ステラエモルク   作:朝神佑来

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第六話 「手紙」

 

 ――人間の魂の形ってのは、はっきり定まってるらしい。男なら男、女なら女で、テンセイの際にそれが歪むってことはないと。

 そう説明してくれたのは、誰だったか。

 

 朝。カーテンを開けて陽射しを受けて、ぼんやりする頭から眠気を覚ましながら、俺はかつて誰かが説明したことと、昨日フランに言われたこととを交互に思い返していた。

 人間の魂には形がある。男なら男の、女なら女の。

 普通はそれが歪むことは無く、性別は保たれたままテンセイするはずだと。

 

 「……普通じゃないわけか。俺は」

 

 考えてみればその通りだ。普通じゃない。

 女の体に、いつまでも男の魂が宿っている。

 だとするなら俺が……俺の魂が、トーリの肉体の性徴を、阻害しているのだろうか?

 

 小さな少女の小さな腹を、小さな手で撫でながら、俺は顔をしかめた。

 

 「いや、それならそれで」

 

 どうすりゃいいんだ一体。どうすりゃ、女の体に成長するんだ?

 自分の体なんて勝手に成長して性差が出来ていくもんじゃないのか。俺の方、自我というか認識というか、そっち側から何かしらのアプローチが必要なのか?

 …………どうすりゃいいんだ??

 

 (女の子らしく……女の子…………)

 

 一人、部屋で首をかしげて頭を悩ませる。意識しようにも、魂の形はやはり男のままだ。

 五年……この体で過ごしてきたけれど、感覚としては一人称の視点で女キャラのアバターを操作しているそれに似ている。これが自分だと理屈では理解していても、実感が薄い。

 学んだ剣術は五体に満ちて、いざ戦いとなれば思うままに動かすことができるにも関わらずだ。

 

 ……考えていても仕方ない。ベッドから立ち上がり、シフェルを起こしにいくことにした。

 

 

 *

 

 

 「ああ、おはようございます、トーリ。よく眠れました?」

 

 「おはよう。寝心地がいいもんでね、癖になりそうだよ」

 

 シフェルは部屋におらず、既に起きて一階の酒場で診療を行っている最中だった。昨日、夜までかかったボランティアの続きだろうか。

 腕に包帯を巻いた男性がシフェルにお礼を言って、そのままギルドのカウンターへ向かっていった。

 一昨日、昨日と変わらず、ギルド酒場は盛況である。滞っていた――ダイナさんの手によるものだが――依頼が舞い込んできて、今が稼ぎ時だと冒険者(ハディマ)たちがはりきっているのもあるのだろう。

 

 「……長引くものなんだな、治療って。治療魔術(サルヴァ)でささっと治すものかと」

 

 「聖神気は便利な力ですが、濫用は控えるべきです。聖石は貴重ですし、薬品や道具が揃っているなら、極力そちらを使うべきでしょう。何より、エモルク様のお力をみだりに使うのも……くぁ」

 

 未だ負傷者の多い酒場の様子を伺いながら、大きなあくびをするシフェルの隣に座る。

 ほどなくして、俺達のテーブルにことんとアイスミルクが二杯置かれた。ここんとこ毎朝頼んでいたせいか、最早注文する必要もないらしい。

 

 「俺の姉さんは、俺が怪我したらすぐ治してくれたよ。フィルフ……いや、ウラフだったかな、そんなような魔術語を付け加えてさ」

 

 さっと手で体を軽く撫でられるだけで、全身の切り傷が消え失せるように癒えたのを今でも覚えている。

 

 「さ……治療魔術(サルヴァ)にずいぶん強い単語を使いますね、貴女の姉は……。それほど貴女の体が心配だったのでしょうけれど……」

 

 強い単語……なのか。フィルフやウラフって。如何せん、魔術にはとんと疎いままだ。

 冷や汗が流れそうになるのをごまかすようにアイスミルクを口に運ぶシフェルの顔を横目で見ながら、俺は昨日言われたことを思い返していた。

 

 「あのさ、シフェル」

 

 「ん?」

 

 答えにくいことかもしれないが……そう前置いて。

 

 「……何歳(いくつ)……ぐらいだった? その」

 

 答えにくい以上に……訊ねづらいな。

 言い淀む俺の質問の意図を、シフェルが察するまでの少しの間があって。

 

