アンジュ・ヴィエルジュ 〜知らば輝く青玉の瞳〜 作:二面サイコロ
「やっほーっ! そこの……えと、シノノメシンくんーッ!」
青蘭学園中等部三年に転入したのももう既に先週の話となり、いい加減夜でも迷わず歩けるようになった、その学校からの帰り道。
素っ頓狂なまでに明るい声が俺の名前を呼ぶのを聞き、何事かと俺はそちらに振り返る。
この数日の間で、通りすがりに誰かに呼び止められるのにはすっかり慣れてしまった。数少ない「戦闘力を持ったαドライバー」として、名前と顔だけは一瞬で知れ渡り、何かと声をかけてくる者が後を絶たないのだ。
今日だって、夕方には授業は終わったのに帰りが夜なのは、公認・非公認問わずクラブの勧誘が押し寄せたり、ブルーミングバトルの特訓に付き合わされたりしたからである。おかげで俺の制服のポケットや鞄には、色とりどりのチラシやらプログレスの女子がお礼にくれたお菓子やら何やら詰め込まれ、もはやある種の前衛アートのような状態になってしまっている。
「ねえねえキミ、この前の転入生くんでしょ? うちでお茶飲んでかない?」
特に面識もないのにやたらフレンドリーに話しかけてきたそいつは……思い出した。俺と同じクラスの、赤の世界出身・収穫の女神ことミシスだ。
もぎたての果実の如き見事な色彩を放つ、ツインテールに結った髪と透き通った瞳に、目算身長なんと130センチ台のとってもミニマムな体躯が印象深い。
見れば彼女が示した場所には、小綺麗な佇まいの喫茶店らしき店がある。
さらに、ちょっと中腰にならないと目線を合わせられないほどに低いその頭と両手に、トーテムポールのように強力粉と薄力粉と砂糖の袋をそれぞれ載せている。どうやらこの収穫の女神さまはお使いの帰りであらせられるらしい。あとバランス感覚いいな。
「悪い、今日はもう疲れたから帰る。また今度にしてくれ」
「私の祈りと一緒にすくすく育ったぶどうのタルトが残りわずか! 初回限定サービスで飲み物もつけちゃう!」
「急に腹が減ってきたからちょっと寄らせてもらっていいか? 飲み物は紅茶がいい」
一瞬で手のひらを返した俺は、ミシスのちっちゃな頭と手から割と重かった袋を掠め取り、代わりに運んでやる。
すると彼女はちょっと驚いたようにこちらを見て、それから大輪の花を咲かすように「えへへー」と笑った。
とても可愛い笑顔……なのだが、なにぶん身長差が三十センチ以上もあるので、どうにも子供を見ているような気がしてならない。
しかし向こうは異世界の女神様。女性に年齢を訊くのは失礼だから訊かないが、彼女だって俺の何十倍も生きているかもしれないのだ。
見た目は子供、頭脳と人生経験は大人。その名もーーー
「ねえシン? なんで自分のお顔を全力で叩いてるの?」
「悪い、ちょっと女神様に対して不躾なことを考えてた」
「おお……これはすごい」
目の前に置かれたぶどうのタルトが載った皿を見て、俺は素直に感嘆の声を漏らした。
俺には果物やらなんやらの良し悪しなんてわからないが……何せ、モノが違いすぎる。
こんがり焼けたタルトの上で、ぶどうが宝石みたいに光ってやがる。
ミシスに「どやあ」と音が聞こえてきそうなくらいに得意げな顔でタルトをすすめられるままに、俺はフォークで切り取ったタルトを口に運びーーー
ーーー派手に鳴った店のドアベルの音に、その手を止めた。
何やら黒い塊が、店の中に飛び込んできたのだ。
「ミシス! タルトまだ残ってる!?」
否、その黒い塊に見えたそれは、布量の異様に多いフリフリのドレスだった。
見た目だけで黒の世界出身者だとわかる彼女の注文に、ミシスはからりと、
「あらソフィーナ。ごめんね、タルトはついさっき売り切れたところで……」
と、俺……いや、正確にはその最後の一品だったらしい俺の目の前のタルトを見る。
それにつられたのか、ソフィーナと呼ばれた少女もぎぎんっとネコっぽいツリ目をさらに釣り上げて俺の方を見たが……諦めたのか、すぐに視線を外した。
「分かったわ。普通のケーキセットちょうだい」
ちょっと悲しそうにふた回りも小さくなったように見えた彼女は、いや、それ以前にかなり小柄だ。ミシスほどではないが、彼女もアンダー150センチといったところだろう。
中等部の校舎で見かけた覚えはないから、おそらくソフィーナちゃんとやらは初等部の子だろう。中等部のくせに130台のミシスと比べると、逆でもいい気がしてくるが。
そう思うと……次に出てくるのは、罪悪感である。
俺は甘い物は好きだが、ケーキやタルトといったハイカラなお菓子とは縁遠い。どちらかというとコーラとかチョコレートとか、大量生産で庶民的なものをよく食べる。これは俺の体質・HCモードになると脳が急速にエネルギーを使うので、その補完も兼ねている。
こんなむさ苦しい男風情が、楽しみにして放課後……部活終わり? を待ちわびていたであろう初等部の女の子からタルトを取り上げるのは、申し訳なささえ感じるのだ。
(まあ……父さんも、ガキと女には優しくしろって言ってたしな……)
ここは譲ってやるべきだろう。
そう結論づけ、俺は彼女に声をかける。
「えーと、ソフィーナちゃん?」
「うぐっ!?」
すると突然、ソフィーナちゃんはおヘソを針でつつかれたかのように、体をくの字に曲げた。
何だ?
