ステラエモルク   作:朝神佑来

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三日目・その三

 

 瓦礫の陰に身を潜め、押し寄せてくる魔物たちを二人の兄と姉が薙ぎ払うのをじっと見届ける。

 口を塞いで息を殺しながらも、俺は彼らの戦う姿から目を離せずにいた。

 

 ……高難易度なアクションRPGを、プレイしていたことがある。

 自分が操作するキャラクターの戦い方はひどくどんくさくて格好悪かったというのに、上手い人間がプレイすれば本当に綺麗で格好いい戦い方を見せてくれる、そんなゲームだった。

 今、目の前で戦う彼らの動き方、戦い方は、まさしくその――『上手い人間がプレイしたゲーム』のような、動きだった。

 

 爬虫類のような顔をした、黒い鱗の魔物たち。黒いトカゲ人間。そいつらは並の人間よりも筋骨隆々としていて、動きもすばしっこく、振るった拳が建物の壁にぶつかれば壁の方が砕けるほどの力を持っていた。

 そんな連中が徒党を組んで襲いかかってくるというのに、姉のロヴィミアは冷静に彼らの渦へと飛び込んでいき、魔術を唱えて一網打尽に片づけていく。

 次兄のゼフィールに至っては、ほぼ一歩も動いていない。手のひらを返した腕の先を突き出して、ほんの僅かにトカゲの体を弾くだけで、勝手にトカゲの方がすっ転んで吹っ飛んでいく。そして吹っ飛んでいった先には、長兄のフィサリスが振るう大剣の、横一線の不可視の斬撃が待ち構えていた。

 

 「……す……げぇ……」

 

 あれが、ノウェルグレイの強さ。ガルベラの子供たちの強さなのか。

 見惚れる俺の横で、瓦礫に背を預けて息を整えている最中のガラハが話す。

 

 「強ぇだろ、お前の家族は……。あんな連中の末の妹が、お前なんだぜ」

 

 「…………」

 

 遠く、眼前に並ぶ三つの背中。そのどれもが大きく、そして光り輝いて見えた。

 あたりを見渡すと、散らばっているトカゲの死体が紫色の霧となって消えていく。動いているものは無い。

 

 「よし――いったん片付いた! このまま一番街を目指して走るぞ!!」

 

 長兄フィサリスの声を聴いて立ち上がり、俺達は踵を返して走り出す。

 俺の体だけはフィサリスの小脇に抱えられ、向かう先はイドから離れる方向、一番坑道街へ。俺が最初に足を踏み入れた、今鐘を鳴らしている酒場ギルドがある方面。

 襲い来る魔物を蹴散らし、次の波が来る前に撤退を繰り返す。それを繰り返しながら、俺達は着実に目的地へと近づいていた。

 

 「ガラハ……体は大丈夫ですか? わたしの使える最大級の治癒を施しましたが……」

 

 「おかげさまで……どうにか動ける。心配すんな、テンセイ人は神気に強い」

 

 走りながら会話する二人の声を聴きつつ、俺はフィサリスの脇で前を向く。空に向かって高くそびえた、塔のような建物。頂上にはぐわんぐわんと揺れる鐘がある。あそこだ。

 目的地が見えて安堵し、頭から力を抜いて地面を見ると、てんてんと黒い斑点のようなものが地面にあった。

 ぽつり、ぽつりと何かが落ちて、その斑点が増えていく。……これは。

 

 「雨……?」

 

 伸ばした手のひらに落ちた雨粒が、しゅうと灰色の炎になって消えていく。

 

 「――ッ触るなトーリ!! 全員急いで物陰に身を潜めろッ!!」

 

 フィサリスの怒声に驚き、ぎゅっと体が縮こまる。雨はどんどん勢いを増していき、俺達の体を濡らしていった。

 

 「フィス兄!! 向こうの鍛冶屋へッ!!」

 

 「よし……っ!!」

 

 ロヴィミアの指示に従い、全員が脇道の大きな建物へと飛び込んでいく。

 最後にガラハが転がり込んだのを確認し、ゼフィールが建物の戸をばたんと閉め、がちゃりと大きな閂をかける。

 ようやく息をついた全員の体からはぼたぼたと雨水が滴っていて、床に流れ落ちて出来る小さな水たまりの色を見た瞬間、体の芯からぞくりと寒気が走った。

 紫色の水たまり。あの雲と、同じ色の。

 

