ステラエモルク   作:朝神佑来

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プロローグ

 

 ぴりり、ぴりりりと、アラームが鳴っていた。

 

 重い体を起こし、スマホを手に取り、アラームを止める。

 ……ああ、そろそろ起きなくちゃな。

 時間を確認すると、もうすぐで勤務時間が終わるところだった。

 

 バックヤードから出て、店内を見回す。

 客はひとりだけ。赤い表紙の旅行パンフレットの立ち読みなんてしてやがる。

 ふと目を向けた業務用の電子レンジの黒いガラスには、無精髭を生やした太った男の顔が映っていた。

 

 「……何読んでんだ? お客さん」

 

 客は昆布みたいにうねった長い髪の痩せぎすの男で、俺と同じような無精髭を生やしていた。

 

 「旅行、してみてえなと、思ってさ」

 

 やけに聞き馴染みのある声だった。

 

 「そりゃいいね。俺も家族を連れて、一度くらい旅行してみたかったよ」

 

 懐にしまったスマホを取り出し、メールアプリを開く。

 見るだけ見て適当に返事を返した、父と母からのメッセージ。

 いつでも帰ってこいと、たまには顔を見せろと、そんな旨の内容だった。

 休みなんか取れねえよと、心の内に吐き捨てたのを覚えている。

 

 「……無断欠勤し(バックレ)てでも、帰ってみるべき、だったかなぁ……」

 

 客はふんと鼻で笑った。

 今更かよと、そう言われたように思った。

 

 「なあ、お客さん。あんた、どこに旅行してみるつもりだったんだ?」

 

 「東の果てにある、ライデノマって大陸にさ」

 

 「……聞いたことないな」

 

 「そりゃそうだろ。何でもそこかしこにめっぽう強い魔獣がひしめいてる魔境の大陸って話だ」

 

 「なんでそんなとこ行きてえんだよ。自殺志願か、バトルジャンキーか?」

 

 「噂によるとな。そこで、食えるんだそうだ」

  

 「何を」

 

 彼は、にいっと微笑んで俺を見た。

 

 「コメと、ミソ。炊いたご飯と味噌汁が、食えるんだってよ」

 

 到底、信じがたい話だった。

 だがそれが本当なら……本当なら、確かに。

 

 「……行って、みたいな」

 

 「だろ?」

 

 彼はすたすたこちらに向かって歩いてきて、手に持ったパンフをぽんと俺の胸にぶつけてきた。

 受け取れと、そう言われたようで、俺はそれを両腕で大事に抱える。

 

 「行けばいいさ。どこへだって、行けばいい」

 

 「……あんたは、どこに行くんだよ」

 

 「迎えが来たんでね。俺が行くのはそっちだ」

 

 そして彼は、またすたすたと歩いて去っていく。

 俺は渡された剣を抱えたまま、小さな全身でスイングドアを押して、カウンターの外へ出た。

 ぱたりと閉じた自動ドアの向こう。職場(コンビニ)の外に大きなバスが停まっていた。

 

 彼の背を追って、俺も外へ出ようと試みる。

 けれど俺の背丈にセンサーが反応せず、自動ドアは閉じたまま、開くことがなかった。

 

 彼が、何かを言っている。

 ガラスの向こうの音は、何も聞こえない。

 

 しきりにガラスを叩いて、俺も何かを叫ぶ。

 自分が何を叫んでいるのかすら、俺には聞こえなかった。

 

 彼の言葉は俺には届かないし、俺の言葉も彼には届かない。

 もっと話したいことがあったのに、もっと聞きたいことがあったのに。

 俺のもとには、一本の剣しか残されていなかった。

 

 ガラスの前で、(あたし)は泣きじゃくる。

 

 ガラスの向こうから射し込む日差しが暑かった。

 ただ、誰かにそばにいてほしくて、必死で剣を抱きしめた。

 不意に、頭を撫でる誰かの手の感触があって。

 

 そして。

 トーリ・ノウェルグレイは、ゆっくりと目を覚ました。

 

