ステラエモルク   作:朝神佑来

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第九話 「シルク・ロンド・バルハジア」

 

 トーリが出かけた後、ひとり部屋に残ったシフェルは床一面に何枚もの新聞を広げていた。

 床を覆っているそのどれもが、『鎮魂の舞が行われなかった年』のもの。シフェルは両手と両膝をついてぺたぺたと四つ足で歩き回りながら、紙面に書かれた内容を見る。

 『悪薬に注意』という見出しで悪薬に関する注意喚起がなされているが、その少しだけ太い文字たちは紙面の隅にもののついでのように書き加えられたものだった。

 

「この記され方からして、さほど重要なことではない……? 悪薬の流行は注目されていなかったのかしら……。それに、注意喚起の内容……」

 

 記されているのは悪薬に関する情報ではなく、どのような症状が出るか、というものも記載されていた。

 軽いめまいや吐き気、疲労に始まり、幻覚やうわ言、失神や一時的な正気の喪失。これらの症状が出た際はすぐに教会へ、と。

 今現在王都で流行っている『赤砂糖』のような、悪薬の具体的な形や名前を示す情報はどこにもなかった。そして何より、シフェルにとってこれらの症状は親しみを覚えるほど見慣れたもの達だった。

 

「神気中毒の症状とまったく一緒なのだわ。だとすれば教会に向かわせるのも単なる治療のためじゃない、神気の浄化のため……そうなると、悪薬という言葉は、ものの例えとして用いられてるのかしら? 質の悪い、高い中毒性を目的とする薬を服用したときの症状は、神気中毒とよく似るもの……」

 

 ジルジンクスの依頼を聞いてから、『天使が踊った舞』という言葉がシフェルの頭にずっと残っていた。

 天使は舞など踊らない。天使が人のために何かをすることがあれば、それは神気を始めとする古い神が残す汚染に対する処置だけだ。

 逆説的に言えば――天使が何かをしたというのなら、その行いには古い神が関わっている。

 

 悪薬の流行。神気中毒の症状。今現在、王都で流行している『赤砂糖』という形ある悪薬……。

 

「鎮魂の舞は……本当は、いったい何を鎮めていたというの……?」

 

 シフェルの内には、言い表せない不安と悪い予感が渦巻き始めていた。

 広げられた新聞紙の上にごろりと寝転がり、ああもう――と四肢をじたばたさせて、シフェルはぽつりと呟く。

 

「……トーリ、早く帰ってこないかしら……」

 

 

 *

 

 

 人の気配が薄いスラム街を、二人の少女が並んで歩く。

 肌にぴったりと吸い付いているような黒いドレスを着た少女と、砂の混じる風に赤い外套をゆらめかせる少女。

 

「それで、貴女。レッドシードを買いに来たんだっけ? それとも赤砂糖だったかしら。ま、どっちでもいいわ」

 

 手に持った赤い宝石――レッドシードを弄びながら、シルクは横目でトーリを見る。

 トーリも同じように横目でシルクを見ていた。左腕から漏れ出る神殺しの炎が、そのレッドシードがどういった代物であるかを物語っていた。

 

「魔石……とは、違うのか。それは」

 

 固体化した神気である魔石は通常、紫色をしている。それは杖の先端や剣の柄に埋め込まれ、魔術を使用する触媒として使用される。

 そして神気の純度が高まるほど澄んだ青色に近づく為、シルクが持つレッドシードやトーリが持つフラム・ルージュのように、『赤色をした神気の結晶』は異質な存在であった。

 

「ええ、ずいぶん前にあたし達で作ったの。バルハジアの失敗から学んでね。……閉じ込めた神気が汚染や中毒といった副作用を起こすことなく、人間の肉体に馴染むように設計されているわ。砕くことで内部に閉じ込めた高密度の神気が噴出し――それらは肉体へ瞬時に吸収されて、あたし達の力に変わる」

 

 話す内に路地を抜け、二人は開けた空間へと出ていた。

 かつては人の営みがあったそこには、今は中央の枯れた噴水と、砂を被ったぼろぼろの石畳が広がり、その端に積み木のように建てられたぼろぼろの家屋たちが並ぶばかりである。

 周囲を見渡して足を止めたトーリとは対照的に、シルクは腰かける者も談笑する者もいなくなった噴水の前へと歩いて行く。そしてくるりとトーリに向かい合い、目の前でレッドシードを握り砕いてみせた。

