原作1ミリも知らない奴のブルーアーカイブ 作:レッドアーオアダム
"装置"を解析しはじめて早一週間。
「使い方もほとんど完璧です。修理も完了しましたし、これで作業は終了ですね」
うっかり起動してしまった"機械"の修理が完了した。
起動時に色々と弄っていたら壊れてしまったのだ。
そこから修理の日々が始まった……といっても、周囲にはプロジェクトを書き連ねた紙や設計図、果ては修理用のパーツもあったので実際はおちゃのこさいさいのさいのさいだった。
そして、"使い方"もわかった。
「平行世界、か」
「本当に行けるんでしょうか」
「…………」
アビドスが襲撃された理由は十中八九これだろう。奴は力を求めていた。たった一人で世界全てを蹂躙しうる力を。
こんなものがあるから。
こんなもの壊れてしまえ。
そういう思いがが日に日に大きくなっていく。
鬱屈した気持ちを晴らすように平行世界についての考察が殴り書きされたノートを捲った。
「……ねぇ、ここの物欲センサー仮説ってどう思う?」
「名前の由来と内容以外は納得してます」
「逆にどこに納得してるのそれ……」
「平行世界間移動装置なんて作った人の人間性です」
物欲センサー仮説。
物欲センサーを単なる印象論で片付けず、現象として物欲センサーが存在するのではないかという仮説だ。
「脳の認識領域外にある盲点……デッドスポットに"願い"や"祈り"が電気信号で送られ、拒絶反応によって無意識下で認識が改変される。そして、改変された認識が周囲との共通認識になることで
「ユウカちゃんはオカルトとか信じないタイプ? 『この世の全ては計算で成り立っています』みたいな」
いえ、とユウカちゃんは首を振った。
「むしろ全てを科学で解明できるなんて、それこそある種の科学の傲慢というものに他ならないじゃないですか。秩序に取り込まれれば、名状しがたい"それら"は秩序によって固定されてしまいますから」
「ふにゅ、手法の限界だね」
世界を認識しているのではなく、認識が世界を作っているという考え。
一個人の主観世界においては当然だが、周囲共通認識を作る部分で納得がいっていないのだろう。
この仮説の作者によれば、ヘイローが
脳に送られた電気信号はヘイローを通じて周囲に発信される。それを別の人のヘイローが受け取って、周囲共通認識が生まれる。ヘイローは存在自体は認知されているが、手で触ったり視認することはできない。故にヘイローを介した運動の研究が遅れて、そこに関係がある事象が神秘や奇跡といった偶然で片付けられていた、と主張している。
「私達が神秘や奇跡と呼んでいたものが認識による可能性の具現化というところも全く腑に落ちませんし……それに、
書くものが必要になりそうな気配を感じたので、わたしは部屋の端っこに放置されているホワイトボードを引っ張り出した。
「この世界には幾億数多の可能性が偏在している。可能性は、それ単体ではただの可能性に過ぎず、何物でもない。そして、人々の"祈り"や"願い"によって形作られた周囲共通認識が、その可能性に指向性を与える」
きゅっ、きゅっ。
"祈り"、"願い"をぐるっと丸で囲んで可能性の方向へ矢印を書いた。
「仮にそうだとしても現実が改変されるのは、周囲の共通認識の共通項の部分でしかないじゃないですか。だとすれば可能性の方向ベクトルは大分限られたものになるんじゃないですか?」
周りの皆の共通認識と言っても、その内実は様々だ。
リンゴと言われて絵のリンゴを思い浮かべるか、実際のリンゴを思い浮かべるかだけでも、認識としては違う。ヘイローを通じて直接的にシグナルを送る以上、その部分は多少なりとは解決できるかもしれないけど。
それに、世界レベルの現実改変が発生するとなると、規模が大きすぎる。人と人がそれぞれのアイデンティティーを持ち合わせている限り、共通認識の適用範囲となる共通項部分は少なくならざるをえない。
「それについてはね、コンバーターというか何というか。ハブ空港みたいな中継点があって、そこで纏められてるんじゃないかって書いてあるよ」
大多数の人が関わってしまうため、共通認識の範囲が狭くなるという問題。しかし、一度どこかでひとつに纏められれば、その問題はクリアされる。
もっとも、肝心の中継点についてはよくわからないみたいだった。
「可能性が指向性を持った世界は
「この装置では確かまだ世界の可能性が固まりきっていない
人々の"祈り"によって世界は色付く。
まだ何の未来図も決められていない世界のことを白紙と称しているわけだ。
「……この世界はもう既に色付いているのでしょうか。もしそうなら、何と呼ぶのが良いのでしょう」
この世界が色付いていない。そんなわけがなかった。もしこてで白紙なのだと言うのならば、神はあまりにも人の身に厳しすぎる。
「名前、か」
