ステラエモルク   作:朝神佑来

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二日目・その四

 ガラハ・オンズがこの世界で目を覚ましたのは、二十年ほど前のことである。

 人通りの少ない交差点で、ブレーキを踏まずに突っ込んできた自動車と接触し、全身がばらばらになった痛みを感じながら霧散した意識が、ある神殿跡の湖付近で再び集って覚醒した。

 ほんの僅かな痛みひとつ残されていない、小さな少年の体。その自分に襲いかかる、空を泳ぐ牙を持つクラゲたち。

 ガラハは無我夢中で神殿を走り、草原を抜け、草がはげた茶色い街道にたどり着き――たまたまそこを通りがかったキャラバンに拾われ、イスガトへとたどり着いたのだった。

 

 「災難だった。だがそれ以上に、幸運だった。テンセイ人てのは、のたれ死ぬために生まれてくるようなもんだからな……」

 

 ジョッキに注がれた酒を揺らしながら、ガラハはしみじみとそう語った。

 自分の生まれと、『ガラハ・オンズ』という名を得るまでの、それからのこの街での生活を。

 

 「ま……と言っても、もう元の名前も思い出せねえほどには、ここで長く生きてこれたわけだがね」

 

 イスガト鉱山街、その中心部にある大きな酒場の中で、俺は彼のここに来てからの人生を聞いていた。

 人の多い酒場である。満ちている酒気で少しクラリとするほど、熱気に満ち溢れている。

 客層も幅がかなり広く、炭鉱夫と思わしき薄着の男性たちもいれば、冒険者と思わしき四人ほどの集団もテーブルを囲んでいた。性別から年代、肌の色に至るまで、本当に様々な人間が交流している。

 俺の隣に座ったロヴィミアは俺と同じように冷えたミルクを飲みながら、向かいに座るゼフィールの食事を見守っている。ガラハは特に何に口をつけるでもなく、語り終わった後にこくりと一口、喉の渇きを潤すように酒を飲んだ。

 

 「テンセイ人が冒険者をやるのも必然ってもんさ。というより、家も血筋も何も持たねえでぽんと産まれる連中にできることなんざ、そんぐらいしかないってだけだがね」

 

 どこか自虐的にそう口にする彼の話に、隣で口に頬張った焼きたてのチキンステーキをゴクンと飲み込んだゼフィールが言葉を挟んだ。

 

 「死ぬことなんて珍しいものじゃない、冒険者でなくたってそうさ。だから子供の命は尊いんだ、テンセイ人だろうとそうでなかろうと――」

 

 ごくりと酒を一口飲んで。

 

 「――生きてもらう必要がある。少なくとも、例えば……冒険者をやれる十五歳は最低限かな」

 

 それだけ言い切ると、ゼフィールはまたチキンステーキを頬張りはじめた。

 よほど腹が空いていたのか、元から大食いなのかはわからないが、見ていて気持ちのいい食いっぷりではあった。

 

 「何はなくとも、生きてからか……まあ、そりゃそうだがよ……」

 

 ガラハはゼフィールの言葉にどこか不満そうにしながらそう呟く。

 そこにはおそらく、別の世界を生きた人間と、この世界を生きた人間との認識の違いがあるのだと思う。

 俺たちにとって、安定した収入を得られる仕事を探すことは何より大事だ。けれど俺の兄弟にとっては、俺が明日も生きていることの方が大事なのだろう。

 ガラハというテンセイ人は、話を聞く限り――テンセイ人が持つ職の選択肢というものの狭さを憂いている様子だった。目の前に、テンセイしたての俺がいることもあって。

 

 「冒険者……ハディマって、十五からなれるものなのか?」

 

 俺の質問にはロヴィミアが答えた。

 

 「ええ、一応は。といっても、明確に十五歳と決まってるわけでもなく――簡単な身体能力の検査を経て、ギルドへの登録とギルド証の発行がなされます。それをクリアできる年齢が、おおよそ十五歳前後となっていますから」

 

 「十歳の頃には仕事を学んで、十五になったら独り立ちだ。イスガトの外でも、概ねこの認識は変わらないと思うよ」

 

 元の世界では考えられないような常識だった。けれど先ほどゼフィールが言った言葉を考えれば、けして無茶なことではなく、むしろ合理的なのだとも思った。

 死ぬことなんて珍しいものじゃない。だからさっさと独り立ちして、子供を作ってもらう必要があるわけか。

 

