ステラエモルク   作:朝神佑来

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覚醒・後編

 

 「どうだった」

 

 りん、しゃんと鈴が鳴った。

 

 「摂理(かみ)に挑んだ感想は」

 

 その鈴の音は、男の背後に立つ少女の喉から鳴っていた。

 

 「……くそくらえだ」

 

 萎びた若草のごとき緑髪を頭に被った男は、膝から崩れた姿勢のまま、立ち上がろうともせず前を見つめていた。

 大昔に役目を終え、そのまま打ち捨てられた石積みの監視塔。植物の根が絡みつくその塔の頂上。

 緑髪の男と、青いドレスを纏った金髪の少女が二人、目の前に広がる山脈の岩肌を同じように見つめながら、意思の交わらぬ言葉を交わす。

 

 「僕は貴女に従った。貴女が寄越したすべてを彼女に与えた。真っ赤な丸薬も、真っ青な飴も、等しく彼女は口にしてくれたんだ」

 

 「精錬された純魔石の塊だ。不純物を極限まで取り除けば、粘膜から神気を摂取できるようになる」

 

 「その内に歩き出した。言葉も話した。植物のような彼女が、また笑顔を見せてくれるようになった……」

 

 「大抵は魔物に変質するが、ごく稀に、人間の形を保ったまま置換が進む者もいる。ボクの見立ては正しく、そして治療は順調だったわけだ」

 

 ふ、と男は鼻でため息をつく。

 

 「そのざまが、あれか」

 

 少女はわずかな感情の色すら浮かべないまま、答える。

 

 「次はうまくいく」

 

 「……次? 次、だと?」

 

 「彼女というモデルケースのおかげで、ボクらはまた先へと進むことができる。教皇院の医術はめざましい速度で発展を続けている」

 

 少女がスカートを少しだけ持ち上げると、その内側からころんと硬く丸い鉱石が転がり落ちた。

 それを右手で拾い上げ、鉱石の青色を空に重ね、細い指の小さな手がそれを握りつぶす。

 ぐちゃりと卵の潰れたような音がして、ぼたりぼたりと垂れ落ちる粘度の高い雫を左手で受け止める。

 

 ぱん、と少女の両手が重なり、離れ、重なり、離れを繰り返し。

 こねられ続けた半固体の液体は、やがて彼女の両手の上で球を保ったまま動かなくなり、少女はそれを男に差し出した。

 

 「爪や髪、角質のかけらに至るまで、保存しておけと伝えたはずだが」

 

 「…………それが、どうし」

 

 「入れろ。早く」

 

 男は白衣の内側から封筒を取り出し、その中身を、青い球の粘土へと押し込む。

 破裂したように暴れ回る球は、やがて人の形を作り始める。そうして時間をかけて、再び現れた彼の娘は、少女の腕の中でじっと眠っていた。

 

 「…………これ、は」

 

 「目的に至る道筋を変えよう、エラン。……ヒトは一度死ねば終わりかい? 一度失敗すれば終わりかい? 少なくとも、ヒトを設計した神はそう思って創ったようだが――ボクらは違う」

 

 生まれたばかりの彼女の顔を、慈愛に満ちた顔で見つめながら少女は言う。

 慈悲深く、あたたかく、まっすぐに、(エモルク)を冒涜する。

 

 「ヒトの体にはな、エラン。髪の毛の一本、肉の欠片に至るまで、『その者』の設計図が満ちているんだ。器さえ用意できれば、何度だってヒトはやり直せる」

 

 彼女が目を覚ますことはない。意思のない人形に、自我は芽生えない。

 だからこそと少女は男を見る。そして、微笑む。

 

 

 「リコリスは死なないよ。お前が諦めない限り」

 

 

 リコリスを目覚めさせること。依然変わりなく、それがお前のすべきことなのだと。

 

 ――ふざけるなと、エランは心の内に叫ぶ。

 彼女は死んだ。お前のせいで化け物になって殺されたんだ。再び現れたそれを娘と呼べるものか。

 けれどその激情を、だが、と圧し留める理性と知性が、エランにはあった。

 その選択をしたのは僕自身だ。目を覚まさなくなった彼女の前に現れたこの女性の手にすがったのは、僕だ。

 

