ステラエモルク   作:朝神佑来

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第二話 「シフェル・ブルーメル」

 

 「炎が」

 

 意識を取り戻した彼女は、震える唇で言葉を紡いだ。

 

 「……灰色の炎が、すべてを焼き尽くしたのです……。けれど、私やギュウバ車、それからギュウバ達には何の被害もなくて……ただ、あの恐ろしい者たちだけが、焼き尽くされて……まるで、神罰の、ように」

 

 にわかには信じ難い証言だったが。

 一台だけひしゃげたギュウバ車を残し、それ以外のすべてが無傷なまま、キャラバンはただぽつりと街道に残されている。

 一夜にして全員が逃げ去ったとは考え難い。それならば、もっとたくさんの足跡が入り乱れているはずだ。

 

 わたしの周囲にこうして広がっている、この惨状、この状況を説明するには……。

 彼女が言ったように、人間だけが残らず焼き消えたとすれば、納得できてしまう。

 

 ……特定の何かだけを消し去る、異能の力。

 わたしはそれに、たったひとつだけ、思い当たるふしがあった。

 

 「……みんなは? メジハノ村の、みんなは……」

 

 「全員無事ですよ。今はフェリス湖畔街で手当を受けています。駆け込んできた彼らの依頼を受けて、わたしが来ました」

 

 「ああ、よかった……本当に、よかった」

 

 本来は、この道を通ると予測されるグィス・キャラバンの迎撃が目的だった。

 ギルドの調べによれば、彼らは『何か』を輸送している途中であり、その『何か』の輸送を優先するため、どこにも立ち寄らずにやってくるとのことだったが。

 

 ふたを開けてみればこの通りだ。進路の付近にあったというだけの理由で、小さな村がひとつ、消え失せた。

 そしてわたしへの依頼は、迎撃から救助へと移り変わった。

 

 立ち上がり、ぐらつく車内の中でバランスを取りつつ、彼女の手を取って立ち上がるのを手伝う。

 先頭にいた大ギュウバは、鎖を断ち切ったときにどこかへ走り去っていった。彼らがいた痕跡である、炎で焼き断たれて垂れた鎖をふんづけて転ばないよう、気を付けながら彼女と二人でギュウバ車から降りる。

 

 「体に不調はありませんか? 聖石を持ってきていますから、遠慮なく仰ってください」

 

 「いえ……大丈夫です。お気遣いありがとうございます、ハディマの方……」

 

 シスターは、ずっと何かを隠すように片腕を胸のあたりに置いていた。

 地面に足をつけて、わたしから手を離すと、離れた手は片腕の上に重ねられる。

 

 ……わたしがここに来た理由は、生存者の救助だけではない。

 このキャラバンが輸送していた『ある物』の存在を確かめて、可能であれば回収するためだ。

 元よりこの依頼の目的は、カース商団の一派に打撃を与えるというだけではなく、その物の輸送を防ぐ意味の方が大きかった。

 

 わたしは、それを見たことはないけれど。

 このおぞましく巨大な存在感が、それがどれほど危険な代物なのかを、如実に語っていた。

 そして、それに加え。

 

 「シスター? その腕は? 怪我でもしているのですか」

 

 「いいえ……いいえ、大丈夫。大丈夫よ。気にしないで……」

 

 それが今、どこにあるのかも、教えてくれた。

 

 「シスター」

 

 

 「それを、こちらに、お渡ししていただけませんか」

 

 

 「嫌」

 

 その瞬間。彼女は、はじめて私の両目をはっきりと見た。

 

 「……嫌、嫌、嫌よ、嫌!! これは私が見つけたの、あいつから奪い取ったの!! あいつが、あいつが全部奪ったのだから、だから私が奪ッたんだ!!!」

 

 「シスター!!」

 

 明確に取り乱す彼女をなだめようとして、伸ばした手を強くはたかれる。

 目が。目が、離れない。彼女の目が、まばたきひとつ挟みもせぬまま、わたしを見ている。

 不味い。

 

