ステラエモルク   作:朝神佑来

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第四話 「神殺し」

 『テンセイ人には、()()()()がある』

 

 ある時、ナイリス法王はアイアームに確かにそう話した。

 

 『彼らは我らの神が異世界より呼び寄せた、ここにあらざる筈の魂だ。本来はこの世界に無い筈の魂であるが故に、彼らには神を否定し殺す力が宿っている――が』

 

 『ステラエモルクで過ごすにつれ……彼らの魂は、エモルクに浸食されて、染まってしまう。その時、神殺しの力もまた、異世界の記憶とともに失われてしまうのだよ』

 

 故に、消費できる期限が存在する。それを過ぎれば、彼らはただのエモルク人になってしまう。

 この世界に馴染めぬ者、己の死を受け入れられぬ者、世界を拒む者……そういったテンセイ人こそが、テンセイ人としての力を存分に発揮できるのだと。

 アイアームはそう教えられた。知識としてそれを持っていた。

 

 だが。

 

 「づゥ……ッ!!」

 

 振り撒かれた灰色の炎に怯んだ瞬間、その炎の向こう側から彼女の斬撃が飛ぶ。

 固めた腹筋に切傷が走り、赤い鮮血が迸る。

 腕ではなく腹や脚を、常により効果的に刃が通る箇所を選び、そして的確に届ける剣技。

 

 炎が開けて消え失せる瞬間、腰を深く落として両の鉄腕に神気を集束させる。

 地面を踏み砕き、放ったのは神気の遠当身。少女の背後、教会を砕くために両の拳から正面へと飛び立った神気の塊は、灰の炎を纏った左腕の一薙ぎによって逸らされ、教会の屋根をわずかに削り取って空へと消え去った。

 

 「……滅茶苦茶を……!!」

 

 口から血と愚痴がこぼれた瞬間には、小さな体はアイアームの目の前にあった。

 反射的に鉄腕を眼前で交差させ、続けざまに襲い来る横一線の斬撃を防ぐ。

 金属と金属がぶつかり合い、轟音とともに火花が散る。殺せなかった勢いが、アイアームの体を後方へと吹き飛ばす。

 

 ――地面を削り、体勢を整えながらアイアームは思った。

 目の前の少女、トーリ・ノウェルグレイと名乗ったこの女は、あまりにも非常識な存在だ。

 使う剣技、俺という巨躯に対する立ち回り方、名乗った名前と振るう剣。

 相対して伝わるあらゆる情報が、この少女がこの世界で過ごしてきた時間の濃密さ――人生を感じさせた。

 

 だというのに。

 その左腕には、確かにテンセイ人の力が宿っている。

 神を否定し殺す力、異世界から来たが故に宿る天からの二物。

 

 (敵として、これ以上は無いほどの脅威――!!)

 

 無敵を誇った鉄腕に、主君より賜った誇りにびしりと刻まれた傷。それに、アイアームは怒りよりも怖れを抱いた。

 だが、だとしても。退くという選択肢は、アイアームの中には存在せず。

 アイアームはゆっくりと呼吸を整えて構え、翻る赤い外套とともに襲い来る剣閃を、その鉄腕で弾いた。

 

 「な――ッ」

 

 「――“神纏(じんてん)”」

 

 体勢が崩れたトーリの無防備な腹部へ向け、腰を落とし、まっすぐに拳が突き出される。

 凝縮させた神気を纏わせた鉄腕によって放たれる正拳突き。何一つ飾らない無骨な一撃が、アイアームにとっての必殺の一撃。

 音の壁にすら迫る速度のそれがトーリの腹部へ到達する、その瞬間。

 

 肉を殴った確かな感触と、乾いた破裂音と、硬い地面が砕ける感触が訪れて。

 刹那、アイアームの目に映ったのは、弾け飛んだ敵の骸――ではなく。

 

 (砕け――て……いない――!?)