そんなのひとつしかない。
この全てが終わってしまった血塗られた世界は。
「さしずめ、
失ったものに反して得られたものは何もない。
倒すべきものを倒していても、守るべきものは失ってしまっている。
まさしく赤字だ。
「そんなことない!」
机に手を付いてユウカちゃんが急に立ち上がった。
何に対して感情的になることがあるのだろうか。
まぁ、こんな状況では突然の発狂はよくあることだ。
「でもね、わたしは皆を殺して生き残───」
「生きることは罪じゃない! 無価値なものなんてこの世界にはない! あなたがたくさんのものを救ったことまで、なかったことにしないで……」
わたしはユウカちゃんから目を逸らした。
「お願いだから、そんなこと言わないで下さい……!」
「……やめてよ」
泣いているユウカちゃんを直視したら、救われてしまうそうな気がして。
また繰り返すような気がして。
わたしは目を逸らした。
ゆったりとアビドス校舎跡周りで過ごして何日か。
とうとうわたしたちは平行世界移動装置の起動実験をすることにした。
「物資的な瞬間移動って、確かもう発見されてたよね」
「えぇ、コストと再現性。あとは倫理問題が大分ネックですけど」
ユウカちゃんがペチペチと機器のセッティングを行いながら答えた。
「例えばわたしのリボルバーに
「どんな形で作るとしても利用者へのフィードバックが発生しそうですね」
「この機器のフィードバック予測ってどうなってたっけ?」
「……不明、ですね」
「そっかぁ」
わたしは考える。
平行世界への移動。それに伴うリスクは当然、不明だ。
まだ誰も平行世界間の移動は行っていないのだから当たり前なのだが。
「ユウカちゃんはさ、どんな平行世界に飛びたい?」
「どんな平行世界、と言われても……」
ちょっと作業の手が止まった。
「導いてくれるものがある世界……でしょうか」
「導いてくれるもの?」
「はい。それでいて皆がそれに倣う様に、一緒の方向を見て頑張るんです。そういう世界だと、私は嬉しいと思います」
導いてくれるもの、とは。
何か指標が欲しいということなのだろうか。
後半のは、皆で協力するのが良いみたいなことだろう。
しかし、皮肉なことにこの世界もそういう意味ではユウカちゃんの理想を少しだけ満たしていることになる。
誰もが皆、明日を願っていたから。
「社会もあると良いですね。それも皆が笑顔でいられるような」
社会。
久しく聞いていない概念だ。
どんなコミュニティもほんの少しで崩壊してしまうとわたし達は知っている。
「それで、それで……」
ユウカちゃんは流れるように綴っていった。
自らの望む平行世界を。
でもそれは、望んだ世界であって、今いる世界ではない。
痛いぐらいにわかってしまう。
その理想郷は、この世界の真逆の世界だ。
渇望するようにゆっくりと理想を語るユウカちゃんを見て、わたしは決心をした。
やっぱりユウカちゃんはこの世界にいるべきじゃない。
そもそも今回の平行世界間移動装置の実験は、わたしが言い出したことだ。
ユウカちゃんをこの世界から脱出させるために。
平行世界間移動装置で移動できるのは一度に一人だけ。
勿論、残された方も装置を使えば両方が移動できるので、どちらか一方がこの世界に取り残されることはない。
と、ユウカちゃんは思っている。
「ごめんね」
「ん? 何か言いました?」
でもわたしはこの世界に残るつもりだ。
皆が守ったこの世界を、わたしが守れなかったこの世界を。
ここを墓場としないなら、きっとわたしの死に場所はない。
だから───
「───ごめんね、って言ったんだ」
わたしはユウカちゃんの背中を押した。
「……ぅ、あ」
覚醒。
混迷している意識の中でも刻み付けられた本能が叫んでいた。
「ッ!」
素早く立ち上がって周囲を確認する。
ここまで眠り込んでしまったのは久し振りだった。
眠っている間にも世界は刻一刻と進んでいく。
熟睡はディスアドバンテージが大きい。
「……あ、え」
腰のホルスターに伸ばした手が思わず止まった。
全ての思考が停止する。
「どこだ、ここ……!?」
見覚えのない場所だった。
とりあえず眠る前の記憶を探る。
「……そうだ。平行世界間移動装置の起動実験をしていて、それで……」
記憶が蘇る。
思い出したのは、最悪の可能性。
「……ユウカちゃんに返り討ちにされたんだった」
あの時、わたしはユウカちゃんを無理矢理送り出そうと、背後から不意打ちを放った。
が、想像以上にわたしの身体は衰弱していたらしい。
わたしの不意打ちはユウカちゃんを少しよろめかせただけに終わった。
その後、有無を言わせず襲い掛かったのだが、普通に返り討ちにあって、気絶してしまったのだ。
「ということは、ここは平行世界……!?」
それが一番可能性の高いシナリオだった。
