原作1ミリも知らない奴のブルーアーカイブ 作:レッドアーオアダム
「課金っ!!」
突如叫んだニッカをユウカは呆れたように見た。
「あ、間違えた。ユウカ!」
「言葉以前に人生が誤ってるんですよ、あなたは!」
とりあえず、ユウカのことを課金と呼び間違えたことは謝った。
まぶたを開けるとそこは、知らない真っ白な天井だった。
「……知らない天井だ」
ノルマ達成。
お決まりの台詞を呟くと、ニッカはごしごし目を擦る。何だかあまり愉快ではない夢を見ていた気がする。気分を入れ替える様に思考を回していく。少しずつ頭が覚醒していく。
「あぁ、そっか。アビドスに来て……それで、寝落ちしたんだ」
昨夜。
セリカを追っていった先生ら一行が帰ってきたあと。
軽く互いに自己紹介を済ませ、親睦を深めるという名目でニッカが取り出したのはトランプ×2。
夕飯を摘まみ摘まみ。おかしを摘まみ摘まみ。
やたらとテンションの高いニッカとノノミ、やけになったセリカは徹夜も辞さないといった雰囲気でゲームに興じた。それはもうむっちゃ興じた。そして皆仲良く寝落ち。
「うにゃ、一番起き一番起き」
ソシャゲのスタミナ管理が体に染み付いているニッカは、睡眠時間の多い少ないや寝る場所がどこかということに、起きる時刻が左右されない。徹夜と早起きはソシャゲプレイヤーの必須技能だ。
手癖でスマートフォンを取り出し、デイリー周回を始める。物音に気付いたのか、隣室からユウカが顔を出した。
「おはようございます」
「うぃ、おはよー」
ユウカが無言でニッカの頭を指差し、お手洗いの方に向かった。ニッカは軽く頷くと、よちよちと椅子を運んでユウカに続く。
洗面台の前に椅子を置いて、ニッカは鏡の前に座った。ユウカがその後ろに立って、髪の毛を溶かし始める。
「何時までやってたんですか」
「疲れてたし、そんな長くはやってないよ」
「そうですか」
ゆっくり櫛を通していく。霧吹きで軽く水を掛けて、寝癖を抑える。慣れた手付きで髪の毛を整えていく。その滑らかな手捌きと言葉ひとつなしに意志疎通したことから、何度も繰り返し行ってきた行為であろうことがわかる。
日常のワンページ。
無言でこれを行うぐらいの信頼と、これが日常のワンページになるぐらい共に過ごした時間が二人の間にはある。
信頼が簡単に積み上がることはない。
時間をかけて、思いを籠めて、行動で示して。
そうやって、ゆっくり丁寧に、少しずつ醸成していくしかない。
そのくせ、崩れるのは驚くほど一瞬だ。
たった一度の過ち、たったい一瞬のミス、たった一手の読み違いで比喩なくあっという間になくなってしまう。
信頼は何かを保証してくれることはない。
目で見ることも、手で触れることもできない。その存在の定義すらも各個人によって異なる。誰かにとっては大切でも、また別の誰かにとっては全く大切さを感じられないもの。
そんな"虚構の価値"だ。
その在り方は、どこかソシャゲに似ている。
ニッカがユウカに寄せている"信頼"は、文字にすればたかだか漢字2文字で表せる程度の
「今日は何するの? 当初の『ユウカが先生に会いたい』って目的はたいだだだだっ!!」
ニッカの言葉が耳に入った瞬間、ユウカの手に力が入った。先程までの優しさはどこへやら。髪の毛を引きちぎらんばかりの力でニッカの髪の毛を引っ張っていた。
ユウカは力加減を誤って髪の毛を引っ張ってしまったことをとりあえず謝った。
「それで?」
「目標はクリアしたよね。うん。まぁ、先生の無事を確かめるだけだったらソシャゲのログイン率でわかるし、別に心配とか不要だっだだだいたいっ!!」
「あぁ、すみません。どういうことですか?」
「いやだからソシャゲの個別チャットでやり取りしてただだだいたいいたいかみっかみがっ!!」
「ちょっと見せてもらっても?」
ニッカはソシャゲの個人チャットのログを呼び出して、スマホの画面をユウカの方に向けた。
(kAu):今なにしてる?
茶々:悠星網
(kAu):いやリアル。怒ってたよ
茶々:何日かは帰れないと思う。心配はいらないよ
(kAu):うぃ、把握しる
ユウカのヘイローが激しく震えた。
「早く言ってくださいよ!」
「だから乗り気じゃなかったんだけど」
ユウカはポケットの中のスマホの方を一瞬見た。
実を言うと、ユウカのスマートフォンにも『レッドアーカイブ』はインストールされている。理由は簡単、先生がやっているから。
ユウカはまだソーシャルゲームについての理解や経験が圧倒的に不足している。だから、ちょっと触ってから「奇遇ですね。私もやっているんですよ」的な会話を経て、共通の趣味を作ろうと思っていたのだ。あわよくばフレンド登録。あわよくばリアルでのガールフレンド。あわよくば……。
だがしかし、ユウカのそんな完全かつ完璧でロジカルで論理的なパーフェクトプランは瓦解することになる。
理由は勿論、ニッカの登場である。あまりに不健全なソシャゲ廃人を見て、ソシャゲに否定的なスタンスを一度取ってしまったが故に、言い出しにくくなってしまったのだ。
───
ユウカは理不尽な怒りをニッカの髪の毛にぶつけた。
「いたいいたいいたい!!」
「何で X なんでしょう」
「正直、かっこ悪いわよね」
「ん、もっと別の名前にするべき」
アビドス高等学校の会議室。
窓から差し込む陽射しが気持ちいい朝。
対策委員会とシャーレの一行は長机を囲んで、今後の活動について話し合っていた。
「名前のことは今はどうでもいいです」
ホワイトボード前に陣取ったユウカが隙あらば話を脱線させようとする面子を睨む。ユウカの言葉にアヤネが激しく頷いた。ツッコミは互いにシンパシーを感じ合うことが多い。アヤネは心の中で勝手にユウカを師としていた。
「いやだってさぁ」
俯いて机の下でポチポチとソシャゲをしながらニッカが言う。
「"謎の支援者X"とか、今時絶滅危惧種だろjk」
ホワイトボードに大きく書かれた"謎の支援者X"の文字が反射光で光っていた。
謎の支援者X。
もはやネタでしかないそのネーミングは、今朝アビドスに送り付けられた封筒の送り主の名前だ。
「にゃ、こいつが何かを送って来たんだよね。名前がレッドリスト過ぎて印象薄いけど」
「では、もう一度おさらいしますね」
赤縁の眼鏡をクィッと奥空アヤネは押し上げた。
「昨日、アビドスの公式アカウントに謎の
DM。ダイレクトメッセージ。
特定のアカウントにのみメッセージを送る機能。多くのSNSに実装されている機能だ。
そもそもアビドスの(非)公式SNSアカウントなんてまともに運営されていない、あってないようなものである。そこにわざわざDMを送りつけてきたのだ。明らかに不審。
件のDMの要件自体は単純だった。
『明日の15時ジャスト。添付した地図に記された箇所に来い』
もう怪しい。むしろこれを見て怪しまない者はいないだろう。
こんな明らかに危ない誘い、普通ならば話に乗るなんて選択肢はない。
しかし、対策委員会としてはこの誘いを無視するわけにはいかなかった。
「何でコイツが"ギルド訓"を知ってんのよ……!」
ギルド訓。
ギルド『大作委員会』のメンバーのみが知っている暗黙の決まり。紙に書いてもいない。日常的に口にする言葉でもない。個別チャットでは話したことはあるかもしれないが、オープンチャットで書いたことはない。シャーレ一行はこのDMがなければ存在すら知らなかったであろう概念。ゲームのロード画面はおろか、公式読本にすらも書かれていない
【ひとつ、笑顔でプレイすること!
ふたつ、隠しごとはしないこと!