「ソフィーナちゃんさえ良ければ、このタルトをあげようと思うんだが」
「そ、そそそ……ソフィーナ、ちゃん……?」
「ああ。年下の女の子の目の前で、その子が食べたかったお菓子を俺が食べるとか、なんだか悪い事をしてる気分だし」
やたら尊大な口調でよくわからないことを訊いてきたソフィーナちゃんに言うと……ががーん。
今度は見えない相手に脳天にハンマーを振り下ろされたように、ソフィーナちゃんがよろめく。
「あーあ……まあ、がんばれ!」
一部始終を見ていたミシスは呆れたようにぼやくと、俺の肩に手をぽんと置き、素晴らしい手際でタルトと紅茶を向こうに運んでいってしまった。
「おいミシス? それはソフィーナちゃんにーーー」
言いかけ、俺は突如殺気を感じーーー
ーーーヒュッ!!
勘まかせにしゃがむと、鉤爪状に指を曲げた手が、さっきまで俺の頭があった位置を通過した。
黒紫色のマニキュアをバッチリキメたちっこい手は、ソフィーナちゃんのものだ。
「あたしは……あたしは……」
ミシミシミシミシ……
ソフィーナちゃんがなぜか放つ殺気で、店内の観葉植物の葉っぱや、窓が微震している。
冗談抜きで、なぜかこの子は俺にそれを向けている……!
「あたしは、あんたと同じ中三よッッッッッッッッッッッッッ!!!」
なんとびっくり、ソフィーナちゃん改めソフィーナは俺と同い年だったのだ!
がう! と同じくネコっぽい犬歯と両手の爪を剥いて俺に飛びかかってくるソフィーナちゃんに、
「ちょ! うおっ! 待て待て!」
俺は「待った」をするように手のひらを突き出し、それで塞いだ視界の向こうで店の窓を開ける。
そして、一瞬動きを止めたソフィーナから逃げるように、窓から店外に一気に転げ落ちた。
タイミングを計り起き上がると、とりあえず逃げる。
異能の犯罪者と対峙したことのある俺には分かる。
さきほどのソフィーナの殺気は、本気だった。
どうやら俺の発言に、何かしらの非常に不適切な要素が混ざっていたらしい。
だから、逃げる。
背中丸見せで。なりふり構わず。
「うおおおおおおおおおっ!」
走れ俺。後のことは後で考えろ。
命あっての物種。ここで死んだら、それを考えることさえ叶わないのだから。
「逃がさない!」
しかしそんな俺の逃走劇は、ものの数秒で終わりを告げた。
明らかに重力を無視した軌道でジャンプしたソフィーナが、俺の頭上を悠々と越え、俺より10メートルほど先にある道路標識に垂直に着地したのだ。
(回り込まれたーーー!?)
さらにソフィーナは三角飛びの要領でそこから飛び上がり、俺に向けて飛んでくる。
飛び蹴りがくるかと体を硬くした俺の、さらにソフィーナは一枚上手を行った。
俺の動きが飛び蹴りに対するものと一瞬で見抜いたらしいソフィーナは、即座に両足を俺の首に引っ掛け、締め技の動きをとったのだ。
咄嗟に対応できなかった俺の首に、ソフィーナが絡み付く。
前後逆の肩車から片足だけあぐらをかくようにして、ソフィーナは腰を足全体を使って俺の首を絞め上げてくる。
なんでこんなチビっ子が、こんな体術を使えるんだよ……!
さらに俺は、この状態がかなりまずいことになっているのに気づく。
ソフィーナが前後逆の肩車のような姿勢で俺に組みついている都合上、俺の首にはソフィーナのすべすべの太ももが密着し、さらに顔はーーー
そ、ソフィーナの
幾重のフリル越しでも分かる、女の子の柔らかいお腹の感触。しかもなんだかいい匂いがしやがる。
その手の趣味がある奴なら、泣いて喜ぶシチュエーションだろう。俺は苦しいだけだが。
などとどうでもいいことを考えていると、すぅ、と俺の意識が遠のいてゆく感覚がした。
そこで俺は、自分が生命の危機にさらされていることをようやく思い出す。
この変則的な三角締めは、腹部で相手の視界と呼吸を奪い、脚で首を絞め上げて相手を落とす技。
いらんことを考えていたせいで、それを完璧に極める時間をソフィーナに与えてしまったーーー!
