ステラエモルク   作:朝神佑来

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本編 オープニング
第一話 「トーリ・ノウェルグレイ」


 

 しとしとと雨が降る早朝に、無数のギュウバ車が街道を歩いていた。

 それぞれに大きなギュウバが二頭ずつ、だかだかと雄々しい蹄の音を響かせながら歩を進めている。

 先頭を歩く最も大きなギュウバ車からはぼんやりとした明かりが漏れており、その中で何人もの男たちが酒を飲み交わしていた。

 

 彼らの容姿を一言で表すならば、荒くれ者。

 はちきれんばかりの筋肉にぼろきれを纏い、浴びるように酒をかっ食らって、下品な笑い声を響かせながら、各々が各々へ思い思いの言葉を叫び交わしていた。

 雑な作りの木椅子と机が並ぶ中、御者の真後ろにだけ豪勢な横長の椅子がある。そこに腰掛けてギュウバの手綱を引く御者の背中越しに外を見ているのは、質の良い黒いローブに身を包んだ、聖職者の格好をした男だった。

 

 男の傍らには女がいた。

 格好をしているだけの男とは違う、信心深い聖職者の女性である。彼女は怯え、縮こまりながら胸に両手をあてて、一心に祈りを捧げていた。

 

 「……なぜ、このような」

 

 震える唇から、か細い言葉が漏れる。

 

 「わ、私達の村は、ただの、農村で……何も、得られるものなんて、何も」

 

 「我々は宝石商です。シスター」

 

 男は、女の疑問に自己の紹介で答えた。

 その一言で、女は理解する。ただの小さな村を突如として襲った彼らの暴挙、その意味するところ。

 噂に聞いていた、宝石を売買しているという建前で、人を商う忌まわしき商団の存在。

 

 「ひ……ひとを……っ! ぅ、売り買いすることは、神が……現人神様が、禁じています……!!」

 

 怯える女とは対照的に、男はにっこりと微笑む。 

 

 「むろん知っていますとも。しかしそれは、あなた方の神が定めたことだ。我々の神は、それをこそお求めになられる」

 

 表情の全てで信じ難いと伝える女の耳に口を寄せ、男は説明する。

 

 「我々の信奉する神は。その、『人の身』を、何よりも求めておられます」

 

 人の身を求める神。

 ただ一柱のみを信じ仰ぐ彼女にとって、その言葉から連想する悪神の存在と、それを信奉するという彼の言葉は、何よりもおぞましく思えた。

 

 「ぁ……あなた方の信ずる神、とは……まさか」

 

 困惑や驚愕といった表情が、絶望の一色に塗り替わった時。

 がたん、とギュウバ車が突如として歩みを止めた。

 車内の各所でばちゃりと酒がこぼれる音がして、それと同時にぶうぶうと声があがる。怒声、罵声、そういった類の言葉が入り混じっていた。

 

 「おい、どうした? 何があった」

 

 「グ、グィスさん、あれを……!!」

 

 御者が怯えた様子で目の前を指差す。

 目を凝らすまでもなく、脚を止めた二頭の大ギュウバの向こう側、このギュウバ車の進路に灰色の明かりが立ち塞がっていた。

 

 炎だった。

 

 日が昇りかけている朝の、雨が滴る白んだ空の下。

 灰色の炎がそこに燃え立ちながら、ひとりの少女の姿を浮かび上がらせていた。

 

 「……なんだ、あれは。……誰だ」

 

 黒いローブを翻し、大ギュウバの間を男が跳躍する。

 宙を舞い、ばちゃりと着地した先は、灰色の炎を纏うその者の目の前。

 男はそれを見下ろした。灰色の炎が照らし出す姿は、赤い外套の小柄な少女だった。

 

 数秒、雨音だけがあった。

 赤い外套の他、少女は剣を一本と、首からギルド証をさげている。装備らしい装備はその程度で、冒険者(ハディマ)の証を持ちながらも旅に慣れているとは言い難い姿であった。

 蛮勇か、功績欲しさに格好つけて宝石商のキャラバンの前に立ったわけか。灰色の炎はその演出か。赤くない炎など、鉄でも燃やせば容易に作れる。

 そう男は結論付けて、自ら片膝をつき、しゃがんで少女と目を合わせた。

 

 「たいそう素敵なご登場だ、ハディマのお嬢さん。だがこの道は車が通る。そうぼうぼうと炎魔術(フラム)を立てながら居座られると、大変迷惑なのだが……」

 

 少女は男の目を見ていた。男も少女の目を見た。

 純度の高い宝石のような、深い青色の瞳が、忌まわしき宝石商の顔を映していた。

 