 

 瞳。眼光。

 純魔石に似た、透き通った深い青色のそれが、アイアーム自身の顔を映していた。

 

 正拳が触れるその瞬間、トーリ・ノウェルグレイが試みたのは回避や防御ではなく、衝撃の受け流し。

 腹部に拳が到達すると同時に体を回転させ、その勢いを滑り進ませて、ダメージを負いながらもその場にとどまり続けた。

 肉を殴った感触も乾いた破裂音も、その瞬間に生じたものであり――続けざまにもたらされるのは、その受け流す勢いを乗せた反撃。

 

 (しま…………ッ)

 

 「“閃”」

 

 迫るのは、黒い切っ先。

 彼女の口から血とともに噴き出すのは、その奥義の名。

 

 「――“突”ッッ!!!」

 

 アイアームは咄嗟に両腕を眼前で交差させるが、真正面へと貫き穿つ剣閃は鉄腕を打ち砕く。

 左腕より放たれたそれによって、衝撃と同時に届くのは螺旋を描く灰の炎。

 鉄腕は砕け、神殺しの炎に焼かれ、アイアームの巨躯は木の葉となって吹き飛んだ。

 

 「グゥゥッッォォオオオアアアアアアアアアアッッ!!!?」

 

 一度、二度、地面の上を跳ねた後、おぼつかない両脚で残る速度を殺しながらアイアームは立ち上がろうと試みて、片膝をつく。

 砕け、ひしゃげた己の鉄腕が地面に向けてだらりと垂れ下がる。両腕が砕けた痛みよりも、その炎の熱さがアイアームを苦しめた。

 嗚咽と共にぼたぼたと流れ出る唾液すら、炎に焼かれて消え失せる。

 

 「はぁっ……はぁっ…………!!」

 

 遠く、アイアームに致命打を与えた少女もまた、片膝をついていた。

 伸びきった左腕を右手で抱えながら、手放すまいと剣を握り続けている。

 けれど放った技の反動は大きく、右脚と左腕の痺れが彼女に次の一手を取らせなかった。

 

 相対したテンセイ人の、その姿を見たアイアームは。

 

 「~~~~ッッ!!!」

 

 地面から突き出た岩に向けて、ひしゃげた腕を強く振り下ろした。

 既に岩よりも脆くなっていた鉄腕は、その渾身の力によって容易く砕け、千切れ飛ぶ。

 そうして両腕を捨てたアイアームは、残った肩をいからせて吠える。

 

 「まだだァッ!!! トーリ・ノウェルグレイィッッ!!!」

 

 千切れた両腕が宙を舞い、炎に包まれて消えるのを見たトーリは、アイアームが取った行動の意味を即座に理解した。

 

 (ふ――っ!? 防ぎやがった……()()を……っ!!?)

 

 残る両脚を振り上げ、体の重心の変化をものともせず、アイアームは真っ直ぐに駆ける。

 両手で剣を握って足を開き、迎え撃つ姿勢を整えるが、殺しきれなかった腹部のダメージと反動は大きく、体がぐらりと揺れる。

 左腕の炎も、閃突に乗せて出し尽くした。炉心から引きずり出すには時間が要る。

 

 満足に動かない体で、それでも精神は研ぎ澄ます。来る決着の瞬間に、確実な勝利と生存を掴む為。

 それはアイアームも同じこと。満足でなくなった五体を用いて、決着をつけるために巨躯は駆ける。

 

 (俺がここで死ねば――殺し損ねれば――次は)

 

 距離を縮める刹那、よぎった顔は一つ。

 

 (次は…………!!)

 

 膝から力を抜き、体を落とす。

 同時に地面を蹴り飛ばし、一瞬にしてトーリとの距離が縮まる。

 狙う先は傷を負った腹部。体をねじり、爪先を突き刺さんと試みたその瞬間。 

 

 

 「“燃える礫(フラム・デブリス)”ッ!!!」

 

 

 トーリの背後から、小さな炎の塊が飛び――アイアームの顔面に、直撃する。

 

 「ぐゥ――ッ!!?」

 

 「…………ッ!!」

 

 姿勢が崩れる。一秒にも満たない刹那の好機を、トーリは逃さなかった。

 痺れる右脚で尚も踏み込み、アイアームと同様に全身をねじり、横一文字に剣が閃いた。

 

 

 「“閃”ッ!! ――“斬”ッ!!!」

 

 空を裂く、一寸の乱れも無い横一閃の一薙ぎ。それはアイアームの筋繊維の隙間を正確に潜り抜け、その肉体を両断せしめた。

 