 「十か、十一。……曖昧でして、あまりはっきりとは覚えていません。訳あって、自我の希薄な子供でしたから」

 

 「……ずいぶん早いな?」

 

 「? 平均的な方だと思いますよ。男は十五で職を持ち、女は子を持つと言いますし」

 

 聞いたことのない言葉だった。似たような旨のことは、昔聞いたような気もするが……。

 ……不意に、以前酒場で働いたときのことを思い出した。少しだけひっくり返りそうになる胃に、冷えたミルクを流し込む。

 あの時、見知った大人たちが俺に向けた視線は、きっと彼らにとっては自然なものだったのだろう。

 

 「そういえば……トーリには姉がいたんですよね? 彼女は、あなたの体について何も言わなかったんですか?」

 

 「ああ……特には何も。今になって思うと……あえて、何も言わなかったのかもしれないけど……」

 

 兄姉、そして母は、俺が元は男のテンセイ人であることを知っている。

 だからこそ何も言わなかったのだろう。要らぬ心配を今負わせる必要はないと。

 

 ふと、家を出る前に母から教わったことを思い出した。

 遠方の誰かと連絡を取る手段、運び屋について。

 

 「……手紙でも送ってみようかな? 俺の体についてなんか知ってたかって」

 

 「手紙……いいですね。確か丁度グリフの運び屋が来る頃ですし、返事が来るまでそれほどかからないかと」

 

 遠方にいる誰かに手紙を出すには、街と街を繋ぐ定期便を利用する必要があるが……これは距離にもよるが、一度のやり取りに平気で数カ月はかかる。

 そこで必要とされるのが、移動や輸送の手段に用いる魔物や動物を従えた、運び屋の資格を持つ冒険者(ハディマ)

 彼らに直接依頼を出す形で輸送を頼めば、特急でそれを届けてくれる。送る手紙に住所を書いておけば、手紙の返事も即座にその住所に届けられ、ギルドに保管されたそれを受け取ればやり取りが完了する。

 

 定期便の利用よりも値は張るが、イド討伐戦の報奨金もあって、さほど金には困っていない。きっとこういう時に使うべきだろうとも思う。

 早速俺はギルドカウンターに向かい、受付嬢のニャドさんにその旨を伝える。

 

 「ニャドさん、運び屋に手紙の配送を依頼したいんだが――ああ、便箋も一緒に買うよ」

 

 「かしこまりました! 直近ですと……二、三日ほどでグリフォンライダーのアスカさんが来ますね。お返事の宛先はどうしましょう、フェリス湖畔街ですか?」

 

 「ああ……いや、そうだな」

 

 俺は後ろのシフェルと目配せしてから、その手紙が届く時に俺達がいるであろう場所の名を伝えた。

 

 

 「王都。デクシード王都のギルドで頼む」

 

 

 *

 

 

 湖の水平線から昇った日が、その向かいへと傾き始める頃。

 

 整備された石畳の道を、こつこつと足音を立てて歩く長身の男がいた。

 情報の交換と語らいを終えて、自覚はないまま少しだけ満ち足りた彼は、翼を隠しながらフェリス湖畔街を見渡していた。

 活気のある街である。イドの襲来が嘘であったかのように、あるいは負った傷を癒すように、忙しなく人々が流れている。

 

 目を向けた先で男性と女性が談笑している。傷だらけの鎧を纏う男性は冒険者(ハディマ)だろうか。

 細い道の先、湖のほとりには食事処がある。池を眺めながらの喫食は、彼らにどのような気持ちをもたらすのだろう。

 両手いっぱいにパンのつまった紙袋と花束を抱え、危うい足取りで走る子供もいた。気を付けろと呼び留めようと思ったが、すぐに母親らしき女性が荷物ごと彼を抱き上げたのを見て、安堵した。

 

 彼に目的は無かった。

 ただ職務を終えて、街の様子を観察してから帰ろうと、どこに寄るでもなく歩いていた。

 その帰路の中で、彼はふと、懐かしい気配に足を止めた。

 

 「これでよし……。体に不調はもう残ってないか? フラン」

 

 「うん……! 凄いねトーリ、こんな力が使えたんだ……!」

 