みっつ、友達はたすけあうこと!】
それについてこの謎の支援者XはDMで言及していたのだ。
このことを知るのはここにいる『大作委員会』に所属する者のみ。それが意味するところはつまり、
「疑心暗鬼ですね~☆」
「ん、安い挑発は無視するべき」
この中にいる人物しか知らないことが書かれたメッセージ。ならばそれの送り主はこの中にいる。単純な論法だ。
だがしかし、アビドスの対策委員会は
この中の誰かがこのDMを送ってきた。この中に裏切り者がいる。
そういった疑心暗鬼の前には「ギルド訓は対策委員会しか知らない」という仮定がある。仲間を信じるには「その仮定が違っていた」とすればいいだけの簡単な話だった。何らかの方法でギルド訓の存在を知ったのだろう、と。
勿論、理屈の上の話でしかない。実際問題、疑心暗鬼になるなというのも無理な話だろう。だが、彼女達はその役割はシャーレの方に任せた。
もしこの中に本心を隠して行動しているものがいても、自分達は最後までそれを疑わない。
ただひたすらに仲間を信じ抜くだけ。
"自分"を信じないやつにSSRが引けないのは、ソシャゲの基本だ。
「誰が来いって言ってたっけ」
さらにそのDMには、指定された位置に行くメンバーも指定してあった。
勿論、こんなのに従う理由はないのだが。
「私とユウカさんとニッカさんですね」
「うぃ、謎選出」
三人の名前をアヤネがホワイトボードに書いた。
ホワイトボード上の文字列を全員が真剣に見つめていた。
わざわざ人員を決めてくるというのは、当然なにかしらの狙いがあってのことだ。一体、この組み合わせにどんな意図があるのか。
「戦闘力……でしょうか」
「いや~、それはないんじゃないかな」
ノノミの呟きは頬杖をついたホシノに秒速で否定された。ぐでっとしながら、もう一方の手で先生を指す。
「ん、戦闘力の観点なら先生をメンバーに入れるはず。でも、今回に至っては名指しで拒まれている」
謎の支援者XはDM内で先生の現場出向を名指しで拒んでいる。
それが何を意味するのかはわからない。
「相手の出方がわからない以上、下手に動く方が危険かもしれない。私にだけ言及しているのもブラフの可能性が高い。私はアビドスに残るよ」
先生はキヴォトスの外から来た人間だ。
故にキヴォトスの住民とは少し身体の作りが異なる。その中でも特筆すべきは、銃弾一発でも喰らえば死んでしまう貧弱な肉体だろう。先生はキヴォトス世界の住民よりも耐久力が低いのだ。
もし戦闘力の低さで人選しているのなら、先生はむしろ入れたいはずだ。
「(先生の観察眼を恐れた、先生と面識がある人物だった、逆に先生をアビドスに残したかった……いや、情報が少なすぎる。考えるだけ無駄ね)」
ユウカは10秒ほど顎に手を当てて考えたが、すぐに思考を辞めた。こういった切り替えの早さはどこぞの課金バカのせいで鍛えられていた。
先生の言葉を受けてセリカが挙手をする。
「でも先生がひとりで残るのも、それはそれで危ないわよね」
「そうでもないよ、セリカ」
先生はスッとタブレットを取り出し、軽く指を差した。
その何の変哲もないタブレットに全員の視線が集まった。
「私にはアロナが付いているからね」
「あろ……?」
「ニッカ風に言うなら、超チートキャラって感じかな」
「はぁ……」
アロナ。
先生は『シッテムの箱』と呼ばれる超高機能システムを保有している。その全容はユウカですら把握していない。ニッカは言わずもがな。先生の業務においてデジタル的なエニシングがあった時に助けてくれる存在という程度の認識だ。
「アロナは色々と私を手助けしてくれるんだよ。たとえば、セリカを尾行していた時もアロナにセリカのスマホの位置を補足させていたしね」
「道理で振り切れなかったわけか……」
そういえば時折タブレットを確認していたな、とシロコは思い返した。
ノノミがヘイローを少し傾ける。
「AIみたいなものでしょうか……」
「うん、大体そんな認識で良いよ」
先生はセリカの方を向いて「心配してくれてありがとう」と笑いかけた。\ベッ、ベツニシンパイシタワケジャナインダカラネッ!!/
「まぁ、今回は私も残りますよ~☆」
ノノミが手を挙げた。ノノミはこの中で唯一、先生と関わりがない。その辺を考慮したのだろう。
「ん、残りはいつも通りだね」
話が纏まった。
バチン、と両手を合わせてニッカが立ち上がった。
「いよーし、それじゃあプロジェクト…………」
何かを言いかけて止まる。
「あっ、作戦名がまだじゃん」
「いりません」
ユウカの即レス。
しかし、今回はニッカに味方をするものがいた。隙あらば話を脱線させようとする面子である。
「いや~、そういうの大事だよ~」
「ん、決めるべき」
「いやいや! そんなことないですから!」
アヤネがホシノとシロコに抗議するが、もうこの場におけるマジョリティがどちらかというのは、決まってしまっていた。
「プロジェクト☆スターダストとかどうでしょう!」
「却下よ却下! ド却下よ! どうせ付けるならもっと良い感じのネーミングをね……」
「スターダストって星屑じゃなかったっけ」
「うへへ~、もっと可愛く行こうよ~」
「ん、身近な単語を入れるべき」
「ラーメン行こう、ラーメン!」
「先生からも言ってやって下さい! プロジェクト名なんていらないって」
「ユウカ、プロジェクトよりもオペレーションの方がカッコいいと思わない?」
「先生!!!!!」
オペレーション☆あやねるねるね ~ラーメンを添えて~ 開始。
「ニッカさんって、歩きスマホしないんですね」
「わたしに対する心象終わってない?」
「あ、いや……そういうわけじゃなくてですね……」
「まぁ、するけど」
ソシャゲ廃人たるニッカにとって、歩きスマホなど最早呼吸の域に達していると言っても過言ではない。浮いている時間、というのはソシャゲ廃人が回避すべきものだからだ。
しかし、今回は少し事情が違う。
「どういった経緯であれ、わたしはアビドスの代表として行動してるわけでしょ」
ちゃんと行動力は消費してきた、とニッカはアヤネに言った。
ユウカから事前に聞いていた印象と少し違う。
もっち自己中心的でソーシャルゲームのこと以外脳味噌にない協調性皆無の人間を想像していたのだ。
人物評のズレをアヤネは修正していく。会話は、相手のパーソナリティーを知る絶好の機会だ。
「ニッカさんとユウカさんは、どんな関係なんですか?」
「うぇ? 友達だけど」
「ドブ」
「えぇ……」
ドブ(に金を捨てる)。
「ユウカがわたしのお金を巻き上げて、わたしがソシャゲをする……そんな関係」
「それだと私が悪者みたいじゃないですか。わ・た・し・が! お金を与えているんです」
「うぃ、でもユウカだって別に自腹切ってるわけじゃないでしょ。ありゃあ予算なんだから。予算っってことはガタガタに使い果たしても良いってことでしょ?」
「サイコパスに片足ぐらい突っ込んでます? サイコパス診断やりましょうか?」
「うぃ、受けて立つぜ。答えは大体ネットで見た!」
テンションの高い掛け合いを聞いたアヤネは、
「……なるほど。仲良しなんですね!」
思考を放棄した。多分、ふたりは仲良し。ふたりはプリキュア。
ざっざっざっ。
時間には余裕があるのでゆっくり歩いて進んでいく。
そこそこの距離を歩いたところで見覚えのある道に入った。
「この道って確か……」
ユウカの呟きの続きは本人が言うよりも早く訪れた。
年季の入った木造の建物。掲げる看板と店前に立っていた男の恰好が、この店の全てを物語っていた。
「お、嬢ちゃん達! おはよう!」
「柴大将、おはようございます」
そう、ここはまごうことなきラーメン屋。柴関ラーメンである。セリカがバイトをしていたラーメン屋だ。砂漠化が進んだアビドスで最近数が減っている飲食店のうちのひとつ。
ラーメン屋の前にいたのは、この店の店長……いや、大将だ。