ユウカちゃんがわたしを平行世界に送り出したのだ。
改めて周囲を注意深く観察する。
「アビドスだ」
見間違えることはない。
建物の名称こそ違うが、建築されている位置が完全に一致している。
わたしのいた世界とは少しだけ異なっているが、ここはまさしくアビドスだ。
足元の踏みなれた感触の砂がそれを証明してくれる。
「とりあえず移動しないと」
わたしの予想ではここはあまり人の来ない寂れた区域のはず。
人のいる場所を目指してわたしは移動を開始した。
目指すはアビドス高等学校。
恐らくその日は、わたしの二つ目の誕生日にあたるだろう。
平行世界に移動したわたしはアビドス高等学校を目指した。
そこにあったのは、わたしの知るアビドス高等学校だった。
そこにあったのは、日常というかけがえのないものだった。
「誰ですか?」
警戒心たっぷりで言われたその声を聞いた瞬間、わたしは耐え切れずに崩れ落ちた。
ずっと待ち望んでいたのかもしれない。
小鳥遊ホシノが、そこにいた。
この出会いは、偶発的な必然の再会にして、致命的な程に致命的な初会合だった。
あれから突然泣き出して意識を失ったわたしを待っていたのは、尋問という名前の天国だったと言っておこう。
アビドスがある。
学校に人がいる。
ホシノちゃんが生きている。
こんなに嬉しいことはなかった。
だからわたしは決意した。
もう二度とあんなことが起こらないように。
もう誰も苦しまなくて良い世界を作るために。
そして、わたしの人生のチェックポイントとして。
過ごしていく日々を全て、ここに
まず最初にわたしが目指したのは現状の把握だった。
平行世界故に、大体のことはわたしの元いた
でも逆に平行世界故に、細部は違っている。
そこの齟齬はこれから致命傷になりかねない。
ひとまずわたし自身のことについて。
向こうの世界で使っていた身体がそのまま転送されたようだった。
唯一の武器のリボルバーも、汚れて穴だらけになった服も、歳も向こうの世界から引き継いでいる。おかげでホシノちゃんより3つも上だ。まぁ、"先輩"という呼び方には実に新鮮味があって思わず頬が緩んでしまったのだが。
そしてこれが大事なこと。
この世界にも"わたし"は
わたしは本来交わることのない平行世界から来た異物だ。
この世界のオリジナルのわたしだって当然存在しているのだ。
そこにパラドックス云々が生じるのかどうか、なんて細かい話はどうでもいい。
どうせ考えてもわからないのだ。何せ世界初。
アビドスの外についてもどうやら元いた世界との差異はほとんどない様子。
マクロなところでの変化というのはほとんどなかった。
しかし、その"ほとんど"の部分が大問題でもあるのだ。
この世界には"先生"なるものがいる。
先生。
読んで字の如く先生のことだ。ティーチャーだ。
先生は"シャーレ"なる組織のトップみたいな存在らしい。
詳しいことはよくわからないがそのシャーレなるところは超法規的な措置も取れる凄い組織なのだとか。
と、大まかな変化はやはり先生に関することぐらいだった。
ホシノちゃんが3つ下で高校2年生。
もしわたしの世界の通りにこの世界のイベントも進行していくというのなら、時間はあまりない。
カイザーグループによる
わたしは今、ホシノちゃんの家に居候をさせてもらっている。まぁ、同棲のようなものだ。いや、同棲と言っても過言ではないんじゃないだろうか。
つまるところ、居場所がないのである。
そんなわたしに同棲解消の日が迫っている。
先日、わたしはもう一人のわたしと会合を果たした。
こちらの事情を全て洗いざらい話した。
当初は驚いているようだったが、割とすんなり受け入れてもらえた。
ホシノちゃんが『わたしが平行世界から来た民である』ということを信じてくれているのが大きかった。
驚くことなかれ。
この世界のわたしもホシノちゃんに救ってもらっていたのだ。
出自不明は相も変わらず。
そし残念なことにこの世界のわたしは脳味噌が足りていないようで、わたしの事情を学校中に広めてしまったのだ。元々ドッペルゲンガーなどと言われて多少は噂になっていたようだが、それにしてもあんまりの愚行だった。
幸いにして(?)アビドスの学生の数は両手で数えられる程の人数しかいない。当然中には(一方的に)見知った顔ぶれもいる。
全員に秘密を口外しないように約束するのは難しくなかった。
そして恐れていた事態はここで起こる。
わたしを学校に住まわせれば良いのでは、という案が出たのだ。
確かに、アビドスの学校の周りのどこかにこの世界の平行世界移動装置がある可能性は高い。そしてわたしの存在はなるべく秘匿しておきたい。さらにアビドスは教室が腐る程余っている。それでいて掃除要員とかがいると嬉しい。
確かにアビドスを拠点にするのは合理的な判断だ。
でも、でも!