 「あなたも――あなたも奪うのね……!? 私から、私から全部、全部ッ!! そんな、そんなこと、許さない、許さない……!!」

 

 彼女の体内で、魔力が練られていくのを察した瞬間。

 懐からナイフを引き抜き、切っ先を彼女に向け、彼女よりも速く詠唱した。

 

 「“燃え(フラ)”――」

 「“ミクローウェル・ディジニオ”ッ!! ――“フィルフ”ッ!!」

 

 凝縮された微弱な雷撃。それが彼女の胸元へと突き刺さり、後に付け加えた魔術語によって、その雷撃が全身を内から縛り付ける。

 

 「が――っ、か、ぁ…………っ!!」

 

 「……ごめんなさい」

 

 雷撃によって麻痺を受け、硬直する彼女の腕が広がり、どさりと背中から倒れた彼女の腹部にそれが落下する。

 手のひら大の宝石箱。それを掴み、拾い上げた瞬間、彼女の意識はぷつりと途切れ。

 

 「っっ――――!!?」

 

 わたしも、わたしの魔術を維持できなくなった。

 

 

 *

 

 

 それは、燃えたぎる炎の時を止めて、丸く削り出したような美しい宝石だった。

 

 手のひら大の宝石箱にぴったりと納まる、赤い宝石。それを見つめ、それに見つめられて、あまりの美しさに息を呑んだ。奪い取り、自分だけのものにしたいとすら思いかねなかった。

 俺の体を突き刺し、飲み込まんとする、その巨大でおぞましい存在感さえ無かったなら。

 

 あまりにも莫大で膨大で、純粋な……神気の気配さえ、なかったなら。

 

 「あんた、これ」

 

 高台の中央。そこで見せられた、宝石箱の中身。

 それ以上その宝石を見つめたくなくて、視線を外し、かわりにシフェルと名乗った女性の目を見た。

 

 「……『フラム・ルージュ』。鑑定したわけではありませんが……断定して、間違いないと思います」

 

 冷や汗が流れるのを感じながら、改めてその宝石箱を見つめた。

 

 フラム・ルージュ……。

 亡国バルハジアの宝庫から発掘されたという歴史に始まり、以後それを手にした人間やその家系が悉く滅亡しているという――そういった明確な背景と記録を持つ、眉唾ものの伝説ばかりが並ぶ現人神の要求(アズアコレクト)の中でも特に目立つ品。

 それの正体が……これか。

 

 「それを……なんで、ギルドに渡さないんだ……? どうして、俺に……」

 

 「……手放せないんです。自分の意思では」

 

 「手放せ……ない?」

 

 こくりと頷き、シフェルは答える。

 

 「これを自分だけのものにしたい。誰にもこれを渡したくないと、体と心が強くそう思ってしまうんです。これが持つ――巨大すぎる神気が、わたしに、そうさせてしまう」

 

 そんな……ことが、あるのか?

 信じ難いとは思いながら、しかし確かにシフェルは宝石箱から手を放そうとしなかった。

 けれど。そう繋げて、シフェルは俺の目を見つめた。

 

 「テンセイ人は、神気に対する強い耐性を持つ。加えて、ごく稀に……神気そのものを殺す力を覚醒させると聞きます」

 

 ……その、通りだ。

 彼女は、俺が炎を宿すのを見ている。今もそれは暴れている。神気そのものを殺す力を、目にしている。

 

 俺はテンセイ人だ。加えて彼女の言う『ごく稀』なテンセイ人である。

 フラム・ルージュは、巨大で純粋な神気の塊で――汚染が広がらず、留まっている理由はわからないが――それを持ち歩くのに適しているのは、神気への耐性を持つテンセイ人をおいて他にいまい。

 

 「……けど、どうやって俺のところに……? どうしてこの街にテンセイ人がいるって、わかったんだ……?」

 