 喫茶店のテラス席で、赤い外套を纏った金髪の少女が、桜のような髪色の少女と話している。

 装備の違いから、片方は剣士で、片方が格闘家であることがわかる。

 そして、剣士の少女の左手から放たれていた異質な力の気配を、男は感じ取っていた。

 

 「ただ、内緒で頼む。テンセイ人ってことは隠してないけど……便利な力が使えるってわかると、いろいろ面倒なんだ」

 

 「そう……だね、そうだよね。その力ありきって、みなされかねないもんね」

 

 話し合う少女たちからは離れた席に、そっと椅子を引いて腰かける。

 年季の入った木製のテーブルの上に、虚空からことんと落ちた陶器のコップが現れて、その内側が透明な水で満ちていった。

 男は懐から小さな紙の包みを取り出すと、それをコップの中に沈める。

 

 「はあっ……シフェルにも伝えないとなぁ……なんて伝えたらいいんだ? フランは直接俺の体に触ったから、伝えやすかったけど……」

 

 「それは……直接もう、がつんといけばいいと思うよ? パーティメンバーが知らなくて、私だけ知ってるわけにもいかないし」

 

 彼女らは何か、秘密を明かした仲であるらしい。

 そして今しがた、その秘密に起因する力を行使したばかりなのだろう。

 男はその秘密が何であるか、その力が何であるかを知っていた。

 

 五年前。彼女にそれを教えたのは、他ならぬ彼自身であったからだ。

 

 「……しか、ないか。よし、シフェルが買い出しから戻ってきたら、フランも一緒に説明を頼む。俺がおかしくなったと思われないように」

 

 「えあ……あ、うん。それはその、いいんだけど……」

 

 コップの中の水が煮立ち、包みから滲み出た色で染まっていく。

 それから水を吸った包みだけがふわりと浮き上がり、虚空へと吸い込まれて消えていった。

 薄茶色に染まったその水を、少しずつ男は口にする。

 

 「……あの人に聞かれない? 場所、移したほうがよくない?」

 

 「あの人? …………ぁ」

 

 格闘家の少女――フランシュシュはその男の気配に感づいていた。彼が背後を向けていながらも、こちらに意識を向けているということに気づいていた。

 耳打ちする声も聞こえているのだろうと思いつつ、あえて聞かせるように呟く。

 

 耳打ちされた赤い外套の少女が、はじめて男の存在に気づいた時。

 彼女は自然と席を立ち、男の背中に向けて、ゆっくりと歩を進めていた。

 

 「あの」

 

 懐かしい気配に、男は少しだけ振り向く。

 懐かしい背中に、少女は声をかける。

 

 「トリジェール……さん……ですか?」

 

 みずみずしくも生気のない白い肌。老人のように細い瞼。

 長く艶やかな前髪の隙間から覗く目が、わずかな笑みを浮かべた。

 

 「大きくなったね。トーリ・ノウェルグレイ」

 

 彼の名は、トリジェール。

 かつてイスガトに降り立った天使のひとりであり――幼いトーリに、『テンセイ人が持つ力』を教えた男だった。

 

 

 *

 

 

 ステラエモルクの天空には、天使たちが住まう都市が存在する。

 衛天使(センチエル)と呼ばれる彼らは原則として人の営みに介入することは無く、イドやイドラの出現といった事態に限ってのみ地上へと降り立つ。

 ハディマギルドに備えられたイドの鐘には天空に向けてイドの出現を報せる役割もあり、フェリス湖畔街へトリジェールが降りたのもそれが理由であった。

 

 「性徴、か」

 

 陶器のコップを口に運びながら、同じテーブル席に招かれたトリジェールはトーリの悩みを聞いた。

 

 「過去に、俺のようなテンセイ人が現れたって記録はありますか? 体と心が食い違ってる、っていう……」

 

 「記録と、私個人の記憶によれば、無いね」 

 

 「返答が早い…………」

 

 眉間に皺を寄せてしおれるトーリ。

 地上の誰よりもテンセイ人に詳しいであろう天使なら、この体の問題を解決する手段を知っているであろう……というトーリの目論見は一秒ともたず崩れたが、トリジェールの返答はけして暗いものではなかった。

 

 「だが、興味深い。異世界から導かれた魂と、こちら側に用意された肉体の性の違い。それが性徴の停滞という現象を起こすとは」

 