 脆弱な人の体を、神気を宿すことで強靭なものへと進化させる。

 そして母から受け継いだ脆弱な肉体を、新たに作り直す、産まれ直させることの、何が。

 何が、違うのだと。僕がかつて選んだことと、これから選び取る選択に、何の違いがあるのかと。

 

 崩れた膝を引きずって、全身を震わせながら、エラン・ニュートレンツは頭を垂れる。

 太陽のような金髪と、空のような碧眼と青いドレスの少女に、その心を捧ぐ。

 大地ではなく、空を仰ぐ。

 

 「さあ、もう一度だ。再び、摂理を敵に回す覚悟はあるかい?」

 

 「…………」

 

 にぶく青色に光る空間のひずみが少女の背後に現れる。それに身を投じてたどり着く先を、少女だけが知っている。

 エランはゆっくりと立ち上がると、そのひずみの向こう側を見つめながら、彼女の問いかけに答えた。

 

 「それが――エリスとこの子に、報いる道であるのなら」

 

 

 「僕は永久に、すべてを裏切るとしても、構いません。ヴィンセファール法王猊下」

 

 

 *

 

 

 夢を見た。

 

 (あたし)が世界に受け入れられて、みんなと家族として過ごしている夢だった。

 トーリ・ノウェルグレイとして、三人の兄姉と母と一緒に、五人で暮らす夢だった。

 末の妹として、女の子として、可愛らしい服に身を包み、二人の兄にも姉にも愛でられて、心底幸せそうに笑う夢だった。

 

 テンセイ人としてではなく。ひとりの、ただの女の子として生まれてこれたなら、どんなによかっただろうかと。

 夢の中で、どうしてか泣き出しそうになっている(あたし)の意識を、目を覚ましていく現実の(おれ)が奪っていった。

 

 

 目を覚ますと真夜中だった。布団を除けて体を起こすと、窓から月明かりが射しこんでいた。

 普段なら眠りこけている時間に目が覚めたのは、先ほど見た朧げな夢の内容と、理由のない胸騒ぎのせいだろうか。

 

 意識がはっきりしていくにつれ、ざわざわとした胸騒ぎが左腕に移動していく。

 覚えのある感覚。ベッドから降りて両の脚で立ったとき、それは形となって俺の左腕を包み、暗い室内を灰色の光で照らした。

 

 「っ……!?」

 

 今までに感じたことのない、おぞましく強い神気の気配に身の毛がよだち、思わず右手で左腕を抱き寄せた。

 何だ? 何を感じているんだ、俺は? その感覚の正体は、どこにあるんだ――地中に隠れた魔物を探すときと同じように、俺は炎が示す神気の方角を探る。

 窓の外。どこまで先かもわからないほど、遥か向こう。月明かりに照らされたイスガトの街並みに目を向けた瞬間、大きな馬のいななきが俺の耳を突き刺した。

 

 「~~~~~っ……!! ぃ、いまの声、まさか……!?」

 

 窓の下を見下ろす。だかだかと足で地面を叩き、せわしない様子でくるくると歩き回るヨカニセが、そこに居た。

 

 ガラハの剣を手に取り、炎を纏った左腕と一緒にそれを抱きしめながら、着の身着のままに酒場を飛び出す。

 ヨカニセに起こされたらしい一階の人たち数人に頭を下げつつ外に出て、素足で地面を踏みながらヨカニセのもとまで駆け寄った。

 

 「……ヨカニセ、お前、どうしてここに……」

 

 俺の顔を見た瞬間に、ヨカニセはさっきまでの焦燥が嘘のように落ち着き払って、俺の目の前で足を畳んだ。

 俺に動物の言葉はわからない。ヨカニセがどういう意図で、どうして俺の元に来たのか、まるでわからない。……わからないが。

 落ち着いているヨカニセが、足を畳んで背中を下げている。さっきまでの焦りを押し殺して、俺の目の前で。

 