 「グィス・キャラバンの状況と、救助した女性の言葉を照らし合わせて推理しました。……確証はなかったから、ダイナさんにも頼んだんです。この街にテンセイ人が来ていたら、ここへ呼んでほしいと……」

 

 それで……ダイナさんの、あの言葉へ繋がるわけか。

 シフェルは顔をあげて、改めて俺をまっすぐに見つめながら続けた。

 

 「テンセイ人……あなたに奪ってほしいんです。そしてギルドではなく――現人神様のもとへ、直接お渡ししてほしい。それが、わたしの依頼です」

 

 「……奪う」

 

 言葉が、突然不穏なものになる。

 自ら手放すことができないと、彼女は言った。

 宝石箱を握る手に、ぎゅうと、強い力を込めながら。

 

 その目には、気丈な恐怖と覚悟があった。

 だから――奪え、と。

 ほんの少しこうして話をしただけでも、彼女が聡明であること、白位階のギルド証にけして嘘はないということが確かにわかる。

 その彼女が、いや、ですら――宝石箱から手を離せないでいる。俺にこれを奪えと言っている。

 

 フラム・ルージュが大陸を渡り歩く度に、似たようなことがあったのなら。確かに、破滅は必然だ。

 普通の人間に運搬を任せることもできなければ、ギルドに勤める普通の人間に普通にこれを渡すわけにもいかない。

 

 「……わかった」

 

 事情は把握した。それなら、適任は俺しかいない。

 彼女の依頼を言葉で受諾した瞬間。

 

 俺と彼女の間にある空気の流れが、変わった気がした。

 

 「あんたの依頼、受け……」

 

 左手を伸ばし、宝石箱を受け取ろうとした瞬間。

 伸ばした左腕で、そのまま顔面を防御した。

 

 「――ッ!!?」

 

 蹴られた。

 蹴られた?

 脚がある。彼女の脚を、俺の腕が受け止めている。

 彼女の腕が、ケープの内側のポケットへとしまわれている。おそらくはその手の内にあった、宝石箱ごと。

 

 「では」

 

 俺が考えるよりもずっと速く、彼女の脚は俺の頭を捉えていて。

 それが到達するよりわずかに速く、俺の脊髄反射が間に合った。

 続けざまに翻り、立て続けに襲い来る蹴撃の連撃を、抜き放った剣の刀身で弾いて防ぐ。

 

 「ちょ、っと待て、待て待て待て!! 何だ、なんなんだ急にッ!? 街中だぞ!?」

 

 「言ったでしょう――!!」

 

 弾き、いなし、防ぐ以外の手段を選べずにいる俺に、構わずシフェルは攻撃を続ける。

 速く、重く、そして正確に急所を狙う脚先の連撃。針の穴を猛スピードで潜り続けてくる糸のような、完成された脚技に翻弄される……直後。

 

 かすかに彼女の意識の()()が切り替わった。

 彼女の手が、懐へと潜っていた。

 

 「わたしから、これを、奪いなさい、とッ!!」 

 

 抜き放たれたのは、魔石がはめ込まれた短刀。

 その切っ先が俺を切り裂くことはなく、ただ向けられる。刹那、迸る悪寒に身を翻し、舞うコートの内側に身を隠す。

 

 (魔術の媒体!? 刃じゃない、杖か!!)

 

 「“オーウェル・ディジニオ”ッ!!」

 

 放たれる凝縮された雷撃を、コートが受け止めて分散、消滅させる。

 彼女の戸惑いを感じた瞬間、地面を蹴って後方へと退避。距離を取り、剣を正面に構えて呼吸を整える。

 

 「……雷魔術(ディジニオ)を人に向かって撃つかよ、普通……!?」

 

 いや、(フラム)(アクロ)(エンズ)も普通は人に向けて撃っちゃいけないものだが……。

 先の連撃は彼女にとっても負担が大きかったようで、俺と同じく、距離を取ったまま肩を上下させて息を整えていた。

 短刀から放つ魔術の質、完成された脚技。立ち振る舞いだけじゃない、体得している技のすべてが一級。

 

