アンジュ・ヴィエルジュ 〜知らば輝く青玉の瞳〜 作:二面サイコロ
「はあ!? あいつがこの学園に転……入だって?」
ある朝、並んで歩くノアからの報告を聞いた俺はつい声を上げてしまい、しかし朝の通学路で大声を上げるわけにもいかないのでグッと堪え、言葉が尻すぼみになってしまった。
さりげなく辺りを目だけで探るが、俺の声を気にしている奴はいない。
余談だが、始業式の日の朝にノアに襲われたトラウマから、俺は自転車を封印しているのである。
「はい。間違いありません」
青蘭学園は、洋上の孤島という立地ゆえに、基本的には全寮制学校である。一部、家族ごと青蘭島に越してきている者もいるが、それは例外と考えておこう。
青蘭島はプログレス達の保護育成には都合のいい立地ではあるのだが、必然的に、いきなり全寮制学校に突っ込まれてその環境の違いに戸惑う者も多い。異世界出身者なら尚更だ。
よって、学園生活からちょうどほぼ一ヶ月後、つまり
で、その外泊手続きの書類を、青蘭学園学生寮の事務に(勝手に)忍び込んで盗み見たノアが、その名前を発見したのだ。
俺やノア、沙織さんを奇襲して去っていった、犯罪組織・クォーテットの尖兵と思しき人物、
まさか、あんなストリートファイトの直後にノコノコ姿を表すとは俺も思ってなかったぜ。
早速ボコりに突貫したいところだが……俺たちの業界じゃ、軽いストリートファイトなんか10分に一回は起きていた程度のものだ。そんなことを根に持って、今はこの学園に正式な籍を持つ明夜相手に殺し合いなんかしたら、たちまち俺が逮捕され、元零課だってことで、東京の超能力対策顧問部の超硬合金製の牢屋にぶち込まれちまう。
GWの帰省以前にそんな形で里帰りしようものなら、零課の先輩方にタコ殴りにされてけっこうガチで命も危ない。零課の先輩は基本的に非異能が多いのだが、戦闘に於いては今は亡き俺の両親や、兄さんと同等かそれ以上クラスの賭け値なしのバケモノ揃いだ。
俺の保安上も、安易に明夜に喧嘩を売れなくなってしまった。ある意味このタイミングで明夜が青蘭学園に籍を置いたのは、俺による短絡的な仕返しを防ぐ上ではかなり有効な手段である。
(チクショウめ。なかなか考えて行動してやがる)
だがここまででひとつ、どう考えても理由が思い当たらないことがある。
何故明夜は、俺ならともかく沙織さんにまで奇襲をかけたのか?
……分からないが、なんだか異様に嫌な予感がする。
この一件、沙織さんは遠ざけた方がいい。たとえご両親によって青蘭学園を退学させられ、一般高校に戻されたとしても、だ。
そこまで考えたところで、ひとつ、閃いた。
なんだ。通常モードの俺の頭でも分かる、簡単な話じゃないか。
「ノア。伊勢平の本土での住所とか電話番号とか、何か書類から見なかったか」
「見ました。住所は東京都の……」
ノアが口にした住所はーーー零課時代に記憶によるとーーー都市近郊のよくある住宅街だった。俺の自宅から電車で行ける距離だ。
「お手柄だノア。密偵の報酬、出さないとな。ちいさな探偵さんよ」
「今マスターは少なからず私を馬鹿にしたものと思われます。報酬は以後考えておきます」
きろり。
視線に温度があるならば俺の体温が0.1度くらい下がったであろう、ちょっと冷たくなった視線をこめかみに受ける。
恐らく俺か、そうでなければノアとよく関わっている美海やソフィーナでなければ気づかないであろう、ほんのちょっとの変化。
それに気づけるようになったことが、ちょっとだけ嬉しい。
「マスター」
「ん?」
「伊勢平さんに、奇襲をかけるおつもりですか」
ノアが発する空気が変わったのを気配で感じて、思わず俺は立ち止まった。
見れば、ノアの、吸い込まれそうなほどに大きく、深いサファイア色をたたえた瞳が、俺の目をじっと見つめている。
ノアは、その変わった生い立ちから、その身に持つとされているブラックボックスを目当てとする連中に、幾度となく武力による襲撃を受けた過去がある。
はじめはノアの味方をした者も、それに巻き込まれれば堪えず、コソコソと逃げたり、あるいはノアを突き放した。
きっと俺がノアを守ろうとして先走り、返り討ちに遭って死んだりすれば、彼女は傷つくことだろう。表情はあまりないが、傷つかない訳ではないのだ。ノアという女の子がそういう奴だってことを、俺は知っている。
だからーーー
「分かってる。俺だって無策で突っかかる訳じゃない。俺だって、腐っても元・公安の
ゴールデンウイーク明け、東京から無事に帰ってくる。
ノアのためにも、これだけは必須条項だな。
「ふああ……」