 ――アイアームの意識が現実に追いついた瞬間。彼は、青空を見た。

 ぐるん、ぐるんと世界が回る。急速に冷えていく自分の体の熱があって、理解が及ぶより先に、体はどしゃりと地面に落下した。

 

 「…………っ、……」

 

 同時に、トーリの体も崩れ落ちる。

 閃突と閃斬、未だ極めていないふたつの技を短時間に使った代償は大きく、背中から地面に向けて倒れるその時。

 どさりと、誰かの体が彼女を受け止めた。

 

 「シスター……!! シスターアリアッ!! 戻りなさい――!!」

 

 遠くから聞こえる、聞き覚えのある名。受け止められたトーリの体はゆっくりと寝かされて、腿の上に頭が乗せられる。

 見覚えのある顔。息を切らし、大きく開いた両の目が、トーリを見つめていた。

 黒いフード、黒い服。気の弱そうな、優しい顔の女性。

 

 「……メジハノ村の……アリア、さん……?」

 

 「ああ……よかった、よかった…………っ」

 

 くしゃりと彼女の顔が歪み、大粒の涙がトーリの頬の上に落ちる。

 ぐしぐしと顔を袖で拭う彼女の横に、汗を浮かべた老いた男性の顔もあった。

 

 「っ、神父様、彼女に治療魔術(サルヴァ)を――!」

 

 「……わかっています。失礼……」

 

 神父――。そうか、フェリス教会の神父様かとトーリは理解する。

 神父は首にさげた大樹の聖印を手に握ると、それを引っ張って取り外し、トーリの体にかざして聖神気を集中させた。

 

 

 「俺は…………」

 

 体中の痛みが拭われて消えていく中、聞こえたのは、男の声。

 トーリはシスターアリアの膝から上体だけを起こし、地面に腰を下ろしたまま、横たわるアイアームの上半身を見下ろした。

 

 「負けたのか……」

 

 「…………」

 

 最早、光も届かなくなった彼の目を見つめながら、トーリは答える。

 

 「ああ」

 

 返答に、アイアームは強く目を閉じた。

 

 「……そうか。……外法に……身を、やつし……異教を……信じ仰ぎ、エモルクを……冒涜して、尚」

 

 「俺は…………負けるのか……」

 

 外法……異教、冒涜。

 漏れ出る言葉の中に、気にかかる単語はいくつもあったが……トーリは問いただすことなく、

 

 「あんたは、強かったよ」

 

 「…………」

 

 「少なくとも、俺が戦った中じゃ――」

 

 

 「テンシュラクの、次だ」

 

 

 閉ざされていた目が、その名を聞いた瞬間に、大きく見開かれた。

 

 「……テン……シュラク……?」

 

 光の射さぬ目で、アイアームはトーリを見た。

 神父も、シスターも、アイアームと同じ顔をしてトーリを見ていた。

 

 「馬鹿な、何故――何故、今……その名が…………!」

 

 トーリは答えない。

 ただ、回復した炉心から漏れ出る左腕の炎が、揺らめくことで答えていた。

 

 「そうか――貴様が、貴様が…………!!」

 

 アイアームは聡明な男である。

 平時であろうと戦闘時であろうと、常に頭を働かせ、浮かぶ『何故』という疑問に向き合い、氷解させ続けてきた。

 トーリ・ノウェルグレイとの戦いにあっても、それは同じである。得ることで向き合うこととなる答えは、常に彼を追い詰め続け――そして今。

 

 「貴様が、テンシュラクを殺した……『神殺し』……ッ!!!」

 

 生涯、最期にして最大の答えにたどり着いた瞬間。

 彼の影がどぷりと波打ち、突如として吹き上がって、彼の体を包み込んで飲み込んだ。

 

 「な――っ!!?」

 

 思わず前に飛びのきそうになる体を、神父の腕に制止される。

 

 「危ない、トーリ殿ッ!! ……これは……!?」

 

 アイアームを飲み込んだ黒い影は水面のようにしばらく波打ち続けると、やがて地面に吸い込まれるようにして消えていった。

 そこに横たわっていた、アイアームの体ごと。

 

 「……影が……食った……? どんな魔術だ……?」

 

