頭とまぶたが重い。良く考えれば昨夜は一睡もしていない。コクコクと首を傾けながら、タクシーの中で時間を過ごす。どのぐらい経ったんだ? 外はもう日が昇って、人もチラホラと見えるようになってきたな。
ボケた頭でそんなことを考えていると、タクシーが急ブレーキをかけて停止する。
「ぶへっ……!?」
そんなことを全く予期してなかった俺は、思いっきり前の座席に顔面をぶつける。鼻が潰れてジンジンとした痛みが広がり、眠気は一気に吹き飛んだ。最悪の目覚め……早速不幸だ。
「申し訳ございません、急に猫が……お客様、到着致しました」
そう言った運転手を尻目に、俺は窓から外を見る。そこには白くて耳の長い、猫のようなものが、赤い瞳でこっちをずっと凝視していた。
あれ……猫なのか? 俺の知ってる猫とは随分違うんだが。
などと考えていると、その猫? は草むらへと消えていき、そのまま顔を出すことはなかった。ろくに休憩できなかったと思いながら、俺は後部座席から腰を上げる。
「では、失礼致します」
「ありがとう……ここが見滝原市か」
車から降りた俺は、去っていくタクシーを見送りながら、朝日に照らされた町を見渡す。学園都市ほどじゃないが、それなりに発達した街らしい。自然の中に、高層ビルや学校などの施設が並んでいる。外には通勤を始めるサラリーマンや、洗濯をする主婦、集団登校中の小学生など、何も変わらないごく一般的な日常の光景が広がっている。
「にしても、こーんな平和そうなところに、地球外の魔術とやらがホントにあるのかねぇ……どぉわっ!?」
「きゃあっ!?」
欠伸をしながら周りを見渡していると、前から突然女の子がぶつかってきた。俺はドスンと尻もちをつき、その上にその子が覆い被さる形で倒れ込む。俺にまたがるその子は、ピンク色の髪をサイドのリボンで束ねた年下っぽそうな子だった。
小さいな……ビリビリと同じくらいの年齢か?
そんなことを考えながら、ぼーっと見つめていると、彼女はゆっくりと目を開ける。
「あわわわ……! ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 私全然前見てなくてて……!」
そして状況を把握したのか、顔を真っ赤にして慌てふためきながら立ち上がり、ペコペコと激しく頭を下げ始める。
「お、お怪我はありませんか?」
そう言いながら、彼女は俺に手を差し伸べる。
「あ、ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと尻もち着いただけだし。自分で立ち上がれるよ」
流石に自分より年下の、それも女の子に支えられながら立つのは恥ずかしい。そう思いながら、ゆっくりと立ち上がる。
パキッ……。
ん……? 今パキッ……て?
「そ、そうですか……よかったぁ」
なんだか不穏な音を聞いたが、そんなことは知らない彼女はホッと胸を撫で下ろす。そして、何かを思い出したかのようにまた慌てだした。
「も、もうこんな時間! あ、あの……こちらからぶつかったのに申し訳ないんですが、私、学校遅れちゃうのでそろそろ失礼します!」
「あ、ああ。次から気をつけるんだぞ」
そう言って名も知らぬ彼女は、俺に何度も頭を下げた後、すごい速さでどこかへ行ってしまった。なんか、ずっとバタバタした子だったな。
「……よし、俺もそろそろ調査を始めるか」
一連の流れで完全に目が覚めた俺は、早速今回の件について調べようと、とりあえず携帯の入ったポケットを漁る。
「……ん?」
するとポケットからはジャラジャラとした、ガラクタのような感触があった。
「おかしいな……ここには携帯しか入れてないはず……なっ!?」
ポケットから取り出した、ガラクタらしき感触のものを確認して、俺はショックを受けた。画面はバキバキに割れており、パーツがあちこちに飛んでいる。極めつけに真逆に折れ曲がった悲惨な姿のそれは、たった今ガラクタに成り下がった俺の携帯だったのだ。
まさか、立ち上がった時に鳴った不穏な音って……。
「……ふ……ふ……不幸だあああ────ーっ!!!!」
☥
時刻は夕方、不慮の事故で携帯電話を失った
「収穫なしか……まあそうだよなー」
見滝原市で魔術が表沙汰になってない以上地球外の魔術なんてものの情報が簡単に手に入る訳がなかった。疲れた俺は、近くにあったショッピングモールのフードコートで、なけなしの金を使ってハンバーガーセットを頼み、これからどうするかを模索しているところだった。
しかし、策など出てくる訳もなく、いたずらに時間だけが過ぎていく。どうしたもんかね、と頭を悩ませていると、俺の前の道にポロッとハンカチが落ちるのを目撃した。その前には、長い黒髪の、今朝出会った子と同い年ぐらいの女の子がいた。あの子が落としたのかな、と思った俺は、声をかけることにした。
「あ、あの……!」
「やはりダメよ……あの子を近づける訳には……」
しかしその子は、考え事をしているせいで声が届かないのか、何かをブツブツ呟きながら足早に去っていく。
このままでは見失うと感じた俺は、彼女の元へ駆け寄ることにした。そして、彼女を引き止めようと
「な……!?」
触れた瞬間、微かに感じた違和感。しかし、この違和感を俺は知っている。
「誰!? 何をしたの!?」
右手にばかり気を取られていた俺に、前から怒号が飛んでくる。彼女も何かを感じたのか、鬼のような形相でこちらを睨んできた。今にも襲いかかってきそうだ。