 天使として長い生を生きた上で知る、初の事例。

 それは常が凪そのものであるトリジェールの心という水面に、波を立たせる風であった。

 しわくちゃの顔で困り果てた様子のトーリを見かねて、フランが彼女の代わりにトリジェールへ問いかける。

 

 「えと、トリジェールさん? は、テンセイ人に詳しいんですよね。何か……こう、何かありませんか、なにか!」

 

 ぶんぶんと握った両の拳を小刻みに上下させながら、出てこない言葉を出せないまま訴えるフランに、意図をくみ取ったトリジェールは腕を組んで答えた。

 

 「テンセイ人に関して、人より知識を持つ自負はあるが……こと、精神や心、魂という内側の話となると難しい。肉体と密接に関わるからこそ、他人がどうこうできるものでもないんだ。できてしまったら、それは処置というより洗脳だろう」

 

 話ながら、トリジェールは暗に答えを示す。

 君自身の肉体と精神の問題は、他人に解決してもらうようなものではないのだと。

 

 「……そうだな」

 

 それでもなお、困り果てた顔のままのトーリに向けて、トリジェールは問いかけた。

 

 「トーリ。君は、どうしたい?」

 

 「……俺は……ですか?」

 

 急な言葉に戸惑いつつ、トーリは自分を指さして聞き返す。

 トリジェールは頷き、言葉を続けた。

 

 「ああ。これは君の、君だけが持ちうる問題だ。その答えに模範解答(こたえ)は無い。肉体の性は変えようがないが……それを踏まえたうえで、君がどうしたいか、何になりたいかを考えるべきだろう」

 

 「男の魂を持つ女として生きるか。あるいは……肉体に倣い、女の生を謳歌するか、だ」

 

 ――女の生。

 その言葉が、トーリの頭に刺さるように残った。

 

 彼女にとってそれは、心のどこかで目を背けていたものだった。

 家族と過ごした五年間――今に至るまでずっと、男の自分が女の体を動かしているという自認が、トーリ自身から失わせていたもの。

 未知へと踏み出し、受け入れるという覚悟。『女として生きていく』という道。

 

 「何に……なりたいか。……どう、したいか」

 

 きっと、それが最善なのだろう。肉体の性徴を留めているのは、他でもない俺自身だ。

 その枷を外し、その道を行かねばならないことはきっと明白だ。……だ、けれど。

 

 俺がそれを受け入れた時、『****(生前の俺)』はどうなる?

 俺の名を覚えている者がいなくなれば、()は本当に死んでしまう。

 いや……俺はもう死んでいる、死人だ。それは疑いようのない事実だ、けれど。

 

 それは、まだ。

 なんだか、酷く。

 

 「まだ……決めかねます」

 

 ステラエモルクに生きる、テンセイ人のトーリは十五歳だ。

 けれどそれ以前の俺の存在が、三十年生きた男の記憶が、俺の中には残っている。

 俺はまだ、どうしてもそれを捨てられない。

 女として生きていくということは、少なからず――男として生きた自分を捨てることでもあるのだから。

 

 自分の気持ちに向き合いながら、左手をじっと見つめた時。

 灰色の炎が小さく揺らめき、トーリに()()()()を伝えた。

 

 「……テンセイ人は……そもそも、生前のことを忘れると、“神殺しの権能(ブレイス)”を失うんですよね?」

 

 トリジェールは小さく頷き、肯定した。

 

 「君の炎のように、“神殺しの権能(ブレイス)”を覚醒させたテンセイ人そのものが少ないが……その誰もに共通して見られた現象だ。生前の記憶を失うにつれ、ステラエモルクに居場所を得るにつれ……その強大な力を、皆失っていった」

 

 「だったら、やっぱり」

 

 であるのならこの力を失うことは、まだ避けたい。この炎が無くなってしまっては、フラム・ルージュを運ぶ手段がなくなってしまう。

 肉体の性徴が止まっているのは、遅かれ早かれ解決しなければならない問題だが――その解決が新たな問題を生んでしまう可能性がある。

 

 「まだ、この体のままでいます」

 

 結論として導き出した答えは、『まだ』。

 それでもトーリの表情は、先ほどよりも凛としていた。

 