 ……成程。白位階(プラチナ)……。

 

 「なあ、ひとつ訊ねたいんだが――」

 

 口を開く俺の言葉が届くより先に、彼女の詠唱が口から放たれる――寸前。

 一歩で間合いを詰めて、彼女に刃を受け止めさせる。声を出すために吐こうとした息を、俺の剣を受け止めさせることで腹の奥に圧し留めさせる。

 

 あんたの意思の()れは()で視えている。魔術師に魔術語を唱えさせないのは、鉄則。

 

 「――俺のギルド証、見えてるよな!? 位階(ランク)、わかってるよな……!?」

 

 つばぜり合いながら、その銀色の瞳を見つめて問う。

 これが俺以外だったら初撃で高台から放り出されていたぞ、と。

 

 (…………っ?)

 

 その瞳に、わずかな違和感を覚える。

 瞳が。目が、動いていない。まっすぐに俺だけを見ている。

 その目から感じられる、彼女のものでない気配。

 

 その正体に俺が気づくよりも速く。

 シフェルは俺と同じように、俺の瞳を睨み返しながら答えた。

 

 「重要なのはッ!! ……位階の高低ではなく、あなた自身の強さですよ……!! わたしからこれを奪い取れなくちゃ、そもそも話になりませんからッ!!」

 

 ぴたりと俺の腹に靴底が押し付けられた瞬間、どんと重い衝撃が走り、体が後ろへ吹き飛ばされた。

 柵にぶつかり転げ落ちないよう、寸前で体勢を整える。顔を上げた瞬間、目の前に迫る彼女の脚を、剣で受け止めた。

 

 勢いは殺すことなく、()り、()ませる。

 階段を踏み外したように、理外の勢いが彼女の体勢をわずかに崩した瞬間。

 

 「ひゃ――っ!?」

 

 全身をバネに変えて飛び上がり、左腕で彼女の体を押し倒した。

 どさりと地面に倒れ伏す彼女の腹に、炎を纏った俺の左手を押し当てる。

 

 「な、何を――ッ!? づ、ぅッ!!?」

 

 「動くな、すぐ済む……!!」

 

 溢れ出る灰の炎をシフェルの体内へ流し込み、その全身を洗い流させた。

 

 ……至近距離で彼女の瞳を覗いた時。

 感じたのは、濃い神気の気配だった。

 それが瞳から漏れ出ているということは。気づいてからは迷わなかった。

 

 「熱っっ……づ……? ……く、ない…………」

 

 きょとんとした顔で困惑するシフェル。彼女の体から緊張が消えていくと同時に、先ほどまであった刺々しい戦意も失われていく。

 炎を少しずつ流し込みながら、俺は理解した。

 ()()が、フラム・ルージュの正体。……()()が、フラム・ルージュの力か。

 

 「……神気を焼く……灰色の炎……?」

 

 「ああそうだ、これが俺の力だよ。……体、ちゃんと自分の意思で動かせるか?」

 

 「えっ、あ……は、ぃ……」

 

 人に炎を使って治療したのは、久々だった。

 といっても最初にやったのは、殆ど無意識で無我夢中だったから、意識して行ったのはこれが最初になるか。

 果たしてそれは成功したようで、彼女の目から神気の気配は消え失せていた。

 

 「なら……いいだろ。渡してくれ。フラム・ルージュを」

 

 上体を起こして彼女を見下ろしながら、俺は左手を差し出した。

 

 「……はい」

 

 シフェルはこくりと頷いて答え、ケープの内側から宝石箱を握った手を取り出して、それを俺の左手の上に乗せた。

 黒地に金色のラインが走る、簡素ながら存在感のある箱。それを俺は確かに握り、受け取る。

 彼女のもとから宝石箱が離れる。今度は蹴られなかった。

 