 「村に、世話になったんだ」

 

 「……あ?」

 

 「あんたたちが来た方向にある、小さな村だ。俺みたいなハディマなりたての子供に、一宿一飯をくれたんだよ」

 

 突然のくだらない雑談に、男はふっと笑いをこぼした。

 

 「それはいい、心温まる素敵な経験じゃあないか、お嬢さん! それで一体何の用かな? 我がグィス・キャラバンに、いったい何の用があって来たんだい!?」

 

 「おう」

 

 男の目蓋がぴくりと蠢き、被った笑顔に不愉快が浮かび上がる。

 それから、少女の淡い金色の頭髪をぐしゃりと掴み。

 

 「……おう、じゃわからねえよ、お嬢ちゃん。格好つけ終わったら、さっさと失せッぶ」

 

 投げ飛ばし、退かそうと試みた瞬間。

 少女も同じく、掴んでいた。

 

 「……二度も言わせんなよ、()()()()

 

 灰色の炎が滲み出る左手で、男の顔面を、ひしゃげるほどに強く。

 炎は男の顔を焼き、炎熱に悶えながらも、顔面を掴む少女の手を引き剥がすことすらできないまま、男の身体がぶわりと宙を舞い。

 

 

 「(おう)、だ、つってんだろうが……!!!」

 

 

 憤怒の一色で染まった声とともに、炎にまみれた男の身体が、ギュウバ車へと叩きつけられた。

 

 灰の炎は燃え広がり、酒盛りの最中だった男たちを残らず焼き尽くしていく。

 逃げ惑う男たちが虫の子を散らすように飛び出しては後続のギュウバ車に飛び込み、炎は次々と燃え移る。雨が降りしきる朝焼けの空のもと、巨大に膨れあがった灰の炎が天を衝いて踊り狂っていた。

 

 その惨状を、その有り様を、ギュウバ車の中で聖職者の女が見ていた。

 なぜか自らだけを焼かない炎の中、踊り狂うように焼け死んでいく男たちの姿を、ただ、じっと。

 連続し続ける理解の範疇をとうに逸脱した現実をしばらく見届けたのち、いつしか彼女の意識はぷつりと途切れ、暗い眠りにぱたりと落ちた。

 

 

 ――もぬけのカラとなったキャラバンが発見されたのは、昼過ぎのこと。

 命令を待ちながら道の端の草を食んでいる大ギュウバと、彼らが繋いでいるギュウバ車だけが、街道に残されていた。

 

 

 *

 

 

 「なあ、お前知ってるか? フラム・ルージュがまた発見されたって話」

 

 「フラム・ルージュって……アズコレの? あれまた見つかったのかよ……今度は誰が手に入れたのやら」

 

 「夢水晶とか黄金色の妖刀とか、他のと違って簡単に見つかるんだよな、アレ。あーあ、俺が見つけて報奨金貰いたかったよ」

 

 ぼんやりとした明かりと、冒険者たちの談笑。

 生まれ育った故郷の酒場と、この酒場に満ちているものに、大きな違いはなかった。

 

 

 ――ステラエモルク。

 俺が転生した世界のことを、この世界に生きる人たちは、みんなそう呼んでいた。

 人々は母なる大地(エモルク)から生まれ、大地(エモルク)を愛し大地(エモルク)に愛されながら大地(エモルク)とともに生きて、最後には大地(エモルク)に還るのだと。

 であれば俺のような、大地が生んだのではない命は、いったいどこへ還るのだろうかといつも思う。

 

 自宅でひっそり病死した俺が目を覚ましたのが、この自然溢れる異世界、ステラエモルク。

 そこで俺は五年を過ごし、先日十五歳になったことで、ようやく冒険者(ハディマ)の資格を得た。

 

 生まれ育った街を出てから、数日間。ひたすら歩いて歩いて、ようやくたどり着いたフェリス湖畔街。

 そこのギルド酒場にて、俺は大きなパンをちぎり食べつつ野菜のスープを口に運び、空腹を満たしながら壁に貼られた依頼に目を通していた。

 

 「探索依頼(サーグ)……シルバー以上。討伐依頼(ハント)、ゴールド以上。現人神の要求(アズアコレクト)のラインナップは……変わらずだな……」

 

 俺は、強い。俺を拾ったのは、世界最強の剣豪の婆さんだったからだ。

 十歳――ぐらいの体だと婆さんから教えられた――のころから五年間、ずっと剣の修行を続けてきた。

 それからこういった転生につきものの特別な力も、俺にはある。いわゆる転生チート。俺が昔、時々読んでいた転生モノに則るのなら――今の俺の状況は、まさしくあれらのような『つよくてニューゲーム』に値すると思う。