 

 *

 

 

 ベッドの上でシーツに包まり、剣を抱きしめていた。

 ふわふわと、頭を撫でられている。

 射し込む日差しは暖かくて、今は朝かとぼんやり考えた。

 

 「おう、トーリ」

 

 名前を呼ばれて、横を見た。

 歯を見せて笑う母が、俺の頭を撫でていた。

 

 「おはよう」

 

 「……おはよう」

 

 重い目蓋を動かして、ゆっくり瞬きしながら、挨拶を返す。

 

 聞きたいことは、たくさんあった。

 どうして、いつから、俺は寝てるのか。あれから、どうなったのか。

 たくさんの言葉をいっぺんに纏めるには、寝起きの心は弱すぎた。

 

 「夢の中でさ」

 

 「うん」

 

 「ガラハに、会ったんだ」

 

 浮かぶ言葉をそのまま吐き出して、シーツから左腕を取り出す。

 天井にそれを向けると、ぼんやりと灰色の炎の筋が見えた気がした。

 

 「もっと、喋りたかった。話したかった。……でも、もう、何を話したかも、覚えてなくてさ」

 

 「夢ってのはそんなもんさ。起きたら忘れるから、寝てるうちに楽しめるんだ」

 

 母は、ずっと俺の頭を撫でていた。

 

 「……もっと……早く、もっと早く、この力を……使えてたらって……そうしたら、今もって……俺は……俺は」

 

 伸ばした左腕をぐらりと落として、両目を塞ぐ。

 額ごとぎゅっと握って、ただ、悔やんだ。

 

 「俺は…………」

 

 役立たずだ。何もできなかった。今更だ。

 とめどなく溢れそうになる言葉が、涙で腫れた喉につっかえて、押し留まった。

 

 不意に、頭を撫でる手の動きが乱暴になる。

 がしがしと髪を乱されて、泣きはらした目で抗議する。

 何しやがると言うより先に、母が口を開いた。

 

 「それが勝った人間の言葉かよ。なっさけねぇな」

 

 ……それが泣いてる娘に言う言葉かよ。

 返事を心に浮かべたとき、母に言われた言葉がそこに残った。

 勝った。

 確かに、この人はそう言った。

 

 「母さん、俺」

 

 脳裏に蘇る、あの決戦。真っ二つになって倒れ、そして炎に包まれた神の遺体。

 決着の直後の記憶が曖昧なまま、俺は今ベッドの上にいる。故に、その一言を聞き返した。

 

 「……俺たち……勝った…………のか?」

 

 母は歯を見せて笑い、すっくと立ち上がった。

 布団に寝転がってその顔を見上げると、本当にでかい婆さんだとしみじみ思った。シーツを除けて、俺も上体をゆっくりと起こす。

 

 その時ようやく、俺は自分がどこで寝ていたのかに気がついた。

 耳をすませば、たくさんの人の声も聞こえてくる。下、一階部分の人たちの声か。

 

 「歩けるか? ついて来な」

 

 こくりと頷いてベッドから立ち上がった瞬間、右脚にじくりと鋭い痛みを覚えた。

 ふらついた俺の手を母さんが取る。何気なく伸ばしている手なのに、鉄骨を掴んだみたいに安定した。

 

 「そのちっこい体で閃突かましたんだ、しばらく痛ぇぞ」

 

 手を引かれながら、慎重に歩く。そうか、これは俺があの時撃った技の影響か。

 暗雲が立ち込めていた心に、小さな光が射しこんできた気がした。

 母の手がある。俺の脚に痛みがある。残ったものが、ここにある。

 

 開いた部屋のドアを抜けて、手すりの隙間から一階の酒場を見下ろす。

 

 テーブルもイスも残らず運び出されたままの酒場に、たくさんの人たちがいた。

 片手に大きなジョッキを持って、床に座って談笑している。皆、酒をかっ食らいながら騒ぎ立てていた。

 まるで盛大な祭りの真っ最中だとでも言うように、酒場が酒気と幸せで満ちていた。

 