腕を組みどっしりと構える姿。頭に巻いたバンダナ。片目は閉じていて、逆の頬には十字傷がついている。所作という所作から滲み出るラーメンの芳醇なオーラは近寄る者の食欲を否応なしに搔き立てる。
まさに歴戦の猛者。
彼こそが、柴関ラーメン大将、その方である。
「うぃ、はじめまして。ニッカです」
挨拶がてらポッケからスマホを取り出し、時間を確認。まだ少し早いがお昼時ではある。
「うぇい、大将。今やってる?」
「当然よ!」
三名様、ご案内。
「ヤバい。ちょっと美味し過ぎて泣きそう」
「そんなに!?」
ラーメンを食べはじめたニッカが突如そう言った。
箸を持つ手が震えている。どうやら冗談の類ではないようだ。ちなみに箸の持ち方は間違っている。
「いや……最近あんまりこういうの食べてなかったし。ラーメンってこんな美味かったんだ」
確かに紫関ラーメンの出す商品は値段の割にとても美味しい。
大将が今まで積み上げてきた何十年分もの技術が出汁となり、どんな逆境をも乗り越えてきた強さと周囲からの人望が裏打ちする優しさが麺となり、ラーメンを本気で愛する莫大な情熱がその旨味の全てに究極のシナジーを生み出す。
ワンダフルが口いっぱいに広がるトロピカルな味わいはデリシャスとしか言い様がない。まさにパーフェクトハーモニー。
だが、ニッカが一番気に入った部分は別にあった。
ラーメンが届いた時、器を覗き込んだニッカは真っ先に違和感を覚えた。
「大将、わたしのにネギ入ってないね」
「入れた方が良かったかい?」
「いいや、わたしラーメンに入ってるネギそんな好きじゃないし」
ニッカの数多い弱点のひとつ。ラーメンにネギを入れるのを嫌がる。
ちなみにネギが嫌いなわけではないらしい。ラーメンにネギを入れるのが嫌らしい。これは誰からも共感されたことがないそうだ。
「前にユウカちゃんが来た時に話していただろ? なぜかラーメンに入っているネギだけ嫌いな娘がいるって」
「よく覚えてましたね……」
ニッカは大将の柔軟な優しさをとても気に入った。
料理とは究極的に思いやりが形になるもの、という考えがある。
誰かに振る舞う料理が美味しくなるのは、誰かが作ってくれた手料理が美味しいのは、味もあるがそれに加えて作り手の思いやりを感じるからだ。食べる者のことを想って作る料理は、必ずその想いの分、食べる者の心を満たすのだ。
「うめ……ずずっ、あ"~……じあわぜだばぁ」
涙目になって鼻水をすするニッカをアヤネは困惑した目で見ていた。ユウカはアヤネに補足を入れた。
「
「こ、小麦粉直食い!? 一体何があったんですか……?」
イベント。
「ふーん、セリカはここでバイトしてるのねー」
ユウカとアヤネから先日の顛末を聞いたニッカ。
セリカが皆に黙ってここでバイトをしていたこと。全員で尾行したこと。なんやかんやあってセリカが先生を信頼したこと。むちゃくちゃチョロかったこと。
「にゃ? でも何でセリカは先生の助けなんていらないってなったの?」
「それは、セリカちゃんが強いからだと思います」
「……強い?」
黒見セリカは強い。
アビドスが多大な借金を背負って廃校の危機に瀕している状況。このタイミングであっても、前向きな選択を取り続けられるセリカは、間違いなく強い。
「自分だけで何とかしよう、皆に迷惑がかからないようにしよう。そういった問題をひとりで抱え込めてしまう強さと、大人という存在への不信感がそうさせたんだと思います」
社会への漠然とした不信、拒絶、反骨心。
セリカのツンデレの原泉も、案外その辺りにあるのかもしれない。
「それで、そっちは何をしていたんですか? ノノミさんと一緒だったみたいですけど」
「かくかくしかじかってことがあってね」
「なるほど。まるまるうまうま」
「えっ、今ので伝わったんですか!?」
「「いや、まったく」」
やっぱりニッカとユウカは仲良しだった。アヤネは確信した。
ふと店内を見回していたニッカの視線が止まった。
「大将、あそこの席に置いてある鞄って何?」
「あぁ、あれはお客さんが忘れていったんだよ。取りに来るかも、と思ってそのまま置いてあるんだが……」
「届けて来よっか?」
ピクリ。
ニッカの申し出に反応したのはユウカだった。机の下でニッカの腕を掴む。
「それは申し訳ねぇよ、嬢ちゃん」
「まぁ、ラーメンのお礼ってことで。わたしが何かしたいんだよね」
ニッカは「どうせ今日は暇だしね」と付け加えた。まっすぐ見つめるニッカの瞳から引く気がないことを感じ取ったのか、大将が口を開いた。
「……兎のお客さんだった。白い体表に、真っ赤な目。身長は俺よりちょいと低いぐらいだ。初めて見る顔だったが、アビドスのどこかに住んでいると言っていた。仕事でこっちに来てるんだとよ」
「うぃ、な~るはく*1」
ユウカはぐいっとニッカを引っ張った。にへにへ笑うほっぺを気持ち強めに、気持ちじゃなくて強めに、いやむちゃくちゃ強めに引っ張った。
「ふぁびしるぎいだいだだだだっ!」
「時間には気を付けて下さいよ」
「ふぁびいだじょぶぶぶ!」
解読不能。
「あ、そうだ!」
ニッカが思い出したかのように手を叩いた。
「大将、レドアカやってる? やってんならフレコおせーてくれけろ*3」
「何バカなこと言ってるんですか。ごめんなさい、大将。こういう娘なんです……」
「BMXLHMYAだ」
「大将!?!!?」
柴関ラーメンの店主となるとソシャゲもお手の物なのか。ソシャゲ廃人でも自らのフレコまで覚えている猛者は多くない。
思わぬダークホースの登場に、ニッカのテンションが上がる。ソシャゲ相対性理論である。
「セリカちゃんがやってるって言うから、始めてみたんだ。思いのほか楽しいもんでな」
「でしょ~? いやぁ、しかし大将もやってくれてるとは嬉しいな~。ソシャゲ人口の増加は社会の最大多数の最大幸福だからね」
「社会崩壊への入り口ですけど」
出会って一日でも
「探し人のご報告にまた来るね~!」
「ありがとよ!」
店を出た。
先頭を歩くニッカの背中を見ながら、アヤネがユウカに話しかける。
「ニッカさんは何で忘れ物を届ける、なんて言ったのでしょう」
「それはね、ニッカがアホだからよ」
「あ、あほ……?」
私より年上のハズなんだけど、とユウカは溜め息を吐いた。
「どこまでも"芯"が子供で……まぁ、本人に訊くのが早いかも。ニッカ!」
「んにゃ?」
「アヤネが何か訊きたいことがあるんですって」
有無を言わせぬスピード感で、急に質問する場が出来上がった。アヤネは戸惑いながらも自らの問いを投げかけた。
「えっと……どうして忘れ物の届け出をやる、なんて言ったんですか?」
それはね、とニッカは笑った。
「わたしがやりたいと思ったからだよ」
理由としてはとんでもなく弱かった。論理的な観点で言えば、零点に近しい回答だ。
だが、アヤネにはそんな自分勝手な回答がもの凄く力強く聞こえた。まっすぐな瞳を受けて、アヤネはユウカの言わんとしていたことを理解した。
「自分の心に嘘を吐かないのは、ソシャゲの基本でしょ?」
ニッカは子供だ。純粋と言ってもいい。
やりたいからこうする。欲しいから求める。困っているから助ける。
そんなシンプルな行動原理で動いている。そして、いつだって笑っている。いつでも笑顔だ。
ニッカの純粋すぎる生き方は、理性と理論を重視するアヤネの生き方と根本では噛み合わない。だけど、そんなまっすぐ過ぎる生き方をする人間は嫌いじゃなかった。
「最後には純粋な奴が勝つ。そういう風にソシャゲは出来てるんだよ」
それに、とニッカは続けた。
「ゲリラクエストを逃すなんて、ソシャゲプレイヤーの名折れだろ」
コツコツコツ。
人ひとりいないアビドス高等学校の校舎を先生が歩いている。
留守番として学校に残った先生には目的があった。
「ここが生徒会室か」
もう使われていない生徒会室。
