこと、ちゃんと見ててあげてください」
「ああ、わかった。ありがとよ」
……どうしてこう、私は気づけないのだろうか。
家族のことも、妹のことも。
――大切なやつのことだって。
「自分が嫌になるな……」
そうつぶやいてから、紙パックのリンゴジュースを呷る。いつもより少し酸っぱいような気がした。
いろんな感情が混ざってぐちゃぐちゃになってるのを表現するのむずくないですか…?