でもだ!
そうするとわたしとホシノちゃんの同棲生活は終わってしまう!
わたしはオブラートに包みながらそれを主張したのだが、もう一人のわたしが怒り狂いながらわたしにアビドス住みを強制させようとしてきて、結果的にわたしの夢の同棲生活は終焉を迎えた。
己もう一人のわたし。なぜわたしの幸せの邪魔をする。
でも、そうなんだよね。
イレギュラーはわたしだ。
生きている皆を見れるだけで幸せの絶頂なのだ。
だから、絶対に守る。
今度こそ。
人生はリセットが効かない。
本当は一度きりしかないんだ。
今回ばかりは絶対に、絶対だ。
カイザーグループによる戦争の発端は、当時の社長と理事長の倫理感の崩壊がトリガーだった。
力をただひたすらに求めた彼らは手始めに、アビドス自治区の暴力的な支配に乗り出した。自治区間の隔意は大きく、互いに不干渉を貫いているところも多い。キヴォトスでも随一の大企業による圧政を止められるものはいなかった。止めようとすることさえ、自らを危険に晒す。
だから、わたしたちは自衛をするしかなかった。
それは言うなれば世界への反逆にも等しい。
矮小な個人が集まって結成された即席レジスタンスとカイザーとの抗争は、結果的に何の成果も挙げられずに終わった。
わたしたちに初めから勝ち目などなかった。
それでもと足掻き続け、見つけた唯一の道。
それがトップを直接倒すことだった。
消耗戦には付き合っていられない。
わたしたちは少数単位で、ただひたすらにトップの首を狙い続けた。
一個中隊がいればその指揮官を。
統治された地があるならその地の責任者を。
そして、多くの犠牲の上にわたしは戦争を推進していた当時のカイザーグループの管理職を倒した。
短期間に上に立つ者が全滅したことでグループは崩壊。
戦いは終結した。
「だから仲間を集めようと思う」
わたしはアビドスの皆にそう言った。
今アビドスにいるのは、わたしの事情を全て知っている人のみ。
わたしはこれから発生するかもしれない戦争への対策を始めることにした。
最初は自分一人で行う予定だったが、ホシノちゃん曰く「アビドス自体に狙われる理由があるなら、どうせ私達も遅かれ早かれ巻き込まれるんじゃないんですか」との正論をもらい、考えを改めた。確かにどうせやるなら人手は多い方が良い。わたしだけではあまりにも世界に対して無力すぎる。
「仲間って、パーティメンバー……的な?」
「いや、どちらかというと
もう一人のわたしの言葉を少し訂正する。
これから作りに行く仲間は、アビドス内の仲間ではない。
「自治区の溝を飛び越えた協力体制を築き上げる」
そもそも元いた世界であんな惨事になったのは、暴走を開始したカイザーグループを他の自治区が無視したことにある。
自治区内のことは自治区内で何とかする。
そういった内政不干渉的な世界の方向性が、手が付けられない怪物を生み出してしまったのだ。
それにいくら"2周目"のわたしがいても、結局のところ個人単位でできることはほとんどない。
根本的に戦争を止めようとするなら、カイザーグループに伍するだけの組織力が必要になるからだ。
「互いに不干渉であることを悪いとは思わない」
自治区間の壁がなければ、今度は自治区外での争いが始まるだけだ。
そんなことはわたしにだってわかっている。
「でも、皆で協力しあえるような社会だったら。
互いに互いの幸せを願えるような世界だったら。
誰もが自分の未来を自分で決められるような環境だったら」
難しいことだ。
実現するのは簡単なことじゃない。
こんなのただの綺麗事で我儘だ。
だけど、そんな世界を。
「そうだったら一番良いなって、きっと誰もが思っているはずだから」
言うは易く行うは難し。
そんなわたしの理想を前にしても、アビドスの皆の士気は高かった。
性根が善性で出来ているのだろう。
でも、ちょっとだけわたしは嘘を付いている。