 左腕に溢れ出る炎と、突き刺すような神気の気配。

 帰ってきていないフィサリス。……ゼフィール、ロヴィミア。

 

 

 ――『テンセイ人が現れるということは、古い神の目覚めが近いという報せでもある』

 ――『タハ森林の奥地は、テンシュラクという名の古い神が、討伐された地です』

 

 

 頭によぎる姉の言葉を必死で思い出す。心に生まれた最悪の確信に、俺はヨカニセの大きな目を見つめた。

 

 「向かえ……ってのか? ……俺に」

 

 ヨカニセは答えない。ただ頭を下げたまま、立ち上がろうとしない。

 

 「俺が……俺が行ってどうなるんだよ……!? 小娘ひとり、神に挑んで何になる……食われて、エサになって、お終いだろ……!!」

 

 必死で首を横に振り、その行いが無意味であると訴える。俺は何かを変えられるような、強い力を持っているわけじゃない。

 左腕の炎だってそうだ、神殺しなんてあまりにも仰々しい。魔物退治くらいにしか役に立たない。何の意味もない。そうだ、意味がない。

 ガラハとは違う。あの冒険者たちとは違う。彼らは、意味を残して死んでいった。この街とそこに住む人たちをひとりでも多く助けた。

 俺を……助けた。けれど俺には、俺の死には、誰を助ける力もない。

 

 「……だから…………」

 

 俺は無意味に死んだんだ。あの日あの時、あまりにも呆気なく、ぱたりと倒れて死んだ。無様で馬鹿みたいな、ありふれた死にざまだった。

 俺はそんな奴なんだ。今更こんな力を得たって、そしてもう一度手に入れた命をかけたって、何もできやしない。無力な、小娘だ。

 

 ……わかっている。わかっている筈なのに。

 

 

 「~~~~っ……“フィセット”…………“イクス”ッ!!」

 

 俺は、その馬の背によじ登り。

 姉に習った魔術語と、姉に教わった魔術でもって、俺自身の体を馬の背に固定する。片腕で剣を、片腕でヨカニセの首を抱き。

 四本の足が立ち上がり、周りの景色がほんのわずかに低くなり――ヨカニセは、駆け出した。

 家族が戦っている、その場所へ向けて。疾風よりも速く街を抜け、草原を駆け抜けた。

 

 「わかってる……わかってんだよ……俺がなんにもできないってことは……!!」

 

 風を受けながら、自分に言い聞かせ続ける。

 それでも、それでも体が動いたその理由。頭の片隅に残る、あいつが最後に見せた取り繕った顔。

 俺は。

 

 「でも――でも、それでも――!! なんか……何か!!」

 

 享受するだけじゃない。助けられるだけじゃない。ここに生まれて、ここに生きているのなら。

 

 「なんか、しなくっちゃあさあ――!!! 生きてる意味が、無えじゃんかよぉ……っっ!!!」

 

 ヨカニセは駆ける、家族と過ごしたその場所へ。

 月明かりの下、吹きすさぶ風すらも追い抜いて、ただ前へ。

 末の妹を、決戦へと届けるために。

 

 

 *

 

 

 湖から溢れ出る、母親の肉体から千切れた無数の魔物たち。

 それらを殺した数は既に百や二百を下らない。魔物が死ぬ度、古い神の神気が結界内に充満し、濃度を増していく。

 地面に叩きつけられる腕や突き刺さった羽の骨を駆けあがり、黒い外殻のドレスに刻み込んだ斬撃も数知れず。

 

 結界からにじみ出る聖神気も薄まり、肉体と精神の両方が傷を負い、浸食されながら。

 ノウェルグレイの家族たちは、尚も膝を折ることはなかった。

 

 テンシュラクは歌うように両腕を広げ、無数の指で空を撫ぜる。結界の内に閉じ込められた空が、青い星空へと変わる。

 そして再び、湖から無数の魔物がずるりと現れる。眼球の頭と視神経の体を持った、虫のように這う巨大な魔物たち。

 森の奥からは古い神の神気にあてられ、より狂暴になったボーパルウサギたちが湖へと集った。

 