 「“紅獅子”!!」

 

 その内のひとりがこちらに気づき、聞き慣れない名を呼んだ。

 

 「もう、大丈夫なのか!? 体は!!」

 

 「お陰様でな!! 末の娘が、たった今起きたところだよ!!」

 

 一階と二階とで、ばかでかい声で会話する二人を酒場のみんなが見た。

 視線が俺と母さんに集中する。ほんの僅か、しんと酒場が静まった瞬間――母の声が、轟いた。

 

 

 「ガルベラ・ノウェルグレイ!! 並びにフィサリス、ゼフィール、ロヴィミア、トーリ!!! イドラ封印戦に挑んだオーバーロードは、全員生きて帰って来た!!!」

 

 

 その声に呼ばれ、酒場のドアが開き、家族たちがなだれ込んでくる。

 ゼフ兄さん。ミア姉さん。そして酒場の隅、屈強な男たちが集う中、ゆっくりと立ち上がるフィス兄さん。

 ……なんだ。みんな一緒に、ここに来てたのか。

 

 「対して!! 古い神イドラが一柱、テンシュラクは――タハ湖の神域とともに、跡形もなく、滅び去った!!! そこから新たな魔物が現れることも、新たなイドが現れることも、二度と無い!!!」

 

 母の声は枯れることを知らぬまま、腕を振り上げ、猛々しく言い放った。

 

 

 「オレ達は!!! 神代の後、人の歴史の一万年に、神との戦いに!!! ――最初の勝利を、刻んだぞ!!!」

 

 

 酒場より爆ぜた、街じゅうに轟きそうなほどの歓声。それが、俺の耳にも突き刺さる。

 くらくらするほどの爆音だったが、それを刻み付けたいと思った。鼓膜が裂けてもかまわないとすら思った。

 

 この声を、聞きたかった。

 この声を、聞いていたかった。

 

 「……トーリ。よく見な」

 

 ふっと息をついた母は、そっとしゃがんで俺の肩を抱き寄せた。

 そして俺の体を後ろから抱き上げると、階段を一段ずつゆっくりと降りて、歓声の中を歩いていき――酒場の外へと、俺を連れ出した。

 

 街路を埋め尽くすほど、たくさんの人がそこにいた。

 教会で見たことのある顔があった。共にギルド証を探した顔もあった。

 酒場から運び出されたテーブルとイスは外に並んでいて、そこに腰かける人々もまた、一様に大きなジョッキを片手に持っていた。

 

 「オレ達みんなで、守ったんだ」

 

 歓声が吹き荒れる、笑顔の花畑が、イスガトの街を包み――どこまでも、続いていた。

 

 

 *

 

 

 突如として発生したイドによるイスガト鉱山街の蹂躙。

 予定されていたイドラ封印戦における前代未聞の快挙。

 発達した通信網を持たないステラエモルクにおいて、それでもその情報たちは瞬く間に世界中へと拡がっていった。

 

 イドの残した傷跡に冷え切った街に、三日三晩の宴という炎が燃え盛り。

 炎の熱も冷めやらぬまま、迎えた四日目の朝。

 それ以前の日常と変わらぬ様子で鉱夫たちが坑道へと潜っていく、イスガト鉱山十二番街。

 

 「本当に、戻るつもりはないのか? ……シフェル」

 

 その外れ、人の足に踏みしめられて出来た薄茶色の街道に、数名の天使が残っていた。

 天使たちと顔を合わせながら、その背に「街の外」を抱えるのは、翼を失った少女。

 彼女に語りかける赤い髪の青年の後ろで、厳かな礼服を纏った長身の男が彼女を見下ろしていた。

 

 「翼を失ってしまいましたから。魔力も、聖神気も……衛天使(センチエル)として戦うには、もう……」

 

 空を去り、地に生きることを決めた彼女は、赤髪の青年に取り繕った笑顔と建前を見せる。

 本心を語りたくないという想いから連ねた言葉の真意は、彼女を引き留めたい彼には届かず、数歩前に出て手を差し伸べた。

 