 「ところで……その」

 

 「……?」

 

 不意になぜか目をそらすシフェル。

 どこを向いたのかとそらした目の先を追うと、誰かの足があった。

 もふもふの黒い毛が覗く、黒い足だった。

 

 「その、ぃ、いったん……離れて……くれます……?」

 

 その時ようやく、俺は彼女の両の腿に座ったままだったと……押し倒した姿勢のままだったと、気がついて。

 改めて、俺たちを見下ろしていたその人の顔を見上げた。

 もふもふ顔をにっこりと微笑ませた、亜人のギルドマスターがそこにいた。

 

 「えっ……とですね……ダイナさん、これはその」

 

 「続けテ」

 

 ぽんぽんと背中を叩かれたが、断った。

 

 

 *

 

 

 あの後、俺達はダイナさんの計らいでギルド酒場の二階部分を利用させてもらえることになった。

 規模の大きなギルド酒場になると、ロード級以上の冒険者が利用できる宿泊施設を兼ね備えていることが多い。そして、フェリス湖畔街のギルド酒場は規模が大きいほうであり、宿屋も二階に備えている。

 実際、俺達のする話は下の酒場よりも個室の方がいい。泊まる場所に困り続けている初位階の俺にとっては、尚のことありがたい話だった。

 

 「ここなラ外に声も漏れなイ。非公式の依頼をするにハうってつけダ」

 

 ギルドマスターが言う言葉じゃねえナと笑うダイナさん。

 

 「その……申し訳ありませんでした。急に攻撃を仕掛けてしまって」

 

 シフェルは深く頭を下げて、俺に謝罪した。先程よりも元気のない声だった。

 もとより彼女は活発な声色ではないが、だからこそ声の微妙な変化を聞き取るのは大事だ。

 

 「いや、大丈夫だよ。……あれは、フラム・ルージュがあなたにやらせたことだ。そうだろ?」

 

 顔を上げたシフェルはこくりと頷いて答えた。

 

 「以前の持ち主……わたしがキャラバンで救助した女性も、そうでした。わたしがそれを渡せと求めた瞬間に豹変して――わたしも、そうなることを防ぐために、必死で体を抑えていたのですが」

 

 目をそらし、きゅっと縮こまって、恥を悔いるように。

 

 「……手加減で……精一杯で」

 

 (手加減かあ…………)

 

 あんまり聞きたくない言葉だった。

 膨大な神気を秘めたあの宝石には、持ち主にそれを手放すまいとさせる抗いがたい力がある。

 周囲に散らされる汚染ではなく、持ち主にのみ流れ込んでいく神気の浸食。……聞いたこともない作用だ。

 

 高台でこれを渡されたとき。

 俺も一瞬、これが俺を突き刺してくるような感覚を覚えた。

 

 「トーリ、お前さんは大丈夫カ? なんともなイ?」

 

 「ええ、俺なら大丈夫です。ダイナさんにも渡せますよ」

 

 「やめろバカ、洒落ンなんなイ」

 

 すっと宝石箱を手渡そうと差し出して、フシャーッと牙を剥かれて距離を取られた。

 突き刺された感覚はあったが、それもすぐに消失した。手放そうと思えば簡単に手放せる。

 フラム・ルージュの運び手にテンセイ人を選んだシフェルの選択は、間違いでなかったのだろう。

 

 「デ、これかラどうする? まだ暫くフェリスに滞在すルつもりカ?」

 

 「ええ、それなんですが――」

 

 シフェルはぼそりと何かを詠唱して、空間に小さなひずみを開けた。

 そこから取り出した、丸められた大きな紙を机に広げる。

 地図だ。現在地がどこかわからなかったが、シフェルが指さした箇所に大きなマルがあった。そこがフェリス湖だろうか。

 

 「明日まで、フェリスに滞在。それから北上し、王都で準備を整え……そこからグラン・メイベトスを目指そうと思っています」

 