 「ロヴィミア!! ザコの気を散らせ!! ここからは大物だけを狙うッ!!」

 

 「――――ッ!!」

 

 血とともに吐き出される母の声。霧散し、食い散らされそうな意識を集わせ、ロヴィミアは自らが修めた剣術の奥義を試みる。

 

 「ゼフィールはロヴィミアを守れ!! フィサリスッ!!!」

 

 数秒の隙を晒す妹のもとへと駆けるゼフィール。そして長兄は、名を呼ばれただけで母の意を察した。

 眼球の魔物が伸ばす視神経の腕が、ロヴィミアの体を突き刺さんと迫り――ゼフィールが振るった短剣の刃が、それを受け止め、流す。

 

 「滑進、奥義――!! “滑撃”ッ!!!」

 

 受け流された腕は勢いを保ったまま反転し、自らの頭、眼球を突き刺す。

 集い、襲い掛かる魔物たちが一様に自らの腕で自らを突き刺し、絶命していくと同時に。

 

 「流眼、奥義――」

 

 筋肉が歪に膨れ上がり、肥大した肉体のボーパルウサギたちが向ける敵意。

 その流れが断たれ、真逆の方向へと歪められていく。

 

 「“流”……“断”ッ!!」

 

 ウサギたちは体を翻し、外敵ではなく同族へ、その殺意を向け始める。

 湖から這い出る魔物たちも同様に、一斉に争いを始め――それらを薙ぎ払いながら、テンシュラクへ向けて二つの赤い筋が走った。

 

 左右に散って飛び上がった二つの赤へ、テンシュラクは創り出した星空から無数の瞬きを注ぎ落とす。

 流星、彗星、熱を纏った無数の岩石。人の身でそれを受け止めれば容易く四散する物体たちの間を、両者は駆けた。

 それらを足蹴にし、渡り走り、空を駆けた。

 

 「――“閃斬”、奥義」

 

 フィサリスは降り注ぐ岩石のひとつを脚で受け止め、それが持つ速度とは真逆の方向からそれを踏みしめた。

 同時にガルベラは空中に身を投じ、鞘に収まった剣に手をそえて、構える。

 

 狙い定めるは、虚空の頭部の直下。現実に現れている肉体とそれを繋ぐ、首。

 

 

 「“閃突”ッッ!!!!」

 

 

 きん――と刃が鞘に収まる音だけが響く。一方からは一点へ貫き穿つ一撃、もう一方からは不可避の斬撃たち。

 どぷり、と神の首から澄んだ青色の血液が溢れ出す。体を丸め、両腕で首を押さえるテンシュラク。

 それらは確かに、神の体に傷をつけた。しかし、届いた刃は更なる禍をそこに顕す。即ち。

 

 流れ落ちた血液は、ぼたぼたと湖と地面に流れ落ちて。

 結界に残されたわずかな聖神気、そのすべてを喰らい尽くし、新たに満ちる神気と化した。

 

 「フィス――!?」

 「っ母さん!!!」

 

 どちゃりと、二つの赤は木々の間へ力なく落下する。

 全力を使い果たした両者の肉体と精神は、高濃度の神気に晒されたことで、限界を迎えていた。

 揃って地面に赤い血を吐き出し、ぐらつく体を気力のみで支え、失った視力もそのままにテンシュラクに刃を向ける。

 

 「っ……はは……痛ぇか、テンシュラク……!! なァ!!!」

 

 金色の刃が閃き、木々の幹を両断して薙ぎ倒した。

 血涙と血反吐を垂れ流しながら、ガルベラは笑う。

 

 「楽しいなァ!!! なァ、てめえもそうだろ!!? こんな程度でくたばるようなタマじゃねえよな、てめえはさァッ!!!」

 

 フィサリスは限界を超える気力でもって立ち続ける。ガルベラは狂気でもって剣を向ける。

 喉をかきむしり、血液にまみれた両腕を広げ、さらに神気を散らさんと試みるテンシュラクの動きに対し、ゼフィールは魔眼を開いた。

 

 「づ――ッッ!! っがぁぁぁあああああぁ!!!」

 