 

「……こんな風に、ね」

 

 ばきん――という音と共に神気の奔流が巻き起こり、トーリの髪とコートがはためく。

 神気に反応して溢れ出た神殺しの炎がそれらに燃え移るよりも先に、奔流はたった一点へと収束し、しゅうと吸い込まれていった。

 それを握り砕いた者、シルクの肉体へと。

 

「便利でしょう? 多量の神気を回収できる場所――神域のような、濃度の高い神気に満ちた『収穫場』さえあればこれがいくらでも作れるんだから。神気汚染に怯える必要もなければ、魔物から逃げる必要もない。まさしく神の発明よ」

 

 にこりと微笑んだシルクの体からは、先程までは無かった強大な圧力が放たれていた。

 小さな笑顔と穏やかな声色の裏に潜め続けていた、巨大な敵意、底の無い憎悪。その一端に触れて感じた痺れに、トーリは覚えがあった。

 耳の奥で、鐘の音が想起される。片角の男が鳴らす拳の音が想起される。先のフェリス湖畔街で起きた、イドのいないイド討伐戦……それが誰の手によって起こされたものなのか。鐘の音を鳴らしたのは誰か。

 

(……シルク・ロンド・バルハジア…………!!)

 

 その名を今一度噛みしめながら目を向けた先、周囲にまばらに建つ家屋の中にも人の気配があることにトーリは気づく。

 

「そして、コレが赤砂糖。レッドシードを砕いて出来る残りカス。神気を消費し切り、多幸感を与える中毒成分だけが残ったものよ。力がほしいものにはレッドシードを、残ったカスはジャンキーへと。一粒も無駄にならない素敵な商品だと思わない?」

 

 傾けたシルクの手から零れ落ちる赤い粉が、きらきらと輝いて風にさらわれていく。

 背中の剣に手をかけながら、トーリは笑み歪むシルクの目を睨み続けた。

 

「……思わねえよ。全く」

 

「あははははっ!! そうでしょうそうでしょうね、だって貴女は強いものね! こんなものに頼らなくたって戦える、立派な剣があるものね!! こんなものに頼る弱い人間の気持ちなんて…………これっぽっちもわかんないでしょうね?」

 

 高らかなシルクの笑い声に応えるように、一人、また一人と、家屋の中に潜んでいた人間たちが姿を現し始める。

 視界に収めるだけで、トーリには分かる。あれらが――魔物人間。フェリス湖畔街を襲撃した者たちと同じ。レッドシードを用いて神気を自らの肉体に宿し、魔物の力を得る強制的な進化を試みた者たち。

 

 彼らは、一様にうつろな目をしていた。似たような目をした男のことを、トーリは知っている気がした。

 翼のように両腕を広げた目の前の女だけが、巨大な槍にも似た感情の穂先を向けていた。

 

「でもね。これを使うのにだって才能がいる。戦いの才能なんてこれっぽっちもない人間でも、誰よりも神気をその身に宿せる才能ならあるかもしれない。そういう巨大な器を持つ子に少しずつ、少しずつ……レッドシードを経口摂取させると、どうなると思う?」

 

「は……?」

 

 シルクが突然何を話し始めたのか、理解できずに目を開く。

 同時にトーリの胸中に訪れたのは、ひやりとした小さな疑惑。

 

 ――耳の奥で鳴っていた鐘の音が、別のものへと変わっていく。

 フェリスで聞いたものではなく。

 

 

「イドになれるの」

 

 

 五年前。

 幼い日に、イスガトで聞いたものへと。

 

「とってもとっても凶悪で強力な、イドに。ただの人間が、進化できるの。どう? ――あなたにとっても、なじみ深いものでしょう? トーリ、ノウェルグレイ」

 

「…………」

 

 疑惑は確信へと変わり、凪いでいた心が少しずつ煮え立っていく。

 覚えたことのない感情に、トーリの体は揺れていた。ぐらりと、それでも、流水の如くしなやかな動きで剣を抜く。

 

「……お前らが……?」

 

 胸にずっとつかえていた、イドラ教という存在に対する疑い。それを調べねばと、思った理由。

 ばらばらだった情報がかちりと頭の中で符合した瞬間、視界が急速に収束していった。

 中央へ。そこに立つ、笑顔のシルク・ロンド・バルハジアへ。

 