 「そうか」

 

 そして、その答えを聞いたトリジェールの顔も、喜ばしげな色を浮かべていた。

 

 「今の俺には、これが必要だし……けど、旅が終わったら、考えてみます。俺の、女としての生き方」

 

 この旅を終えた後で、その未知を学んでいきたいと。

 答えを聞いたトリジェールはゆっくりと立ち上がると、ある一点だけを見ないようにしながら、トーリに助言を送る。

 

 「その旨、自身のパーティメンバーにもしっかりと伝えておいた方がいいだろうね。長い旅になるのだろう、抱えているものはできる限り明かし合ったほうがいい」

 

 トリジェールの言葉に、はっとなって反応を示したのはフランシュシュだった。

 

 「……そうだよ、シフェル! もう戻ってきてると思うんだけ……ど」

 

 きょろきょろと目を動かして、行き交う人の中に彼女の姿を探す。

 トーリはトリジェールの視線の先を見た。何故か、遠い店の軒下に吊り下げられている看板を見ている。

 不自然な視線を追ってから、その下の店の入り口に目を向けると、背嚢を正面に抱きかかえて顔を覆っている少女がいた。

 それは、丁度買い出しを終えて店を出たところの、トーリのパーティメンバーであった。

 

 「……何してんだ、あいつ……??」

 

 背嚢を抱きかかえたシフェルは微動だにせず、人ではなく店の置物だと主張しているようですらあった。

 トリジェールはそこにだけ目を向けないまま、ゆっくりとトーリに振り向き。

 

 「それから、ひとつ頼みがある」

 

 「……?」

 

 「君のパーティメンバーに、たまには故郷に手紙を送れと伝えてくれ。心配しているやつが大勢いると」

 

 頼んだよ――そう言い残して、トリジェールは一瞥の後にゆっくりとその場から歩き去っていった。

 言葉を受け止めてトーリは、当然ながらシフェルにも故郷があって、彼女を案じる人たちがいるのだと、そう思った。

 

 (あれ……けど、トリジェールさんって衛天使(センチエル)だよな。……なんでその人が、シフェルにそんな個人的なことを)

 

 不思議な言葉だったと首をかしげるトーリの前に、いつの間にか背嚢で顔を隠したシフェルが立っていた。

 彼女はくるりと背嚢を回転させ、背中に背負ってため息をひとつ。トーリにとって、わかりやすく冷や汗をかいて焦っているこの彼女の表情はとても珍しかった。

 

 「えっと……おかえり、シフェル。荷物、持たせてごめんな?」

 

 「いえ、お気になさらず。それより……今の彼は、もういませんよね」

 

 「トリジェールさんのことか? もう行ったけど……何で隠れてたんだ? いや、隠れてなかったけど……」

 

 シフェルはトーリの隣の椅子を引いて腰かけると、手で顔を扇ぎながら眉をひそめて答えた。

 この顔も、トーリにとっては珍しいものだった。

 

 「訳アリでして……顔を合わせづらいんです。いえ、悪いことしたわけじゃないですけど……えや、悪いことかしら……? ううん……」

 

 説明がひどく難しく、明らかに困っている様子の彼女に、なら深くは聞かないけど――とトーリは言い、助かりますとシフェルは答える。

 

 「というか、どうしてフランもここに? クエストに行かなくていいんですか?」

 

 「ああ、えっとね……討伐戦の神気汚染がまだ残っててしんどかったから、ぶらぶら散歩してたの。そこでトーリちゃんに会って、治してもらった!」

 

 ぽんぽんとお腹を叩き、すっかり快調だと示すフランシュシュ。

 それなら良かったと頬を綻ばせるシフェルは、その治療の意味するところに気づき、笑顔を拭ってトーリに確認する。

 

 「……明かしたんですね。貴女の力のこと」

 

 「ああ。俺の炎は置換よりも前の段階なら治せるから、こういう使い方は遠慮なくしていきたいんだ。……あと、予行練習もかねて」

 

 「練習……? って……何の」

 

 深呼吸をひとつ挟み、トーリはシフェルと向かい合う。

 その二人の様子を、ぐっと両腕を構えて見守るフランシュシュ。

 シフェルだけが、何やらおかしな二人の様子に疑問を浮かべつつ。

 