教室前には生徒会室の表記が貼ってある。古くなりすぎて、前の表記が剥き出しになるくらい剥がれかけている。
チラッと地面を見る。使われていないにしては綺麗だった。
半ば確信を持って、先生はドアノブに手をかけた。
「何してるのかな~」
「来てくれると思ってたよ、ホシノ」
目的一つ目、達成。
ホシノを呼びつけるためにわざわざ足音を立てて歩いていたのだ。
「そこは立入禁止だよ」
「おっと、ごめんね」
先生はドアノブから手を離した。
今のホシノの笑顔は先生でなくてもわかる程に、緊張感があった。
「で、先生はここに何をしにきたのかな」
「ホシノと少しお話がしたくて」
「ここだったら来ると思ったんだ」
「うん」
先生の頷きを見てホシノは肩の力を抜いた。
「おじさんをご指名とあっちゃあ、ないがしろにはできないね。中で話そっか」
生徒会室の中は乱雑だった。
生徒会室にしては狭い室内に整理されていないプリントや本、文房具や画鋲の類い、用途不明の変な道具までもが散らばりに散らかっていた。
その中でも机上のルーターとデスクトップパソコンがひときわ存在感を放っていた。
「ここは……」
「汚いでしょ~? まともに活動していたことなんて数える程しかなかったからね~」
ホシノは現在の対策委員会における唯一の三年生だ。シロコはホシノに拾われてアビドスに編入、セリカとアヤネは一年生。
過去のアビドスを知っているとすればホシノかノノミしか可能性がない。
もっとも、先程のノノミとのファーストコンタクトで先生はほとんど確信を得ていたのだが。
「単刀直入に言うよ。アビドスに隠されているものについて教えて欲しい」
「残念だけど、その問いには答えられない」
「それは……」
「おじさんも知らないんだ」
「!」
アビドスに隠されているもの。
しかし、ホシノですら知らないとは。先生は若干当てが外れたことを残念に思った。もっとも、教えてくれないだけの可能性も高いが。
「そういう話はおじさんが入学した時からあったよ。ただの情報準備室が
「情報準備室……か」
ホシノが気付いているかどうかは定かではないが、そのパソコンこそが"鍵"だろう。
先生は机の上のデスクトップパソコンを一目見た。
「ねぇ、ホシノ。スタンドプレーってどう思うかな」
「そりゃあ、良くないことだよ。基本的にはチームプレーが何よりだと思うな~」
ホシノのヘイローが鈍い光を放っている。
「そうだよね。みんなでやるのが一番だ」
「……先生が何の話をしているのか、おじさんにはさっぱりだけど」
先生からはホシノの表情は見えない。
「おじさんのお昼寝の邪魔はしないでくれると嬉しいかな」
相手の感情の理解に、言語が占める割合は大きい。されど、目は口ほどにものを言うということわざもある。言葉にしなくても伝わる思いというのも、たくさんある。
「対策委員会では隠しごとは厳禁だったんじゃないのかな」
無意識のうちに先生はネクタイを触っていた。
「別に隠しているわけじゃないよ。ノノミちゃんには、みんなの転校手続きのお願いもそれとなくしてあるし」
「
「!?」
聞こえてきた声にホシノは思わず振り返った。
先生の後ろからノノミが現れる。どうやらこっそりと後ろにいたらしい。
「転校手続き、ホシノ先輩だけどこに行くかの話がありませんでした。アビドスに一人で残るつもりなんですか?」
「誰かは残って掃除とかしてやらないとね~。おじさんは三年生だし、今から転校しても馴染みにくいしさ」
「そうやって全部自分で抱えて……!」
「ノノミちゃん」
ホシノがノノミの言葉を遮る。
口調はいつも通りでも、その声に柔らかさは感じ取れなかった。
「理想を語るだけじゃ救えないものもあるんだよ」
理想。
理を想う。
そのイデアは、手で触れられる現実とはかけ離れた純粋な想いだ。
現実はそう甘くない。そうやって、いつの時代も大人は子供染みた未来図を否定する。
実態のない理想では、届かないものがあると知っているから。
「語ります!」
「……」
けれど、十六夜ノノミはそんな理想を貫き通す。
どこぞから移った純粋過ぎる瞳が、まっすぐにホシノを見据えた。
「理想を語ります。
夢だって信じます。
奇跡も謳ってみせます。
私は、欲しい未来のためにならどこまでだって貪欲になるって決めたんです!」
「そうだよ、ホシノ。きっと全部を救う方法はある。最後まで諦めないで」
全部を救う方法。
アビドスが巻き込まれているこの一連の騒動は、予想以上に根深い。だから、ホシノも今まで策を見付けられていなかった。いや、実行していなかった。
「そうやって大人は奇跡を騙るんだよ」
そのどこか諦観にも似た感情を自覚したとき。
都合の悪いことに蓋をするようになったとき。
子供のために口先だけで綺麗事を騙るようになったとき。
人は一歩、大人になる。
「全部を救う方法? そんなあるかもわからない夢物語に賭けられるほど、子供じゃいられないんだよ」
大人には、責任がある。
責任は、その辺に捨てることも、途中で放り出すことさえも許されない。最後まで背負って守り通さねばならない重荷だ。
責任の扱いに失敗すれば、失うのはもう自らの人生だけではない。
だから、大人は現実を見るのだ。
犠牲を許容して、現実を受け入れて。そうやって、理想を捨てていく。
「夢を妄信するだけの子供じゃ現実には敵わない。奇跡を騙る大人は助けてくれない」
「ホシノ先輩……」
ホシノが笑った。
「どうせ来年にはおじさんは卒業していたわけだし、ちょっと卒業の時期が早まっただけだよ~」
だから、とホシノは続けた。
「邪魔しないで欲しいな」
そう言ってホシノは部屋を出て行った。
残された先生とノノミは、互いに無言だった。
ホシノの決意は本物だ。
軽い言葉じゃ覆すことはできないだろう。
俯いたままノノミが呟く。
「自分だけ犠牲になるなんて……そんな……先輩の未来を犠牲にしてまで掴んだ安泰を、私達が望んでいるわけがないじゃないですか!」
ソーシャルゲームに残高を全ツッパして、得られるたった1枚のイラスト、数秒の音声。
数回タップするだけで、スマホを水たまりに落とすだけで。
一瞬で消えてしまう虚構の情報の蓄積。
腹を満たすことも出来ないそんな虚構。
人によっては無価値で、ある人にとっては命よりも大切なもの。
ソシャゲ廃人のノノミは、他人の価値観の範囲を探る技術に長けていた。
だから、わかる。
ホシノが今のノノミとは全く相容れない価値観を持って動いていることに。
ホシノが、対策委員会の皆と過ごしてきた時間に価値を感じていることも。
「先生は知っているんですよね。今、アビドスを取り巻く状況の真実を。ホシノ先輩が何をしようとしているのかも」
「うん、知っているよ」
ノノミが顔を上げた。
先生と視線が交わる。
「先生、教えてください。
私は、望んだものは全部手に入れたいんですっ!」
「おー! 探していたんだよそれー! ありがとー!!」
「うぃ、どういたしまして」
スーツを着た兎氏に両手で手を握られ、ブンブンと腕を上下させられていた……アヤネが。
「これがないとどうしようかと思っていたんだよー!!! ほんっっっっとうに!!!! ありがとー!!!!!!!!」
「あ、わっ、ちょ、いったん、とめ」
「うぉぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「ふわぁあ~!!」
アヤネは犠牲となったのだ。
とてつもなくテンションの高く、うるさい兎氏に振り回されるアヤネの後ろから、ニッカが顔を出した。
「お仕事って、何してるの?」
「それは……ぬわぁぁああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!」
兎氏が急に叫んだ。アヤネの鼓膜が破壊されかねない威力だ。
「ひゃぁっ!? どっ、どうしました!?」
「資料がぬぁぁああああああああああああああああああい!!!!!!!!!」