(ま、まずい……意識が……)
タップして降参の意思を示そうとしたが、もう縊死しかけた感覚で手がまともに動かない。参ったと叫ぶこともできない。
し……死ぬ……ぞ……!
俺が本気で死を意識しかけた、その瞬間。
ーーードクッ!
俺のDNAが、ようやく切り札を切ってきた。
防衛本能が異常に発達したことによる特異体質、HCモード。
狼狽するばかりだった俺の頭が、冷水をぶっかけられたかのように冷静になる。四肢にも力が戻ってきた。
だがこれはアドレナリンによる見掛け倒しのもの。あとワンアクションも起こせば、たちまち俺の意識は途絶えることだろう。
勝ち目は、ない。
だからこの勝負はノーカン。引き分けにさせてもらおう。
俺はソフィーナを組みつかせたままの姿勢でバックドロップを決め、ソフィーナを俺ごと地面に叩きつけようと、上半身を振りかぶりーーー
ぐるん、と俺の体が回った。
俺が回そうとした逆、前方向に。
感覚で分かる。
俺が三角締めを強引に解こうとしたのをソフィーナが読み、さらに投げ技へと繋いできたのだ。
これはプロレスでいうところの、フランケンシュタイナーとかウラカンラナとか呼ばれる、超高度な投げ技。
前後逆の肩車のような姿勢から、バク転を決めるようにして相手を振り回し、地面に叩きつける技だ。
投げようと思ったら、投げられた。
俺はHCモードであったにもかかわらず、ソフィーナに読み合いで負けたのだ。
何者なんだ、この子は!
ーーードカッッッッッッッッッッッ!!
頭から地面に叩きつけられるところを、なんとか首を曲げ、両腕を広げて全力で受け身をとる。
それでも爆発的な衝撃に目がくらみ、意識が一瞬飛ぶ。
が、かろうじて気絶はしなかった。締め技を中断してくれたのが大きかったな。
「ッ!」
俺は投げられた勢いを殺さず回転受け身を数回とり、ソフィーナから距離をとる。
拳銃戦の距離、およそ七メートルほどに。
「逃がさないわよ! この理深き黒魔女・ソフィーナにケンカを売ったこと、泣きながら後悔するといいわ!」
「大ミエ切りやがって。誰が逃げるかよ、おちびちゃん」
実はこの体質、困った点が複数ある。
そのひとつは、喧嘩を売られると反射的に買ってしまうことだ。
そのあたりの細かいメカニズムは分からないが、どうやら争いごとに関するプライドが人一倍高くなるらしい。
あれ、喧嘩を売ったのはどっちだっけ?
まあいいや。
「おちびっ……! 言ったわねェ……!」
がすん! とソフィーナが地団駄を踏むと、かかとのヒールがコンクリートの地面を削った。
俺はひとつ笑いを返すと、制服のブレザーの中から純銀弾を装填した拳銃を抜き、ソフィーナに構えて見せた。
「不肖東雲慎、理深き黒魔女サマのお相手つかまつるぜ」
「はあっはあっ……シノノメシンとやら、なかなかしぶといじゃない……」
「ぜえっぜえっ……そりゃお前も同じことだろうが、ソフィーナとやら……」
とっくの昔に弾切れを起こした俺は、とっくの昔に魔力切れを起こしたソフィーナと、
「あーららあ、派手に暴れちゃって……」
俺たちの争う音が止んだからか、恐る恐る店からミシスが出てきた(どうやらドアにはエクシード遮断加工がされているらしい)。
その手には、さっきミシスが早業で下げたぶどうのタルトとアイスティーがある。
「はい、じゃあケンカの後は仲直り、ね?」
と、抵抗する体力のない俺とソフィーナの手に、紅茶のグラスをそれぞれ渡してくれる。
で、それをかちんと軽くぶつけさせる。
何に乾杯する気だよとか思いつつも、目の前の貴重な水分の誘惑に逆らうこともできずに、「サンキュー、ミシス」と俺はソフィーナと強制乾杯させられた紅茶を一気に喉に流しこむ。背後ではソフィーナもそれを飲む気配がした。
「はい、じゃあこれでふたりはお友達!」
「はあ?」と凄もうとしたが、ミシスが無邪気ににこっと笑うと、俺は反論する気力が吹き飛んで消えてしまう。
なんつーか……女神様の御力は恐ろしい。この笑顔を邪魔することが悪いことに思えてしまう。
「はあ? 何言って……」
気丈にもソフィーナはミシスに反論しようとしたようだが、
「じゃあこのタルトは私が食べちゃおうかな~。これを食べられないなんてソフィーナはなんてかわいそう……」
とタルトを持ち上げたミシスにぐっと詰まっている。