だが、こんな人目に付くところで暴れる訳には行かない。それは彼女だってそうなはずだ。でなければ、俺が触れた時点で襲いかかってきてもおかしくはない。
「い、いや……君がハンカチを落としたから。声掛けたんだけど、気づいてなかったみたいだからさ……」
「そう……」
今は相手の数も、個人の戦力も分からない。分からない以上穏便に事を済ませる他選択肢はなかった。俺は異変を悟られないために、あえてハンカチを
彼女はおそるおそると言った感じで、俺の左手に添えられたハンカチに手を触れる。そして何も無いと判断したのか、手早くハンカチをポケットにしまい、俺に背を向ける。
「ありがとう……」
一言のお礼を残し、彼女はすぐにここを離れていってしまった。
このままサヨナラと行きたいところだけど、こっちもそういう訳には行かない。何一つ見えなかった暗闇の中で、少しだけ見えた解決の糸口。それは、俺の異能、【
俺は、それだけを頼りに黒髪の少女の動向を探ることとした。
☥
「話って何?」
私たちがよく遊ぶハンバーガーショップで、私【鹿目まどか】は、黒髪の転校生【暁美ほむら】ちゃんと話をすることにした。
「あ、あのね、さやかちゃんのこと……なんだけど……」
それは、親友の【美樹さやか】ちゃんのこと、そしてさやかちゃんを取り巻く【魔法少女】のこと。私はこの数日間でたくさんのものを見てきた。私の知らないこと、夢に描いてきたこと、そして……見たくなかった現実も。
「【巴マミ】のこと、まだ責任を感じてるの?」
「それは……」
口を噤んだ私に、ほむらちゃんが声をかける。巴マミさん……その名前を聞く度に、あの日の嫌な記憶が蘇る。見たくなかった現実……それはマミさんが死んでしまったこと、いや、魔女によって殺されてしまったこと。マミさんは、魔女と戦う魔法少女だった。今までたった1人で、見滝原市の平和を守ってきた。私も、そんなマミさんに憧れて魔法少女になりたいと思った。
でも、目の前でマミさんの死を目の当たりにした時、その気持ちに澱みが生まれた。心のどこかで
それから何度もマミさんの部屋を訪れたけど、もぬけの殻となったリビングを見る度、心が酷く痛む。私みたいな足でまといがいなければ、あの人はもう少しまともな未来を歩めたのではないか、私の言った無責任な言葉が彼女を死に追いやったのではないか、と。
「前も話したでしょう? 魔法少女になったら、明るい未来なんて待っていない。先にあるのは報われない戦いと、残酷な結末だけだ、って。だからあなたが責任を感じる必要は無いのよ。あれが彼女の運命だったのだから」
「そんな……」
ほむらちゃんは一息つくかのようにコーヒーを飲む。涙を流す私に、彼女は言葉を投げかける。
「それで、美樹さやかがどうしたのかしら?」
その言葉でハッと我に返る。私がほむらちゃんに伝えたかったこと。それは魔法少女となったさやかちゃんのこと。あの子は優しくて、勇気があって、困ってる人がいたら頑張りすぎちゃう人だってこと。自分じゃもう、さやかちゃんの力になってあげられないこと。ほむらちゃんに、さやかちゃんと仲良くしてあげて欲しいこと。魔女をやっつける時も、みんなで手を取り合って戦って欲しいこと。
上手く言葉で表せたのかは分からない。ほむらちゃんが全部真剣に聞いてくれたのかも分からない。でも、これは同じ魔法少女であるほむらちゃんにしかお願いできないことだった。さやかちゃんは平気だって言ってるけど、もしまたマミさんみたいなことが起きたら、私はもう……耐えられないから。
「私は嘘はつきたくないし。出来もしない約束もしたくない」
でも、私の言葉に対するほむらちゃんの返事は……。
「だから、美樹さやかのことは諦めて」
あまりにも、冷たかった。
「あの子は契約すべきじゃなかった。あなただけでなく、彼女もきちんと監視しておくべきだった」
「なら……」
「でも、責任を認めた上で言わせてもらうわ。今となってはどうやっても償いきれないミスなの」
死んでしまった人が帰ってこないのと同じことよ。
その後の言葉は、もうよく分からなかった。辛くて、辛くて、涙が止まらなかった。結局何も解決しないまま、ほむらちゃんは店を後にしてしまった。
「どうしてなの……」
人のいない店の中、すすり泣く私の声だけが響き渡る。辛い辛い現実に体が引き裂かれそうだった。
「あのー……」
自分の嗚咽で周りの音が遮断されていたせいか、突然隣から聞こえてきた声に、私は驚いた。
「君、朝の時の子だよな? そんなに泣いて、どうしちまったんだ?」
「あ、あなたは……!」
そこに居たのは、今朝ぶつかって迷惑をかけた1人の男の子だった。
☥
沈む夕日を背に、私、暁美ほむらは帰路に着く。私は今日、助けを求めに来た鹿目まどかの手を振り払うことしか出来なかった。彼女は泣いていた。それを見るのはあまり辛く、彼女の前から消えることしか今の私にはできなかった。
「それよりも……」
鹿目まどかと会う前、フードコートで出会ったあの男……あの男の手が私に触れた瞬間、私の魔力探知が全てシャットアウトされた。彼は一体何者なのか……現世に具現化した魔女の手先なのか、ヤツがまた新しい何かを作り出したのか、はたまた偶然か。今までとは明らかに違う経過に、私は少し戸惑っていた。
「調べる必要があるわね……」
これは、新たな悩みの種か、希望の前兆かを。