 広がる神気を逸らし、わずかでも浸食から家族を守ろうと試みる彼に向け、その足掻きが癪に障るとテンシュラクは広げた手を虫を潰すように振り下ろす。

 それが接触し、潰れ、散る瞬間は訪れることなく――その巨大な手のひらすら、ゼフィールは受け止めた。

 

 「“滑”ッ!! “撃”ッッ!!!」

 

 腕を振り下ろす、その動作に込められた全力が、自らの手と腕にはね返り、ぱんとテンシュラクの腕が破裂する。

 そして再び溢れ出す、古い神の神気。二度目の魔眼は発動できず、ゼフィールはその場にがくりと膝をつく。

 

 「ゼフ兄っ!! っっ…………!!」

 

 共食いを終えた魔物たちは次の獲物を求め、湖へと集い、新たに生まれる魔物たちに食い荒らされる。

 ただ一人正面から古い神を見据えるロヴィミアは、呼吸を整えて槍を構え、歯を食いしばりながらテンシュラクの意識の流れを視た。

 次に来る一手は何か。それに対する最適な動きは何か。聖剣の光を確実に叩き込める程の、決定的な隙を晒す瞬間は、いつか。

 

 ――ノウェルグレイ流柔剣術の技がひとつ、『流眼』は、生きとし生ける者の意識の流れを視る。

 自らの心を凪と変え、流れ込んでくる水面の動きを読み取り、見つけ出した虚を突くことが流眼の力。

 

 意思を持つのは、神であっても例外なく。

 けれど。

 

 

 「…………え?」

 

 

 この瞬間、ロヴィミアが観測した意識は、古い神のものと、もう一つ。

 背後からここへ向かって駆け寄る最中にある、誰かの意識。

 

 「……待っ――!! 駄目っ!!」

 

 振り返りながら感じたのは、テンシュラクの思い。テンシュラクの歓喜。

 古い神はすでに自分たちを見てなどいない。たった今ここへと到着した、彼女しか見ていなかった。

 

 絶望とともにロヴィミアが見たのは、末妹の姿。

 見開いた目で神を見上げる、少女の顔。

 

 澄んだ深い青色の瞳が、テンシュラクの虚空を映していた。

 

 

 *

 

 

 見上げた先で、女性が笑っていた。

 

 嬉しそうに、楽しそうに、指をさして笑っていた。

 

 (ああ、俺)

 

 指の先が、きらりと瞬いたのを見た瞬間。

 

 (やっぱり、死ぬのか)

 

 そう、悟った。

 

 

 ……ヨカニセの背から降りて、駆けて。

 あの時みたいに、背の低い葉っぱや枝に引っかかれながら、駆け抜けて。

 そして結局、俺は死ぬ。わかってただろうに、何で来たんだろうな。

 

 (ふざけんなよ、どいつも、こいつも)

 

 (俺を置いて、さっさと死にに行きやがって)

 

 何で。何でって、そりゃあ。じっとしていたくなかったからだ。

 何もしないで、日々を生きて、飯を食って、寝てを繰り返す。他のことを忘れていきながら、これから先、ずっとそうなる。

 

 それじゃあ駄目だろ、森田洋介。それじゃあ結局、死ぬ前となんにも変わってねえ。

 お前は、死んでも、変わらねえ。だからお前は、駄目だったんだろ。

 

 (でも今、今一番、いちばん、ふざけてんのは)

 

 だったらどうする。今、お前はどうする。どうしたくて、ここに来た?