 「いえ……あのような魔術は見たことがありません。近くにそれらしき術師の気配もない……これは、一体……」

 

 治療魔術を続けながら、首を横に振る神父。

 血の混じる唾をこくりと飲み込み、トーリは彼が口にした、いくつもの聞き慣れない単語を頭の中で反芻していた。

 

 「イドラ教……。外法の、力……」

 

 

 *

 

 

 街のどの建物よりも高く空へと伸びる鐘塔の下に、ハディマギルドはある。

 ハディマギルドと鐘塔が一体になっている理由は様々だが、街全体を一望する必要がある際、最も適した場所がこの鐘塔だった。

 

 黒く巨大なイドの鐘の、その真下。

 シフェル・ブルーメルは、鐘の舌を見上げていた。

 微動だにせず、静まり返ったその鐘を。

 

 「……鐘の音が……止んでる……」

 

 イドの鐘は、イドが放つ膨大な神気に引き寄せられることで鳴り響く。イドが倒されて尚、その地に神気が残留していることが原因でわずかに動くことすらある。

 だが今、先程まで鳴り響いていたはずのイドの鐘はぴくりとも動かない。

 その様子は、シフェルにとってひどく気味が悪かった。

 

 (北門、アッカーム達の戦闘は終わっている……正門のダイナさん達の戦闘も終始優勢のまま……そこ以外に、人影は……無い……)

 

 街を見下ろし、どこへ目を向けても、イドのそれに匹敵する神気を放つような存在は無い。

 止んだ鐘の音も、その事実を説明している。

 

 「あなた方はいったい……どうやって鐘を鳴らしたのですか?」

 

 シフェルの足元には一人の男が転がっていた。

 全身に流れる微弱な雷が体の自由を奪い、動かせるのは口と頭のみ。拘束具を用いず身体の自由を奪う術は、シフェルの得意とするものだった。

 男の両腕は巨大な翼に変異していた。翼の先の手は裏返り、五本の指のすべてがあらぬ方向を向いている。

 

 「わが……ぁぇ……なで、なんで――ぇ……」

 

 漏れ出た嗚咽は、彼の混乱を表していた。

 正門より足を踏み入れた者たちが戦う最中、隙をついて街へと飛び込む役目を担わされていたのがこの男だった。

 結果として彼はシフェルに拘束され、この異常事態の説明を強制されている。男は焦点の合わぬ目をぐりぐりと動かしながら、唾液とともに言葉の形をした嗚咽を漏らした。

 

 「――様の……気配が……ない、いつ、も……おれたちを、見守ってくださっているはずなのに……」

 

 「……?」

 

 僅かに動かした口で、何者かの名前らしきものを呟いている。

 シフェルは膝を曲げて屈み、男の口に耳を近づける。

 

 「様……シルク様……シルク様、シルク様、どうか、どうか……ぁ」

 

 「シルク……?」

 

 聞き馴染みのない名前だった。

 文脈から察するに、それが彼らを統べる者の名か。

 シルク、シルク。シフェルが自身の記憶に当てはまるものがあるかどうかを探る中、不意に男の目がはっきりと見開いた。

 

 「あ」

 

 ただ一言、漏らすのではなく、はっきりと口にした声。

 それを聞くと同時に、シフェルの全身にぶわりと鳥肌が立った。

 反射的に彼女は上を見る。

 鐘の舌が、わずかに持ち上がっている。

 

 「ぁ……! ああ、ああ!! シルク様が……お見えになられた……!! はは、はははっ、シルク様、シルク様あ……ッ!!」

 

 力の入らない全身を無視し、男はひたすらに口を動かし続ける。警戒し、雷魔術(ディジニオ)を強めるべきか一瞬悩み、いや、とシフェルは男から距離を取った。

 

 「シルク様!! どうか我々をお助げべッ……!!」

 

 ほんの僅かに感じられる神気の気配、その収束。

 それを警戒し、シフェルが数歩男の元から離れた瞬間、鐘塔に満ちる影が無数の棘となって男の全身を突き刺し、その身を空中に静止させた。

 

 「え……っ!?」

 