兎氏は弾けた。もう既に十分うるさいのだが、それを超えてくる。どんどん音圧が上がっていく。死の鼓膜破壊サウンドだ。アヤネはもう耳を諦めた。
発狂する兎氏の話をまとめると、これから会議をするらしいのだが、どうやらそこで必要になるアナログ媒体の資料を忘れてしまったようだ。
今から取りに行っていたら会議には間に合わない。
「どこに忘れてきたの?」
「アビドスの北の端っこに行った先の『オハヨースター』のアビドス支店に忘れたぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
「なるほど。ならうぇうぇおおおおうあお!!」
何かを喋りかけたニッカの口をユウカが塞いだ。
何を言うかなんてわかりきっているからだ。しかし、ユウカの防御も虚しく、ニッカはユウカの手を取っ払って言った。
「にゃ! 兎さん、取りに行ってこようか?」
「ニッカ!」
「なにぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!!???」
おつかいを引き受けようとしたニッカをアヤネとユウカが引っ張った。
「ニッカさん、今日のミッションのことわかってますか?」
「大丈夫だよ。時間管理はソシャゲの必修科目だからね」
ニッカはアヤネにうぇいうぇいと返答した。
「ニッカ! わかっていますか?」
「Ψ^2は存在確率だってことを?」
「わかっていませんよね!」
ニッカはユウカにうぇいうぇいと返答した。
「いっちょ任せてよ」
「あっ、あっ、ありがとううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!! 恩に切るぅぅぅぅうううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うぃ~」
抗議の声を無視して、結局ニッカは兎氏の忘れ物を取りに行く約束をしてしまった。
ニッカは走り去っていく兎氏を手を振って見送った。くるりと振り返って、鬼の形相のユウカに笑いかける。
「まぁまぁ、大丈夫だって」
「いつもいつもそうやって根拠のない自信を……!」
「わたしが今までに約束を違えたことがあった? そういうことだよ」
「割とあった気がしますけど」
「そゆこと」
「ダメじゃないですか!」
ニッカはポケットに手を突っ込んだ。そして引き抜いたプリペイドカードをリボルバーに挿し込む。
「《
ニッカを中心として、地面に金色のエフェクトが浮かび上がる。幾何学的な模様を描き、電子の様な丸い光弾がニッカの周囲を回転する。どんどん光は激しくなっていく。5分程経った時、ハレーションが起こり、ニッカも紋様も跡形もなく消えていた。
「しゅ、瞬間移動……!? そんなのも出来たんですね、ニッカさん」
「まぁ、発動まで結構時間がかかるから戦闘では使えないけど」
待つこと大体10分。
地面に先程見たのと同じ模様が浮かび上がった。そして光と爆発音に包まれながら、ニッカがあらわれた。
出現したニッカは、糸が切れた人形の様に倒れこむ。
「っと。大丈夫ですか?」
「~~~! ~~~~!!」
「こんな短い頻度でテレポートするからですよ。あぁ、もう! 荷物が増えた!」
アヤネが今にも死にそうな様子のニッカを心配そうに見た。ニッカを地面に寝かせながらユウカが視線に答える。
「ニッカのテレポートは、あの閃光と爆発を零距離で喰らうから負担が大きいのよ」
テレポートの際に発生する局所的なハレーション。テレポート中は他の課金支援を使うことができないので、どうあがいても零距離でダメージを喰らってしまう。一時的に視覚と聴覚がなくなるレベルの閃光を、零距離で。迂闊には使えない禁断の技のひとつだ。
ニッカが震える手でポケットを叩く。回復を要求しているのだろう。ユウカはポケットからプリペイドカードを取り出し、ニッカのリボルバーのスロットに差し込んだ。
「…………っぷはぁ! 回復しる~^ エリ草生えますわ~!」
元気になったニッカは大きく伸びをした。
ニッカの課金回復は身体は回復しても、心まで回復するわけじゃない。視覚と嗅覚の機能が麻痺してしまう程のダメージを許容できるのは、ニッカがユウカに絶対の信頼を寄せているからであり、他人の幸せを何より優先できる優しさがあるからあった。
「うぇい、これ?」
「それだぁああああああああああっ!!!!!」
「あ、レドアカやってる? フレンドなろ」
「……レドアカ?」
急に場の温度が下がる。
兎氏の視線が鋭くニッカを射抜いた。
「BMYBGLSY」
「……そのフレコはッ!?」
カカッとニッカはいきなりバックステッポを繰り出した。
その刹那、吹き抜けた風が砂埃を巻き上げる。
隙を見せれば明日はないだろう。そんな確信すら湧き上がる。張り詰めた緊張感がニッカと兎氏の間に降り立った。
「……大将と会合の経験が生きたな」
「やるな、戦士よ……ジュースをおごってやろう」
突然の事態についていけず、アヤネはキョロキョロと視線を左右に振った。
「これは……今どういう感じなんですか……?」
「
「えぇ……」
オーバーレイネットワークを通じた
「兎さん、あんたまさか……"
「ほう、吾輩を認知しているか」
「レドアカやってて、あんたのことを知らねぇ人はいねぇよ」
ユウカがチラッとアヤネを見た。
「知らないです」
界隈では有名だけど、その界隈が小さすぎるタイプの有名人だった。
「ありとあらゆるキャラクターが己のシコリティ・センサーに反応してしまう悲しき獣……!
そしてその欲望をアビドス鯖内4位の課金量で抑える"英雄"───!」
「自制できてないじゃないですか」
「こんなにクッソしょうもない悲しき獣います?」
「うら若き乙女達からディスられて吾輩ちょっと悲しいな……」
HとEROだけあっても、組み立てられなければ
兎氏の三大欲求のステータスビルドはニートのそれだ。つまりは、性欲に特化している。
「吾輩について誤解してない、うら若き乙女達? 吾輩は運営に貯金してるだけで……」
「百回聞いても、その自己弁護は虚しい言い訳にしか聞こえないと思います」
「一人称吾輩の社会不適合係数算出しましょうか?」
「二人とも兎氏に厳しくない?」
ソシャゲは人を狂わせる。たとえプレイしてなくても廃人と共に過ごすことで、その人の倫理感と語彙レベルを同等にまで落としてしまうのだ。朱に交われば何とやら。ソシャゲの罪は重い。
「それにね、吾輩はソシャゲに狂ってるわけじゃないのよ。吾輩がソシャゲに狂ってるのよ」
「そこの主従関係、些事過ぎません?」
「
兎氏は力強い声で言った。その声にはそこはかとない説得力があった。これがアビドス鯖内4位の風格である。
「トリニティ鯖のカッスーガの横乳ぐらい違いがある」
「あ、マジで些事のタイプですねこれ」
トリニティ版レドアカは若干、一部キャラクターの衣装と胸がナーフされている。それが良いとの声も
「わかるよ~! そこの違いは大事だよね!」
「おお! やはり君は"戦士"だな! よし、吾輩の
兎氏はニッカをフレンドに加えると、挨拶をして去っていった。
「少し気になったんですけど」
アヤネは兎氏の背中に手を振るニッカに訊いた。
「兎の方が言っていた、違いってなんですか?」
「自由意思の尊重だよ」
ソシャゲに狂う。
これではダメだ。
ソシャゲに狂わされているだけでは、供給をただ大口開けて享受してるだけでは、意思が弱い。
意思の弱さは、石の弱さ。自ら選択して修羅の道に足を踏み入れた者と、ただ流されているだけの者ではガチャリザルトに雲泥の差が生じる。
些事だろうか? 答えは、否。
"Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil set Off a Tornado in Texas?"