 「だが……! 君の行いは歴史上、類を見ないほどの成果だった! たとえ戦えなくたって、相応しい地位と名とともに、都市で暮らすことだって……!!」

 

 「ブラージェ」

 

 「っ……」

 

 低く、重い声が彼の言葉を遮った。

 背後に立つ長身の男の声だった。男は視線を少女へと移し、そっと彼女から笑顔の仮面を剥がす。

 

 「シフェル。……君は偉業を成した。かのイドの影響力を鑑みるに、世界を救ったと言っても過言ではないかもしれない。故に――」

 

 聞かせて欲しい。何故、と。

 翼を失った少女は、天使としてではなく、ひとりの人間としてその質問に答えた。

 

 「…………わからなくなって、しまったのです。わたしは神の御使いで、人を守るために生きている。けれど、あの時……わたしを殺す神の力から、わたしを守ったのは……人でした」

 

 自分の目の前に立ちはだかり、そして散っていった、名も知らぬ人間。

 今でも瞼の裏に張り付くその顔を、じっと見つめ返してから、シフェルは二人の顔を見つめた。

 この上ないほど合理的で正しい、神の選択。それを糾弾するような真似をするつもりはないけれど。

 それでもシフェルの心には、その事実が刻まれて残っている。その傷跡の形は、失った翼の痕に似ていた。

 

 「わたしは、神を……信じられなくなってしまったのです」

 

 成した行いが何であれ。わたしという存在はもう、現人神様のもとに居るべきではない。

 彼女の語る本心を聞いたブラージェは、ただ呆然と瞬きを繰り返した。

 理解できる言葉に理解が及ばぬまま、思考がそれ以上進まなかった。

 

 「罰を受ける覚悟はできています。わたしを不信者と、この言葉を叛逆や冒涜とみなすのであれば――トリジェール。どうか」

 

 かつて、礼服の男トリジェールとシフェルの間には、シフェルが彼を正面から見ることすら憚られるほどの地位の差があった。

 それが今、彼女は彼を真正面から見つめ返し、敬称すら捨て去り、神への不信を口にした。

 両者の間に流れる沈黙に混乱し、ひどく焦ったのは赤髪のブラージェ。

 

 「な……なん、という、言葉を――! シ、シフェル、君は」

 

 狼狽えるブラージェの言葉を、トリジェールは再び遮った。

 

 「ブラージェ。君は、目の前の()()の言葉を、否定するのかね」

 

 「……トリジェール……様……」

 

 「忘れるな。我々は神と共に在る者であり、そして人の選択や自由意志を護る者だ。たとえ神への叛逆だろうが、冒涜だろうが――それがその者が見出した答えであるならば、我々にそれを罰する権利が無ければ、我々の教義への更生を強いる権利も無い」

 

 「…………」

 

 その言葉に固まるブラージェと対照的に、シフェルは小さな微笑みを浮かべた。

 それが彼女の本心から表れる笑顔だった。

 

 「ありがとう、トリジェール。……わたしを、人と呼んでくれて」

 

 「永劫の別れというわけでもあるまい。君は強い。やがて……きっと、再会する。その時まで」

 

 「ええ。きっとまた、いつか――その時は」

 

 人の身でありながら、神を殺しうる存在。最高位の衛天使(センチエル)に肩を並べる、人類の最終防衛装置。

 ――即ち、最高位の冒険者として。

 

 

 「衛天使(センチエル)ではなく! 冒険者(オーバーロード)のシフェルとして!!」

 

 

 *

 

 

 時を同じくして――イスガト鉱山街、聖剣の光の着弾地点。

 未だ見渡す限り土だけが残るそこを、ノウェルグレイの五人がダユースの案内を受けながら歩いていた。

 

 「あれだ。見えるかな」

 

 ダユースが指さした先。そこには、小さな黒い縦線のようなものがあった。

 近づき、視界に映るそれが大きくなっていくことで、彼らはそれの正体を知ることとなる。

 地面に突き立てられた剣。その周りを囲う、数輪の花。

 

