座頭のイチ   作:ザトウムシ

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 キヴォトスの自治区というのは、一つの国だ。

 場所にもよるが、出入りの一つにも監視が付く場合もある。若しくは、足を踏み入れるだけで一触即発の状況になる事も。主に、ゲヘナとトリニティ。

 

「ちょいと早くに来てみやしたが……うーむ、相も変わらずの()()()()()()()()

 

 コツコツと舗装された歩道を杖で探りながら、枇杷丸イチは自身へと向けられる視線へと呟く。

 彼が今回訪れたのは、キヴォトス随一の科学力を誇るであろう、ミレニアムサイエンススクール。

 一応、ゲヘナ学園所属であるイチだが、彼は定期的にこの学園を訪れていた。

 その理由は、首から下げた端末にある。

 というのも、そもそも彼がミレニアムサイエンススクールのエンジニア部との伝手を得たのは、偏に彼の盲目という体質にあった。

 神秘をその身に有した生徒たちは、頑丈だ。それは、外的被害に対するものだけではない。

 爆発などに巻き込まれたとしても、気絶で済み。部位欠損などを起こす事も、ほぼほぼ無い。絶対ではないが、それでも限りなく低い確率だろう。

 そんな中で、()()()()()()()()()()()イチという存在はある意味で格好の実験対象でもあった。

 

 慣れた足取りで向かうのは、エンジニア部の部室。

 既に何度も訪れた場所だ。時折、実験の結果立ち入り禁止になっていたりもするのだが、今回はそのような事はないらしい。

 ノックは三回。

 

「失礼する」

 

 返事を聞く前に入るのは、ノックがあくまでも入室可能かの確認ではなく、入室するという意思表示でしかないからだろう。

 果たして、入室したイチを出迎えたのは、この部屋の主。

 

「やあ、イチ。今回は早いね」

「申し訳ありやせんね、ウタハさん。ちょいと今はゴタゴタとしていやしてね。もしかすると期日を超えちまうと考えて、少し早めに連絡を入れさせてもらったんでさぁ」

「その辺りは、律儀な君だから心配はしていないさ」

 

 そう言って椅子から立ち上がった白石ウタハは、イチの手を引いて近くの椅子に案内すると首から提げられていた端末を回収していく。

 彼女こそ、枇杷丸イチの端末を設計、製作した張本人。ハードもソフトも彼女のお手製だ。

 端末にコードを接続して、開いていたパソコンと接続。データを読み取っていく。

 

「………うん、順調だ。学習の蓄積も滞りなく行われているね。使い勝手の方はどうかな?」

「ああ、問題ない。強いて挙げれば、起動にちょいと手間が……」

「あー、うん。一応、視覚に障害のある相手向けに突起を付けているとはいえ、やっぱり分かり難いか」

「とはいえ、仕方のない事ではあるというものでしょうや。そもそも、あっしでも使える様な端末を造ってもらっただけ有り難いという話でさぁ」

「まあ、私としてもデータの蓄積が出来るし……何より、」

 

 そこで一度言葉を切り、席を立ったウタハは大人しく椅子に座っているイチの元へ。

 

「私にも、楽しみがあるからね」

「へっへ……まあ、こんな事で良けりゃ、幾らでも」

 

 そして二人は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミレニアムサイエンススクールの生徒会に相当するセミナーの会計を務める早瀬ユウカは、足早に廊下を進んでいた。

 ちょっとした余暇時間が発生し、ならばと思い立って彼女は金食い虫の元へと向かっていたのだ。

 

(腕は良くても、ねぇ……この前なんて、校舎の一部を壊しちゃうし)

 

 痛みそうになる頭痛の種を溜息と共に吐き出して、ユウカは件の部室、エンジニア部の部室の前に辿り着いた。

 ノックをして入室許可を得る――――前に、何やら室内から話し声が聞こえてきた。

 何故だか、ユウカは聞き耳を立ててしまう。それは、部屋から聞こえてきた声が2つあり、ソレが男女のモノであったから、かもしれない。

 