 見たことのない魔術。魔術であるかどうかすら定かでない事象を前に、困惑するシフェル。その足元にも、影。

 咄嗟に頭を働かせて理解しようとする理性に対し、ここを離れろと命じる本能が勝る。その身を翻して鐘塔から飛び降りた瞬間に、無数の棘と化した影がシフェルが立っていた場所から突き立った。

 落下しながらシフェルは魔術を唱える。

 

 「っ……“空泳魔術(エルヴィム)”!!」

 

 瞬間、シフェルの体は風を受けた木の葉の如く空へと舞い上がった。

 そして空中でぴたりと静止し、離れた場所から鐘塔を観察する。

 イドの鐘が僅かに動き、その下から再び影がシフェルに向かって飛び出すが、陽の光を受けた瞬間に影はぶわりと霧散して消えた。

 

 「……そうか、影だから……」

 

 陽の光を受ければ、影は消える。袖で冷や汗を拭い、対処できたことに安堵しかねた時、シフェルは影に突き刺された男の体から何かが抜け出るのを見た。

 赤い、粉末のような何か。それは意思を持つかのようにまっすぐに空を飛び、どこかへと向かって飛び去っていく。

 その粉末からは、濃い神気が感じられた。

 

 「……ッ!?」

 

 それが飛び去る方向へと目を向ける。

 フェリス湖畔街の正門――この街に属するハディマ、その精鋭達が戦っている場所。赤い粉末は、まっすぐにそこを目指して飛んでいく。

 空を泳ぎ、シフェルは赤い粉末を追ってその場を飛び去った。

 

 

 *

 

 

 気味が悪い。

 襲い来る魔物人間の喉元に爪を突き立てて、ダイナが思うことはそれだった。

 

 「……何故ダ?」

 

 悶え苦しむ男を持ち上げ、乱雑に地面に叩きつけて、ダイナは呟いた。

 

 「魔物の力を身に宿す……それはいイ。ティアテスベア、イドリザード、ダークヴォルフ、どの魔物も確かナ脅威ダ。……だガ」

 

 硬い毛皮で覆われた体は叩きつけられる衝撃を受け止め、致命傷には至らなかったものの、毛皮の内側の骨にはいくつもヒビが入る。

 

 ――頭髪のない痩せた男は、全身に黒い毛皮を生やしてダークヴォルフに変身し、今は苦しみながら悶えている。

 ティアテスベアに変身した男は、喉にフランの炎の拳(テルムフラム)を叩き込まれて窒息した。

 イドリザードに変身した男は、ニットワスによって眼孔に突き立てられた槍ごと頭をねじられ、背中から倒れて地面とキスをしている。

 

 他の魔物人間達も同様に、冒険者(ハディマ)が持つ経験と知識によって倒されている。

 この現状が、ダイナにとってあまりにも気味が悪かった。

 

 「練度が低イ、明らかニ戦い慣れてなイ。お前ら何なんダ? 何でここまで……弱いんダ?」

 

 率直で、純粋な疑問。

 その言葉が、ダークヴォルフの男の神経を何よりも逆撫でた。

 

 「弱い……弱い、だとォ……ッ!!」

 

 「…………」

 

 へし折れた骨の痛みに耐え、脂汗をにじませながらダークヴォルフが立ち上がる。

 黄色い眼球がダイナを睨む。ダイナは睨み返すことなく、ただ目を細めた。

 その目に宿る闘志や怒りに、続く攻撃は何だと身構えて――何でもなく、ただ飛びかかるだけのその男に、ダイナは牙を剥いた。

 

 「うああああああッ……!!!」

 

 尊大な虚飾のすべてが剥がれた、これが連中の本当の姿なのかと。

 ギルドマスターとして働く頭を、かつて冒険者(ハディマ)だった体が追い抜き、引き裂きダイナ(ダイナ・ザ・リッパー)はダークヴォルフの首を音も無く両断した。

 恐怖や絶望、闘志と怒り、あらゆる感情を乗せたまま、男の顔がぐるぐると空を舞い――やがて落下した。

 

 「フゥ…………」

 

 イドの姿もなく、鳴り響くイドの鐘。襲い掛かって来たのは、異教の名を口にする、魔物の体に変身する人間たち。

 この異常事態のどれもがギルドマスターの頭を悩ませたが、強く心にへばりついたのは、弱さを指摘された男の顔だった。

 