 「……ふっ、ふぅ……っ、…………っ」

 

 ほのかな光が漏れる握り拳を額に押し当て、ロヴィミアが集中する。

 

 「……“サルヴァオス フィルフ”…………“イクス”……ッ!」

 

 ぱきん、と何かが砕ける音がした瞬間、室内が暖かい光で包まれる。

 俺達の体に付着していた雨水や床に出来た水たまりは、光に触れた瞬間にふわりと消えていった。

 

 ……雨水は消えたが、ロヴィミアの額はぐっしょりと濡れたままだった。想像しがたい疲労から滲み出た脂汗だった。

 

 「ミア……!」

 

 「っ……大丈夫、大丈夫ですよ、ゼフ兄……。でも――」

 

 駆け寄り、肩を抱く兄に向け、握った拳をゆっくりと開いて見せるロヴィミア。

 その内で先程砕け散った何かがさらりと零れ落ちて、彼女の手を離れていった。

 

 「純聖石は……ひとつ……無くなって、しまいましたが……」

 

 「聖石ならあとでいくらでも買える。僕のを持っておけ、君の身のほうが大事だ」

 

 そう言ってゼフィールは、懐から透明な石を取り出してロヴィミアに手渡した。仄かに金色に光っている、綺麗な石だった。ロヴィミアは少しだけためらってから、こくりと小さく頷いて、それを受け取った。

 屈んだフィサリスの腕から離れて、改めて俺は光で包まれた室内を見渡す。

 壁に掛けられた剣や斧、火が消えている大きな炉と、大きな金床。

 鍛冶屋……と、ロヴィミアはそう呼んでいた。床や壁が石造りの頑丈な設計になっているのは、その為か。

 

 「ここなら……雨をしのげます。魔物の攻撃にも、しばらくは耐えられる」

 

 ロヴィミアの声に混ざり、ザアザアと雨が建物を叩く音がする。この雨は……あの雲から落ちてきているものなのだろうか。

 座り込んでいるガラハに視線を向けると、俺の疑問を察するかのように、ガラハは指を折りながら説明を始めた。

 

 「神気には……形が三つある。普通は目に見えない気体で、地中で固まって個体……魔石になる。濃度によって形を変えるんだ」

 

 「……水みたいだな。温度じゃなくて、濃度で変わるのか」

 

 「そうだ。理科の知識が少しでも残ってりゃ……あの雨がどういうもんかは……わかるだろ」

 

 ……気体と個体の中間に位置する、液状の神気。それが、今降り注いでいるものの正体。

 あのまま濡れ続けていれば、俺達は液状になった濃い神気の汚染に晒され続けていたのか。

 手のひらに残る、あの腐った果実の感触を思い出す。あの雨を受け続ければ……人間はみんな、あんな風に……?

 

 「ガラハ。立てるか?」

 

 「うん……? ああ……問題ない。どうした、フィサリス」

 

 「二階がある。そこの窓から外が見える。……少し話そう」

 

 かつかつと足音を立てて、階段を昇っていくフィサリス。少し間を置き、ガラハがその背を追った。

 ぺたんと座り込んだロヴィミアは息も荒く、その肩と背をゼフィールがずっと撫でている。

 年長の二人は上に向かった。きっと、二人でしか話せないこともあるのだろう。

 

 俺は……俺は。

 俺は今、何をして……何を、すればいいんだ?

 

 「トーリ」

 

 姉の声に、ふと顔を起こす。

 

 「……大丈夫。大丈夫ですからね」

 

 青ざめた顔で微笑み、そう俺に話しかける彼女の声は、まるで彼女自身が自分に言い聞かせているかのように聞こえた。

 

 

 *

 

 

 剣や槌といった道具が数多く揃っていた一階部分と違い、二階にある物は棚やベッドといった家財で占められていた。

 一階で商売を行い、二階で生活をしているのだろう。そう推測しながら、フィサリスは窓の向こうに広がる景色を眺める。

 絶えず雨が降り注ぐずっと向こうに、黒い巨人の姿がわずかに見える。その周囲で、小さな光が踊っていた。

 

 「あれは……」

 