 冒険者としての経験は乏しいが、並の兵士や剣士よりもよほど強いだろうと、自負と婆さんからのお墨付きをいただいている、が。

 

 それは、それ。

 それはそれとして。

 

 「仕事……無えんだよなあ……」

 

 冒険者――ハディマにはランクがある。下から数えて、初位階(ストーン)下位階(ブロンズ)中位階(シルバー)上位階(ゴールド)

 なりたての俺は一番下で、もっとも簡単な依頼しか受けることはできない。

 それに加えて、ここ周辺では五年前から魔物の数が激減している。依頼を介さないフリーハントでお金や功績点を稼ぐということも難しいのである。

 

 「ブロンズやシルバーとパーティを組んでもらうか……いや、見た感じ空いてるとこは無さそうだなぁ……。かといって安めの依頼を受けても、一日分の宿代を稼げるかどうか……」

 

 いくら自分が特別な力を持ってようが腕が立とうが、生きてれば腹は減るし疲れもする。だから真っ先に考えなくちゃならないのは、その日を生きてくだけの金を稼ぐことだった。

 俺がかつて生きていた世界のように、応募して面接を受けて採用されて一ヶ月働いて給与が出る、なんて流れを経る必要もないのは確かに楽だが、楽な分無情でもあった。稼ぐ仕事すら見つけられないと、腹を鳴らしながら草っぱらの上で虫と一緒に寝ることになる。

 

 故郷を出る際に母から貰った分のお金はあるが、軽い気持ちでそれに手をつけるわけにもいかない。どうしたものかと悩んでいる俺の目の前に、黒い手がにゅっと伸びてきて、ごとりと大きな木樽のジョッキが置かれた。

 

 「日雇依頼(バイト)はどうダ、トーリちゃン? ウチならベッドもまかないもついてくるケド」

 

 声のする方に顔を向けると、宝石のように澄んだ丸い瞳が、俺の顔を映していた。

 長いひげをぴんと立たせてにっこりと微笑んでいるのは、全身が艶のある黒い毛並みで覆われた、ネコの亜人の女性……フェリスギルドマスターのダイナさん。

 彼女が着ている給仕のそれを模したエプロンドレスは、ここギルド酒場で働く女性たちの制服に指定されているものである。

 

 「い……ゃ、ありがたいけど、遠慮しておきますよ。そりゃ、寝床もご飯もついてくるなら、ほんと、めちゃくちゃありがたいんですけど」

 

 そう言って俺は目の前に置かれたジョッキ、注文したアイスミルクを口に運ぶ。

 氷魔術(ミヌスフラム)で程よく冷えたミルクは、長旅の疲労が未だ残る俺の身体にとってまさに甘露だった。

 

 「そっカ? 勿体ないナ、トーリちゃンが来てくれれば、ハディマ以外のお客も増えそうなものなのにナァ」

 

 ナァと語尾に鳴き声を交えつつ、ぴすぴすと鼻を鳴らすダイナさん。流れるような動きで椅子を引き、当然のようにとすんと俺の向かいの椅子に座る彼女に、まさにそれこそが遠慮したい理由なのだと俺は言う。

 

 「その、まあうぬぼれかもしれませんけど……ぉ、俺目当てで来られるのが怖いんですよ……!! 制服はスカートだし、ズボン履かせてもらえないし、下着と太ももが空気に触れる感触がほんっっとに慣れないんですから……!!」

 

 ナッハハハハと楽しそうに鳴き笑うダイナさん。

 笑い事ではない。けして笑い事ではないのである。

 

 ――俺は以前、旅費を稼ぐために故郷イスガトで日雇依頼(バイト)をしたことがある。生前にも飲食業の非正規雇用(バイト)の経験があったから、ある程度は活かせると思ったからだ。

 結果的にその判断は間違いではなく、注文を鉛筆で伝票に記入するというアナログな形式に慣れれば昔と同じように働くことができたが――そこのギルド酒場の制服もここと似たようなもので、何故か小柄な自分にもサイズがぴったりなエプロンドレスを着せられ、当時の俺は必死で羞恥を堪えながら注文を取り料理を運んだ。

 仕事はこなしたが、二度とやるものか、いや二度とやれないものだと強く思った。

 

 理由はひとつ。

 

 俺が、男だから、である。

 

 