 ……魔物に襲われる人間の顔をしていた。

 冒険者(ハディマ)が守らねばならない人間の顔だった。

 

 「ダイナさん、あらかた片付いたかと」

 

 イドリザードの頭から引き抜いた槍を振り、血を飛ばしながらニットワスがダイナのもとへ歩く。

 

 「おウ、こっちもダ。ニット、お前は北門に向かってアッカーム達と合流しロ。アタシはフランと話したイことがあル」

 

 「うす」

 

 簡潔な返事をして、ニットワスは北門に向かって駆け出した。

 フランシュシュは遠くで聖職者(ヒーラー)に手当を受けていたが、自分の名が聞こえた瞬間、お礼を言ってぱたぱたとダイナのもとへ駆け寄った。

 

 「お呼びですか、ギルドマスター!」

 

 「フラン。……連中の手ごたえハ、どうだっタ?」

 

 「……ふつう……でした。シロクマとは戦い慣れてますし、クマ殺しは冒険者(ハディマ)の登竜門です。だからセオリー通りに、喉を狙ったんですけど……」

 

 自分の細い喉をとんとんと指で叩くフラン。

 どんな生き物も呼吸を奪われれば死に至る。骨も皮も強固な鎧であるベア種と戦う際、炎魔術(フラム)や刺突を用いるのが効果的で――。

 

 「ふつうに倒せました。だから、ふつう……です。……自分がもしそれに変身するなら……対策はします、よね?」

 

 ダイナは、同じことをニットワスに訊ねたとしても、同じ答えが返ってくるだろうと思った。

 イドリザードの鱗も魔術や刃を跳ね返す強固な鎧である。反面、彼らの眼球は大きく、また柔らかい為、やはりそこを狙うのが効果的だ。

 魔物に対する知識で以て対処した結果、魔物と同じように彼らは倒された。であれば、彼らの変身には、いったい何の意味があった?

 

 「アタシも同じ感想ダ。実戦経験が豊富とはお世辞にモ言えなイ連中だっタ……」

 

 ダイナは地面に転がったダークヴォルフの頭を手に取り、それを暫く見つめた。

 カース商団の連中は、人を殺すことを生業とする『賊』であり、集団行動を得意とする。連中なら、こんなザマにはならない。

 まして冒険者(ハディマ)ならば当然、魔物の弱点や対処法は知っている筈だ。元冒険者(ハディマ)なら、こんな負け方はしない。

 

 「魔物ンなった癖に……()で、そんな顔してやがル……?」

 

 その瞼をそっと閉ざし、頭を地面に寝かせる頃、周囲がにわかにざわつき始めた。

 ぴくりと両の耳を立てて声を聞くダイナ。振り向くと、冒険者(ハディマ)たちが揃って上を見上げていた。

 

 「ダイナさん、上です、上っ!!」

 

 「上――!?」

 

 フランの声を聞き、上を見上げる。

 青空の中心で、赤黒い何かが脈打っていた。

 赤く細い糸のようなものがそれに繋がり、集っているのが見えた。

 視線を下に戻す。赤い糸は、今しがた倒された魔物人間たちの死体から伸びていた。

 

 「まさカ……!?」

 

 全身にざわざわと走る悪寒。あの赤黒い塊から発せられている、高濃度の神気。

 魔物人間たちは変身する前に赤いなにかを砕いていた。この赤い糸と、それが集って形作っているあれは――。

 

 (嘘だロ――こいつラ、いヤ……こいつラをけしかけた奴ハ、これガ目的だったってのカ!? ()()()弱かったのか!? だから――!?)