 そりゃあ――。

 

 

 『もっと本気で生きるんだ!! 俺達の人生は、これからだろ!!』

 

 

 今ある『今』を今、もっと本気で生き抜くためだと結論付けた瞬間に。

 いつか読んだ小説の、主人公の声が聞こえた気がした。

 

 

 「――ざけんじゃねえぞッ!!! テンシュラクッッ!!!!」

 

 

 左腕を、テンシュラクに向けて突き出す。

 俺の心の内から溢れ出した灰色の炎が、堰を切ったように溢れ出す。

 テンシュラクの指の先から放たれた光は、俺に届くよりも先に灰色の炎に飲み込まれ、消え失せた。

 

 「な――――っ」

 

 「俺の――ッ!! 俺の家族に、何してんだクソ野郎ォォォオオッ!!!」

 

 炎は尚も溢れ続け、テンシュラクの全身を炙り、結界の内に満ちた神気を残らず焼き尽くしていった。

 空気に散った神気は焼いた。だが地面にはまだ、クソったれの魔物たちと神気が残っている。――なら。

 

 溢れる炎を圧し留め、左手を強く握りしめて、地面を殴る。

 再び放った炎は、拳と接した部分から地面に浸透していき、油に引火するように魔物もろとも残る神気に火を灯していった。

 

 「はぁ――っ!! はぁぁ――っっ!!!」

 

 体がふらつき、片膝をつく。抱き留めてくれたのは姉。駆け寄ってきてくれたのは兄。

 みんな体が傷だらけだった。ゼフ兄さんに至っては、治ったばっかの両目がまた血まみれだった。

 

 「トーリ、トーリっ!! 馬鹿、馬鹿、馬鹿っっ!! どうして――どうして来ちゃったんですか……!!!」

 

 強く強く体を抱きしめられ、揺さぶられながら怒られる。スカートまくった時より、ずっと怒られている。

 全身に灯った炎に悶え苦しむテンシュラクをほくそ笑んで眺めながら、疲労感に満ちた体を姉に預けた。

 

 「これは……神殺しの力か……!? 一万年前のテンセイ人と同じ、神気を殺す……!! っ、トーリ、ひっぱたいてやりたい気持ちも山々だが、ありがとうっ……!!」 

 

 俺の炎に全身を包まれながら、ゼフィールは眼球から溢れる血を袖で拭って前を向いた。

 ロヴィミアも同じく、炎を纏ったまま俺を抱きしめる。そして涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺を見て、ゆっくりと体を離した。

 

 俺の炎に、熱は無い。神気だけを焼く炎は、人の体を浸食する神気も焼き尽くし――浄化してみせるようだった。

 そしてその炎を、俺は結界内にぶちまけた。ならば神気の浸食という負担が失われたのは、この二人だけではなく。

 

 

 ――ひゅう、と風を切る音がして。

 悶えるテンシュラクの両腕が、ずるりと()()()、滑り落ちた。

 

 

 「……おい、トーリ」

 

 声がした方を見る。

 みんなと同じく、顔中血まみれの母さんがいた。

 

 「てめえ、何しに来やがった。……何で……来やがった」

 

 右手に持った金色の刀が、きらきらと輝いていた。

 

 「俺は――トーリ・ノウェルグレイだ。俺だって」

 

 

 「……俺だって、ノウェルグレイだ!!」

 

 

 母さんは、くしゃりと笑った。

 泣き出しそうなのを、笑顔でごまかしているような顔だった。

 

 「トーリ!! ……みんなっ!!」

 

 ざくざくと激しい足音と一緒に、フィサリスが走り寄る。

 兄もボロボロだった。鎧も傷だらけで、赤い髪が赤い血で汚れていた。

 

 「無事か、怪我は!? 浸食の具合は……!?」

 

 「落ち着け、フィサリス。全員両の脚で立って喋ってんだ、それで十分だろ」

 

 長兄が、四人の中で一番焦っていた。いや、五人か。

 全身を包む炎に悶え苦しむテンシュラクは、それでもおぞましい憎悪と殺意を俺達に向けていた。断たれた両腕の切断面からずるりと無数の黒い触手が突き出して、次の攻撃の用意を既に整えている様子だった。

 

 「フィサリス!! ゼフィール、ロヴィミア!!!」

 

 母は三人の子の名を呼ぶ。子は名を呼ばれただけで意を察し、うねり、暴れる触手の両腕に飛び乗っていった。

 俺の炎により消耗しているテンシュラクと、浸食が消えて本来の調子を取り戻した家族たち。

 あとはもう、見届けるだけで終わりそうな戦いだ。だが。

 