「チーム名が必要なんじゃない?」
「アイドルっぽくいきましょう☆」
「ん、身近な言葉を入れるべき」
「一応学校の活動ってことにしておく?」
「なるほど~」
「それならちょっとかたっ苦しい感じでも良いかもね」
本当はこうして皆と一緒にいられることが嬉しくって、どうやったらずっとこの場所に浸っていられるのか。それだけしか考えていなかった。自治区外の話だって、こっちの世界に来ているであろうユウカちゃんを捜索するためだ。
わたしの中で何かが満たされていく度に、別のどこかがうずいている。
「……対策委員会ってのは、どうかな」
"ここはわたしの居場所じゃない"、と。
でも、それでもこの場所にいたいって思うのは、わたしの心が弱いからだ。
きっと。
かすれた日記を見付けた。何だか見覚えのあるそれを開いた。
中に記されていたのは、何とも傲慢で矮小で脆弱で、それでいてとびっきり愚かな者の活動記録だった。
デジャヴを感じるまでもない。
その日記の筆者は他ならぬわたしなのだから。
久し振りに見る、もう一生見たくもなかった
皮肉なことに時間もたっぷりある。
ただ、この現実と向き合うモチベーションだけが、ない。
ちょうどよい機会だ。
もう一度、わたしの愚行を綴っていこう。
この日記の最初の方にも書かれているように、わたしはこれから起こりうる戦争を止めるために奔走していた。
でもたかだかわたし一人が頑張ったところでどうにかなる相手ではなかったのだ。
そもそもわたしは頑張ってすらいない。
絆だとか、想いだとか、そんなどうでもいいものにかまけた結果がこれだ。
またわたしは何も守れなかった。
運命付けられているのだろうか。
また最初にホシノちゃんが死んだ時は、言葉が出なかった。
一人、一人と仲間が消えて行って。
とうとうオリジナルのわたしまでもが死んだ際には、もう何を考えていたのかも覚えていない。
それは、ただ決められたシナリオをなぞるように、わたしの手を擦り抜けていく大事な者達を眺めているだけの時間だった。本当に無駄な時間だった。
それでも辛うじて希望だの何だのを愚直にも信じ続けていたわたしへの決め手はやはり、目の前のコイツだろう。
前の世界と全く変わらない様子で、鎮座しているコイツは、またしても全てが終わった後に発見された。
元いた世界との差異はない。
記憶の片隅から引っ張り出して資料をめくっていたわたしは、この平行世界移動装置の内部データをのぞいてみることにした。今回はデジタル系統の損傷が前回よりも薄かった。そのため、周囲のPC群に残っていたデータ量も前回より遥かにに多い。
そこでわたしが目にしたのは、この装置の"重大な欠陥"についてのことだった。
この装置は一度しか使えない消耗品だったのだ。
それが意味するところはつまり。
「ユウカちゃんは、向こうの世界に置き去りってわけだ」
ははっ。
何だよ。
何なんだよ。
「どうしてだよ……!」
何でまたわたしなんだよ。
何でまた残ってるんだよ。
何でまたこんな思いをしなきゃなんないんだよ。
この辺にしておこう。
呟きを書きなぐっても、心の声を直截的に記しても、虚しさが勝つだけだ。
もうわたしのやることは決まっている。
今度こそ。
今度こそ。
何度目かってぐらいだけど、今度ばかりは本当に本当だ。
───絶対にホシノちゃんを死なせない
絶対に、絶対に、絶対に、絶対にだ。
ビリビリに裂いて燃やす手間暇も面倒だけど、想いを綴っておこう。
見られたくないことも書いて、処分しなければいけないようにしておこう。
大好きだよ───
3周目に入ったわたしが行ったのは当然、情報の齟齬がないかの確認。
今度こそは全部わたし一人でやる。
その想いを胸に抱いて動いた。
先生の存在確認。
ホシノちゃんの年齢確認。
オリジナルのわたしを確認。
それから、それから……!