 小さな光は時折ばちばちと電撃を放ち、それが体にぶつかる度に巨人が怯む。

 雷属性の魔術。空を飛び回る光。それが何なのか、少しの間をおいてフィサリスは理解する。

 

 「天使か……? どうして、ひとりだけ……?」

 

 ゆっくりと階段を昇り、フィサリスの背に追いついたガラハが答えた。

 

 「……あの『雲』のせいだろう。おそらくは……」

 

 「雲……だと?」

 

 示された先、空を覆う雲を見上げるフィサリス。

 

 「液化した神気を降らすほどの神気の塊だ……あの中に突っ込めば、天使といえど、無事では済まんだろう。……何故ひとりだけ、地上に残って戦っているかまでは、わからねえが……」

 

 衛天使(センチエル)は自らの拠点、天空の都市から飛び立ち、地上へと降下する。

 空と地を雲によって断たれた今、天使たちは地上へは迎えず、故に今、イスガトの人々はされるがままに蹂躙され続けている。

 ただ一人……地上に残っていた天使を除いて。

 

 イドの周囲を飛び回り、その脚を留めている天使の正体に、フィサリスは気づく。

 同時に、強く拳と歯を締め、半ば衝動的にガラハに向けて口を開いた。

 

 「ガラハ――妹たちを……頼めるか」

 

 言葉の意味を瞬時に理解し、ガラハは怒りでそれに答えた。

 

 「バカを言ってんじゃねえ……!! 俺にてめえの家族を守れってのか!? そんなことはてめえでやりやがれ、それが真位階(アルテマ)の言葉か!?」

 

 「だったらどうする――!? 単身でアレの相手がオレ以外に、お前にできるのか!? 見ろ!!」

 

 階下に届かぬよう静かに、けれど激しく言葉を交わしながら、フィサリスは窓の向こうに指を向ける。

 ガラハがそれを見た時には、イドの周囲にあの小さな光はなかった。ぼたぼたと涙のように血を流すイドが、両手をついて倒れ伏している。

 一見して優勢や決着に見えるその様子。だが、イドの全身の鱗がざわざわと蠢くのを確認した瞬間、ガラハもフィサリスと同じくその状況の何たるかを理解した。

 やがて、イドは立ち上がる。両の脚で、ではない。

 

 「……最初は、歩くことすらままならなかった。体重を前に傾けて、よたよたと歩くのがせいぜいだったイドが……今は」

 

 両腕を前脚と変え、四つ脚で、直立する。

 

 「なんだ……あれは……肉体を、変化させてるのか……!? いや――」

 

 かのイドの核は、リコリスというひとりの少女である。

 それが膨大な神気の隆起によってイドへと覚醒し、自分のものではない肉体をどうにか動かしながら、彼女は目指すべきものを目指して歩んだ。

 けれど今、そのイドの内側に、リコリスという少女の意識は既に無く。

 より効率的に、より動きやすい形を、イドは求める。ヒトの進化を遡るようにして、そのイドは進化する。

 

 「わかるか……ガラハ。時間が無いんだ。あの速度で進化するヤツを食い止めることが、お前に出来るのか。……中位階(シルバー)

 

 強力な雷を受け、砕けた眼球が歪に修復する。沸騰した湯が吹きこぼれるように、いくつもの眼球が眼孔から溢れ出る。

 その眼球のすべてが、正面を――自らが求めるテンセイ人を、見据えている。

 

 ガラハは深く息を吐き、うなだれてから、フィサリスを見た。

 

 「お前には……お前の役目があるんじゃねえのか。その為にここに来たんじゃねえのか?」

 

 「……それは」

 

 「出来るかと聞いたな……フィス」

 

 腰にさげた剣を鞘ごと取り外し、その腕に抱えながら、ガラハは言った。

 

 「やってやる。俺が行く」

 

 「な――ッ」

 

 「失う戦力は軽い方がいい。ましてテンセイ人ならなおさらだ。囮役として、これ以上の適任はいねえだろう。違うか」

 

 「…………っ」

 

 その言葉に対し、首を横に振りたかった。真っ向から否定したかった。冒険者として培った経験のすべてがそれを許さなかった。

 だからこそフィサリスは、彼よりも先に自分が行くと口にした。この状況下で、彼がもっとも正解に近い選択に至るより早く。彼がそれを口にしてしまったら、オレはその判断を否定できないとわかっていたが故に。