 「シフェル!」

 

 「はい」

 

 「昨日の話の続きだが……俺は、テンセイ人だ。それも、ただのテンセイ人じゃなくて――」

 

 肉体の性徴が止まっている、その理由。原因。

 トーリ・ノウェルグレイが抱えている、トーリ・ノウェルグレイを構成する、大きなものを。

  

 

 「俺は三十歳で死んだ、男の記憶と魂を持ってる。つまるところ、俺は女の体でテンセイした……男、なんだ」

 

 

 シフェル・ブルーメルへと、彼女は明かした。

 

 

 *

 

 

 ――遥か東方の聖地から発ったグリフォンの背中で、一通の手紙がステラエモルクの空を飛んでいる。

 運び屋の愚痴と翼が空を切る音を鞄の中で聞く手紙には、妹の身を案じる姉の言葉が綴られていた。

 

 

 最愛の妹、トーリ・ノウェルグレイへ。

 

 先ず、手紙をくれてありがとう。冒険者の資格を得たこと、さっそくイド討伐戦なんてものに巻き込まれて活躍したこと、あなたの近況が知れて、わたしはとても嬉しいです。

 

 あなたの体のことは知っていました。

 ステラエモルクという世界において、わたし達人間が性徴を迎えて性差が生まれ、役割を得るのは十から十三歳くらいまでの間で起きることです。

 あなたは十歳ほどの体でここにやってきたから、十五歳という節目を迎えるまでに、先達として助言を送ったり、支えたりすることができると思っていたけれど、終ぞその役目を担うことはできませんでした。

 

 初めの内は、二度の討伐戦という大きなショックによるものかもしれないとも思っていましたが。

 恥ずかしながら、わたしはそこで、ようやくあなたの魂が男性であるということに実感を得たのです。

 

 矛盾した体を持つあなたは、ただ普通に過ごすだけでも、きっと大変だったと思うから。

 だからそのことについて、あえて触れないようにしていたんです。

 母さんや兄さんたちと話し合ったわけではないけれど、たぶんみんな、同じことを思っていたでしょう。

 

 この先、体の性徴が訪れたとき。

 きっとあなたは、すごく苦労したり、困ったりすることがあると思います。

 そういう時、まわりの女性たちを頼ってください。

 あなたは女性なのだから、何を遠慮することもありません。

 もちろん、気心の知れた相手のほうがあなたの負担は小さいと思いますから、あなたが選んだ相手を頼ってください。

 

 それから、いろんな街を訪れて、いろんな国を旅して、たくさん友達を作ってください。

 わたしのいる聖地まで名が届くくらい、冒険者として、いっぱい活躍を残してください。

 あなたとここで再会することを、わたしは楽しみにしています。 

 あなたが、この世界を好きになってくれたなら、それに勝る喜びは、ありません。

 

 最後に、忘れないでほしいことは。

 わたしも兄も母も、みんな、あなたという家族を愛しています。

 あなたがここに生まれてきてくれたこと。あなたを迎えることができたこと。

 それはわたし達にとって、最高の幸運でした。

 

 傍で成長を見守れないこと、支えてあげられないことが、とても悔しいけれど。

 わたし達家族はみんな、ずっとずっと、あなたのことを大切に想い、愛しています。

 どうか体に気を付けて。また会おうね。     

 

                             ロヴィミア・ノウェルグレイ

 

 

 追伸

 フィス兄は大陸中央のグラン・メイベトスで行われる闘技大会に参加するそうで、そこに手紙を送れば届くと思います。

 ゼフ兄と母さんはまだイスガトにいるでしょうから、二人にも手紙を送ってあげてね。

 

 

 *

 

 

 その手紙は、フェリス湖畔街を発った二人の冒険者(ハディマ)よりも速くデクシード王都に届き、彼女たちの到着を待っている。

 

 街道に沿って歩き続け、小川の近くに腰を下ろして休み、また出発し、山を登り。

 山頂に立ったとき、風を受けて赤い外套をはためかせながら、遠くに見えるそこに向けて彼女は指をさした。

 

 山の頂上にそびえる王城、そのふもとに広がる鉄の街。

 巨大な城壁に囲まれたそこが、彼女たちの次の目的地である。

 

 

 

 【一章 デクシード王国編】

 

 

 

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