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私は齢11で、家を出ることを決めた。無論、両親には反対されたが、私は断固として譲歩する気はなく3時間ほど外の世界の危険性について説かれたり、こちら側からは、閉鎖的なこの村にいても自らの才能と知識を生かすことが出来ないなどと言い争った。最終的には、父が私を暴力を持って気絶させることによってこの言い争いは終結した。次に目が覚めた瞬間、目の前には父がいた、そしてーお前が次同じ事を言い始めた場合また同じ手段を持って解決するだろうと言った。当時の私は幼少期からの教育によって官吏になれるレベルの知識とジャングルで5日は生き残れる力があると自負していたが無論教育主である父には勝てるわけがなくこの計画はご破綻となった。しかし転機は意外にも早く訪れた。父が病死したのである。私は多分非情な人なのだろう。今まで尊敬してきたが、このときばかりは好機とばかりに悲しみより嬉しさが込み上げて早急に家を出る準備をしたのであった。
そして、父を墓に埋めた後その日のうちに家を出ることにしたのである。母は勘のいい人であったが夫を失った悲しみと下の子供達の世話でそれどころで無かったのだろう、ドスのきいた声で何処へ行くのか聞かれたが何一つ答えない私を見て余り言い争いもなく行かせてくれた。その母の目には一筋の涙があるように見えたが気のせいだろう。
私が向かったのはアスラ王国アスラ王領にある王都である。アスラ王国は世界で一番発展していると言われ、その地形もあって何処の国よりも守りが堅く人口も多い地域である。その国の王都である。発展していないはずが無いだろう、きっと華美すぎて目も当てられない貴族の邸宅や教会に城があるだろうなどと妄想しながらきたが。なんともひどい惨状であった。このアスラ王国が成立してから長い間がたったが、そのせいで社会的に不健全な都市に属していた。輝かしい富と厭うべき貧困とが互いに複雑に交錯していた。中心部や城壁の内側にはこの巨大な国家に相応しい景観があった。目くるめくばかりの華美さをもった宮廷は、何処の国もうらやむようなこの国の国力と歴史を感じさせた。そのうえになをアスラ王国の盤石さが垣間見えていた。けれどもこのアスラ王国には高級官僚、官吏、芸術家、学者、貴族や商人の軍勢に対し、もっと大きな労働者及び貧農の軍勢が対立しており、貴族主義と独占資本に、血の滲むような労働者の闘争心が対立していた。1つ目の城門や2つ目の城門には職を失った浮浪者や孤児たちがうろつき、薄汚れた地に、最後の逃げ場、世間一般でいうスラム街と呼ばれているものが形成されていたのである。私は憧れていた王都への認識を改める必要が出た。
社会問題を考える上でこのアスラ王国王都ほどよい都市は、アスラ王国ではほかに無かっただろう。ここまで濃縮されている都市はこの先もう二度と見つけることは出来ないだろう。階級闘争、貧富の差、貴族政治、差別、政治腐敗など調べれば幾らでも問題がこれでもかと見えてきた。これらの問題を視るためには実際に息が詰まり人間として女としての尊厳が破壊され、泥水をすすって明日生きるために少ない残飯を血と血で洗う同じもの同士の奪い合いながら生きる経験をしたものでなければならない。そうでないものは、皮相的な雑談から誤った明らかに的外れな感傷以上のものは生まれない。其れ等は無視をして生きている連中より厄介で危険なものである。無論、このような社会的困窮者への無関心も余り褒められたものではない。
自分は残念ながらこの階級闘争に負け、無事この社会の敗者の掃きだめに生きることになった。自分は王国官僚になろうときたのであったが自らの所詮小さな村の村長の亜人娘という、この貴族社会でやっていけるはずのないような低い身分であることを忘れていたのである。しかし、ただの奴隷が国王を乗っ取ったという伝説に希望を見出して必死にもがいたが、自分の無能さと先の見通しの甘さを露見しただけで終わったのである。そして自分はこのときの屈辱的な敗北を忘れず。生涯の内で一番きついこの時代を生きていくのである。
事が動くのは奴隷としてフィットア領に売られてからである。
最後まで有難うございます
余り感想にも返信出来ないと思います
申し訳ありません