 (……ダイナさん、今のも魔術? 何したの彼女)

 

 (『テッサラクト』。異空間にモノをしまったり取り出したりする収納魔術だナ。超ムズいヨ)

 

 「……聞いてます?」

 

 俺とダイナさんは二人でこくこくと頷いた。

 

 「シフェル……さん。えっと、俺達の最終目標は、現人神ユウヒ・アズア様にフラム・ルージュを届けること……でいいんだよな?」

 

 「シフェル、で構いませんよ。……あ、ええと」

 

 そういえば名乗っていなかった。

 首にさげたギルド証を指で示しながら、改めて俺は自分の名を名乗った。

 

 「トーリ・ノウェルグレイ。トーリでいいよ」

 

 「ありがとう。ええ、その認識で合っていますよ、トーリ」

 

 そう言ってシフェルは地図の上で指先を滑らせ、北上して王都、そこから東に向かって大陸の中央を指し示す。

 中央からまた東へ向かった指先は地図を飛び出して、やがて机の外を示した。

 

 「……大体、このあたり。ここがわたし達の目的地、ユウヒ様のおわす聖地ノルデです」

 

 机の横、何もない空中をとんとんと指で叩くシフェル。

 確かにこれは……長旅になりそうだ。結果的にメイベトス大陸を横断することになる。

 

 「旅費に関しては心配しないでください。全面的にわたしが負担しますから」

 

 「え? い、いや……ありがたいけど、そこまでは。俺だって冒険者だ、自分の分ぐらい――」

 

 「前金。ですから」

 

 ぽん、と自分の胸を手のひらで叩くシフェル。

 そこで思い出す。報酬は世界、前金は彼女の身柄――という、依頼の内容。

 

 

 「依頼を受けてくださった時点で、()()はすべてあなたの所有物です。……好きに使っていただいて構いません」

 

 

 …………。

 …………。

 

 横を向いて、両手で口を塞いで目を見開くダイナさんと目が合った。

 

 「ア……ダカラ……依頼受けたノ……?」

 

 「ンなわけ!!?!?」

 

 けして、誓ってけして不純な動機で受けたわけではない。

 時代おくれのテンセイ人である俺に適した内容であるから請け負ったのであって、彼女の身柄に興味はない。

 いや確かに白位階冒険者(プラチナハディマ)初位階冒険者(ストーンハディマ)の所有物としてなんでも言うことを聞いてくれる旅とか、ハタから聞けば魅力的には違いはないが、そのような前世の暖簾の向こう側を思い出す旅がしたいわけではないのである。ほんとに。

 

 「ああ、ああええと、シフェル……。確かに俺は依頼を受けたけど……あなたを利用したいって気持ちはないんだよ」

 

 「……?」

 

 何故かきょとんとした顔で俺を見つめるシフェル。

 ほのかに顔が赤い。平静を貫こうとしてはいるものの、わりと恥ずかしいことを言った自覚はあるらしい。

 

 「俺は初位階(ストーン)で、あなたは白位階(プラチナ)位階(ランク)に格差はあるけど……目的は一緒だ。だから、その」

 

 俺は俺の小さな右手を彼女に向けて差し出した。

 前金は受け取る。けれどそれは、丸ごと自分のものにするんじゃなく。

 

 「パーティを組んで、旅の仲間として同行してくれないか?」

 

 シフェルの目が、俺の目と俺の手を交互に行き来して。

 少しの間を置いてから、俺の手を取った。

 

 「……そういうことで、あれば」

 

 ぎゅっと強く握られて、俺も強く握り返す。

 

 「シフェル・ブルーメル。……あなたのパーティに、加入させてもらいます」

 

 「トーリ・ノウェルグレイ。ありがたく、歓迎するよ」

 

 誰かと組むのは初めての経験だが、悪くなかった。

 かたりとドアノブに手がかかる音がして、振り向く。ダイナさんがひとり、ひっそりと部屋から出ようとしていた。

 