 真位階のハディマであるが故の判断力と、長兄であるが故の人格性がせめぎ合い、それ以上フィサリスの口を開かせなかった。

 

 フィサリスは横目でイドの様子を見る。四つ脚となったそれは、自らの周囲を力なく飛び回る光に対し、憎悪で満ちた威嚇を繰り返していた。

 それが光から興味を失い、こちらに向かって走った瞬間、自分たちは敗北する。これ以上、話を交わす余裕など無かった。

 

 「……フィス。協力してほしいことがある。頼めるか?」

 

 今の今まで色を失っていた髭面の男の瞳には、すでに魂が宿っていた。

 決断と覚悟を済ませた男を前に、フィサリスは頷くことしかできなかった。

 

 

 *

 

 

 二階に上がった二人の会話を聞きたかったが、雨音が激しく、声は聞けても会話の内容までは把握できなかった。

 落ち着きを取り戻した姉の息遣いが聞こえる。彼女の背をずっと撫でている兄がいる。壁際で縮こまっている俺がいる。

 手足の末端が冷え、体が震え始めた。それが寒気から来るものなのか、あてのない罪悪感から来るものなのか、恐怖によるものなのかはわからなかった。

 あるいは、その全部だろうか。

 

 「……俺の……俺のせい……なのか」

 

 凍える口が、無意識に言葉を発する。

 ずっとあった、あてのない罪悪感が形を持ち始めた瞬間だった。

 イドはテンセイ人を求めて覚醒する。テンセイ人が現れるから、イドが現れる。それは、つまり。

 

 「俺が……リコリスに接触しなけりゃ……俺が、ここに来なけりゃ……ここに……生まれて、こなけりゃ……」

 

 この惨劇の引き金を引いたのは、俺の存在そのものなんじゃないのかと。

 果てしない罪悪感がようやく形を得て心に居座ったとき、ものを投じたコップから水が溢れるように、俺の口は、ひたすら勝手に動いて言葉を発していた。

 

 「トーリ」

 

 男の声がした。誰が呼ばれたのだろうと一瞬思い、それは俺だと気づいて、顔を上げた。

 鮮やかな紫の両目が綺麗な、端正な男の顔があった。

 その顔が俺の肩の向こうへ行った瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられた。

 でかい体だと思った。俺が小さかった。

 

 「君は何も悪くない。誰も悪くないんだ。生まれてきたことが間違いだなんてことがあるものか。君がここにいることに、間違いなんてあるものか」

 

 初めて聞く声色だった。力強く、俺の知らない確信に裏付けられた言葉だった。

 薄っぺらな言葉だ。事実俺さえいなければこんなことは起きていない。気休めだ。俺が今でもあのワンルームで暮らしていたら、そう思った。

 けれど今ここにいる俺は、そんな言葉を口にする兄を強く抱きしめ返した。強く握った背中はえらく硬くて、涙が出そうになった。

 

 「我々が憎むべきは……ただひとりです、トーリ。そして、それは決して、あなたやガラハじゃない」

 

 ぎゅっと汗を拭って立ち上がった姉が、兄の言葉に続く。

 

 「エラン・ニュートレンツ――彼ひとりの狂気と凶行が、この惨劇を招いた。……そうですね、トーリ」

 

 頷き、答える。

 

 「図書館に来た迷子の女の子を、俺とガラハで家に帰した……。口数は少ないけど、本当に普通の女の子だったんだ。まさかそれが――」

 

 「その女の子が、神気を詰め込まれてイドに改造されていただなんて想像できる人間はいない。わずかでも誰かに非があるとするなら……それは、エランのことを見逃してしまっていた僕にだ」

 

 すっと兄の体が離れ、彼も立ち上がる。そしてぎゅっと自分の胸を掴み、行き場のない怒りを堪えるように目を伏せた。

 それは違うと姉が彼の肩に手を伸ばす。自分一人でその思いを背負ってほしくはないと言いかけて、その言葉を二人分の足音と長兄の声が遮った。

 

 「誰も悪くないと、お前が言ったばかりだろうが……ゼフィール」

 

 「……フィス!」

 

