ステラエモルク   作:朝神佑来

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第三話 「イドラ教」

 

 翌朝。俺とシフェルは朝に合流する約束を交わした後、それぞれ別の部屋に泊まった。

 二人で一部屋を取るカ――とも提案されたが、さすがにそれは断った。

 

 「~~~~っ、はぁぁ……」

 

 ベッドから体を起こし、あくびをして体を伸ばしながら部屋を見渡す。

 ひとりで寝るには広く、加えて()()も多い部屋である。ここを利用できる高位の冒険者が不便を覚えないようにそう作られているのだろうが、自分の立場――位階(ランク)を考えると、どうにも気持ちが落ち着かない部屋だった。

 なんて考えたあたりで、育ち盛りの体がくうと腹を鳴らす。

 ……合流したら、飯でも食おう。

 

 (ふつーに考えて、おっさんと若い女の子が同じ部屋で一夜を過ごせるわけがないしなぁ……)

 

 空腹をごまかそうと頭を動かし、頭の中でそう呟いたが、そこでいや待てよと気づく。

 俺の性別、その自認についての説明はしていなかった気がする。

 ぴょんとベッドから降りて、薄着のまま壁の鏡を見る。整った顔立ちの女の子が縁取られてそこに映っている。

 

 「同年代……いや……俺のが少し年下くらいか……」

 

 シフェルの顔を思い浮かべながら、頭の中で自分の顔と見比べて呟いた。

 頬を掴んで伸ばす。鏡に映る女の子の顔がにゅんと歪む。

 顔の肉も、脂も薄い。というか……無い。

 

 「うらやましい体だな。トーリ」

 

 鏡の中の少女にそう言って、昨夜の内にベッドの横に畳んでおいた服に着替える。

 母がくれた大きな赤いコートを纏い、友から受け継いだ剣を腰にさげる。

 小さな少女のトーリは、毎朝そうして冒険者のトーリ・ノウェルグレイへと変わる。

 

 「……じゃあ、行くか!」

 

 一夜の間ずっと抱いていたフラム・ルージュをコートにしまってから、俺は宿屋を後にした。

 

 

 *

 

 

 「ダイナさーーん!! おはよォーーーーッッ!!!」

 

 「オハヨーッ。相変わらずうるっせぇナ、ニットワス」

 

 「うーーっすダイナさん、アニーちゃん来てる?」

 

 「アニーは休みだヨ、てめえの顔を見たくねえとサ。お前今度は何やったんだ、アッカーム」

 

 一階の酒場に降りると、すでに冒険者たちが依頼を受けに来ている最中だった。

 その中の殆どが、ギルドマスターであるダイナさんに挨拶をしている。ダイナさんも彼らひとりひとりの顔を覚えている。

 フェリス湖畔街のギルドを利用する冒険者は多いと聞くが、ダイナさんの存在も大きな理由なのだろうか。

 

 ちらと見渡してみたが、シフェルの姿は無い。

 まだ寝ているか、今は外か――どちらにしろゆっくり待とうと、階段付近のテーブルに腰を下ろす。

 丁度、その時だった。

 

 「あれ……ニャドちゃん、今日の依頼は?」

 

 「それが、まだ届いてないんです。街の中からも依頼が来てなくて」

 

 冒険者のひとりがまっさらなクエストボードを見て、酒場を歩く職員……ギルドガールのひとりにそう質問し、返って来た答えに驚いていた。

 

 「え、依頼……無い、ってことですか!? まいったな……」

 

 その話を隣で聞いていた小さな格闘家(モンク)の女の子も同じような反応をする。

 依頼が貼られるのを待ちつつテーブルからクエストボードを見ていた他の冒険者たちにもその事実が届き、各々が自分たちのパーティメンバーと話し合いはじめた。

 ギルドガールに相談する者、メンバーと話す者、とりあえず朝飯をかっこむ者、外に出る者。人の流れが渦を作り、酒場の中がわいのわいのと賑やかになる。

 その様子を、階段近くの壁際で眺める、俺。

 