 

 どくん、と、赤黒い塊が脈動したとき。

 ごおん、と、鐘が鳴り響いていた。

 いつの間にか鳴り止んでいた、イドの鐘の音だった。

 

 「~~~~ッ!! 全員、散開しロッ!! できるだけ遠くへ離れろッ!!」

 

 叫ぶように命じ、脈動する赤黒い塊を視界の中央に捉える。

 位置が高い。空泳魔術(エルヴィム)でも使えれば届くだろうが、あんな高度な魔術を習得した魔術師はこの街にはいない。

 人間――()()には届かない高度だが、()()である自分の脚ならば、或いは。

 

 両脚に力を込めて、ぎりぎりと地面に爪を立てて、今まさに飛び掛からんとしたその時だった。

 

 「――、――――、“イア ウェヴ ジィル ジィンブル”……!!」

 

 立てた耳に聞き覚えのある声が届く。空の向こう、ギルド酒場の方面から誰かが飛来する。

 空を泳ぎながらの詠唱など、できる人間をダイナは知らない。知らないが――できるとするなら、浮かぶ人間はただ一人。

 

 「“ヴィシエム ィニ プロィヴェーレ”、“イオキュラス ア シュイロスフラム”!! みんな、できるだけ離れてッ!!!」

 

 飛び掛かろうとしていた脚を返し、正反対の方向へとダイナは駆ける。途中何人か冒険者(ハディマ)をひっつかみ、肩に抱えながら。

 辺り一帯を包んでいた神気が、彼女が練る雷魔術(ディジニオ)によってかき消されていく。

 

 ――滞空しながら、彼女は左手を伸ばし、三本の指を立てた。

 親指は上に。中指は右に。人差し指は、前に。

 魔力と神気が交錯し、雷へと練り上げられていくにつれ、その指は少しずつ折り畳まれて、擦り合わされる。

 

 「“ラフスオーウェル ネレーティオ イア グラディアス”……!! “カルヴェ メテイレ ヴェナーリア”!!」

 

 神と同じく空から襲い来る力であるが故に、その力はあらゆる属性の中で唯一、神を殺し得る。

 そしてこの魔術師は、稀代の才能とともに、その力の祝福を受けていた。

 故に彼女が放つ、彼女が編み出すに至った固有魔術は――。

 

 

 「“わたしの光(シフェルラント)”ッッ!!!」

 

 

 ぱちん、と指が鳴った時。

 世界が揺れ、轟音が鐘の音をかき消し、青と金色の雷が赤黒い塊を貫いた。

 一瞬にしてそれは消滅し、後にはバチバチと残留する雷だけが空に残る。

 

 空に浮かんだ人影がぐらりと揺れて、力無く落下するのを、ダイナの全身がぼふんと受け止めた。

 

 「シフェル……!! お前っ――無茶しやがっテ……!!」

 

 「ぶはっ、はぁっ、はぁっ……!! っ、ぁ、りがとう、ございます、ダイナさん……っ」

 

 「無理しテ喋るナ、助かった……!!」

 

 魔術師本人の名を冠する、卓越した魔術師が持つ切り札――固有魔術。

 ただでさえ行使に莫大な魔力を消費する空泳魔術(エルヴィム)と同時の詠唱と使用は、シフェルに命を蝕みかねないほどの消耗をさせていた。

 ダイナの毛皮の上で寝転がり、彼女に抱きかかえられ、滝のように汗を流しながらシフェルは空を見た。

 

 神気の気配はどこにもない。青い空が、広がっている。

 

 「……」

 

 鐘の音も、神気の気配もない。

 街を守り切ることができた。……ひとまずは。

 

 「トーリ……」

 

 彼女は無事だろうかと、シフェルが彼女の名を呟いたのと。

 トーリを抱えたシスターが街の正門を潜るのは、殆ど同時だった。

 

 

 *

 

 

 フェリス湖畔街より、数キロメートル離れた平原。

 僅かに隆起した岩の上に腰かけて、空に向けて口を開ける少女の姿があった。

 

 空だった少女の口の中に、黒い液体がこぽりと音を立てて満ちていく。

 口の端から溢れ出そうなほど満ちた時、少女は口を閉じて何度かの咀嚼を挟み、それを少しずつ飲み込んだ。

 

 「首尾はどうだい、シルク嬢」

 

 草花を踏み荒らす足音の方へと、彼女は目線を向ける。

 下唇にリングピアスを刺した、逆立つ赤髪の男がそこに立っていた。

 傷だらけの上半身には衣服を纏っておらず、丸太のように太い両脚だけを鎧が包んでいた。

 

 「……火天の……。何故、こんなところに」

 

 「あんたの仕事ぶりが気になってね。それで? フラム・ルージュは回収できたか?」

 