 ……俺の名は、トーリ・ノウェルグレイ。

 ステラエモルクに生きる、十五歳の()()であり。

 享年三十歳の男性、森田洋介の記憶を持って生まれてきた、テンセイ人である。

 

 

 *

 

 

 魂の形は肉体と結びついているから、転生したとしても性別が変わることはないと、テンセイ人の先達に聞いたことがある。

 しかし、そう言われても事実俺は少女として転生している。彼に曰く、俺は前例のないイレギュラーだろうとのことだったが。

 

 ……なんでそれが、よりによって俺なのか。

 おかげで幼少期はトイレひとつにすら苦労した。声を押し殺してガチで泣いた経験もある。具体的な内容を思い出したくはないが。

 

 「長年一緒に暮らしてきて……大人だと思ってた街の人の目が、『子供』じゃなくて『女』を見る目になるのが怖ぇっつうか……」

 

 「ア、わりとガチなトラウマ刺激したナ? エト……ごめんナ?」

 

 ともかく酒場での日雇依頼は魅力的だがごめんだと、ジョッキをカラにしながらダイナさんに伝える。

 気づけば、パンもスープもカラだった。ごちそうさまと軽く会釈して、二枚の皿をかたりと重ねる。

 ダイナさんは重ねたそれを慣れた手つきで手に持ったトレイの上に乗っけながら、ナァ、と口を開いた。

 

 「となるト、仕事はだいぶ限られてくるネ。初位階(ストーン)向けの依頼となると、歩合制のキノコ集めがせいぜいヨ。フェリス湖周辺の群生地とか、把握してル?」

 

 「……してないんで困ってんです。情報を買う金もないし、たいていそういうのって他のハディマに取られちゃうし」

 

 「マ、初位階(ストーン)上がりの下位階(ブロンズ)が収入源にナワバリ構えててゴッソリ持ってくってのはよくある話だナ。となるトやっぱシ、フリーハントで手練れの魔物を討伐するのが手っ取り早いカ……」

 

 ジョッキの底に残ったミルクの一滴を舌に乗せようとしていた時、ダイナさんの目つきが変わったことに気が付いた。

 

 「依頼を介さずに狩る、と言えばダ」 

 

 ひやりと、明確に彼女が纏う空気が変わる。

 

 「くそったれのカース商団の一派――グィス・キャラバンがもぬけのカラになって発見されタ。連中がメジハノ村を襲った直後のことダ。さらわれた村民たちはみんな無事が確認されたガ……」

 

 

 「お前、何か知らないか?」

 

 

 ことりと、手に持ったジョッキを置いて、彼女の瞳を正面から見つめ返して答える。

 

 「……そっか。みんな、無事だったんだ――よかった」

 

 「オウ、今はフェリス湖畔街の教会で身を預かってル。ここに残るカ、デクシード王都へ向かうカは彼らの決めルことダ」 

 

 カリカリと首の後ろを掻きながら、くああと欠伸をひとつ挟むダイナさん。

 顔は余所を向いても、視線がこっちを向いていた。

 フェリス湖を北上すれば、目と鼻の先に王都がある。デクシード王国領内で起きたことなのだから、王都に行けば相応の補償はあるだろう。

 

 メジハノ村は、俺がフェリス湖畔街に来るまでに立ち寄り、一日を過ごした村だ。

 一日だけとはいえ、彼らには大きな恩がある。村のみんなが無事と聞けて、心底安心した。

 

 「夜……」

 

 「ウン?」

 

 「夜だった。村を出て、街道に沿って歩いてたら、村の方向にでかい火の手が上がってた。引き返すことも考えたが――」

 

 その様子を思い出しながら、俺は語る。真夜中にぼうっと灯る、あのおぞましい明かりのことを。

 

 「俺は、村ひとつ消火できるような――降り注ぐ水魔術(アメトリトスアクロ)なんて使えるような魔術師じゃない。俺は……何もできなかったよ」

 

 「……そっカ」

 

 首を横に振る俺に、ダイナさんは悪いことを聞いたと謝罪した。

 それからカラのジョッキもトレイに乗っけて、音もなくすっと立ち上がる。それから、こっちに向かって歩き。

 

 「いや実は――キャラバンから、あるものが見つかってネ。そいつをこっちで預かってるかラ、渡すべき相手を探してたのサ。知らないならいいんダ」

 

 「……あるもの……? ダイナさん、それはいったい」

 

 ぽんと俺の肩に肉球を乗せて、耳打ちした。

 

 

 「――夕刻、街の高台に足を運んじゃくれないか」

 

 