 「引っこ抜こうとしても、ビクともしないんだ。太い根でも張ってるみたいに、そこに突き刺さってやがる」

 

 それは、ガラハが自身の剣をトーリに渡した代わりに借りていった、あの鍛冶屋に残されていた剣だった。

 まっすぐに突き立ったそれにフィサリスも触れてみるが、手のひらに帰ってくる感触は確かに大木のそれを思わせた。

 

 「フィス坊。イドと最後まで戦っていた天使を覚えているか?」

 

 「……ああ、覚えている。あれほどの雷属性(ディジニオ)の使い手は、はじめて見た」

 

 「彼女は、この剣の持ち主に助けられたそうだ。彼が地面にこれを突き立てて、神殺しの権能(ブレイス)を用いて……その身のすべてを、聖剣の光を相殺するために()()()と」

 

 彼女は自身の名を明かすことのないまま、この剣に花を捧げて去っていったと、ダユースは話す。

 ガラハの最期を知ったトーリは、膝を畳んで剣の前に座り、フィサリスと同じように剣に触れた。

 何の変哲もない、ただの剣。それがガラハという冒険者の、命のすべてを燃やし尽くした末の墓標。

 

 「……そうか。あの天使は、生きているのか……」

 

 「翼は無くなっていた。それほどの代償を負いながらも戦い抜いて、そして生き残った様子だったよ」

 

 ダユースの言葉を聞きながら、ガルベラもトーリの隣に腰を下ろす。

 トーリの座り方を見て、その形を真似て座り、じっと剣を見つめた。

 

 「トーリ。……テンセイ人の祈りの作法を教えてくれないか」

 

 「……? ああ……難しくないよ。両手の平をこうやって合わせるんだ」

 

 答えながら、こうするんだと合掌してみせるトーリ。

 背筋を立てて小さく顎を引き、目を閉じて祈る。

 その姿を見て、ガルベラだけでなく、この場の全員が同じように祈った。

 

 ガラハは、エモルクの民として生き抜いた。その魂はエモルクのもとに還り、きっとまたステラエモルクに産まれてくると、そう信じながら。

 エモルクの民たちは、テンセイ人の力と生き様に敬意を表し、テンセイ人の形で祈りを捧げることを選んだ。

 

 

 風の音と、とまり木を探す鳥たちの声だけがあって。

 しばし訪れた静寂の中、小さな足が大地を踏みしめる音が響いた。

 

 「決めたよ、ガラハ」

 

 トーリ・ノウェルグレイが立ち上がった足音だった。

 託されたガラハの剣を背負いながら、彼女は彼の墓標に誓いを立てる。

 

 「俺は冒険者になる。そして、あんたが見て回れなかった北と南も、東の果てまでも踏破する。あんたがくれた剣を……あんたを連れて、どこまでも」

 

 大地に根ざした剣を見つめながら、トーリはにこりと微笑んだ。

 

 「そんで一緒に食いに行こう。コメと、ミソをさ」

 

 東の果てと、米と味噌。

 この場の一人だけが、ぴくりとその単語に反応する。

 

 「トーリ、それは……」

 

 長女、ロヴィミアが目を見開いて、トーリの顔を見た。

 

 「ライデノマ大陸のこと、ですか……? それを……どこで」

 

 「…………さあ」

 

 いつ、どこで聞いたんだったかと、空を見上げて考える。

 すでに記憶は風化して、その言葉だけがトーリの中に残っていた。

 

 「大陸を渡るのは簡単な道じゃねえぞ、トーリ」

 

 驚きと困惑を浮かべるロヴィミアと対照的に、母ガルベラはその夢を未来の現実と受け止める。

 

 「ただでさえここ、メイベトス大陸はバカに広い。その上他の大陸の魔物はここのよりもずっと強えんだ。渡航の許可が出るロード級でも、命を落とすことは珍しくない」

 