 「それで、トーリ」

 

 「んえ……?」

 

 「聞きたいことがあるんじゃなかったんですか? テンセイ人の先達に」

 

 「ぁと……そういやそうだった」

 

 姉の助力で忘れかけていた目的を思い出し、改めて俺はガラハ・オンズと視線を合わせた。

 

 「なあ、ガラハさん。……俺は……その、今とても困ってるんだが……笑わないで、聞いてほしいんだが」

 

 「なんだ藪から棒に……。笑わねえよ、どうした」

 

 「……もともと男だったのに、テンセイしたら女の子になってた人……って、知ってたり……する?」

 

 自分でも説明しづらい悩みを、一言一言ゆっくりと明確に伝える。

 ガラハは笑いはしなかったが驚いた様子で、ふと考え込んでから答えた。

 

 「……知ら……ねえな、聞いたこともねえ。こいつは現人神ユウヒ様から直接聞いた話だが……人間の魂の形ってのは、はっきり定まってるらしい。男なら男、女なら女で、テンセイの際にそれが歪むってことはない……とも」

 

 それを聞いていたゼフィールがごふっと喉にステーキを詰まらせ、どんどんと胸を叩いて飲み下した。

 

 「あ……現人神様と、言葉を交わした経験がおありだったのか、ガラハさん!?」

 

 「ああ……昔、まだ現役だった頃にな。言ってなかったか? まあ……とにかくそういうことだが、そんなことを尋ねるってことは……」

 

 こくりと小さく頷き、俺は俺の抱える最大の問題を打ち明けた。

 

 「転生したら、女の子になってた三十の男は……これから……どうやって暮らしていきゃあ、いいかなあ……?」

 

 ぺしんと手のひらで額を叩き、わかりやすく頭を抱えるガラハ。

 その横で俺とロヴィミアを交互にきょろきょろと顔を動かして見るゼフィール。ぴたりとロヴィミアに視線を向けて停止した彼の顔色に対し、ロヴィミアは静かにうなずいて答えた。

 

 「……マジ? なの? ほんとに? こんな、綺麗な顔の女の子が……?」

 

 「口調がちょっと男勝りって感じでしょう。どうも、事実みたいです」

 

 あまりの驚きに食事の手すら止め、隠れた目で俺をじいっと見つめるゼフィールに、俺も改めてこくんと頷いて答えた。

 

 

 *

 

 

 酒もミルクも飲み終えて、ゼフィールの前から皿も無くなった。

 客の数も少なくなり、感じる酒気も薄まってきたが……俺たち四人は未だ、この酒場の座席のひとつを占領しながら話し合っていた。

 

 「……やっぱり教会で勉強して、聖職者になるのがいいと思います。女性は聖神気を扱いやすいと聞きますし、ハディマは慢性的なヒーラー不足ですから」

 

 「いやしかしだな、イスガトの教会なんか仕事が多くてやってられねえって。来る日も来る日も炭鉱夫のおっさん達から神気を浄化してかなきゃなんねえし、冒険者の治療なんてもっと大変だろ……ガルベラ婆さんに腕っぷし鍛えてもらって、イスガトで炭鉱夫やるってのはどうだ」

 

 「鉱夫なんかさらに大変だと思うけどな……? いや、いくら彼女、彼、彼女……? がもとは男性とはいえ、今は女性なんだから、鉱夫の方々を悪く言うわけじゃあないが、そこに投じるのもどうかと思うよ……図書館で働いてみる気はないかいトーリ、仕事はラクだし給料は安いよ」

 

 「……ゼフ兄さん、もしかしてチキンステーキをあんだけガツガツ食ってたのって……」

 

 話題の中心は、専ら俺のこと。

 はじめはどんな生活をしてけばいいのかから始まって、だんだんと俺の未来の話に移り、俺がつくならどんな職がいいのかという話に移り、そして今に至る。

 各々の意見をまとめてみると、姉は俺に学を修めてもらいたいようで、兄は俺を気遣って楽な生活を送ってもらいたいらしく、最後にガラハは冒険者以外ならどんなものでも、といった具合だった。

 

 「しかしガラハ……さん、やけに冒険者以外を推すね。確か、最初にシルバーハディマって名乗ってなかったっけ」

 