今回はRTAが可能だった。
わたしはアビドス高等学校の情報準備室に侵入し、備え付けのPCから暗号キーを入手。それを用いて学校の地下にある隠し部屋に直行した。平行世界間移動装置を確認。
忌々しくもコイツが全ての鍵だ。
わたしはコイツのデータを集めるだけ集めることにした。
隠し部屋に住まうことで拠点の問題はクリアされた。
装置の情報収集以外の時間を、わたしはカイザーの情報収集に当てた。
そして平行して進めるのはわたし自身の戦力強化だ。
1周目の
これにまずは
その他にも付けたい機能はあるが、最優先はテレポートだ。
理由は語るべくもない。
テレポートが可能になればやれることの幅が大きく広がるからだ。
そうして時を過ごすこと1年。
わたしは技術力の限界に達していた。
わたしの介入がほとんどなかったため、カイザーの動きは
戦争はじきに始まってしまうだろう。
限界までわたしは自分の戦力強化を図ったのは、1周目と同じようにトップを狙うアサシン的手法でケリを付けるためだった。
しかし、わたし自身の戦力強化は目標にまったく届かなかった。
これは一重にわたしの無能さ故のことだろう。
わたしは『皆に協力を仰ぐ』というプランBへの移行を計った。
今度こそ誰の犠牲も出さずに勝つために。
3周目を終えたわたしは
3周目のわたしはできるだけ皆を当事者から遠ざける動きを取ろうとしていた。
しかし、本来のプランAが失敗に終わったため、皆を巻き込むプランBに移行した。
そこで発覚したのが、既に皆は事態に巻き込まれているという現実だった。
既に事態は信仰していた。
どうやら世界は何としてでもホシノちゃんを、みんなを殺したいらしい。
またしてもダメだった。
でも、光明は少しずつだが見えてきた。
いいよ、やってやるよ。
それが世界がわたしに課した宿題だというのなら。
神様なんてのがいるなら、精々楽しむこった。
わたしは、誰が何と言おうとみんなを救う。
みんなが笑顔でいる世界を作る。
守り抜いてやる。
今度こそ。
とうとう法則を理解した。
まず世界は変幻自在のシナリオを描くように流れてく。常時ランダムイベントだ。
だけれども、どの世界でも、どんな行動を取っても通過するイベントが存在する。固定イベントがあるのだ、世界には。運命とか必然とかそういう類いのものだろう。
平行世界間移動装置や、カイザーが引き起こす戦争。アビドスの砂漠化と過疎化などがそれに当たる。そして忌まわしいことに、
誰かが死ななければいけない。カイザーが戦争を始めると必ず誰かが死ぬ。
ホシノちゃんはとびきり死の運命が強いのか、死亡率がダントツで高い。次点でその世界のオリジナルのわたしだ。
誰かの死はとても強烈なイベントだ。それは、世界の方向性を急激に決める。
もっと実際の動きに即して言うと、みんなの覚悟が決まるのだ。
何の犠牲も出ないなんて、そんなものは綺麗事でしかないと。
世界の可能性。
何度も読んだ仮説だ。
世界のどこかに、可能性を纏めるハブ空港のようなものが存在する、と。
どうやら"先生"というのがそれにあたるようだった。
わたしの元いた世界には先生はいなかった。そして、訪れた世界でも先生がいる世界といない世界の両パターンがあった。
先生がいない世界といる世界を比べたとき、いる世界の方が被害が少ないのだ。恐らく、周囲の生徒達の"祈り"を……明日を願う祈りを受け取るからだと思う。
世界の
さて、そろそろ転移が完了する頃だろうか。
やるべきことは身体が覚えている。
まず、この世界のオリジナルのわたしをアビドスから遠ざけること。
わたしなんかがいるからホシノちゃんも、みんなも死ぬんだ。
今回は先生にでも拾わせようか。
リボルバーと連絡用のスマートフォンだけは与えておこう。
そして会社を設立する。カイザーと同志になり、アビドス周りのプロジェクトをカイザーが重要性に気付く前に担当しておく。最近、いつの年代に跳ぶのかも調節できるようになったのが本当に大きい。
少しずつアビドスにはヒントを出して、時期が来たらカイザーに辿り着くようにする。
もう一人のわたしは最終段階で合流させる。アビドスのみんながわたしに思い入れを持つ前に、それでいて知り合いになった後に、殺す。わたしが限界までヘイトを貯めて退場。
そうすれば誰かが死ぬというノルマを最小限のコストで達成できる。先生にも影響を与えればより強く、平和への願いが先生に届くはずだ。一度死人が出れば、本来は死者がほとんど出ない世界でも死人は出るようになる。世界がそういう風に変貌するのだ。平和への願いはそのまま殺傷力の高さに転じる。