全ては、
「アヤネ、こんな意味不明なこと聞いてても無駄よ。心の中の話なんてどうとでも言えるんだから」
「それは違うよ!」
ため息を吐いたユウカに、ニッカのコトダマが弾丸となって放たれた。
「確かに、他人の心の中は誰にもわからない。それこそ、本人でさえも正確に掴むことなんてできやしない」
でも、と続けた。
「だからって理解しようとしないのは、真摯な態度じゃないだろ」
理解できないのと、理解しようとしないのは別物だ。
あまりに人類の叡知すぎる一部キャラクターに感動し、思わず賢者になってしまう層もいる。
あまりに人類の叡知すぎる一部キャラクターの衣装やおっぱいにナーフを要求する層もいる。
でも、『巨乳派とか何がええねん』『板に興奮するのは異常者』『虚乳の虚しさこそ至高』と互いが互いに排他的になってしまえば、そこで終わりなのだ。
もし歩み寄ることを諦めてしまえば、趣味嗜好の合わないプレイヤーはその瞬間に、その人にとって非日常的な存在になる。日常で会うことも合うこともない、言ってしまえば妖怪や化け物とも同類の存在に。
「でも、それでも理解できなかったとしたら、その時はどうなるんですか?」
「そん時はそん時だろ。他人は敵じゃない。分かり合えなくても、フレンドにはなれなくても、それさえ心に刻んどけば大丈夫だよ」
改悪アプデを繰り返す運営も、ランキングを課金の暴力で蹂躙するランカーも、ソシャゲとは交わらない世界で生きている人も、心の中がわからないのは皆同じだ。だとしても、けっして敵同士なんかじゃない。
「全員が幸せになる世界ってのは、きっとあるはず……だからな」
実現するのは難しい。されど、そうであったら良いなと誰もが思うこと。
でもどんなに難しくともきっと、不可能ではない。
「じゃあ、今度こそ行きますよ」
「んにゃ、ちょい待ち」
「何か?」
ニッカはスッとどこからともなく封筒を取り出した。
「こいつを届けないと」
ユウカのヘイローが回った。
「また安請け合いしたんですか!?」
どうやらテレポート先でまた何か頼みごとを拾ってきたらしい。
アヤネは手持ちの端末で時間を確認する。
「目的地の道すがらならまだ全然間に合いますけど……」
「はぁ。で、誰に届けるんですか?」
「ヘルメット団」
「……はぁ!?」
ニッカは封筒を上着の中にしまった。
「何でもヘルメット団の友達が結構一線越えちゃう感じの悪いことやらかしそうだから、事前に思いとどまってくれるようにお願いのお手紙を書いたんだって。ヤバすぎてヘルメット団の内部でもハブられてるとか何とか。本人が今、大怪我してて動けないからそれを代わりに……」
何てことないことのように言うニッカに、アヤネは驚きを隠せなかった。
「ヘルメット団の頼み事なんて受けたんですか?」
「『なんて』っつーなよ。困ってる人がいたら助ける、ソシャゲどころか社会の常識でしょ?」
「でもヘルメット団ですよ! 一応、彼女らはアビドスを攻撃する依頼をどこからか受けている"敵"です」
「敵だったら不幸でも良いのか」
「!」
そう言ったニッカの顔は、いつものうへうへした表情に近いようで遠い。それを見たアヤネは、ぽわーんと「シリアスな表情もできるんだ……」と思っていた。
「『アイツは悪い奴だから不幸になって良い』。
『悪いことをしたやつには何をしても良い』。
わたしには、そういう風には考えられない。
やるならみんな笑顔で……現実的に可能とかどうじゃなくて、出来ればみんな笑顔でいたいって思うのは人として当然のことだろ」
綺麗事で夢物語だった。
ユウカが溜め息を吐く。
「またソシャゲの話ですか」
「うん、またソシャゲの話」
気付けばニッカの顔はいつものうへうへしたしまりのない笑顔に戻っていた。
「そしてこいつは、あんたの親友からだ!」
ニッカが続けざまに2発、リボルバーを撃った。
課金によって強化された弾丸は狙い過たず。1発だけヘルメット団の頭に命中し、そのヘルメットをかち割った。
「うぐっ……!」
「友情ガチャの底力、舐めんじゃねぇよ」
ニッカは倒れたヘルメット団のひとりにそう言い放った。
倒れ伏したままヘルメット団の少女は地面を叩いた。
「クッソ……"イベントストーリーのプロローグと1話目ぐらいは読むけど、面倒くさくなって結局全部スキップして、だけど最終話は何となく読むタイプの熱意の薄いソシャゲプレイヤー"みたいな省略をされた気がする……!」
ニッカがかかんで、少女の目の前にスマホを差し出した。
「フレ申送っといたぜ」
「な、なんで……!?」
ヘルメット団の少女は立ち上がった。
「あたしはあんたの腹に
「いやまあ、それは痛かったけど。別に気にしてないし。それに今は痛くもないし」
「そんな言葉だけの瘦せ我慢で……」
瘦せ我慢じゃないよ、とニッカはへらへら笑った。
「課金したら治ったし」
「そんな馬鹿なことあるぅ~~~っ!?!!?!?」
「ある~」
総ての道は課金に通ず。ラ・フォンテーヌもそう言ったとか。嘘だ。言っていない。
「金は身を
身も蓋もない世界の真実だった。金は全てを解決する。
「ほら、わたしは気にしてないから早くフレンド承認してよ。というかしろ。生涯ミッションクリアしたいし」
「でも、それだけじゃない……あたしは今まで散々悪いことをしてきた。あんたみたいな日の当たる世界にはいけない。あたしが今まで粘着行為を行って、引退してしまったプレイヤーのアカウントは二度と戻ってこないんだ!」
過去は二度となかったことにはならない。
たとえ時を巻き戻せるタイムマシーンがあったとしても、一度刻まれた過去は、決して消えない。
引継ぎコードを保存しておかずにスマホの機種変更をしてしまった時のように、"喪失"は不可逆で絶対的なものだ。一度凍結されて死んだアカウントはキングストーンが太陽の光を浴びても復活しないのだ。
「あたしがやってきたことは人を不幸にするだけで、あたしが全部悪いのに……そんなに優しく許すなよ……! ヘルメット団からも疎まれたあたしに……社会にあたしがいていい日常なんてないんだ!」
それは負のスパイラルだった。
極端な自罰的感情は底なし沼のように深く、暗く、おぞましく。生産性のない後悔は清浄な感性と正常な思考を奪う。幸せへの帰結を、赦しを否定する出口のない迷宮だ。
一度、ツボに入ってしまえば永遠とはまってしまう思考の罠に、ヘルメット団の少女は陥っていた。
「本当に他人を不幸にするだけの奴に友達なんかいるかよ」
ぺちん。
ニッカが軽く少女の頭を叩いた。
「いて良い場所がない?