 「先日のカース商団のキャラバンのこともあっテ、街道で流れが滞ってルみたいでネ。マ、午後には届くだろうかラ……それまデ街で過ごしてテ」

 

 広げた手のひらと肉球を彼らに見せながら、ごめんネと謝りながらダイナさんが説明を付け加える。

 ……そういう、ことになったんだな。

 

 かたん、とイスを引く音がして、正面を向く。

 見覚えのある恰好をした、知らない少女が座っていた。

 そのしょぼくれた顔をよくよく目を凝らして見る。もしかしてと思い、名前を呼んでみた。

 

 「……シフェル?」

 

 「ぁい」

 

 知っている少女だ。

 赤みがかった黄色の長い髪の毛が結ばれておらず、もっこもこのままである。目は横棒である。

 寝起きに鏡を見ているような気分になった。

 

 「……普段……まだ……寝てる時間ぇ…………すぃません」

 

 「あ……あ、いいよ、無理しなくて」

 

 声が細い。朝に弱いのか、この子。

 丁度後ろを歩いていたギルドガールさんにアイスミルクを二杯注文し、届くまでの間舟を漕ぐシフェルの姿を観察していた。

 両手で目をぐしぐし掻いている。推察するに、眠気はあっても二度寝はしないタイプだろうか。律儀というか、若いのに立派だ。

 

 「お待ちド、アイスミルク二杯ネ」

 

 どかっ、と大きなジョッキ樽がテーブルに置かれ、なみなみと注がれたアイスミルクが中でたぷんと揺れた。

 運んできたのはダイナさんだった。ダイナさんはするりとイスを引くと、俺の隣に音も立てずに座る。

 目の前に置かれたそれに、いただきます、と会釈して一口。フェリスのギュウバから搾った新鮮なミルクは本当に美味い。

 舌で転がしながら味わう俺とは対照的に、シフェルはジョッキを両手でがしりと掴むと、ごっくごっくと喉を鳴らしてそれを飲み干した。

 

 「お……っ!? ぃ、おい……お腹冷やしても知らないぞ、シフェル……?」

 

 「ぶへぁ……っ!! ……大丈夫です。かえって目が覚めますから……それで」

 

 横棒だった目がぱっちりと開かれて、ダイナさんの顔を映す。

 対し、ダイナさんもにいっと微笑み。

 

 「こういう形にしてみたガ……どうかナ。シフェル」

 

 「ええ、ありがとうございます」

 

 ダイナさんの笑顔に向け、深く頭を下げるシフェル。

 今のフェリス湖畔街近辺には魔物が少なく、狩りに出かける利点は薄い。クエストが無いとなれば必然、皆街の中に留まることになる。

 加えて午後にはクエストが届くのだ。であればわざわざ午前のうちに街を出る理由も無く、午後まで街で時間を潰せば仕事はやってくる。

 

 要するに――ギルドの方でクエストの掲示を一時的にでも止めてしまえば、その間、冒険者たちを街に留めることができる。ダイナさんが取ったこの手段が持つ意味は、俺にも理解できた。

 

 

 ……昨日のことである。

 シフェルはフェリスギルドマスターであるダイナさんに対し、ひとつの懸念を示した。

 

 『グィス・キャラバン……彼らはある物を輸送している最中だった。……届ける予定だったということは、それを受け取る者がいるということ』

 

 それが個人なのか組織なのかは定かではありませんが――と続けたシフェルに、ダイナさんが答える。

 

 『予定された時刻にソレが届かなかっタ場合、受け取る側はソレが奪われたと推測シ……奪い返しに来る可能性があル。というわけカ』

 

 こくりと頷くシフェル。

 そして地図の表面を細い指先でつうと撫でて、彼らの足取りをなぞり――最後に、とんとある地点を叩き。

 