 最後にそれだけ言い残し、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、ダイナさんは優雅にカウンターの奥へと歩き去っていった。

 

 

 *

 

 

 夕刻。ダイナさんに言われた言葉に従い、俺は街で時間を潰してから、街の高台へと足を運んだ。

 

 長い坂を上り、少しだけ息を切らしながら、柵で囲われたそこにたどり着く。

 そこに広がる景色には、コンクリートの白や、アスファルトの黒がどこにもない。

 夕焼けの橙色と、土の茶色と草の緑、それからフェリス湖の青。

 フェリス湖は広大な湖で、見渡しても向こう岸が見えず、そこには水平線が広がっている。

 

 ふと。

 ああ、ここは異世界なんだ、という何十回目かの実感を覚えた。

 

 「……ギルドマスターに、隠し事はできないか……」

 

 痛みを伴う懐かしさに襲われる前に、俺は柵に背中を預け、握った左手を顔の前でぱっと開く。

 ぼうっと、灰色の炎がそこに灯る。左手の中でゆらゆらと動くそれが、俺だけが持つ特別な力の正体だった。

 

 

 ――ステラエモルクには、『神気(じんき)』と呼ばれるエネルギーが存在する。

 濃度の違いで水のように形を変えるそれは、生命を浸食し、意のままに作り替えてしまう危険なものだ。

 意思のない動物は神気の浸食を受けて魔物になり、強い意思を持つ人間は、神気を逆に利用して魔術を行使する。

 

 そして俺が転生で得た力は、その神気を焼き尽くす、炎。

 神気と、神気の影響を受けた魔物だけを焼き殺す。その力の名を――。

 

 

 「“神殺しの権能(ブレイス)”」

 

  

 俺は、その自分の力の存在を、秘匿している。

 何故なら…………。

 

 「え?」

 

 炎を漏らす左手を下ろした先。

 知らない女性が、俺のことを見つめていた。

 

 今、これを神殺しの権能(ブレイス)と呼んだのは、俺じゃなく……。

 

 「……本当に会えた……。ダイナさんにお礼を言わなくちゃ……」

 

 深いため息をついて、ギルドマスターの名を呼びながら、彼女は一歩ずつゆっくりと俺に歩み寄った。

 銀色の瞳に浮かぶ黒い虹彩が、俺を映している。歩く度に濃紺のケープを撫でているのは、彼女の赤みがかった黄色い髪。

 その首にさげられているのは、白く輝く宝石がはめ込まれたギルド証。

 

 白? ……白位階(プラチナ)

 

 「え、っと……貴女は」

 

 「ずっとあなたを探していたんですよ、テンセイ人。これは、どうしても……わたしの手には、余るから」

 

 上位階(ゴールド)よりさらに上。ロード級と称される高位の冒険者(ハディマ)が、初位階(ストーン)の俺の正体を知っている。

 記憶を探り、ロード級の冒険者リストに連ねられた名前を思い出そうと試みた瞬間。

 突然、俺の手に宿る炎の激しさが増して、手の中で白位階冒険者(プラチナハディマ)の彼女に向かわんと暴れ出した。

 

 右手でそれを押さえ込み、燃え盛る腕を自分の胸に抱き寄せながら俺は訊ねた。

 

 「誰だ、あんた――いや――あんた、一体」

 

 

 「一体、何を持ってる――っ!?」

 

 

 彼女はゆっくりと目を閉じて、深呼吸をして。

 それから目を開くとともに、懐から手のひら大の四角い宝石箱を取り出すと、それを両手で持って、俺に向けた。

 

 ……左腕の炎が、今までにないほど暴れ回っている。向かおうとしている先は、その宝石箱に。

 いや、正しくは――ない、わけじゃない。過去にたった一度、俺は昏倒するほど炎を吐いたことがあった。

 だからこそ余計に混乱し、認めたくなかった。それに匹敵するほどの脅威が、目の前にあるという事実を。

 

 混乱する俺に向けて、白位階冒険者(プラチナハディマ)の彼女は、毅然とした態度を示しながら口を開いた。

 

 「わたしの名は、シフェル・ブルーメル。今回、あなたに個人的な依頼があって来ました」

 

 「……依頼……個人的な……?」

 

 それからもう一度、深呼吸があって。

 

 

 「報酬は、世界。前金として、わたしの身柄を渡します」

 

 

 ……。

 …………。

 

 「……はっ…………?」

 

 あまりにも真剣な眼差しから放たれる、あまりにも突拍子の無い言葉に、俺の中の時間が静止した。

 

 




『トーリ・ノウェルグレイ』

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