 「ああ……一応、今でも冒険者、ハディマさ。けどもう一線はとっくに退いてる」

 

 そう言って、ガラハは腰にさげていた剣を鞘ごと取り外し、ごとんと机の上に置いた。

 柄の部分に何かが埋め込まれている。横に長い五角形の、文字が刻まれた石板らしきものだ。

 そこには銀色の小さな玉がはめ込まれていた。

 

 「二十年近く、ハディマをやり続けて……この通りだ。ハディマってのは実力主義でな、伸びるやつはグングン伸びるが、伸びねえやつはこうだ。聞くところによると、ハディマの半数はシルバーで止まるらしい」

 

 「半数……」

 

 以前、ロヴィミアにハディマの階級について教えてもらったことがある。

 はっきりと思い出せないが、それでも、シルバーの階級は下から二番目か三番目くらいの、けして高いとは言えない地位だったことを覚えている。

 

 「なるな、とは言わねえが……勧めはしない。やるんなら、依頼を受けながら他の仕事を探すついでって形がいいな。無理に上を目指しちまうと、いろんなもんを取りこぼしちまう……」

 

 ガラハはじっとその剣を見つめたまま、様々なことに思いを巡らせている様子だった。

 それから息を吐いて笑い、からっぽの笑顔で俺に言った。

 

 

 「――もとの世界でぽっくり死んじまった上で、せっかくここで取り戻した命だ。大事に大事に扱うべきだと、俺は思う」

 

 

 いつか見た、洗面所の鏡や駐車場の車の窓に映っていた、くたびれた男のそれによく似た顔だった。

 

 「……なんつーか……」

 

 言いよどんで、ほとんど空になったジョッキを口に運ぶ。

 冒険者の半数はシルバーでとどまり、当然のように命を散らし、そして、テンセイ人はまず冒険者以外の職を選べない。

 冒険者たちが活動する酒場でそれを口にすることは憚られたが、いつか来る自分の未来の姿を想うと、どうしてもこの言葉が口をつきそうだった。

 

 「……トーリ」

 

 「や、なんでもない。なんでもないよ、ミア姉さん」

 

 ――夢がないな。

 

 こんなにファンタジーな世界にやってきて、俺が想うことは、そのひとつだった。

 

 

 *

 

 

 日が傾きはじめ、鉱夫も冒険者もそれぞれの家や宿に向かい始めた頃、俺たちは酒場でガラハと別れ、ゼフィールの図書館へと向かった。

 司書のために用意した空き部屋がひとつあるため、俺とロヴィミアはそこで夜を明かし、明日の昼前にガルベラ婆さんの家へと戻ろう……というゼフィールの提案を受けてのことである。

 今から帰路につくと、途中で夜になってしまう。街灯ひとつ無い草原を走るのは不可能だし、朝に走ってもらったヨカニセの脚を休ませる必要もあるだろうと、俺もミア姉さんも有難くその提案を受けた。

 

 「じゃ、また明日。お腹空いたら適当になにか作って食べてくれていいよ、といっても食材は木の実ぐらいしかないけどね」

 

 ぱたんと優しくドアを閉めるゼフィールに軽く手を振り、かちゃりと鍵をしてから、改めて俺は部屋を見渡した。

 生前俺が暮らしていたワンルームの部屋を横にふたつくっつけたような、えらく広い個室である。本棚や作業机に大きめのベッドがあり、壁には収納スペースと、この世界ではかなり悠々自適な生活が送れそうな部屋だ。

 長らく使われていないのであろうベッドに腰かけて、小さくなった尻でその感触を堪能する。

 

 「……性別が変わっちゃったテンセイ人って、やっぱり他にはいないのかなぁ……」

 

 この世界にどんな風にやってきて、どんな風に馴染んだのか。その経験談を聞くこと自体はできた。

 しかし同時に、テンセイによって性別が変わることはありえないという情報も得てしまった。

 

 「そう気を落とさないでください、トーリ。女性の生活も悪くないものですよ」

 

 まとめていた髪を下ろし、するすると服を脱いで寝間着に着替えながらロヴィミアが答える。

 反射的にさっと掛け布団を頭にかぶり、目元を覆い隠した。

 

 「……なにしてるんですかトーリ?」

 

 「いや……普通に目の前で着替えをはじめるもんだから、驚いちゃって……」

 

 「あ……ごめんなさい。……ごめんなさい? いや、わたしが謝ることかな、これ……?」

 