これも経験則だが、死人が本来出ないような世界では基本的に武器の殺傷能力が弱く、本気で向かってくるカイザーのトップに太刀打ちできないのだ。赤い世界に染まってしまえば、互いに他害を行い合う世界になれば、そこは対策できる。
後は周回で得た知識を使って、世界の"乱数調整"を行えば完璧だ。
最終的にホシノちゃんとアビドスのそれ以外の面子、オリジナルのわたしの3つを別個に区切ればほとんどミッションはコンプリートだ。
誰かが死なないと、死の運命から逃れられないというのなら。
真っ先に死ぬのはわたしでないといけない。
みんなには例え平行世界の見知らぬ"みんな"であっても、幸せに生きていて欲しいから。
だから、
わたしはわたしを殺さないといけないんだ。
意識が深く沈んでいく。
止まらない。止められない。
どんどんと暗い意識の海の中へ沈んでいく。
ゆっくりと、穏やかに。
「……なぁ、"わたし"」
沈んでいく。
不思議な感触の何かがずっとまとわりついている。
「これが"
沈んでいく。
沈んでいく意識の中で、ニッカはもう一人の自分の記憶を見ていた。
赤く、紅く、朱く。
まるで返り血の様な色のパーカーを着ているもう一人の自分の記憶を。
「馬鹿だろ……!」
こんなものを見せられたら。
見せられてしまったら。
見てしまったのなら。
ニッカの気持ちは決まっていた。
正直、今の自分の肉体が"死"に向かっていることは分かっている。このままだと死ぬ。それはもう覆しようがない。わかっている。
「だけど、」
こんな
「"みんな"を幸せにするってお前は言うけど……その"みんな"の中にお前自身が入ってねぇじゃねぇか!」
ニッカはもがいた。
ここは恐らく、生と死の境界だ。三途の川の類いだ。
そして、浮かぶことなくニッカは死の底に向かっている。
浮かぶことはない。
どれだけ足掻いても、もがいても、この意識世界の中では何も起こらない。
「
もがいて、もがいて、もがいて。
「あと勝ち逃げなんて絶対に許すかよ!!」
ニッカは課金戦士だ。
ソシャゲに自身の誇りと命と比喩抜きの命を懸けている。
勝ち逃げなんて、もっての外だ。
「
死なない。
死にたくない。
死んでたまるか。
まだ生きていたい。
幸せな人生を送りたい。
ウィークリーミッションを消化したい。
次の新規イベントも走ってランキングに乗りたい。
その時、ニッカの中から溢れ出したのは"生"の力だった。決して生きることを諦めない。まだまだ人生には良いことがあるさ、と明日を願う気持ち。生きたいという願い。
この暗い死の海に反発するかのように、この意識の海を照らすように、その純然たる生への想いは光った。
ぎゅっとニッカはそれを掴んだ。
「……くっ、足りない!」
でも、
それでも、
ニッカは無慈悲に沈んでいく。
気合だけで覆せるなら、きっと今頃世界に"死"なんてものはない。
それほどまでに絶対的。
それほどまでに絶望的。
だから、もう一人のニッカも、その
深く、深く。
沈んでいけばいくほど、ニッカはもう一人の自分と強くリンクしていく。
そして、その"ニッカ"という存在の底にそれはあった。
もう一人の自分の一番奥。
一番大事なところに、それはあった。
「これは……」
それは暖かい光を放っていた。
暖かい光が、ニッカの胸の光と繋がる。
その光は、どこか悲しくて、儚くて。
それでいて、とても優しい光だった。
光に触れると、死から遠のいたような気がした。
光に触れると、誰かの想いにも触れた気がした。
「
分かった。
この光は、ずっともう一人のニッカを見守ってきたのだ。
ずっとニッカを心の奥から見守っていた想いだ。
ニッカは光に向かって頷いた。
「任せろ。
二流のバッドエンドなんかわたしが吹き飛ばしてきてやる。
光が「ありがとう」と言った気がした。
ニッカは光を抱きしめると、意識の海を浮上していった。光が、沈んでいくしかないこの世界の理を破壊する。ニッカを現実へと押し上げる。
「意味ねぇリセマラはすぐさま止めてやらないとね」
もう一人の自分の記憶を見たとき、ニッカも同じだけの苦痛を味わった。それでもニッカは折れなかった。
その理由は、至って単純なものだ。
記憶の中では誰もニッカを責めなかった。
どの出来事も、どの結末も、そのどれもがニッカのせいなんかではない。
たったそれだけ。
ただそれを受け止められるかの、そこの単純な違いでしかなかった。
「お前の大事な人は、お前のその綺麗事を信じてくれたんだ。
お前の生き方に賭けてくれたんだ。
お前のことを愛してくれたんだ。
お前だったからこそ、誰もかれも命を賭してお前を守ったんだ!」
それを曲げてしまったら。
大事な人達が愛してくれたその生き方まで曲げてしまうのなら。