授業が終わり夕方、俺はあくびをかみ殺しつつ、とある場所へと向かっていた。
今日の午後の授業は世界史。
これは通常のカリキュラムには含まれない特別授業の代わりに、授業の最後で行われる小テストで合格点をとれば、それだけで即日単位が付与される俺的にはオイシイ話だった。
青蘭学園ではブルーミングバトルや、民間あるいは公的な依頼をエクシードなどで解決する「クエスト」というシステムがあるため、通常の授業を間々欠席する者が多い。
そのためこの学園では、定期テストで合格点をとることでもらえる単位の数によって進級の可否を決めている。
異世界から来た生徒などは青の世界の環境にすぐ順応できるとは限らないし、授業の内容や方式だって少なからず違う。よって、高等部の三年の過程を四、五年かけて修了するケースもザラだ。そもそもここは学園という形をとった、巨大研究施設なのだし、さっさと卒業してはいさよならしてもしょうがないのだ。
……で、俺以前、戦闘力を持ったαドライバーという立場のせいで危険なクエストに協力させられることがしょっちゅうあって、おかげで危ういとこまで単位不足に陥ってしまったという悲しい経験がある。
よって、取れる単位はさっさと取っておこう、という訳でこの授業に参加しておこうと思ったのだ。それに、単位はあればあるほど進学先に困らないしな。一般大学に行くにせよ、どこかに就職するにせよ。
ただ、この授業は俺たち青の世界の連中には退屈すぎて、眠いったらありゃしなかった。知らねえっつの、平家物語のコラムなんて。「伊勢の瓶子は素瓶なりけり」て、それもう趣味の範疇だろ。
で、俺は後ろの席で小テストのために頑張ってノートを書きつつもこっくりこっくり舟を漕いでた訳なんだが……前の方の席に、せっせとノートをとる沙織さんがいたな。そういえば、彼女は文系科目の中でも特に社会学の分野が得意で、時々勉強を見てもらってたとか美海が言ってたっけか。
まあ何にせよ、目に見えるような大きな怪我をしてなくて安心したよ。
視聴覚室を出て講義棟を突っ切り、他世界用の棟をいくつか横目に通り過ぎる。
放課後の喧騒やかましいグラウンド沿いを歩くと、世界を問わずに多くのプログレス達が余りある体力を生かして部活やら特訓やらに励んでいるのが見えた。
見た目も体つきも外見的特徴もてんでバラバラな彼女らだが、それらが体操着一枚でスポーツに夢中になってるもんだから、少々目の毒ではある。
例えば、あの辺でカンカンとスティックをぶつける音がやかましいグラウンドでもよく響く、ラクロス。
スティックがぶつかる音と同じくらいの頻度で……ちらりと、あるいはモロに見えてしまう。
短いスカートみたいなウェアの下の、純白色のアンダースコートが。
いや、分かってるさ。あれはただのアンダースコート。男に例えりゃただの半ズボンみたいなもの。その辺をしっかり処理できない俺の煩悩が悪い。
特に約一名、惜しげもなくそのただ細いというよりは筋肉質で引き締まった白い脚を見せびらかすように、激しいプレーをする奴がいる。
剣術みたいな捌きでスティックを弾いたかと思えば、サッと消えるように相手をかいくぐり、何人も抜いている。まるで忍者だな。
異世界出身者が多く、それより大事なカリキュラムがある青蘭学園では、部活は遊び半分でやる者がほとんどなのだが……あんなにラクロスが強い奴なんていたかな?
そう思い、視線を脚から顔へと上げた俺は、危うく目玉が飛び出しかけた。
(伊勢…平……!)
明夜さんじゃないですか!
とようやく俺が焦り始めたころ、ピーーーッ! と試合終了を告げるブザーが鳴った。
まずいまずい。試合が終わって注意がグラウンド外に向いたら、俺が見てたのがばれてしまう。ここはさっさと退散するに限る。
そう思い、振り返らずに目的の場所に向けてそそくさと歩き出した俺の耳に届いたのはーーー
キャーッ! という女子達の黄色い声と。
「伊勢平センパイ、私のタオル使って下さい!」
「いえいえ私のを!」
「私で拭いて下さい!」
「お、おいちょっとお前ら!」
後輩の女子にもみくちゃにされたらしい明夜の慌てたような声だった。
……まあ、女子の中じゃ背が高くてイケメン顔だし、スポーツ万能ともなりゃ、後輩に慕われるのも無理はないか。慕う、とはちょっと違う感情に見えなくもないが。
あと三つめの奴。おかしいだろ。
「ふざけんな、この、ドヘンタイがあああぁーーーッッッッッ!!!」
バシィッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!