『………ん…………いい……』

『……と、……るようで………かい?』

『あっ!…………』

 

 途切れ途切れのハッキリとは内容の分からない会話に、ユウカの顔色が瞬間湯沸かし器の様に真っ赤に染まる。

 彼女とて、花の女子高生だ。()()()()()に対するちょっとした興味も、無くはない。

 だがしかし、同時にここは学び舎である。

 生来の真面目な気質と、好奇心と、その他諸々も感情がごちゃ混ぜとなって、目をグルグルとさせながら、ユウカはノックも忘れて勢いよく部室の扉を開け放った。

 

「ちょっと!ここはがっこ…………え?」

 

 部屋へと突撃したユウカの視界に飛び込んできたのは、仮眠用のベッドにうつ伏せになってタレパンダの様に溶けているウタハと、彼女の傍らに膝をつくようにしてベッドに乗り、按摩を施すイチの姿があった。

 飛び込んできたユウカに声を掛けたのは、イチだ。

 

「久しぶりだな、ユウカ。ウタハさんに、何かご用事ですかい?」

「あ、え……?イ、イチ?」

「ええ。あっしに御用でしょうか?」

「あ、え……っと………」

 

 真っ赤になったまま固まったユウカに、しかし目の見えないイチは彼女の変調がいまいち分からない。

 何より、今は仕事中でもある。意識をそちらへと戻す。

 

「ウタハさん、ちったぁ体を動かすべきだと思いやすぜ。腰も、肩も、ガッチガチでさぁ」

「いやぁ……私も、分かってるんだけどねぇ……ついつい…………ぁぁぁぁ………気持ちいい………」

「やれやれ」

 

 凛とした態度もどこへやら、完全に蕩け切っているウタハにイチは首を振る。

 これが、彼の端末に対する対価。即ち、ゴッドハンドの施術である。因みにその始まりは、データ蓄積だけでは申し訳ないと、イチから言い出した事。もっと言うと、最初は肩回りだけの按摩だったのが、いつの間にか背中、腰、全身と広がっていった。

 そうこうしている内に、ユウカが再起動を果たした。その頬は、まだまだ赤みが残っていたが。

 

「んんッ!………久しぶりね、イチ。それで、何をしてるの?」

「あっしの端末を造ってくれたウタハさんへの、ちょっとした礼って奴でさぁ。データの蓄積だけじゃあ、申し訳なかったんで」

「そ、そう……」

 

 いまいち歯切れが悪いユウカ。その視線は、デロッデロに溶けているウタハにある。

 実に気持ち良さそうなのだ。そして、そんな様子を見てしまえば、興味も湧くというもの。

 何より、彼女は彼女で疲れてもいた。

 セミナーの会計という役職上、どうしても書面やら画面やら細かな数字を相手にし続ける事になる。

 そうなると、凝るのだ。肩が。宛ら、岩石の如く。

 若干の羨ましさを向けながら見つめるユウカ。しかし、彼女は知らない。この按摩には結構ヤバい瞬間があるという事を。

 

「…………さて」

 

 一頻りウタハの全身を揉み解したのか、イチは身を起こした。そして、肩に掛けた学ランの内ポケットへと手を伸ばした。

 取り出すのは、銀色の箱のようなモノ。

 この間にウタハも身を起こして、徐にスカートのホックへ――――

 

「ストーーーーーップ!!!」

 

 ユウカの制止と共に、彼女の手がウタハの手首を掴んでいた。

 キョトンと見下ろしてくるウタハだが、彼女の行動を顧みれば世間一般的にユウカの方が正しい反応だろう。

 

「な、なな何をしようとしてるの!?ちょ、ちょっと、ウタハ先輩!?」

「何って……スカートを履いたままでは、鍼を打てないだろう?」

「そうじゃなくて……!イチが居るのに、何で脱ごうとしてるんですか!?」

「大丈夫だよ。ユウカも知っているだろう?彼は、明暗が辛うじて分かる程度の視力しかない。そもそも目自体が機能していないんだから」

「だからって……!」

「それに、このままだと寧ろ私の行動そのものに支障をきたしてしまってね」

「はあ?」

 