そして立ち上がると、にこっと無理した作り笑いで俺に握手を求めてくる。
しょうがないので俺もそれに応じるが……ソフィーナさんよ。黒の世界では、全力で相手の手を握ることが握手なんですかね? あと爪立てるな。
「いつか絶対にぶっ飛ばすからね」
「おうおうやってみろ。返し技でぶん投げてやる」
ギリギリと視線で殴りあう俺たちに、ミシスがちっちゃい体を背伸びして強引に肩を組んでくる。
「んん~~? 何か言った~~?」
「「なんでもない」わよ」
で、ミシスの勧めにより、俺とソフィーナはミシスのタルトで強制的にお茶会をさせられるのであった。
悔しいことに、疲れた体にあまーいタルトは死ぬほど美味かった。
「ふああ……おはよーす」
翌日。
昨日の疲れがまだ微妙に残っている気がする体を引きずって登校すると、カトルやら琴吹文さんやらが「オイース」「おはよう」などと挨拶を返してくれる。
そのまま窓際の俺の席に座ろうと歩いていくと……ぼす。
俺の胸にぶつかるものがあった。
何事かと、俺がちょっと下を向くとーーー
「遅いわよシン!」
「げっソフィーナ……!」
クラスは違うはずの、記憶に新しいチビっ子がそこにいた。
「げって何よ失礼ね。まあいいわ」
ひそひそと何かを話している周りには目もくれず、ソフィーナはすたすたと窓際の俺の席まで勝手に歩いていく。
「おいなんだよお前、いきなり何なんだっ。昨日の続きなら放課後まで待てよ」
思わず追いかけていった俺だが、ソフィーナが俺の机に勝手に立ったのを見て足を止める。
どうやら目線を俺より高くしたかったらしい。
くるり、とソフィーナが俺に振り返ると、しゃらんと紫色のツインテールが小さく美しい螺旋を描く。
そしてーーー
「シン! あんたに、あたしの助手になる名誉を与えるわ!」
…………。
……………………は?
意味わからん。
昨日喧嘩して、取っ組み合いして、今日になっていきなり助手になれだ?
しかも、プログレスとαドライバーとして組むとかじゃなく?
「分からない? 私、調べたの」
呆気にとられる俺と周囲を置いてけにし、ソフィーナは勝手に語る。
「あんた、カトルに次ぐ二人目の、戦闘力をもったαドライバーだったんでしょ? 最強の私には、強いαドライバーがお似合いなの。でもあんたのαドライバーとしての能力はまだ未知数だし、とりあえず助手として私の側に置いといてあげるわ」
「はあ。あのなあ……黒の世界では、尊大な名前とかで大ミエ切るのが流行ってんのか? お前みたいなチビっ子が最強なわけーーー」
そこまで言ったところで、ぽんと俺は自分の口を塞いだ。
昨日はソフィーナのことをチビっ子呼ばわりした直後にソフィーナが暴れ出した。
もしそれがソフィーナの地雷だとすれば、俺はまたそれを思いっきり踏みしめたことになる。
やはりというか、ざわ……と教室のざわめきが大きくなった。
特に、黒の世界の女子たちの怯え方がひどい。
そして、ばっと、ソフィーナが顔を伏せた。
しゃらん、とツインテールが優美な音をたて、ソフィーナの顔が前髪の影になって見えなくなる。
「あんたと……対等に話をしようと思った私がバカだったわ……」
ぶわぁ……と、ソフィーナを起点に放射状の風が起こった。
さらに、黒紫色のオーラのようなものも見える。
この学園に来て幾度となく見たそのオーラのようなものは、魔力。
だが、今までブルーミングバトルの見学をしていて、ここまで大きな魔力を放出している子は見たことがない。
というか、ソフィーナも昨日はこんなことしなかった。
まさか……まさか、な。
万が一。
ソフィーナが実は、本当に最強クラスの魔女で。
億が一。
昨日はただ手加減して俺に魔法を使わなかったのだとして。
無量大数が一。
今度こそ
「やっぱり今の話なし! なしなしなーし!! あんたは助手じゃなくてせいぜい私の下僕がいいところよこのアンポンタンーッッッッッッッッッッッ!!」
その後、俺はソフィーナが黒の世界でもトップクラスの有望株であるプログレスであると身を以って知ることになる。
理深き黒魔女とかいう中二病なネーミングもあながち伊達じゃない。
そう思える実力だったと本気で思った。
誤字脱字、疑問、感想などありましたらお気軽にどうぞ。
読了、ありがとうございました。