 すらりと、抱きしめていた剣を鞘から引き抜いて。

 白銀の刃を神に向け、構える。

 

 「トーリ」

 

 ぽん、と肩に手を乗せられる。

 固く大きなしわくちゃの手。

 

 「利き腕とは逆に持て。それが、“閃斬”の構えだ」

 

 「…………母さん」

 

 俺の手を取り、右手ではなく、左手にそれを握らせる。

 構え方は覚えている。空いた手を正面に向けて狙いを定め、剣を持つ左手は、まっすぐ後方へ。

 

 「“閃斬”はな、トーリ。脚で斬る技なのさ。利き脚で踏み込んで、踏み込んだ力を剣先へ持ってくる。そういう技だ」

 

 ……ああ。そうか、だから。

 だから、あの時。兄の脚は、大地を震わせたのか。

 

 二人の兄と姉が戦っている。全身の炎から逃れようと、必死に暴れ回るテンシュラクを抑えている。

 触手の一本が体に到達するだけで致命となるだろうに、襲い来るすべてをいなし、躱しきっている。

 俺がその姿を見た時、みんなも俺を見ていた。視線が交錯した。俺を、待ってくれていた。

 

 

 「――技を放つときのコツはな、トーリ」

 

 とん、と大きな手のひらが俺の背中に触れた。

 

 「技の名前を、叫ぶのさ。今から俺は()()で決める。その意思を乗せて、放つんだ」

 

 こくりと頷く。それは姉も似たようなことを言っていた。

 これを放つ。発動させる。その意味の魔術語を、俺は知っている。きっと、それと同じなんだ。

 大丈夫。俺は、やれる。脳裏に刻んだ兄の姿は覚えている。全身に漲る力のすべてを、灰色の炎と変えて左腕に集中させる。

 

 ただ一発。テンシュラクに一発、かましてやりたかった。だから俺は。

 この一発に、俺という、ちっぽけな小娘の全部を、乗せてやる。

 

 一瞬。テンシュラクの気が逸れる。

 次に必殺の一撃を放つ――そう思わせる、まとわりつく三人全員が同時に行ったフェイントに、意識を奪われた。

 後方、空中へと跳んだ三人が、同時に俺を見た刹那。

 

 

 「――撃て!!」

 

 母にどんと背中を押され、ふうと息が漏れると同時に、俺は力のすべてを吐き出した。

 狙い、穿つは正面。右脚が地面を踏み込んで、生じた力が丹田から背骨へと伝わって、左腕、その正面へとたどり着いて――。

 

 

 「“閃”ッ!!! “突”ッッ!!!!」

 

 

 放った。

 

 螺旋を描く灰色の炎が、正面、テンシュラクの体を貫いた。

 向こう側すら伺える巨大な穴に、炎が燃え盛っていた。

 

 ――それを確認し、脱力し、膝をついた瞬間。

 ひゅうと空を裂く音がして、前を見た。

 テンシュラクが、ねじり束ねた右腕が、俺に狙いを定めていた。

 

 「――――っ」

 

 思わず息を呑んだ、その時。

 

 「大丈夫」

 

 きん、と、刃が納まる音がした。

 

 「……もう、終わってる」

 

 テンシュラクの巨大な体は、右腕を構えた姿勢のまま、静止していて。

 そして、ずるり、ぐらりと不安定に揺れた後――真っ二つに裂けて、後方へと倒れた。

 

 地面が揺れる。葉っぱが舞う。灰色の炎はより一層激しさを増し、テンシュラクの体を焼き尽くしていった。

 

 「……終わった…………のか……?」

 

 「ああ」

 

 脱力する俺の頭を、がしがしと乱暴に撫でながら、母が笑った。

 

 「イドラ()()戦は……これで、終いだ…………」

 

 

 遠くから、家族の声が聞こえた。

 しきりに俺の名を呼んでいた。

 それが俺の名だと、疑う俺はどこにもいなかった。

 

 いつかのように、ここでやったように、俺は。

 神を倒したという、非現実的な現実に現実味を覚えないまま。

 晴れる夜空の先から昇る、朝日の布団を被って、目を閉じた。

 

 

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