 ウタハの言葉に眉根を寄せるユウカ。

 だがしかし、ウタハとて後輩を揶揄う為だけにそんな事を言っている訳ではない。

 

「いや、冗談とかでは無くてね。イチのマッサージは、実に良い。それこそ、たっぷりと蓄積した疲労が一瞬で抜け落ちるほど。それに、施術を受けた後は絶好調なんだ」

「ちと、オーバーじゃありやせんか?」

「事実さ。それで、最初は肩だけだったのを、徐々に徐々に範囲を広げて全身をいやしてもらっていたんだが…………」

「だが、何ですか?」

「いや、イチはセクハラにならない様に細心の注意を払ってマッサージをしてくれているんだ。それこそ、胸だったり、お尻だったり、腿の内側だったりを触らない様に、ね」

「そりゃあ、そうでしょうや……幾らあっしが(めくら)といっても、嫁入り前の娘っ子がそんな所を触られるのは嫌でしょうし」

「その配慮には、感謝しているよ。ただ、ね」

 

 ベッドに腰掛けた状態で、ウタハは苦笑いを零す。

 

「デリケートな部分に触らない様に細心の注意を払って行われた施術の後にね、私は腰が抜けたような状態で動けなかったんだ」

「………え?どういう事ですか?」

「そのままの意味さ。要は、全身リフレッシュして凝り固まった筋肉が解され、血の巡りが良くなり、気が整った中で、一か所だけ重石の様に固まったままになった部分に力が入らなかったんだ。流石に、その状態では開発どころか日常生活も真面に送れないからね」

「……あっしから按摩を提案した以上、最後まで責任を持たなくちゃいけやせん。かといって、ベタベタと触る訳にもいきやせんので…………妥協案として鍼を使う事にしたんでさ」

「イチは見えない、そして私も彼が相手なら特に嫌悪感も無い、という訳で、ね」

 

 按摩を提案したイチは、純粋な善意による行動だった。そして、その素晴らしさに味を占めてズルズルと範囲を広げたのがウタハ。

 一応、エンジニア部の方で彼の按摩を模倣したマッサージ器を作ろうとした、がその結果は質の良いマッサージ機止まり。十分に気持ちがいい代物だが、しかしモデルとした本人には施術を受けた者視点で遠く及ばない。

 これは、イチの感覚的な部分が大きいからだろう。他人の感覚ほど再現の難しいものは無いのだから。

 二人の間に、男女の機微の様なものはない。完全なビジネスライク、という訳ではないがそれでも通常の友人としての繋がり以上の感情はない。

 ウタハの言葉には説得力がある。しかし、だからといってこのままこの状況を見逃しても良いのか。

 グルグルと頭の中で色んな情報が錯綜し、ユウカは目を回す。

 ここで、ウタハの追撃。

 

「何なら、ユウカもイチのマッサージを受けてみると良い。勿論、肩回りだけさ。イチも良いかい?」

「ええ、まあ。ユウカが良いってんなら、あっしから言う事は何もありやせん」

「マッサージ………」

 

 ゴクリ、と喉が鳴る。

 彼女は疲れていた。そして、数度会っただけだが、イチの為人も別に悪い人間ではないと知っている。

 

 疲れというのは、冷静な判断力を奪う。

 

「じゃ、じゃあ、少しだけ…………」

 

 運命の岐路に立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷酷()な算術使いを骨抜きにした帰路。イチの端末に通話が届く。

 

『あ、イチ?今どこに居るかしら?』

「ミレニアムから帰ってる所でさぁ。何か用事で?」

『ご飯を食べに行きましょ!』

「成程……なら、仕事ついでにアビドスに行きやせんか?旨いラーメン屋があるんで」

『アビドス!?……襲撃したばかりだけど、大丈夫かしら?』

「まあ、あっしらは仕事をしただけ。旨い飯を食う障害にはならない、という訳で」

『そんなものかしら………ま、まあ、分かったわ。迎えに行くから、場所だけ決めておきましょ』

「あい、了解」

 

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