俺がそいつの脳天に全力で振り下ろした小太刀の峰が、そいつの座っている椅子の背もたれから伸びてきたマニピュレーターによって真剣白刃取りされ、衝撃音と共に風圧が両者の前髪を揺らした。
さて、真剣白刃取りなんて達人級の技を機械が難なくこなしてしまうような技術力から察しはつくと思うが、ここは白の世界の連中が管理する棟の、さらに言えば何かとノア関連でお世話になっているDr.ミハイルの研究室である。
「危ないなあシン。君は四世界最高クラスのこの私の脳味噌にクレーターでもぶち空ける気かい」
「むしろクレーター空け。世界最高を名乗るんならもっとマシなこと頼めよ。異世界間の文化交流について重大な頼みがあるとか言うから来たってのに、身構えて損したっつの」
しかし、ロウのところに来るついでだからって、あまり考えずにノコノコやってきた俺も馬鹿だった。ミハイルとはこういう奴なのだ。肝に銘じておこう。
俺に渡された紙切れに印刷されているのは、この前ミハイルの部屋で発生した不幸な事故により偶然目撃してしまった、いわゆるギャルゲーという分野のゲームの画像。
「今年のゴールデンウイークに発売する本数は細かい同人とかを抜いて約40本。うち私がマークしているものが15本。これでもかなり絞ったんだぞ?」
「聞いてない」
そう。
コイツは、俺がGWに東京に帰省するのにかこつけて、秋葉原でこのギャルゲーとやらを買ってこいという謎の頼みごとをしてきたのだ。
そういえば先日、カトルにも似た様なことを頼まれた。その時は「ネット通販でやれ。パソコンの操作は教えるから」と蹴ったが、思わぬ場所に伏兵がいたものだ。
「そんなのネット通販でいいだろ。ミハイルに限っちゃありえないだろうが、パソコンの操作が分からないってんならーーー」
「ここは離島だぞ。届くのが発売日より一週間は後になってしまう。それを譲っても、店舗購入時のみ、特典小冊子が無料配布されるらしいのだ。せっかく東京住みが身近にいるのに、これを逃す手はあるまい。店舗購入特典があるのが、そのパンフの……それと、それと、それの3本。頼んだぞ」
「俺の都合全否定かよ」
とボヤいて手元の紙切れに視線を落とすと、そのありとあらゆるギャルゲーの発売日が、連休の初日に集中していた。買ったら連休中に頑張れってことか。なんてこったい。
連休中に予定は……あることはあるが、初日はゆっくり休んで装備を整え、あいつに顔を見せていれば半日は潰れる。残りの半日を使えばお使いくらいならできないことはない。それに秋葉原には、零課時代の俺がよく利用していた銃砲店がある。マニアックな部品や法的にグレーなものも扱っており、俺の拳銃・二挺のSTIをフルオート改造したのも、その店で売ってた部品でだった。そこにも行っておきたい。
すると後は、
「で、これって
報酬金、だ。
にやりと、俺は人が悪く口の端を吊り上げる。
まさか忘れちゃいないだろう。ガキの使いにだって、お駄賃くらいは渡すものだ。仮にも
「ああ、ふっかけてくれて構わないぞ。どうせ白の世界から経費で落とすしな」
「要らねえよこの駄目博士ッッッッッッッッッッ!!」
ぺしい!
俺は手元のパンフレットを床に叩きつけるが、たかだか紙切れを叩きつけたところであまり音は出なかった。
「無報酬で受けてくれるのか? それはありがたい」
にやりと笑うミハイルに、
「くたばれ」
と苦笑して吐き捨てる俺。
さすがにお使い程度で、白の世界の皆さんの貴重な税金を俺に出してもらうのは申し訳ない。ちくしょうミハイルめ。さてはここまで読んでたな。
「まあ報酬金はともかく、買い物にはこれを使うといい。私財だから心配するな」
「私財」を強調しつつ、微妙にしてやったりな顔をしている気がするミハイルが渡してきたのは……何枚もの紙幣だった。足がつかないように現金なのか?