 「そっか……ならさ、母さん」

 

 子は母と顔を合わせ、かつて兄と姉が言った言葉と、まったく同じ言葉を口にした。

 

 「なるよ、俺。みんなと同じ、オーバーロードに。……家族みんなそうだってのに、末っ子だけ違うってのも格好つかねえだろうし……そんだけ強くなれりゃあ、そうそう死なないだろ?」

 

 母がその言葉を聞くのは、四度目だった。

 ふっと息を吐いて歯を見せて笑い、ああそうかいと答えるよりも先に、飛びついたのは次兄ゼフィール。

 

 「そりゃあいい、最高だ!! どんっっどん強くなってくれよトーリ!! そんでノウェルグレイ流の滑進を是非! 是非極めて大陸の外で活躍してくれ!! あっははは!!」

 

 末妹の肩を抱き寄せて、包帯の向こうの瞳に大きな喜びを宿して、楽しげに笑うゼフィール。

 旅路のついでに手記でも書いて、いつかまた建て直すウチに寄稿してくれと、こそっと耳打ちもひとつ。

 

 「ちょっとゼフ兄さん!? まずは基本の流眼からでしょう!? 抜け駆けしないでくれますか!?」

 

 『自分の技を教えられるかも』というゼフィールの喜びの理由を知ったロヴィミアが、トーリの体を後ろから抱き寄せて彼女の一番の姉弟子はわたしだと主張する。

 滑進流眼滑進流眼と、互いに末っ子を譲ろうとしない姿を見て、呆れた様子でため息をついたのは長兄フィサリス。

 

 「……あのな、お前たち。何もノウェルグレイ流を学ぶと決めたわけじゃないだろう。なあトーリ」

 

 「えあ、あ、ああ、いや……そのつもり、だったんだけどぅわぉぁ」

 

 ぐわんぐわん揺らされるトーリの意思を聞いたフィサリスは、彼女の両肩にぽんと手を置いて、ぴたりと体を静止させ。

 弟妹の顔を順に見ながら、ふんと鼻息ひとつ。

 

 「……そうか……! 嬉しいよトーリ。なあゼフ、ミア」

 

 滅多に見ない兄のにやけ顔に、眉間に皺を寄せる両名。

 その二人を見つめながら、勝ち誇ったようにフィサリスは言った。

 

 「トーリが最初に撃ったのは“閃突”だ。つまり……素質は、オレに似たということだ」

 

 「いや誰に似たも無ぇだろ。つか師匠の前で弟子取り合ってんじゃねえよ、お前らも修行中だろうがよ」

 

 長兄の勝ち誇った微笑みを母が砕く。

 修行中という言葉に一様にショックを受ける三人の姿を見て、初めて見る彼らの姿にころころと笑うトーリ。

 ノウェルグレイの新たな家族が新たな弟子となり、未来の最高位冒険者(オーバーロード)を名乗ったその瞬間を、ダユースは友の墓標に肩を預けながら見守っていた。

 

 「……子供はいいな。ちっせえ口ででけえ口を叩きやがる」

 

 彼らの姿に、ダユースはある冒険者たちの姿を見ていた。

 ほんの二十年ほど前に、この街で結成して旅立った数名の若い初位階冒険者(ストーンハディマ)たちの姿を。

 

 今や自分ひとりを残すのみとなった、そのパーティの在りし日の姿を。

 

 「俺の打った剣を、お前の意志で託したんだ。……見守っててやれよ」

 

 ガラハ。タクラマ。ゴーウィス。ラサ。

 エモルクのもとへと旅立った彼らも、同じように彼女たちを見て笑う姿を、ダユースはひとり、夢想した。

 

 

 *

 

  

 そして、季節は巡る。

 ノウェルグレイの家族たちは、神域の観測という使命を果たした我が家で団欒の時を過ごす。

 本来であれば聖剣の光とともに消え失せているはずだった時間を、それをくれた末の妹と共に。

 

