アンジュ・ヴィエルジュ 〜知らば輝く青玉の瞳〜 作:二面サイコロ
すり、すり、と、人気のない廊下に俺のスリッパを履いた足音がやたらと響いた。
美海の傷は……奇跡的に、致命傷にはならなかった。
あのときヘリが放った銃弾は美海の鎖骨の下を貫通したが、運よく心臓も、大きな血管も傷つけずに済んだ。あと一センチでも上か下にずれていれば、心臓か動脈を傷つけて危なかったらしい。
翌日、穴を塞ぐ簡単な手術が終わって包帯でグルグル巻きになった左手を引っ提げて、俺は美海の病室に向かうとーーー美海の病室は個室だった。学園が手配したのだろう。美海は優秀だからな。学園も慌てたんだろう。
ドアの前に立つと……前の人がちゃんと閉めなかったのか、指二本分くらいの隙間が空いていた。
趣味が悪いと分かっていつつも、ついついそこから病室を覗いてしまうとーーー
「………」
美海は個室の大きなベッドに座り、涙目で鏡を覗き込み胸の傷を見ていた。
傷自体はガーゼが貼ってあって見えないが、その周囲は僅かに赤くなってしまっている。
その横にはファッション雑誌。いつも美海が買っているものだ。
昨日、医者から聞いてしまったのだがーーー美海の傷は、どうしても傷跡が残ってしまうらしい。
美海もそれが分かっていて、ファッション雑誌でそれを隠せる服を探しているのだろう。
俺は胸の奥に冷たい刃物が刺さったような痛みを感じた。刃物で刺されたことなんて無いのに。
無邪気でそれを感じさせることは少ないが、美海だってひとりの女の子だ。
それがーーー胸と背中にあんな傷をつけられて、辛くない訳が無い。
「美海」
こんこん。
どうすればよいか分からなかった俺は、今来たフリをしつつドアをノックして声をかけた。
すぐさまドアの向こうから返事がある。
「し、シンくん? ちょっと待って、お化粧してるから」
ガサゴソ、慌てたような音がする。
お化粧…か。美海は嘘が下手だな。
それからたっぷり三分後、ドアの向こうから声がかかった。
「入っていいよー」
言われて俺が入ると、美海は化粧道具らしきものを箱にしまう所だった。
どうやら今の間に本当に化粧をしたらしい。遅刻寸前を連発しているから、スピード化粧術でも身に付いたのかもしれない。
「何で病院で化粧なんかしてるんだよ」
いきなり本題に入るのもアレかと思い、俺はとりあえず突っ込みを入れた。
「えへへ……シンくんが来ると思ったから、特別に」
冗談めかして美海は笑った。
だが、美海の顔をよく見ると……泣きはらした跡を化粧で強引に誤魔化したような跡があった。
これ以上は、突っ込まない方がいいだろう。
「美海」
がさ、と俺は簡素な布の手提げ鞄から紙の包みを取り出す。
「あ、それ青蘭クレープ! 食べたかったんだ~! くれるの!?」
「ホントはまだ俺も病院出ちゃいけないんだけどな。抜け出して買ってきた」
包み紙だけで何か分かったらしい美海にクレープを渡しながら俺は言う。
病院食は味が薄くて物足りないからな。昔は俺も入院したときにカップラーメン食べ過ぎて怒られたもんだ。
「え。てことは、これ食べたら私も共犯!?」
「下らんこと気にするな。だったら食べて証拠隠滅しちゃえよ」
「う、うん。そうだね。…ありがと」
はむ、とクレープを頬張る美海。
何だかーーーいや、当たり前だがーーー元気が無かった美海も、この瞬間だけはいつもの美海に見えた。
……はあ。
なんだかんだと引っ張り続けていたが限界だ。いい加減話さなくてはならないだろう。俺のトーク力の無さに呆れる。
美海を怒らせてしまうかもしれないが…致し方ない。
俺は意を決して口を開いた。
「美海、食べながらでいいから聞いてくれ。昨日の事件の後、学園と警察が全力を上げて調査をしたんだが……結論から言うと、ほとんど成果は上がらなかった」
「…うん」
「俺達が壊したスパイダー…あれの分解もされて白の世界の役人に徹底的に調べ尽くされたんだが、使用者どころか、部品の製造元すら分からなかったらしい。ひとつだけ、スパイダーの電波の受信機を解析して、それがこの前俺とノアを襲ったときの電波とパターンが一致した。今度からは未然に向こうの動向をキャッチできるかもしれない」
「うん」
はむ、と美海はクレープを齧り口を閉じてしまう。
「それと……美海、すまない」
俺は精一杯の誠意と自己嫌悪を混ぜ、いっぱいに頭を下げた。
「美海に苦労かけて、怪我までさせちまって……一歩間違えれば死んでたかもしれないのに、俺が巻き込んだせいでこんな事になっちまって」
「……」
美海は、何も言わない。
沈黙に堪えかね、俺がつい頭を上げて美海の顔を見てしまうとーーー
「ふふ、あははははは」
美海は、笑っていた。
意味が分からない。怒りこそすれ、なぜ笑ってるんだ。
「どうしたのシンくん。シリアスになっちゃって~、いつものシンくんらしくないよ?」
「いや、でもーーー」
俺の言葉を遮り、美海が続ける。
「これは私の責任でもあるんだよー? 勝手に横から首突っ込んで、友達のノアちゃんをワルモノから守ったの。ただそれだけ」
「……」
「シンくんが気にすることなんて、ないよ」
今度は俺が黙る番だった。
美海。すまない。
俺は見てたんだ。美海が涙目で鏡を見ていたのを。
分かってるんだ。その化粧は泣きはらした後を誤魔化すためのものだって事を。
美海は、傷ついているんだ。すごく、深く。
それなのに、俺を責めるどころか、気にしないようにそんなことを言って。
美海は、優しいんだ。
自分が情けなくなる。
俺もノアも……幸せ者だな。こんなにいい友達を持てて。
だが俺はーーー同時に、怖くなった。
美海はノアを友達だと思っている。ノアも美海を友達だと思っているだろう。
だから美海は、ノアに何があろうと、ノアを助けようとするはずだ。
例え、どんな大きな敵を作ろうとも。
美海は、そういう奴なんだ。
だが、そんなことを続ければーーーいずれ詰むのは目に見えてる。
今度は、この程度の傷じゃすまなくなる。
死ぬかもしれないんだ。美海。
だから俺は続きを口にした。
大事な友達を、自分を、傷つけない為に。
「美海。聞いてくれ」
「?」
「ノアをーーー」
「ノアを、白の世界に帰す」
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