アホか。ちゃんと毎日ログボもデイリー周回もしてたじゃんか」
そういってニッカはヘルメット団の少女の胸ポケットをつついた。
粘着行為のために毎日欠かさず行っていたレベリング、デイリー周回、イベントマラソンの準備……少女はソシャゲを毎日プレイしていた。画面を見れば、今もフレンドリストに数人の名前が残っている。
「ソシャゲやってる限り、どんな時でも独りじゃない。ソシャゲの基本だろ?」
ソーシャルゲーム。
その名の通り、ソシャゲの中には社会がある。
現実とは違う、現実とも代替できないここだけの社会が確かにある。
虚構の世界に作られた本物の社会が、ここにはある。
それに、とニッカは続ける。
「過去がなかったことにならないのと、もうやり直しが効かないってのはイコールじゃない」
過去はなかったことにならない。それは真だろう。
だが、それは現在を否定する理由にはなりえない。
運営がやらかしても大量の詫び石があれば「まぁ、ええか」と軽く流せるユーザーもいるように、人は過去の行いをいつだって許せる生き物なのだ。
ソシャゲプレイヤーは未来を見る。新規キャラがブッ壊れでも、すぐにナーフされる未来があると信じてプレイを辞めないように。運営がカスになっても、いつか立ち直れると信じたい気持ちがあるように。
リセマラもソシャゲの基本だろ、とニッカは笑いかけた。
「んじゃ、そろそろ落ちるね」
くるりと背を向けて歩き去ろうとするニッカに、ヘルメット団のひとりが叫んだ。
「なぁ、あんた! どうして見ず知らずのあたしのためにこんな……」
「あんたの友達が泣いていた」
「!」
ニッカは足を止めて呟いた。
「
ヘルメット団が何かを叫んでいた。
ニッカは今度こそ振り返らなかった。
同じサーバーにいる限り、いつだって繋がっているから。
ニッカと少女はもうフレンドだから。
廃ビルから出ると、眩しい光に目をつぶった。
「うおっ、まぶしい"た"い"っ"!!」
「……1発殴りました」
「事後報告!?」
ユウカはニッカの頭を殴った。割りと強めに。というか結構本気で。
「うにゃあ~! アヤネ~、ユウカがいたいいたいする!」
「私からも喰らいたいですか?」
「すんません」
二人に半眼で見られていることに気付いたニッカのヘイローが上下する。
「茶番なんかしてる暇ないんですよ」
「茶番って」
「茶番でしょう」
しれっとテレポートで跳ぶ準備をしていたニッカの手はユウカに止められた。
「あいつは意地になってた。引っ込みが付かなくなってた。コンコルド効果とかに近いあれだけど……そういう時はどれだけ理性で分かっていても止められないんだよ。皆そうやってソシャゲ破産していくから」
「だから、ぶっ叩いてでも止めないとって思ったんですか?」
「うん。爆死ツイートは笑えても、ソシャゲ破産でリアル死亡は笑えないからね」
かつて、なの破産を経験していない若者は、ソシャゲにおいて破産覚悟で
ニッカの思考はソシャゲベースである。ユウカは「ソシャゲ思考じゃなければ優しさだけ残るのにな」と常々思っている。
「では、用も済みましたし行きましょうか」
ニッカ達は今度こそ目的地へと向かった。もうとっくに約束の時間は過ぎていた。
「うぃ、お荷物持ちますよ~」
「おお、ありがとう。でも申し訳ないねぇ」
「にゃ~、良いですよ。どうせ暇ですし。どちらまで?」
「そこをまっすぐ行って───」
道端で出会ったやたら大荷物の老狸さんの方にトコトコ歩いて行ったニッカを見てアヤネが首を傾げた。
「ニッカさんっていつもあんな感じなんですか? 何だか事前に聞いてた印象と全然違う様な気がして……」
「今は多分、ソシャゲやってないから」
ユウカのヘイローが傾いた。
「ソシャゲの周回中とか何だかでソシャゲをやらなくて良い時間の時はあんな感じなのよ」
「あぁ、ゲームやると人が変わるタイプなんですね」
人が変わる。
アヤネはニッカのことをそう評したが、ユウカはそうは思わない。
ソーシャルゲームをやっている時のニッカも、やっていない時のニッカもなんら変わっていない。これまで見てきたニッカの行動も言動も原動も全部、根っこにあるものは同じだった。
───あれがほしい
───これをやりたい
───こっちの方がたのしい
"純粋"。
おそらくそう形容するのが一番しっくりくる。
課金が大好きで、金使いも荒くて、食生活も終わっていて、いつも部屋でダラダラしている不健全きわまる存在。それなのに、誰よりも透き通った瞳をしている。
そのシンプルな在り方は鏡の様に己の生き方を映し出す。ニッカに当てられたユウカは、自分の生き方が酷く打算的な生き方に見えてきて、"楽しくない道"を選んでいる様な気がして。ニッカという存在は劇薬だった。
あの日。
ニッカと出会ったあの日から。
ユウカの生き方は少しだけ変わった。
人はたったひとつの言葉や行動で劇的に変わることはほとんどない。でも、少しずつ触れて、感じて、受け取って。そうして「あぁ、そっちの方が良い」と思ったなら。その瞬間にその人はもう変わっている。
ニッカの純粋さを「羨ましい」と。「私もこうだったら」と思った時点で、ユウカはもう以前までの早瀬ユウカではいられなかった。
「……仲良しなんですね、ユウカさんとニッカさんは」
「えっ?」
「だってそうじゃないですか。アビドスにニッカさんを連れてくる理由ってないですよね?」
「それは……」
ユウカは言葉につまった。そういえばなぜニッカを連れてきたのかが分からない。車を運転させたかったのだ。うん、そう。きっとそうだ。
無理矢理自分を納得させたユウカは何とも言えない感情を、とりあえずニッカにぶつけておくことにした。
「ニッカ! さっさと行きますよ!」
「うぃ~」
約束の場所には赤いパーカーを着た人物がひとりいた。べったりと塗り潰したような無地の赤だ。
パーカーの丈は膝下まであり、全身を隠している。フードで隠された顔の中は影になっていて、なぜか上手く認識することができない。
"謎の支援者X"は間違いなくこの赤パーカーであろう、とニッカ達は直感した。
「……遅かったな」
赤パーカーの呟きからは隠しきれない苛立ちが滲み出ていた。
「待った?」
「今来たところ……なわけあるかっ!」
「うぃ、すまんと思ってる」
「これだから貴様は……!」
憎悪の籠った目でニッカを睨んだ。
それも束の間。赤パーカーは「まぁ、いい」と腕を振って話題を切り替えた。
「俺が"謎の支援者X"だ」
「ダサい」
「黙れ!」
赤パーカーは地面を蹴っ飛ばした。見るからにイライラしていた。
「うぃ、そんな怒るなって。赤パーカー」
「変な名前を付けるな!」
まぁ良い、と赤パーカーは話題を切り替えた。
「まぁ、とりあえずいっちょ決闘と行こうか」
「決闘ですって……?」
ユウカが銃を構えながら訝しんだ。
「そう殺気立つな。ソシャゲだよ。お前らもやってるだろ、『レドアカ』」
へぇー、とニッカが笑った。ソシャゲバトルは望むところである。
実のところ今日は道行く人達の頼み事を解決するために自前のプリペイドカードをほとんど消費していたのだ。つまり、今のニッカのリアル戦闘能力はカスでだということ。ソシャゲで勝負するというのは、ありがたい申し出だった。それに、リアルならいざ知らず、ニッカはソシャゲなら負ける気は毛頭ない。
ニッカとアヤネが自身のスマホを取り出した。スタンバイ完了だ。それを見た赤パーカーはスマホを取り出すと、ユウカを指差した。
「
「さん……」「……にん?」
ニッカとアヤネが同時にユウカを見た。顔を赤らめながら、ユウカがスマホを取り出す。
「し、仕方ないですね。今日だけですよ! 3人がかりなら私達の勝率もかなり高くなりますし! 高くなりますし!」
「うぇ~い、やってるなら言ってくれれば良いのに~」
「やってたんですね、意外です」
「うっさいわね! 因数分解するわよ!!」
3人は即興で野良パーティーを組み、装備やスキルセットを行う。
赤パーカーから来たPvPの招待を受け、バトル開始。
ニッカは赤パーカーの
「(
残念なことにニッカの操作キャラクターは赤パーカーに相性有利ではない。アヤネとユウカはまだプレイヤーレベルが低く、役割を持たせられなかった。そのため、ニッカも