 はてなが混じった独り言をつぶやく姉に、確かにあんたが謝ることじゃないよなと心の内で答えた。

 心が男の少女なんて、会ったことも聞いたこともないだろう。難儀な妹に苦労をかけてしまう。布団を被りながら、俺は俺の小さな手の平を見つめた。

 つるりとした陶器のような肌の、小さな手がある。これから俺は一生この手と生きて、十五には仕事を見つけてこの身一つで生きていかなくてはならない。……らしい。

 

 「…………俺さ」

 

 まだ着替えている最中だろうか。視線は向けず、俺は抱えているものを姉に向けて吐き出そうと試みた。

 

 「『テンセイ』ってものを、知らないわけじゃなかったんだ。俺が生きてた世界だと、それは……神様の教えとか、人の知るところじゃない現象とか、そういう意味のもあるけど……自分が生きてる世界とは別の世界に行って、そこで冒険する、架空のお話の導入に使われる……そういう、夢のあるものだったんだよ」

 

 よく読んだ経験があるわけじゃない。俗語で言うところの受動喫煙。ただ、そんなものという認識があるだけだ。

 

 「実際に自分が巻き込まれてみると、突然、ぽんっと知らない世界に飛ばされて、知らない人しかいなくて――挙句……自分がもう死んでる人間だって実感だけはある。その上で、自分がどこで、どうやって生きてきゃいいのかを考えないといけなくって……現実ばっか、意識して」

 

 

 「夢なんて――どこにも」

 

 「トーリ」

 

 思ったよりも近い場所から姉の声が聞こえて、驚きながらもばさりと布団を脱いだ。

 にっこりと笑う赤い瞳が、俺を見下ろしていた。

 

 「魔法。使ってみませんか?」

 

 突拍子もないその提案に、思わず面食らう。

 

 「ま……魔法?」

 

 「ええ。正しくは『魔術』ですけどね」

 

 話しながら姉は、作業机の上に置いてあった鉛筆を手に取った。

 削られただけで久しく使われていないのだろう、ずいぶんと背の高いその鉛筆を、こんと机の端っこに押し当てて。

 

 「“フィセット イクス”」

 

 そう唱えると、鉛筆はぼんやりと薄青く光り――姉が手を放しても、接着剤を用いたように机の端っこにくっついたままだった。

 ……その魔術は知っている。馬に乗った経験なんてない俺を、ヨカニセの背にくっつけてくれたものだ。

 

 「魔術に必要なのは、神気と、魔力と……『魔術語』。卓越した魔術師は頭で思うだけでも行使が可能と聞きますが、基本的に、我々は目的に沿った意味を持つ魔術語を使って魔術を行使します」

 

 指折り、要素を三つ数えて説明するロヴィミア。

 『フィセットイクス』が、その魔術語なのだろうか?

 

 「……魔術語って……その、唱えるだけで、いいの?」

 

 「いえ、大切なのは『思うこと』です。目の前で炎が巻き起こる、風が渦巻いて立ち上る、水が現れて洗い流す――そういったイメージを用いて戦う他に、日常生活において、ものをどこかに浮かべておいたり、動かしたり、引き寄せたり……そういったイメージを用いて便利に使うこともあります。こんなふうに」

 

 細い指先をぴっと本棚に向け、指先にぼんやりと薄青い光が宿る。

 

 「“チォク イクス”」

 

 ひゅん、と風を切って本棚の中から一冊の本が姉の手元に飛んでいき、野球ボールを受け止めるように姉はそれを手に収めた。

 

 「『そばに寄せる、そばに置く』という意味の魔術語が『チォク』。『フィセット』は『止める、留める』という意味です」

 

 「チォク……フィセット……姉さん、『イクス』はどういう意味?」

 

 「『使う、発動する』ですね。省略も可能ですが、不意に暴発したりしないよう、しっかりと『発動する』イメージを最後に持ってくるのは大事ですよ」

 

 説明を行いながら、姉は引き寄せて手に取った本を俺に渡す。

 分厚く、重い本である。それがどこかにくっついたり、独りでに飛んだりすることは、本来ありえない。

 

 「それが空中に、ぴったりと静止する様を思い描いてください。じっ、とイメージし続けるんです。イメージが固まったら、魔術語を口にして」

 