 「いいえ」

 

 シルク・ロンド・バルハジアは首を横に振る。絹糸のような長い髪が左右に揺れる。

 

 「アイアームを含む、配下のすべてを失ったわ。街は無傷、フラム・ルージュの行方も知れないまま」

 

 「お……ォいおい、マジか!? 大失態じゃねえか!? ああ、それでここで黄昏てたのか? どこへ逃げようかって算段でも立ててたのか、アンタ!?」

 

 げらげらと腹を抱えて笑う男の声が、平原に吸い込まれていった。

 それから暫しの静寂があって、ひとしきり笑い終えた男が頭を掻きながら次の言葉をかけようとして。

 

 「ケンゴ」

 

 先に、シルクが男の名を呼んだ。

 

 「……法王猊下のもとへ、テッサラクトを繋げることはできる?」

 

 その言葉に、ケンゴの顔から笑顔が消える。

 直立したケンゴの頭の位置は岩肌に腰かけたシルクの頭に近く、ケンゴは彼女の肩を掴んで自分に振り向かせた。

 

 「失態を報告するつもりなら――悪いことは言わねえ。このまま逃げ……」

 

 見開いた目。額に浮き出た血管。

 ただ口だけがあどけない形のまま、眼光だけで憤怒を示す形相が、ケンゴを見た。

 

 「テンシュラクを殺した、神殺しのことがわかったの」

 

 「……何?」

 

 シルクの口の端からこぼれる黒い液体。

 それは、アイアームを飲み込んだ影そのものだった。

 

 「あたしの失態への処遇は何だっていい。一生を神の慰み者として終えてもいい。だけど、それらより先に果たさねばならない報告がある」

 

 怒り狂っている。フェリスを見誤った自分自身に。

 だが、その怒りを押し殺せるだけの理由があった。

 その形相に怒りを表したまま、淡々とシルクは目の前にいる七天輪のひとりにそれを伝える。

 

 「報復としてフェリスに攻め入ることも……逃げることもできやしない。あたしは伝えなきゃならないの。あたしの影や、あなたの腕と同じ、神殺しの権能(ブレイス)……神殺しの炎を持つ」

 

 

 「トーリ・ノウェルグレイという、テンセイ人の名を」

 

 

 だからお願い――そう続けるシルクの前に、ケンゴは腕をかざし、空間を割り開いた。

 にぶく青色に光る空間のひずみがそこに現れる。その先は、七天輪だけが足を踏み入ることが許される玉座の間へと繋がっている。

 

 「ならご一緒しよう、シルク・ロンド・バルハジア。こう見えてエスコートは得意なんでね」

 

 「……ありがとう。ケンゴ・タチバナ」

 

 岩から降りて、ひずみに足を踏み入れる直前。シルクはケンゴにくるりと振り向き、小さく頭を下げた。

 シルクの額は丁度ケンゴの腹のあたりにある。身長と体格、そして立場に差はあれど、その力量と、互いの互いに対する接し方にはほとんど違いが無い。

 同じテンセイ人である二人は、だからこそ通じ合う二人だけの何かを有していた。

 

「そのトーリ・ノウェルグレイってのは、よほど強いらしいな。あの筋肉バカを正面から殺せるやつがいるとは……考えたこともなかった」

 

「……愚図で愚鈍で、融通のきかないバカな男だったわ。最後まで…………」

 

 ぐ……っと強く、シルクは細い腕に力を込める。

 渦巻く感情のすべてが、表情の代わりにそこに表れている。

 ケンゴはあえてシルクの先を歩き、彼女の腕と顔へは目を向けなかった。

 

「助けの、ひとつくらい……呼ぶと…………思ってた」

 

「誰だって格好つけたがるもんさ、男はよ。女の前なら、特にな」

 

「あんたも? ……死んでも?」

 

 ケンゴの巨大な背中に、喪った配下の背中を重ねながら、シルクは尋ねる。

 丸太のような首の先にある頭が、こくりと小さく頷いた。

 

「覚えておいてやれ。それが手向けになる」

 

 二人はそれ以上、言葉を交わすことはなく。

 ひずみの向こう、法王猊下の元へと、空間を超えて跳躍していった。

 

 

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