まず自分じゃ持たないような量の現金に、俺は目を白黒させつつも受け取る。
「こんなに使わないだろ」
「まあいいからとっとけ。電車だの食事だのの経費もそこから使え。あ、釣りは返すんだぞ」
「だったらなおさら要らねーだろ。ゲーム買って、グリーン車乗って、昼飯にラーメン屋でトッピング全乗せ頼んでも余るぞこんなの」
ミハイルがくれた現金の量は、明らかに非常識な量だ。腐っても元・公安の
「あーほら。こう……何かと入り用だろう? 特に武装職のキミには」
「……?」
しかしミハイルははっきりと話すことはせず、言葉を濁した。こいつが言葉を濁すなんて珍しい。
「まあ何だかわからんが、とりあえず必要な分以外は返す。財布が分厚いと動きにくい」
よく分からないままに俺が財布を出し、ミハイルに一部を返そうとしたーーー
「弾代、でしょ。ミハイルも、濁さずに素直に言いなさいな」
プシュー、という自動ドアが圧搾空気で開く音が聞こえ、透き通った声と共に彼女が部屋に入ってきた。
薄い空色のふんわりボブカット風の髪を揺らして勝手に入ってきた彼女は、俺が日本刀のホルダーの製作を依頼していた武器職人、メルティ=ロウ。
彼女の言葉に俺はようやく合点が合い、「ああ」と小さく呟き、対するミハイルは、僅かに頬を赤くしつつ俺から目を逸らした。
「……ノアの一件ではキミにはお世話になったしな。あれは正式な
以前成り行きで、無人兵器及び敵の尖兵からノアを防衛した一件。
あれは公式な依頼にはできないから、俺への報酬金が未払いのままだったのだ。
弾代は学園から経費で落とせるが、銃や刀の整備やら、対異能の純銀弾ーーー今回は使わなかったがーーーやらだってタダじゃない。
気にしてくれてたんだな、カラリとしているようで。
「あれは俺が勝手にやったことのはずだけどな。それじゃありがたくいただいて、銀弾とワイヤー買っとくぜ。ついでに肩でも揉みましょうかミハイル様」
「くたばれ」
お返しにと短く返したミハイルに俺は、なんだいいとこあるじゃんか、と思い、次に自身の現金さに少し呆れた。
「……って、別に私はコメディーを見に来た訳じゃないの。用が終わったならシンを借りていくわよ。来て。注文の刀のホルダーが完成間近なの」
長い白衣を翻してすたこらと歩いて行ったせっかちなロウに、
「それじゃあなミハイル。ご注文の品は絶対買ってくるぜ」
「あ、ああ、頼んだぞ」
未だに赤い頬が戻らないミハイルを後目にして、俺はミハイルのを後にした。
「えー……シンの注文は、ジャケットの下に着込めて、腰に佩いたり背中に背負ったりと自由に移動させることができて、金属の部品をできる限り減らして、秘匿性の高い、太刀と小太刀を収納できるホルダーだったわね。注文の多いこと多いこと」
「それだけお前を高く買っている……と言えば、聞こえはいいか?」
「お褒めに預かり光栄ね」
普段からの淡々とした口調をさらに棒読みで返したロウは、ミハイルのそれとは対照的に冗談みたいにブッ散らかった研究室で、またしても白衣を引っ掛けてめくれた状態で前かがみになり、白衣の下の短いスカートを危なげにしつつ、ガサゴソとラックを漁り。
「はいこれ。とりあえず形はできたから、今から調整がしたいの」
ナイロン製と思しきベルトを複雑に編んだ形のホルダーを俺に渡してきた。
ジャケットを脱いだ俺は、ロウの指示通りにそれを順番に肩に通したり、制服のズボンのベルトに引っ掛けたりして順次装着していくと……
「おお……さっすが……」
ぱちん、と最後に大刀と小刀の鞘をはめ込むと、それは普段からそうやって持ち運んでいるかのように、ぴたりとはまった。
武士のように二本まとめて腰に佩いた状態から、小刀だけをするすると右腰に移動させる。次に二本の刀を背中に持ち上げるように動かし、ジャケットの後ろ襟に隠れているベルトに引っ掛けると、双刀をX字型に背負ったような形となる。
状況によって動きやすいように、刀をスムーズに背中や腰に動かすことができる。しかも、俺が左わきに付けている銃のショルダーホルスターに全く干渉していない。
「完璧だ、ロウ。これで楽に刀を携行できるよ」
思わずひねくれ者の俺でも素直に賛辞を送ったのだったが、それに対してロウは、眉を寄せ、渋い顔で「うーん……」と可愛らしく唸った。
「もう少し頑張れる気がするわね」
「頑張るって、これ以上何を改良するんだよ。俺の注文通り、これ以上ない完璧なホルダーだと思うが」
それでもロウはどこか満足いかないらしい
そしておもむろに俺から刀のホルダーを外して奪い取り、自分のトレードマークである長い白衣を脱いで投げ捨てーーー
ぐいっ。
「シン。脱いで」
「……は?」
俺のワイシャツの襟首を引っ掴みつつ、几帳面な武器職人のメルティ=ロウは、その言葉を口にした。
誤字脱字、疑問、感想などありましたらお気軽にどうぞ。
読了、ありがとうございました。