 『彼らが街道を歩き続けたとして……仮に襲撃を受けなかった場合。彼らは昨日の時点で、ここにたどり着いていました』

 

 そこはフェリス湖の東、湖畔街の対岸。ずっと昔に滅んだ街の跡地がある地点。

 俺はぴんと来ていなかったが、シフェルの次の言葉が、彼女が言わんとしていることの答えだった。

 

 『東フェリス、ドゥルーア廃都。大陸にいくつか確認されている、カース商団の拠点のひとつです』

 

 

 推察するに、グィス・キャラバンの仕事は遂げられる寸前だった。

 メジハノ村への襲撃が、完遂間近で浮ついた心がさせたものだったのかどうかは定かではないが――彼らの目的地と予想されていた地点は存外に近く、グィス・キャラバンへの襲撃を知った者たちが、フラム・ルージュの行き先を予測してフェリス湖畔街へ来る可能性は非常に高い。

 そのタイミングはけして遅くはないとも、予想できる。

 

 「受け手がカース商団なのカ、商団と通じてる別組織なのかは定かじゃねえガ……ああいう手合いのやル事ニャア見当がつく。さテ」

 

 オーガが出るか、ナァガが出るカ。

 呟くダイナさんがぎしりと背もたれに背を預けた時、その答えが街中に鳴り響いた。

 

 

 ――ごおん、ごおんと、鐘が鳴った。

 

 

 「――――ッ」

 

 内臓が氷になったような気がした。

 今見えているものが全部見えなくなって、頭の中の景色が視界を埋め尽くした。

 天を見上げる巨大な異形。空から降り注ぐ魔物たちと、それに変わる街の人々。

 

 古い神の眷属、イドの出現を知らせる、ハディマギルドに備えられたイドの鐘の音。

 その直下にある酒場の内には、鐘の音が重く大きく響き渡って。

 

 一瞬の静寂の後、訪れる混乱の直前。

 この場の誰よりも先に巨大な声を張り上げたのは。

 

 

 「聞けッッ!!!!」

 

 

 フェリスギルドマスター、ダイナだった。

 景色が消える。視界が戻る。

 鐘の音を塗りつぶす巨大な声に、俺を含めたこの場の誰もが彼女の方を向く。

 

 「フェリスギルドは今ここに、鐘の音と共にイドの出現を認め、イド討伐戦の開始を宣言するッ!!! 臨むものは名と武器を、臨まぬものは背を見せろッッ!!!!」

 

 鐘の音が鳴り響くのと、殆ど同時に放たれる宣言。

 ほんのわずかな再びの静寂があって、それを裂いたのは。

 

 「――上位階冒険者(ゴールドハディマ)、ニットワス・エンケ!! イド討伐戦に参加しまァす!!!」

 

 剣を鞘ごと掲げ、ダイナさんのそれに迫る声量の参加宣言だった。

 ニットワスに続き、その後ろで少女が拳を掲げる。彼女と同時に彼女の隣にいた冒険者も武器を掲げ、そしてテーブルから複数人の腕が各々の武器を掲げた。

 

 「フランシュシュ・サヴォナ、中位階冒険者(シルバーハディマ)ですっ!! 参加しますっ!!」

 

 「中位階冒険者(シルバーハディマ)!!」「ぶ、下位階冒険者(ブロンズハディマ)ぁ……っ!」「上位階冒険者(ゴールドハディマ)ッ!!!」

 

 「「「アッカームパーティ、全員参加ァァーーーーッ!!!」」」

 

 湧き上がる表明の声の数々に、氷になった内臓に熱が灯る。

 俺も自分の剣を抱えながら席を立ち、ギルドマスターの目を見る。

 発破をかけた本人は、予想以上の熱量に少し困ったような顔をしていた。

 

 「…………オウ、アタシが悪かったナ、コリャ。アー、とりあえず全員外ナーー!! 街ン残ってるやつ全員参加扱いにすっかラーー!!!」

 