「お前らが……」

 

 一歩ずつ、一歩ずつ、ゆっくりと近づいていく。

 シルクは動かない。広げたままの両腕は、彼女を受け入れんとしていた。

 その感情を。彼女が二度の生涯で、はじめて得たものを。

 

 

『やはりこの大地こそ間違いだ。僕らが信仰すべきは、空だったのさ――』

 

 

「――“イドラ教(お前ら)”が!!!」

 

 激昂を。

 

 抜いた剣を瞬時に利き手から持ち変え、踏み込んだ利き足の力を真正面へと放ち穿つ。

 石畳が砕けて砂が舞い、巻き起こった衝撃波が二人の足元に円を描いた。

 刹那の一瞬に剣に詰め込まれた憤怒と憎悪が、閃突の形を伴ってシルクの胸へと撃ち込まれる。

 

「…………ッ……!?」

 

 後に残るは、砕け散った噴水と。

 撃ち込まれた剣を胸元に凝縮させた『影』で握り、だくだくと血を吐きながら笑う、シルク・ロンド・バルハジア。

 その笑顔は、先程までの余裕や嘲笑から浮かべたものではなかった。額に血管の筋を浮かべ、食いしばる歯をむき出しにして、見開いた目でトーリを睨み返す姿には。

 トーリが剣に込めたものと、まったく同じ感情が存在した。

 

「法王猊下は――ッ、仰ったわ…………」

 

 血を吐きながら、シルクは語る。

 自らトーリの前に姿を現した理由、感情を押し殺して目の前の仇敵に手を出さずにいる理由を。

 

 アイアームを殺した女を、殺せない理由を。

 

「あなたを…………『殺すな』と。ぜひとも、迎え入れたいと。我々の……イドラ教の、もとに――」

 

「寝ぼけたことを抜かしてんじゃねえ……!! 行くと思うか!? 行って何になる!? 俺から故郷と友を奪った連中の元で、俺が何を得られるって言うんだ!!?」

 

 交渉のカードは与えられていた。イドラ教に来れば、自身が座す七天輪の最高位である『黄金』の座をトーリに譲ると法王は言っていた。

 同じテンセイ人の仲間もいる、望むものは可能な限り与える。

 元の性別の肉体だろうと、更なる強さだろうと、ただ剣の修行に打ち込むだけの時間だろうと、何だろうと。

 そして何よりも、彼女が会いたがっているであろう者にも会えると。

 

「……ぷっ、く、ふふ、あはは、はははっ……」

 

 だが、そんなもの。シルクにとっては、どうでもよかった。

 重要なのはその後にした質問に対する答え。それだけがシルクの目的だった。

 それだけが。

 

「そうね。その通り。あったかい家族も強い力も、今は仲間もいるんだっけ。じゃあいいわね。あんたは誘いを断った。そういうことで。それと」

 

 ――勧誘を断られたなら? 抵抗されたなら?

 ――あたしに命の危機が訪れたなら?

 

『であれば仕方ないさ。交戦し、無力化を試み――…………』

 

 みしりと、音が鳴った。

 シルクが、胸元に突き立てられた剣を握りしめた音だった。

 

「先に手ぇ出したの、あんただから」

 

 うつろな目をした人間たちが、各々が持っている武器を振りかざし。

 一人、また一人と足に力を込めて、トーリの元へと襲い掛かった。

 

「――勘弁、ね」

 

 人の波が迫る中、高ぶった感情に思考を乱されてなお、トーリの手はシルクの腕力を感じ取っていた。

 引き抜、けない。この女は刀身を握ることで俺を拘束している。この剣を、けして手放せないと知っている。

 

 ならば、と。

 トーリは逆に、剣を握ったまま、半歩前に踏み出した。

 

「うん……?」

 

 焦るでも手放すでもなく、接近するという相手の選択に対し、シルクの反応は一瞬遅れる。 

 再び利き足を前にしたトーリは、痺れと痛みが残る右足にもう一度全身の力を込める。

 同時に、剣を握る左腕から溢れ出した灰色の炎が螺旋を描いて刀身へと宿りながら、狙いを定めるように切っ先に存在するシルクの影へと突き立った。

 

「“閃”――」

 

 引き抜けない、のなら。

 再び、突き刺す、まで。

 

「“突”ッ!!!」

 