 ――黄獅子の花が綿毛になる頃、大きなギュウバ車とともに鉱夫ロダンが家を訪ねた。

 ギュウバ車にはロダンの他に数人の子供たちが乗っており、彼らの顔に誰よりも覚えがあったのは、次兄のゼフィールであった。

 

 彼らはゼフィールの図書館に足繁く通っていた見習いの魔術師たちであり、蔵書のすべてを図書館と共に失った館長に、自分たちの宝物である本を寄贈しにギュウバ車に乗ってきたのだという。

 今まで手にしてきたどの本よりもずっと重い数冊の本を抱え、ゼフィールと一家を乗せたギュウバ車が向かった先は、イスガト鉱山街の四番街、その跡地。

 補装された道を歩く彼らが、かつて図書館が建っていた場所にたどり着いたとき、そこには広い土台が出来上がっていた。

 

 『イスガトには図書館がなくちゃ始まらねえ。ハディマギルドから融資してもらって、前よりももっとでかい図書館を俺達で建てることになったのさ』

 

 子供たちの本を受け取った時には何とか耐えたゼフィールの涙は、ロダンの輝かしい笑顔を見た瞬間に溢れ出し、彼の巨大な胸板に抱かれてゼフィールは大きな嬉し涙の声をあげた。

 

 

 ――家族みんなで暖炉を囲み、年が巡って、再び黄獅子の花が咲く頃。

 ハディマギルドより招集を受けたフィサリスが、最初に家を発った。

 

 既にガラハの剣を片手で扱うようになったトーリは、長兄と数年後の再会の約束を結び、その背に手を振り、振るう手をその背に受け止め、しばしの別れに数滴の涙を流す。

 

 『オレ達は、トーリのおかげで今よりももっと強くなれる』。

 未だ成長の最中にある()の言葉を胸に刻み、妹に負けぬ兄であり続けるため、長兄は一本の大剣とともに長い旅路へと赴いた。

 

 

 ――数度、年が巡り、トーリの体が大きく成長し始めた頃。

 衛天使(センチエル)が家の戸を叩き、それに応えたロヴィミアが聖地ノルデへと旅立った。

 

 トーリが目標とするライデノマとは別の大陸。メイベトスから海を越えた先にある、ステラエモルクの英知が集う場所。

 そこで学びを深め、魔術師としても聖職者としても大きく成長することを約束し、ロヴィミアもフィサリスと同じくトーリと再会の約束を交わした。

 

 

 十四歳から十五歳。最後の一年を、トーリはガルベラと二人で過ごした。

 外れにある畑を耕し、平和になった森から果実を貰い、時折イスガトへ買い出しに行き。

 食事をして、剣の修行をして、体を洗い、眠る。ただそれだけの、剣とともに在り続けた穏やかな日常。

 その頃にはガラハの剣をダユースに一時預け、ガルベラの剣を振るってトーリは最後の修行に身を投じた。

 

 「悪趣味な剣だろう、そいつ」

 

 ある時ガルベラは、自身の金色の剣をそう蔑んだ。

 何故を問うトーリに、ガルベラは昔話を語る。

 かつてこの地が戦乱の最中にあった時代のこと。傭兵として名を馳せた、グレイという名の女剣士が出会った、一本の剣の話。

 

 「そいつはいわくつきの剣でな。極東の地ライデノマにおいて、『妖刀』と呼ばれていた」

 

 金色の刀身は、何をどれだけ斬ろうとも、汚れもしなければ錆びもしない。

 そして切れ味を落とすこともなく、ただ綺麗なまま、無数の命を奪いながら血による穢れを拒み、『素敵』を被り続けた。

 

 「そんな剣だ、持った誰もが切れ味を試したくなる。大木や巨岩、熊や虎、魔物――すらりすらりと斬れていく獲物たちを見て、それの持ち主はこう思うようになる」

 

 『何だっていい。もっと、斬りたい』と。

 

 「鍔ぜり合った相手の剣すら斬り落とすような化け物だ。さしものオレ――ああいや――女剣士グレイも苦戦したよ。ま、最後には勝ったがね」

 

