アンジュ・ヴィエルジュ 〜知らば輝く青玉の瞳〜 作:二面サイコロ
金曜日。
つまりそれは、週末まであと一日である事を表す。
ノアが白の世界に帰るのは明日だ。
この前カトルとソフィーナに全部話してから、俺の気分はだいぶマシになっていた。やはり溜め込みすぎていたらしい。
だがーーーそれでも、俺の心に引っかかる針は取れることは無かった。
ノア。
突然現れ、俺達の日常を引っ掻き回して、また突然去っていった嵐のような女の子。
……まだ俺はノアの事を気にしてるのか。
忘れようとすればするほど、ノアとの短い生活がフラッシュバックしてくる。
初めて会ったときの、無表情なノア。
美海達に服を着せられて、僅かに顔を赤くしたノア。
俺とソフィーナの漫才を見て、初めて笑ってくれたノア。
それらが頭の中で交錯して、気分が落ち着かない。
くそ。俺は何を考えているんだ。
ノアなんて、俺達を危険に晒す引き金じゃないか。
白の世界に帰して正解じゃないのか。
いいじゃないか。
これでいいんだ。
ノアを帰すことで俺は何かに巻き込まれることも無くなる。そうすればもう俺の生活には何の心配も無い。
後はさっさと学校を卒業して、大学行って、どこか安全な所に就職して、平凡な人生を送る。
俺よ。これの何に不満がある?
自分でも、分からない。
気づけば放課後になっていた。
取り立ててやる事も無い俺は、とっとと寮に戻って銃の整備か漫画の続きでも読もうとしたが……やめた。気分じゃない。
そういえば、結局あれからノアはずっとDr.ミハイルの研究室にいて俺と会ってない。今日明日で最後なんだから、別れの挨拶くらいしておくべきだろう。一週間でも生活を共にした仲なのだ。
そうだ。俺の心の引っかかりは、これに違いない。すっきり終わらせるには、挨拶をすればいいんだ。
それで全てが終わる。
そう断定し、俺はミハイルの研究室に向かった。
「あ、シンさん。こんにちは」
Dr.ミハイルに案内されたノアの部屋に向かった俺は、ノアの声を聞いて、心の針がちくりと痛んだ。
今、ノアは俺のことを「シンさん」と呼んだ。
もう俺は「マスター」ではないのだ。
当たり前のはず、当たり前のはずなのに……俺は、そんなことを気にしてしまった。
「よう、ノア。調子はどうだ」
とりあえず俺は、努めていつもの調子でノアに挨拶をした。
したつもりだったが、なぜか声がうわずってしまった。
「私はアンドロイドなので調子による上下はあまり無いのですが……強いていえば良好です」
「そうだったな」
ノアがぽんぽん、と示した椅子に座りながら、ノアの返答に苦笑する。
早速話題が尽きてしまった俺は、前置きもそこそこに本題を話すことにした。
「ノア……明日、帰るんだよな。白の世界に」
「はい」
「その……体調には気を使えよ、ちゃんと飯は食うんだぞ。俺が言わないとすぐに忘れんだからさ」
「はい。気をつけます」
「それとさ……ノア、すまないな。お前を守りきれなくて」
俺は座ったまま軽く頭を下げた。できるだけ他の話に紛れてさりげなく話そうと思ったのだが、どうやら俺はそんなに器用ではないらしい。
対するノアは…平然と答えた。
「シンさんが気にすることではありません。むしろーーー私が謝らなくてはなりません。シンさんを…皆さんを、危険に晒してしまい、申し訳ありませんでした」
そして、俺と同じように、だがそれより深く、ぺこりと頭を下げた。
何でだよ。
何で、ノアが謝るんだよ。
お前は何も悪くないだろ。
悪いのは俺とーーーお前を狙ってる奴だけだろ。
ノアが語り始めた。
「私はーーー本当の意味でのマスター・博士(プロフェッサー)を失ってから、ずっと一人でした。私の中にあるブラックボックス……それを気味悪がって、誰も近づいてはくれませんでした。私の味方をしてくれる人もいましたが、それも、襲撃の巻き添えを受けると、自然と離れてゆきました」
ノアが、その大きなサファイアのような瞳を、ゆっくりと閉じた。
「ですが……シンさんや、皆さんは違いました。誰も私の後ろなんて気にせず、普通に接してくれました。洋服を選んでくれたり、クレープを一緒に食べてくれました。襲撃を受けたときは、命がけで守ってくれました」
ノア。
違うんだ。
俺は、そんなにいい奴じゃない。
俺は……そんなに強い奴じゃない。
構わずノアは続ける。
「私はーーー楽しかったのです。この一週間が。こんな気持ちは久しぶりでした。博士が亡くなって、そのときに一緒に死んでしまった私の心の一部を、皆さんは復活させてくれました」
「……」
「私は……このときを、一生忘れません。皆さんと一緒に過ごした日々は、たったの一週間でも、私の中では永遠に等しい価値があるのです」
……ノア。
もう、やめてくれ。
感謝なんてしないでくれ。
罵倒してくれた方が、どんなに楽か。
そんな俺の内心など知らないであろうノアは、淡々と…しかし、強く噛み締めるように言った。
「シンさん。ありがとうございました」
ノアは、笑った。
あのとき見せてくれた、ぎこちない笑み。
それと同じものだったのだろうが、なぜか俺には今のノアの微笑みは魅力的には映らなかった。
俺には、ノアが無理矢理笑っているようにしか見えなかった。
俺に心配させまいと。
俺が、自分を責めないよう。
「ノアーーー」
俺は何と言えばいいのか分からないのに、自然と口をついてその名前を呼んでしまった。
しかしノアは、俺を遮って言った。
「話は以上です。シンさん、帰って下さい」
「の、ノア…?」
いつものノアらしくない。ひとの言葉を遮るなんて、およそノアのする事では無かった。
「帰って下さい。これ以上あなたを見ていると…私は……わたし、は………」
俺はノアに突き飛ばされ、追い立てられるように部屋を出た。
部屋を出る瞬間、ふと、つい。
本当に、つい。
ちらりと視線だけで振り返ってしまうと。
俯いたノアの顔から、きらり、と。
床に落ちるものがあった。
それは、ぴしゃりと床に衝突していくつもの光芒を小さく散らし、すぐに見えなくなった。
ああ。あれは。
ーーーノアの、涙だ。
あのとき俺はどうすれば良かったのだろうか。
どうしてやれば、良かったのだろうか。
俺には、できなかった。
何も。
その選択は、最悪な選択に違いない。
最も堅実でーーー
ーーー最も、悪い選択だ。
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読了、ありがとうございました。