 周囲の空間を揺らす二度目の衝撃波は、しかし初撃の威力に劣り、シルクの体を瓦礫となった噴水の上へ突き飛ばすに留まる。

 背負う代償は重く、完全に脱力して動かなくなった左手からこぼれ落ちた剣の持ち手を、全身を捻りながら右手で受け取り、閃突の衝撃をものともせず迫る魔物人間たちに向かって黒い刀身が閃いた。

 

「づ――ッ、ぁあぁあああああっっ!!!」

 

 胸や腕を斬り裂いた剣の一撃は致命傷とならずとも、刀身に残る炎が神気に満ちた彼らの身を焼いて焦がす。

 未だ動く左足を軸に、体重の半分を預けるだけで右足に走る意識を手放しそうな痛みを堪え、襲い来る魔物人間の攻撃を刀身で受け止めて炎を振り撒き、瞬く間にスラムの噴水広場は灰色の炎が燃え広がる廃墟と化していった。

 

「……自信、無くすわね。これでも長いこと神殺しの権能(ブレイス)を鍛えてたつもりなんだけど……あんたの、チャチな炎に貫かれるなん、てッ――!!」

 

 炎の中で、姿勢を立て直したシルクがトーリに向けて指を立てた瞬間、落ちつつある日が作る影が無数の糸となり、空中を踊りながらねじれて数本の束へと――影の触手と変わる。

 多対一の状況をものともしないトーリの猛攻を止めたのは、真正面から襲い来る影の触手だった。

 

 「ぐ――ッ!!?」

 

 身を翻し、咄嗟に刀身で影の触手を受け止めて身を守るが、影たちは剣ではなく、それが纏う灰色の炎に突き刺さっていた。

 瞬間、炎に突き刺さった触手は先端からほぐれて糸へと戻り、糸は灰色の炎を蝕んでいく。トーリは絶えず左腕から炎を流し込んで影の糸に対抗するが、炎は影に飲み込まれつつあった。

 

「まあ……でも、そっちの炉心はもうすぐ燃料切れみたいね。レッドシードも無しに、よく()()()方だわ。……誇って、死ね――…………ッ!?」

 

 その時。

 トーリが自身の体内から噴き出せるあらん限りの炎を使い尽くしたことで、必然的に溢れ出た膨大な神気があった。

 常に肌身離さず彼女が持ち歩いているもの。常に彼女の炎に包まれているもの。

 そこから炎が剥がれたことで解放されたそれの存在感は、思わずシルクが怯むほどのものだった。

 

「な…………ッ!?」

 

「……――ッ!!!」

 

 その瞬間を、トーリは逃がさない。まとわりつく影を振り払い、その勢いで刀身に注ぎ込んでいた神殺しの炎を煙幕の代わりに一帯へと散らす。

 撒かれる炎の隙間からシルクが最後に見たトーリの顔は、食いしばった歯で苦虫を嚙み潰したような、理性で感情を押し殺した女の顔だった。

 

「……あの神気……まさか、グィスの持ってたフラム・ルージュ…………?」

 

 灰色の炎が晴れる頃、周囲には何も残っていなかった。

 力を求めて神気に溺れ、魔物にも人間にもなりきれなかったスラムの住民たちは、残らず灰色の炎に飲み込まれて焼き尽くされた為だ。

 ほんの一瞬放たれた膨大な神気も、その気配も今は無い。トーリは満身創痍の体でそれでもあの宝石を炎で包み、シルクの前から逃げおおせていた。

 

「はっ……。あれを砕けば、今頃あたしを殺せていたでしょうに……何を後生大事に抱えているんだか。にしても――」

 

 ふう、とシルクは息をついた。

 誰もいない。瓦礫の上には、自分だけが立っている。日は沈み、王都にランタンの明かりが灯っていく中、その隙間に存在するスラムだけは暗闇に包まれつつあった。

 

 影と闇の中に、シルク・ロンド・バルハジアはたったひとりで立っていた。

 

「強いわね、あいつ。テンシュラクとの戦いに居合わせたってだけで、神殺しとうそぶいてたのかと思いきや……さすがに、アイアームを殺した女か……」

 

 その呟きも、吹き始めた夜風の中に吸い込まれて消えていく。

 やがて微かな夕日の光も消える頃、シルクの姿は影に溶け、そこには誰もいなくなった。

 

 

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