 「ああ、エト……お若いお二人に任せテ……と思っテ」

 

 「……ダイナさん。すみません、あと、ひとつだけ」

 

 彼女が部屋を出ようとしていたことに気づいたのは、シフェルも同じだった。

 そして、俺の手を握りながら、シフェルは続ける。

 

 「わたし達がフラム・ルージュを手にしたことで……予測できる動きがひとつ。それへの対処に、ギルドのご協力をいただきたいのです」

 

 「……ほう?」

 

 その言葉を受けた瞬間、ダイナさんの顔つきがギルドマスターのものへと移り変わった。

 

 

 *

 

 

 「グィスの死体は?」

 

 「見つかりません。他の団員もです。人が逃げた、あるいは訪れた形跡はありましたが……」

 

 街道に放置されたキャラバンを漁っているのは、異形の片角を生やした巨大な男と、彼に付き従う数人の男たち。

 遠方で彼らの内のひとりから報告を受けているのは、わずかに黄金色を宿した長い銀髪が背中に流れている、小さな少女。彼らの腰から下程度しかない体躯の少女が、この場で最も大きな権力を持っていた。

 

 「端から殺して回収する予定だったけれど、先を越されるとはね。……アイアーム!!」

 

 「はっ」

 

 アイアーム。そう呼ばれたのは、この場の何よりも背の高い片角の大男。

 彼はその少女のもとへとゆっくり歩み寄ると、片膝をついて跪いた。

 全身が膨れ引き締まった筋肉で構成された彼の体が、ぎゅっと縮まって忠誠の形へと移り変わる。

 

 「フラム・ルージュの行方はわかる?」

 

 「ここより先、西フェリスの方角へ向かったと思われます。が……」

 

 「が……何?」

 

 「気配が……気配がそこで、ぷつりと途切れているのです。それ以降の追跡は、難しく――」

 

 「気配が――途切れた?」

 

 少女は従者のその不可解な報告に、小さな手で小さな口を覆い、考え込む。

 何故? そんなことがあり得るのか? あれほど純粋な神気の塊の気配が、消える?

 その主人の顔色を窺い、アイアームは次の判断を尋ねた。

 

 「いかがいたしましょう。シルク様」

 

 少女、シルクの長考はそこで途切れ、閉じていた口から叱責の言葉が溢れ出る。

 

 「……は! 相変わらず愚鈍で頭のまわらないこと! まさに“鉄腕”に名に恥じぬダメっぷりね、それ以外はからっきしときたわ!」

 

 「……申し訳ありません。シルク様」

 

 「気配が途切れたのなら、そこで何かが起こったことは明白でしょう。アイアーム」

 

 「かしこまりました――ッ!」

 

 立ち上がったアイアームの両拳が強くぶつかり合い、ぎぃんッ、と巨大な金属音を奏でた。

 その音に気付いた男たちは一斉に手を止めてシルクの方を向く。

 

 「我々はこれより、フェリス湖畔街へ向かう!! シルク・ロンド・バルハジア様のもとへ、ただちに集合せよッ!!」

 

 だかだかと忙しなく駆け寄り、男たちは四角い列を成す。

 シルクは差し出されたアイアームの手のひらにぴょんと乗ると、腕を伝って軽やかに彼の肩へと着地した。

 

 「キャラバンはいかがなさいますか、シルク様? 片付けよと仰るのであれば――」

 

 「じきにギルドから解体屋が来る。このままこの()()()()に道を塞がれていては連中も困るでしょうし――腕っぷしを自慢したいのはわかるけれど、今は抑えなさい」

 

 「……捨て置け、と。御意に」

 

 カース商団の一派、その末路を見届けた後、シルク・ロンド・バルハジアが率いる部隊は真っ直ぐにフェリス湖畔街へと向かった。

 未だ残る昼の暖気にわずかな汗が滲む、逢魔が時のことだった。

 




『シフェル・ブルーメル』


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