 それでいて嬉しそうな声をあげて、手を振りながら外へ向かう。

 彼女の背に駆け寄ったのはギルド嬢たち。彼女たちはギルドマスターから直接指示を受け、そのまま街の各地へと散っていく。

 酒場の中では冒険者たちが話し合いながら迎撃の用意を整えていた。イドの鐘が鳴り響く下で、彼らの表情は活力に満ちていた。

 

 状況に慣れている――というよりも。

 まるで、この状況を待ちわびていたような。

 

 「……ずいぶんな手段で襲撃に来ましたね、連中」

 

 ばさりとケープを纏い、俺の隣に立つシフェルがそう口にする。

 

 「わざわざ街を襲うために、イドを連れてきたってのか……」

 

 彼女の口ぶりからは、そう受け取れた。

 冗談だろと吐き捨てたくなった。あんなものを利用するなど、とても正気の判断とは思えなかった。

 あるいは、まともじゃない連中の取る手段だからこそ、まともじゃないのか。

 

 「勿論、グィスの取引相手とは何の関係もないただのイドかもしれませんが……。いずれにしても、手を打っておいて正解でした」

 

 シフェルは腰のナイフを引き抜いて、柄にはめ込まれた魔石の輝きを確かめたり、指先でポーチの中身を探って確かめたりしながら歩き出した。

 ……そうだ、いずれにしろだ。俺達のすべきことは、酒場でこうして話すことじゃないことは確かだ。

 俺はその背中に駆け寄り、少しだけ追い抜いてから振り返って話しかける。

 

 「シフェル、街を頼む! シフェルは強いから、ダイナさんと一緒にいる方がいい」

 

 「……? そのつもりですが――貴女もでしょう? 貴女はどこへ……」

 

 「教会に」

 

 「……!」

 

 はっとした顔でシフェルは俺を見る。小さく頷き、肯定する。

 

 「あそこにはメジハノ村の人たちがいる。シフェルが救助した、『前の持ち主』も。連中が仮に、フラム・ルージュの神気を辿る手段を持ってたとしたら――」

 

 「街から離れた場所にあるそちらも、狙われる可能性がある……。わかりました、トーリ」

 

 こくりと頷く。それから踵を返そうとして、何かを言いたげなシフェルの顔に足が止まった。

 行き場に迷った細い手が、胸元でわずかに閉じては開いてを繰り返し――それからゆっくりと、俺に向けて差し出される。

 

 「その。……気を付けて」

 

 「……ああ、そっちも!」

 

 差し出された手をぎゅっと握り返してから、俺は教会に向かって走り出した。

 

 

 *

 

 

 ごおん、ごおんと、イドの鐘が鳴っている。

 フェリス湖畔街に住む人々は突如として訪れた非日常に困惑し、恐怖し、混乱しながらも、街中を駆け回るギルド嬢たちの指示に従い、自分たちの家や指定された避難所に身を潜める。

 その人々が作る流れに逆らい、街の外、正門へ向かって歩くいくつかの人影があった。

 

 先頭を歩くのは、黒猫の亜人。

 そして正門にたどり着いた彼女が見たのは、街に向かって歩を進めている、深い青色の礼服に身を包んだ襲撃者たち。

 異国から遥々挨拶に来たのだと言わんばかりの、礼儀正しく、繕った気品に満ちた男たちだった。

 

 「カース商団……? とは、違う……」

 

 「あんな服仕立てル余裕ガ連中にあるかヨ。……別組織と見テ間違いないナ」

 

 横で目を凝らす格闘家の少女の言葉に、ダイナが答える。

 そして、その男たちの行進が正門に差し掛かった時。

 

 「止まれ」

 

 冷ややかな声が鐘の音をすり抜けて男たちのもとに届き、その足を止めた。

 

 「名乗れ」

 

 可能な限り会話をしたくないという内心が表れた、簡素な要求。

 醸し出す気配に襲撃者のうちの数人が気圧される中、先頭の男が声を張り上げた。

 