 自慢げに腕を組み、ふんと鼻を鳴らす母の姿を見ながら、トーリは持たされている剣の重みに心底身震いした。

 この華美な金色の刀身に、そんな力があったのか。……確かに、これを持って以来、俺は薪木を斬るのに失敗したことがない。

 ならば何故、こんな剣を俺に持たせるのかと。問うトーリに対し、ガルベラは歯を見せて笑って答えた。 

 

 「つまりだ、トーリ。お前の心は、既に『凪』の域に達してる。流眼も、滑進も、閃斬も――お前の心に種火となって宿っている。地上最強の妖刀を持って尚、心穏やかなのはそれが理由だ」

 

 お前はけして、今以上の何かを斬ろうとはしなかった。オレの剣を持ったことで自分が強くなったと思うこともなかったろう、と。

 母は、言葉の奥深くに暖かな優しさと喜びを隠しながらそう言った。

 

 ふわりと吹き抜ける風が森を撫でて、ざわざわと木々がさんざめく。

 その木々のざわめきに乗せて、師は最後の教えをトーリに説いた。

 

 「オレはな、トーリ。剣の技術ってのは、つまるところ、その妖刀のようなものだと思ってる」

 

 「見てくれはとても綺麗で、極まった剣の舞う姿はあまりに素敵だ。だがどこまで行っても、それらは綺麗に、素敵に人を殺す手段でしかない。所詮どこまで行っても人殺しの道具だ。故に――」

 

 

 「飲まれるな。溺れるな。その妖刀、『素敵被り』を手にして尚、落ち着き払ったお前の心を失うな」

 

 

 それが。

 ノウェルグレイ流柔剣術が目指し、そしてたどり着く『剣の道』の形だった。

 

 

 *

 

 

 「誕生日おめでとう、トーリ」

 

 十五歳の誕生日。五年前に森で目覚めたあの日から、五年後の今日。

 ダユースからは祝いの言葉と打ち直されたガラハの剣を、母からは赤いコートを譲り受けて、ひとりの少女が剣士となった。

 

 「ありがとう、ダユースさん。母さんも」

 

 「袖が長かったんで、折って縫ったけどな。旅先でほつれたら自分で直せよ、トーリ」

 

 コートに袖を通し、剣を腰にさげて、少女はこれからの目的を思い返す。

 ひとまずはイスガトに向かい、ハディマギルドへの登録とギルド証の発行を。

 初位階冒険者(ストーンハディマ)として最初の一歩を踏み出すのは、それからだ。

 

 「――よし! ヨカニセ!!」

 

 名を呼ばれた一頭のギュウバが彼女のもとへと駆け寄る。

 屈強な脚を四本揃えた雄のギュウバは、五年の歳を重ねて尚も活力に満ち溢れていた。

 

 「イスガトまで連れてってくれ。最後くらい、お前に乗りたいんだ」

 

 ヨカニセは頭を下げた後、四本の脚をぺたりと折り畳み、その場にしゃがみ込む。

 それから首を横に曲げて、妹の顔を大きな瞳に映した。

 

 「もうしゃがまなくても乗れるっての。……ふふっ、けど、ありがとうな」

 

 彼女がその背に跨った時、ヨカニセはすっと立ち上がる。

 そして数歩前へ歩いてから、首を曲げて後ろに振り返った。

 

 

 「トーリ!!」

 

 

 母の声。

 ヨカニセと同じく、トーリも振り返り、母の顔を見下ろした。

 

 「…………行ってらっしゃい!!」

 

 そのたった一言に、たくさんの意味を込めて、母は送る。

 

 「行ってきます!!!」

 

 そのたった一言に、万感の想いを込めて、少女は発つ。

 

 

 ――ヨカニセは駆ける。幾度も家族を送ったあの街へ。

 陽光が照り付ける草原の上を、吹き抜ける風すらも追い抜いて、ただ前へ。

 

 最愛の妹を、遥かな旅路へ、送り届ける為に。

 

 

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