アンジュ・ヴィエルジュ 〜知らば輝く青玉の瞳〜   作:二面サイコロ

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第十弾 サファイアの雫

 金曜日。

 つまりそれは、週末まであと一日である事を表す。

 ノアが白の世界に帰るのは明日だ。

 この前カトルとソフィーナに全部話してから、俺の気分はだいぶマシになっていた。やはり溜め込みすぎていたらしい。

 だがーーーそれでも、俺の心に引っかかる針は取れることは無かった。

 

 ノア。

 

 突然現れ、俺達の日常を引っ掻き回して、また突然去っていった嵐のような女の子。

 ……まだ俺はノアの事を気にしてるのか。

 忘れようとすればするほど、ノアとの短い生活がフラッシュバックしてくる。

 初めて会ったときの、無表情なノア。

 美海達に服を着せられて、僅かに顔を赤くしたノア。

 俺とソフィーナの漫才を見て、初めて笑ってくれたノア。

 それらが頭の中で交錯して、気分が落ち着かない。

 

 くそ。俺は何を考えているんだ。

 ノアなんて、俺達を危険に晒す引き金じゃないか。

 白の世界に帰して正解じゃないのか。

 

 いいじゃないか。

 これでいいんだ。

 ノアを帰すことで俺は何かに巻き込まれることも無くなる。そうすればもう俺の生活には何の心配も無い。

 後はさっさと学校を卒業して、大学行って、どこか安全な所に就職して、平凡な人生を送る。

 俺よ。これの何に不満がある?

 

 自分でも、分からない。

 

 

 気づけば放課後になっていた。

 取り立ててやる事も無い俺は、とっとと寮に戻って銃の整備か漫画の続きでも読もうとしたが……やめた。気分じゃない。

 そういえば、結局あれからノアはずっとDr.ミハイルの研究室にいて俺と会ってない。今日明日で最後なんだから、別れの挨拶くらいしておくべきだろう。一週間でも生活を共にした仲なのだ。

 

 そうだ。俺の心の引っかかりは、これに違いない。すっきり終わらせるには、挨拶をすればいいんだ。

 それで全てが終わる。

 そう断定し、俺はミハイルの研究室に向かった。

 

 

 

 「あ、シンさん。こんにちは」

 

 Dr.ミハイルに案内されたノアの部屋に向かった俺は、ノアの声を聞いて、心の針がちくりと痛んだ。

 今、ノアは俺のことを「シンさん」と呼んだ。

 もう俺は「マスター」ではないのだ。

 当たり前のはず、当たり前のはずなのに……俺は、そんなことを気にしてしまった。

 

 「よう、ノア。調子はどうだ」

 

 とりあえず俺は、努めていつもの調子でノアに挨拶をした。

 したつもりだったが、なぜか声がうわずってしまった。

 

 「私はアンドロイドなので調子による上下はあまり無いのですが……強いていえば良好です」

 

 「そうだったな」

 

 ノアがぽんぽん、と示した椅子に座りながら、ノアの返答に苦笑する。

 早速話題が尽きてしまった俺は、前置きもそこそこに本題を話すことにした。

 

 「ノア……明日、帰るんだよな。白の世界に」

 

 「はい」

 

 「その……体調には気を使えよ、ちゃんと飯は食うんだぞ。俺が言わないとすぐに忘れんだからさ」

 

 「はい。気をつけます」

 

 「それとさ……ノア、すまないな。お前を守りきれなくて」

 

 俺は座ったまま軽く頭を下げた。できるだけ他の話に紛れてさりげなく話そうと思ったのだが、どうやら俺はそんなに器用ではないらしい。

 対するノアは…平然と答えた。

 

 「シンさんが気にすることではありません。むしろーーー私が謝らなくてはなりません。シンさんを…皆さんを、危険に晒してしまい、申し訳ありませんでした」

 

 そして、俺と同じように、だがそれより深く、ぺこりと頭を下げた。

 何でだよ。

 何で、ノアが謝るんだよ。

 お前は何も悪くないだろ。

 悪いのは俺とーーーお前を狙ってる奴だけだろ。

 

 ノアが語り始めた。

 

 「私はーーー本当の意味でのマスター・博士(プロフェッサー)を失ってから、ずっと一人でした。私の中にあるブラックボックス……それを気味悪がって、誰も近づいてはくれませんでした。私の味方をしてくれる人もいましたが、それも、襲撃の巻き添えを受けると、自然と離れてゆきました」

 

 ノアが、その大きなサファイアのような瞳を、ゆっくりと閉じた。

 

 「ですが……シンさんや、皆さんは違いました。誰も私の後ろなんて気にせず、普通に接してくれました。洋服を選んでくれたり、クレープを一緒に食べてくれました。襲撃を受けたときは、命がけで守ってくれました」

 

 ノア。

 違うんだ。

 俺は、そんなにいい奴じゃない。

 俺は……そんなに強い奴じゃない。

 

 構わずノアは続ける。

 

 「私はーーー楽しかったのです。この一週間が。こんな気持ちは久しぶりでした。博士が亡くなって、そのときに一緒に死んでしまった私の心の一部を、皆さんは復活させてくれました」

 

 「……」

 

 「私は……このときを、一生忘れません。皆さんと一緒に過ごした日々は、たったの一週間でも、私の中では永遠に等しい価値があるのです」

 

 ……ノア。

 もう、やめてくれ。

 感謝なんてしないでくれ。

 罵倒してくれた方が、どんなに楽か。

 

 そんな俺の内心など知らないであろうノアは、淡々と…しかし、強く噛み締めるように言った。

 

 「シンさん。ありがとうございました」

 

 ノアは、笑った。

 あのとき見せてくれた、ぎこちない笑み。

 それと同じものだったのだろうが、なぜか俺には今のノアの微笑みは魅力的には映らなかった。

 俺には、ノアが無理矢理笑っているようにしか見えなかった。

 俺に心配させまいと。

 俺が、自分を責めないよう。

 

 「ノアーーー」

 

 俺は何と言えばいいのか分からないのに、自然と口をついてその名前を呼んでしまった。

 しかしノアは、俺を遮って言った。

 

 「話は以上です。シンさん、帰って下さい」

 

 「の、ノア…?」

 

 いつものノアらしくない。ひとの言葉を遮るなんて、およそノアのする事では無かった。

 

 「帰って下さい。これ以上あなたを見ていると…私は……わたし、は………」

 

 俺はノアに突き飛ばされ、追い立てられるように部屋を出た。

 部屋を出る瞬間、ふと、つい。

 本当に、つい。

 ちらりと視線だけで振り返ってしまうと。

 俯いたノアの顔から、きらり、と。

 床に落ちるものがあった。

 それは、ぴしゃりと床に衝突していくつもの光芒を小さく散らし、すぐに見えなくなった。

 

 ああ。あれは。

 

 ーーーノアの、涙だ。

 

 

 あのとき俺はどうすれば良かったのだろうか。

 どうしてやれば、良かったのだろうか。

 俺には、できなかった。

 何も。

 その選択は、最悪な選択に違いない。

 最も堅実でーーー

 

 ーーー最も、悪い選択だ。

 

 




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