 「我々はナイリス大陸より渡海した、()()()()()の者である!!」

 

 頭髪が一本も残っていない、頭骨の形が浮き上がるほどに痩せた頭の男だった。

 男は数歩前に出ると、骨と皮ばかりの手を自身の胸に当て、ダイナに向けて淡々と話し続ける。

 当てた手の甲には赤い宝石が埋め込まれており、管を張り巡らせたそれは臓器のように脈動していた。

 

 「我々からの要求はたった一つだ、“引き裂きダイナ(ダイナ・ザ・リッパー)”。そちらにある……」

 

 

 「フラム・ルージュを、こちらに渡してもらいた――」

 

 

 男が手を差し出した、その瞬間。

 正門を越えた腕の先だけが、ひゅんと宙を舞った。

 

 「――――い……?」

 

 男は一瞬呆然として、肘の先を離れてくるくると飛んで行った自分の腕を見上げる。

 次の瞬間にはその痩せた顔は苦悶に歪み、きしむほど食いしばった歯の隙間から嗚咽と唾液を漏らす。

 

 「バカだロ、てめエ」

 

 黒い手の先から伸びた爪が、きらりと日の光を反射する。

 その爪先でぽたりと垂れているのは、赤い雫。

 

 「イドラ教団だカ何だカ知らねえガ。こっちの対応ハ、ハナから変わンねえんだワ」

 

 黒い毛皮の内で青筋を浮かべたダイナは、瞳孔を広げて牙を剥き、吠えるように言い放った。

 

 

 「てめえらは、()()()()()()。意味は、死んでから噛み締めろ――!!」

 

 

 「~~~~ッッ!! 亜畜生がぁぁ……ッッ!! 殺す、殺せぇえッ!!!」

 

 切断された腕を必死で握り押さえながら、男が悲鳴のように声を搾り出す。

 両者の声は両者の背後に控える者たちをともに飛び出させ、冒険者たちが武器を取り出すと同時に、襲撃者たちも自らの手や胸に埋め込まれた赤い宝石を砕いた。

 瞬間、男たちの体から膨大な神気が解き放たれ、それが全身を包み込んで急速に変質させていく。

 ある者の体は毛皮に包まれた巨躯となり、ある者の体は固い鱗に包まれ、あふれ出した神気が様々な()()()()をここに生み出した。

 無数の牙の内側から眼球を覗かせる者、半透明になった肉体の腹が裂けて巨大な口腔を作る者――青い礼服を突き破り、襲撃者の誰もが人の形を残した魔物へと相成る。

 

 人ならざる魔物の神が、恩恵として彼らにもたらした力。

 それらと相対するのは、魔物を狩ることを生業とする者たち。

 

 「ほーぉ!! よりどりみどりだなァ、こりゃア!!」

 

 「遊ばないでくださいよ、ニットワスさん!! ギルドマスター、指示を!!」

 

 戦意と闘志を燃やす冒険者たちに、自身も駆けながらダイナは指示を出す。

 

 「フランはティアテスベア!! ニットワスはイドリザードを叩け!! アタシは頭のハゲをぶっ潰ス!!!」

 

 斬り飛ばされた腕を踏みつぶし、砕き、肉体を変質させながら男が睨む。

 睨まれるダイナもまた、爪を振りかざしながら睨み返した。

 

 「ダァァアアイナァアアアアアアアアアッッ!!!」

 

 仇の名でも呼ぶように叫ぶ男の声を聞き、引き裂きダイナはほんの僅かに微笑んだ。

 

 

 *

 

 

 『鐘は私が鳴らしてあげる。あとは独力で果たしなさい、アイアーム』

 

 彼が彼の主君から受けた命は、それだけだった。

 

 街の正門で戦闘が起こる、その少し前。

 フェリス湖を臨む崖に建てられた白い教会へ向かう、巨大な片角の男がいた。

 一歩一歩を踏み出す度に地面がわずかに沈み、彼の足跡がそこに刻まれていく。

 