 言われた通りに集中し、イメージを固める。空中、俺の視界の真ん中に、その本がずっと鎮座し続ける様子を。

 すると、俺の中でじりじりと何かが焼けていくような、ほんのわずかな熱が生まれていくのがわかった。

 熱は後頭部のあたりにあって、不思議とそれが『魔術を使用している』状態なのだと理解できた。

 

 「…………“フィセット”……“イクス”」

 

 唱え、すっと手を放す。

 本来、ぼとんと俺の腿に当たるはずのそれは、薄青く光りながら空中でぴたりと静止していた。

 

 「……ぉ……おお……! ほ、ほんとに浮いてる……!!」

 

 自分が魔術を使えたという驚きと、存外呆気なく成功したその体験が心地よく、自然と頬がほころんだ。

 そして、視線を姉の目へと移した――時だった。

 

 「ミア姉さん、俺――っだい!!?」

 

 「あ」

 

 意識が本から別のものへと移った瞬間、本はぼとんと俺の腿に落ちてきた。

 カドがぶつかり、腿の上をぼいんと跳ねて、膝から転げ落ちていく。

 

 「ぃ、痛たた……なんだ、やっぱり失敗しちゃってたのか……?」

 

 「いえ……魔術の使用は成功していましたよ。ただ多分、意識が途切れちゃったので、それで効果が切れちゃったのでしょう」

 

 本を拾い、さっさと埃を払いながら姉が俺のミスを説明してくれた。

 意識を姉に向けた瞬間、後頭部にあったじりじりとした熱がふっと消えるのがわかった。効果が切れたとすればあの瞬間だ。

 俺はそこでまさかと思い、浮かんだ疑問を率直に口にする。

 

 「姉さん、その本を浮かべてるとき……ほんの一瞬だけどね? 頭のうしろがじりじり熱かったんだけど……もしかして、ずっとそれを続けないといけない……?」

 

 「おや、感覚が鋭いですね。ええ、それが魔力の消費です。ものを思ったり、意識を集中したりすると、だんだんと疲れていくでしょう?」

 

 ……確かに、身動きひとつしていないのに疲弊する経験は覚えがある。

 学校の勉強をしている時や、問題の答えを暗記しようと頭を働かせていると、はたから見れば大して体を動かしていないのに、ものすごく頭が疲れるものだ。

 この世界における魔力というものは、即ち――。

 

 「『ものを思う』ことが大切だと言ったのは、そういうことです。魔術語を学んで魔力を鍛えれば、誰であれ手ぶらで色んなことができる……どうです、トーリ」

 

 

 「夢があると思いませんか。魔術って」

 

 

 にぃっ、と白い歯を見せて、茶目っ気たっぷりに姉は微笑んだ。

 

 「…………夢……」

 

 それは今日、俺が否定しようとしたものだ。

 ここで二十年以上生き続けた先達を見て、彼の気配りを身に受けて、頭の中からほっぽり出そうとしたものだ。

 ……だった。

 

 「ものさえ思えれば誰でも使えるんですよ。卓越した魔術師は意のままに調理器具を動かして、ベッドから動かずに水を作って火をつけて料理を作ったりするんですから。もちろん、そんな芸当が誰でもすぐできるってわけじゃありませんけど――ものを動かす、火を起こす、水を出す、そういったひとつずつの動作であれば、魔術語の単語ひとつで行えちゃいます。そういった技術を鍛えたり、学んだりして、わたし達はステラエモルクで暮らしています」

 

 「……魔術を学べる学校も、あるの?」

 

 「もちろんありますとも! デクシード王国の王都にはメイベトス大陸でいちばん大きな魔術学校がありますし、この図書館でだってゼフ兄が教えることもあります」

 

 くしゃりとさらさらの髪を掻いて、たっぷりの息を吐きながら、そうか、そうかぁ、と独り言ちる。

 それが普通なんだ、ここにとっては。職を選んだり職に悩んだり、お金を稼いだりするのは元の世界と同じでも、元の世界には絶対になかったものがここにはある。その、なかったものがあることが、ここにとっては普通なのか。

 それを俺は、幼い女の子の体で、同じ年頃の少女たちと同じスタートラインから始めることができるのか。

 

 「……いいな、それ。ちょっと憧れるかも」

 

 姉は、心底嬉しそうににっこりと笑った。

 

 視界の端にずっとあった鉛筆は、今も尚机にくっついたままだった。

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