誰もかれもをみんな笑顔にするなんて、そんな子供染みた……だけど、叶うのなら一番良い"綺麗事"を目指すことを諦めてしまったのなら。妥協して無理に"大人面"をしているというのなら。
きっとそれは、託された想いへの裏切りに他ならない。
「お前は苦しみを言い訳にして、自分の本音から逃げてるだけだ!」
ここは"ニッカ"の意識の海。
ニッカの叫びに呼応して、自分の感情が満腔の力でニッカを押し潰そうとする。触れられたくない自分に触れられた拒絶反応だ。
しかし、襲い来る感情の奔流は、ニッカの胸の光に弾かれる。
「引くぜ───」
そうだ。
ニッカはソシャゲ廃人だ。
ソシャゲ廃人で重度の課金中毒でもある。
社会的に見ればカスだ。だが、カスにはカスの矜持がある。
「最高のハッピーエンドをッ!」
欲しい
それがソシャゲ廃人だ。
起き上がうとニッカの目の前には、赤いパーカーがあった。
状況はわからない。
けれど、その
「今まで会った中で一番バカな自分だてめぇは……!」
今にも泣きそうな表情をしていた。
「悪いね。ソシャゲやってると脳のリソース喰うもんで」
「この社会不適合者がッ!」
肩をすくめておどけた。
ニッカはゆっくりとホルスターからリボルバーを引き抜いた。
「お前がどれだけ
照準を赤ニッカに向けて合わせた。
「引き当ててやるよ! 全員笑顔のハッピーエンドってやつをッ!」
「ふざけんな!!」
赤ニッカが殺意を滾らせた。咆哮と同時に突進。自分が銃を持っていることすら忘れて、がむしゃらに突撃して来る。だが、赤ニッカがニッカに攻撃するよりも早く、ニッカの指先がトリガーを引いた。
金色の光弾が赤ニッカを吹き飛ばした。
「なんっ、だよ……その力は……!?」
「気付かないのか?」
ニッカの言葉に顔を歪ませて、再度赤ニッカが愚直に突っ込む。ニッカはそれに合わせて金色の光弾を赤ニッカにぶつけた。
「何だその力は……! クソがッ! もっと金を!!」
赤ニッカは思い出したかのようにリボルバーを引き抜く。ひたすらにスロットに金を投入し、バフを盛りに盛った赤い光弾を放った。しかし、その赤い光弾はニッカの金色の光弾に簡単に打ち消される。
「何でだ! 何で
お前なんかに……誰も失ってないお前なんかに……!」
「なぁ、赤ニッカ」
ニッカはリボルバーを降ろした。
銃を降ろすニッカの動きを、赤ニッカは目で追った。
「ひとつ根本的なこと言っていいか?」
「……何だ」
ニッカはさも当然といったような顔で言った。
「
「…………は?」
赤ニッカの顔が困惑で固まる。ニッカと赤ニッカは両方ともニッカだ。それなのに、"別人"。
「だってフレコ違うだろ」
「は」
「ログインIDも違うし持ってるキャラだって違う。おまけに課金量もな。そもそもわたしと赤ニッカは別人なんだよ。おーけー?」
「なに、言って……」
ニッカは証拠と言わんばかりにスマホの画面を見せた。
『レドアカ』の見慣れたホーム画面。全ユーザーが同じこのホーム画面からそれぞれの冒険に旅立っている。だけど、同じホーム画面でもユーザーのカスタマイズによって細部は違う。
きっと、そういうことだ。
「赤ニッカ、お前はわたしのことを自分だからとか何とか言って好き勝手しても良いとか思ってるらしいけどな。こっちからすりゃ大迷惑なんだよ」
ニッカはスマホをしまった。
「わたしの人生はわたしの人生で、この世界の人の人生はこの世界の人のもの。
誰かの幸せを奪わないと守れない幸せなんてクソ喰らえだ。
幸せは誰もが望んで良いもので、誰もに平等に降りかかるもんだろ」
ニッカの言葉に赤ニッカの心が揺れる。
「俺と、お前が、違う……」
赤ニッカはずっと憎んできた。妬んできた。
でもその対象は、幸せに生きる人達じゃなかった。
幸せに生きる自分自身に向けてだった。
なぜなら、"ニッカ"は他人を憎めるような娘じゃないからだ。
元来、他人の幸せを心から祝福できる優しい娘だったから。
だから、逆説的に自分しか憎めなかった。
自分しか責めれなかった。
でも、一度別人だと思えば。
別人だとわかってしまえば。
憎しみも妬みも殺意も、全て消える。
赤ニッカの中から黒い感情が消えていく。
たったそれだけだったのだ。
心の奥底から、憎しみで蓋をされた本音が溢れる。
「もう一度、目指していいのかな」
「もう誰も死ななくて良い世界」
「みんなが笑顔でいれる世界を」
「もう誰も理不尽に奪われることのない世界を」
「みんながっ、誰もが笑顔でいれる、子供みたいな理想を!」
─────うん、いいよ
その声は、胸の奥から聞こえてきた。
そんな気がした。
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