 (イドの鐘の音は、人々に混乱をもたらす――長く魔物の脅威に晒されてこなかったフェリスの者たちにとっては、特にだろう)

 

 この時間帯、冒険者たちの大半は依頼(クエスト)のために街の外へ出ている。迎撃にあてられる戦力は、わずかに街に残っている冒険者や自警団程度のもの。

 集団で教会に向かえば、教会の聖神気と街から来る戦力とで挟撃に遭う。であれば街に自分以外を向かわせ、最大戦力である自分が単身で教会に向かえばいい。

 自分ひとりあれば、交渉には十分だろう。アイアームはそう判断し、そうして教会へとたどり着いた。

 

 「……ん…………?」

 

 教会の前には、小さな人影がひとつ。

 アイアームが考え付いたものと、まったく同じ策を実行に移した初位階冒険者が、ひとり。

 

 纏っているのは、不釣り合いな大きさの赤い外套。

 稲穂のような金色の短髪が風に揺れ、純度の高い魔石に似た深い青色の瞳がアイアームを映した。

 

 「一人か?」

 

 少女はその体躯に等しい、小さく可憐な声で、しかし僅かな震えもなく訊ねた。

 臆していない。小さな背中の向こうに教会があるにも関わらず。

 今ここで俺がこの少女を吹き飛ばせば、簡単に教会にたどり着けるというのに。

 

 そうはならないと、その佇まいが言っている。

 それが空論だと、アイアーム自身の本能が答えている。

 

 「ああ」

 

 低く、うめくような音で答える。主君のために繕わなければ、この喉から出る音は聞くに堪えないおぞましいものになる。

 

 「そうか」

 

 けれど、少女は尚も臆さない。

 それどころか、であるのならと言わんばかりに、腰から剣を引き抜いた。

 

 黒い刀身。ガルヴォル黒鉄製か。剣の鍔には、失効傷が刻まれたギルド証がはめ込まれていた。

 そこに書かれた名は、『ガラハ・オンズ』。

 それが少女の名ではないことは即座に理解できた。

 ならば誰の名か。失効傷――即ち持ち主が死んでいる剣を、彼女が持っている理由は何故か。

 剣を抜き、佇む姿が、神聖であるとすら思えるほど型になっているのは何故か。

 

 頭の中で結びつく情報の数々は、アイアームにひとつの確信を抱かせた。

 

 「……先に、名乗らせてくれ」

 

 ぎぃんッ――と、両の拳をぶつけた後、アイアームは構える。

 『俺がここに来たのは正解だった』――その確信を反芻しながら。

 

 「我が名は、“鉄腕”のアイアーム……!! イドラ教最高枢機機関、“七天輪”直属幹部、シルク・ロンド・バルハジア様の配下がひとり!!」

 

 少女は半歩下がり、剣を持つ側の半身を後ろへ向け、左手の甲を向けた。

 そして。

 

 「初位階冒険者(ストーンハディマ)、トーリ・ノウェルグレイ」

 

 左手を握った瞬間、そこに灰色の炎が巻き上がる。

 胸の内の臓器がすべてひっくり返るような悪寒。あれに触れてはならないという危機感、確信。

 自然と流れた冷や汗が、アイアームの顎先から滴り落ちた。

 

 「テンセイ人だ」

 

 俺は選択を間違えたか。いや、これが正解だ。

 俺は不幸に見舞われたか。いや、これは僥倖だ。

 今ここで、俺はこの女を殺さねばならない。なんとしても俺が、誰の手も借りず(ひとりで)

 

 地面を踏みしめ、拳を振りかざし、先に飛び出したのはアイアーム。

 

 炎を纏った左手が触れるより速く、その腕をすり抜けて、少女の腹部に向かい振り上げられた拳を、剣が受け止めた瞬間。

 教会の前で鳴り響いた金属音が、鉄腕とテンセイ人の開戦を告げた。

 

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