「ま、お前との圧倒的な力の差ってのを教えてやるよ」
「ひとりが3人に勝てるわけないだろ」
ベシベシベシ。
スマホの画面の中で激しい戦闘が繰り広げられる。見慣れた演出やアイコンが、いつもとは違うものにすら見えた。
激突が始まってニッカはすぐに気付いた。
「(つ、強い……!)」
ニッカは廃課金プレイヤーだ。ログインやイベント参加も欠かしたことはない古参プレイヤーでもある。そんなニッカのキャラクターでさえも、わずか一合打ち合っただけでHPが一気に削れた。
「(どんだけ注ぎ込んでるんだよ! 理論値最大出てんじゃねぇのか!? いやでもどうみても
一回、二回、三回。
最初のわずか四回の攻撃だけで、ニッカのキャラクターのHPバーは赤色……デッドラインまで来ていた。あと一撃喰らえば死亡確定だ。
アヤネとユウカのキャラクターが支援を飛ばそうとするも、赤パーカーのキャラクターの攻撃でワンパンされてしまう。
「こういう時、何て言えば良いんだっけか……あぁ、チェックメイトってやつだな」
「……っ!」
ニッカの操作キャラクターのHPがなくなった。
画面にうつる『YOU LOSE』の文字列。完膚なきまでの敗北であった。
「ひとりが3人に……何だっけ?」
ニッカは分かりやすく煽ってくる赤パーカーを睨み付ける。だが、心と裏腹に鍛え抜かれたソシャゲ理性は「『レドアカ』の勝負では赤パーカーに勝てない」と残酷なジャッジを下していた。それ程までに先の戦いは圧倒的だったのだ。
ランキング上位のニッカですらこの実力差。ランキング1桁レベルのプレイヤーでないと、まともに勝負を成立させることすらできないだろう。
「じゃあ、彼我の実力も理解しただろうし本題に入るぜ」
赤パーカーはスマホをしまった。
「アビドスを襲ってくるヘルメット団やチンピラ共の武器の出所は調べてんだろ?」
アヤネを赤パーカーは指差した。表情は見えないが、軽いノリで喋る様子が無性にニッカを刺激する。
「で、大体の見当は付いているが、手を出せないでいると。もう凸っちまえよ」
「……そういうわけには行きません」
アヤネの言葉に赤パーカーはケタケタ笑った。
対策委員会だって無能ではない。上級生であるホシノとお金周りに敏感なノノミ、頭脳担当のアヤネはアビドスを狙う者の正体に半ば気付いていた。というか、向こうに正体を隠す気を感じられないというのが正しいだろうか。
この状況を作った黒幕の正体には、もう辿り着いていたのだ。
だが、解決できていない。できない。それもそのはず。対策委員会は迂闊に武力行使には出れない状況にあるのだ。毎月の利子返済と定期的に学校を襲撃してくる不良達の応戦に手一杯で、決戦用の資金が足りていない。
そして、問題を解決できていない理由はそれだけではない。
「おっと、てっきり事を構えるつもりでシャーレに助っ人を頼んだのかと」
「本来は対策委員会だけで事態を抑えるつもりでした」
子供だけでどうにかなる問題じゃねえだろ、と向けられた言葉にアヤネは沈黙するしかなかった。
「理性か、倫理か? どっちにしろお相手にそんなお利口さんはいないぜ」
「だとしても、私達は正しい手段を取るべきです。『悪いことをした奴には何をしても良い』というのは、良くないらしいですから」
チラリと向けられた視線にニッカは不敵な笑みを返した。
対策委員会は単なる一介の生徒達の集まりでしかない。アビドスに在籍する生徒達が勝手に集まって、勝手に委員会を立ち上げているだけなのだ。
武力行使に正当な理由など、あるわけがない。
「まぁ、今日は顔合わせだしな。こんなもんか」
「待ちなさい」
くるりと背を向けた赤パーカーに向かってユウカが発砲した。まっすぐ膝裏に向かった銃弾は、赤パーカーに当たる直前、不自然に軌道が変わり地面にめり込んだ。
「なんだ、リアルファイトもすんのか? 別にやるのは構わねぇけど、どうせお前らじゃ勝てないぜ」
その台詞が皮切りだった。
ユウカが二丁拳銃を構えて赤パーカーとの距離を詰める。赤パーカーが応戦の構えを取る。慣れた手付きでホルスターから抜き出したのはリボルバー。
それは
「!」
そのリボルバーを見たユウカは瞬時に勢いを殺し、バックステップで距離を取る。偶然……なことはないだろう。
ユウカの思考が回る。
赤パーカーは恐らく、ニッカと同じ能力を持っている。先程の銃弾の不自然な軌道も、不可視のバリアでも張ってあったというのなら納得がいく。迂闊に攻めるのは危険だ。
「お、距離取ってくれるのか。それじゃあご厚意に甘えて……ほいっ」
赤パーカーの両手が光った。
「っ!」
急な発光に、思わず目を瞑ってしまう。
まずい、と思っていたのも一瞬の間だけだった。
目を開ける間もなく、ニッカ達は強い衝撃を受けて地に伏していた。
「がっ……!?」
気付いたらそうなっていた。
まさにそうとしか形容の出来ない体験。あまりにも理解が追い付かない現象だった。しかも、立ち上がることもできない。身体がとんでもなく重い。まるで自分にかかる重力が何十倍にもなったみたいだ。
動けないニッカの前に赤パーカーが立った。
「なぁ、お前幸せか?」
「……?」
「今の人生楽しいかって訊いてんだよ」
「……まぁね」
赤パーカーはしばらく沈黙していた。
本当に重力が大きくなっているようだった。鉛直方向の運動には強い負荷を感じるが、それ意外のアクションに特に制限は感じられなかった。
「あんたの目的は何なのよ」
「ん、何だろーな」
倒れたままのユウカが赤パーカーに言葉を投げた。ユウカの方を見ず、ニッカを凝視したまま赤パーカーは答える。
「大人にはな、色々あんだよ」
「老人特有の感性で"謎の支援者X"……」
「うるせぇ」
「あでっ」
茶々を入れたニッカを赤パーカーは軽く蹴る。
「ま、そろそろだしな。俺を指針にして動けよ、若者共」
「それって、どういう……」
「俺がお前らに借金を負わせたっつったら、どうする?」
「!」
へへっ、と赤パーカーは笑った。
「なぁ、ニッカ。お前ソシャゲ廃人を自称してる癖に『レドアカ』弱いんだな」
「何だって……!」
「リベンジしに来いよ。もしそん時も弱いままだったら、だったら……どうすっかな」
「うぃ、売られた喧嘩は割引なら買わないと気が済まないんでね。買わせてもらうぜ、赤パーカー!」
「……次会う時は、もうそんなこと言えないがな」
ニッカにそう吐き捨てた赤パーカーは去っていった。赤パーカーが視界から消えると、身体にかかる負荷もなくなった。
いまいちつかみ所のない人物だった。行動理由もその正体も不明のまま、ニッカに強烈な敗北感だけ植え付けて消えていった。
だが、ニッカは赤パーカーの中に渦巻く激しい感情を、直観的に感じ取っていた。
その感情は、憎悪。
赤パーカーは、ニッカのことを憎んでいる。
「んにゃ、そういうの好きじゃないんだけどなー」
どうしたものかとニッカは頭を掻きむしった。
煤けた赤い空を見上げる。
雲が、太陽を隠していた。
崩れたビル。
焼け落ちた校舎。
灰になっていく世界。
日常は崩れた。
幸せは焼け落ちた。
青春は灰になった。
足掻いて、もがいて、抗って。
その結果がこれだ。
五感の全てが悲鳴を上げている様に痛い。痛い、はずなのに。それなのに辛さはなかった。痛みは足を止めてしまう。痛みなんかを感じている余裕はない。立ち止まることはできない。
じゃり。
何かを踏んだ。
それが何なのか……いや、何だったのかは考えるまでもない。もう身体が覚えてしまっていた。
下は見ない。
振り返らない。
前に進むしかない。
最初に掛け違えた瞬間から、何よりも大切なものを失ってしまった瞬間から、後戻りするなんて選択肢は消えていた。その先に続く道が地獄への片道切符だとしても、帰る場所を失くしたものに選択の余地はなかった。
ようやくここまで辿り着いた。
「全部───」
───終わらせてやる
そう呟こうとして、辞めた。
もうこの身には、終わることすら許されていないのだから。
もう自分には残っているものなど、無いに等しいのだから。
既に、世界は終わっていた。
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