 二階から降りてきた長兄の姿は、何故か俺の前で兄と名乗ったときよりも冷たく無機質なように思えた。

 彼は俺と目を合わせずに背中を向け、出入り口のドアとは反対の壁に手を付ける。それから強度を確かめるように、とんとんと何度か叩いた。

 いったい何をしているのだろうと頭にはてなを浮かべる俺の体に、どんと何かが押し付けられ、驚いてよろりと体がふらついた。

 

 「わっ、と……?」

 

 「持っときな、トーリ」

 

 いつの間にか俺の目の前にいたガラハが、鞘に収まった剣を押し付けていた。

 いつも腰にさげている剣だった。両腕で抱えて受け止めたが、その行動の意図がわからなかった。

 

 「え……? っ、でもこれ、いいのか? あんたがずっと持ってる剣じゃないか……大事なものなんじゃ、ないのか?」

 

 「なーに、剣なんざ他にいくらでもある。丁度ここは鍛冶屋だ、一本くらい拝借して、あとで返せばいいだろ」

 

 「じゃなくて――!! なんで俺に渡すんだよ、あんたが使えばいいじゃないか!?」

 

 壁にかけてある剣を一本手に取り、その感触を確かめてから、ガラハは答えた。

 

 「その剣はなトーリ、その……結構、いいやつだ。店で買えばたぶん、何十万モルクもする。特注品だしな……ああだから、お前が持ってたほうがいい! 俺はなまくらでも戦えるが、お前はそうじゃないだろ!?」

 

 「戦うって……ぉ、俺はこんなだぞ、剣なんか振れるかよ……」

 

 「それでも戦うんだよ!! どうしたって絶対に――てめえの身をてめえで守らなきゃならねえ時が来るんだ!!」

 

 「ッ――」

 

 はじめて聞く声色だった。

 大人の怒声を、久々に聞いたと思った。

 

 姉の手を借りて立ち上がり、貰った剣をしっかりと抱きしめる。

 ガラハの剣は確かに重かったが、振り回せないほどの重さじゃなかった。

 兄姉の陰に隠れるばかりでは限界が来る。その時に、この剣が必要になる――ガラハの言葉が、頭の中で何度も繰り返された。

 

 「作戦を話す。オレ達は今から、あの出入り口とは逆側――この壁から飛び出して、そのまままっすぐ一番街を目指す」

 

 ごんごんと壁を叩きながら俺達に説明するフィサリス。

 壁から鳴る音からして、かなり分厚い作りになっている筈だが――。

 

 「出入口から出るんじゃ駄目なのか? フィス」

 

 「ここに長居しすぎた、イドの魔物が周囲を取り囲んでる。連中を壁ごと吹き飛ばして、退路を開く必要がある」

 

 「……成程。であれば目的地に近い方角に穴を開ける方が、確かに効率的ですね」

 

 長兄の話す突拍子もない作戦に、次兄と姉が頷いて納得している。

 いやいやちょっと待ってくれと、俺ひとりが置いていかれている。

 壁ごと吹き飛ばす? そんな破壊力のある魔術や技を使うのか? それは……俺達にも危険が及ばないか?

 

 疑問を口にするより先に、長兄は大剣を右手に持ち……全身に力を込めて、見たことのない構えを取った。

 

 「トーリ。よく見ておけ」

 

 右手を後方へ、左手を前方へ、切っ先を左手に向け、矢を射るようにまっすぐに剣を構える。

 姉に促され、数歩後退し――その姿勢のまま、静止する兄を見る。

 その構えから、繰り出されるのか? その技が? 放つとするなら、それはどんな形になるんだ――。

 一瞬の内に巡る思考が、兄の言葉に拭い去られる。

 

 「ノウェルグレイ流には三つの型がある。その内、ゼフィールが“滑進”を、ロヴィミアが“流眼”を――そしてオレが、“閃斬”を……それぞれ修め、極めた……!!」

 

 瞬間、兄の周囲に巻き起こる突風――そう錯覚するような、何かが放たれた。

 周囲の何も動いてはいない。だが全身がびりびりと感じている。兄が纏う何かを。

 魔力でも神気でもない、もっと別の何か、あるいはもっと、単純な――。

 

 「これが――!! オレが至った、“閃斬”の極致、奥義ッ!! 名を――――!!!」

 

 純粋な、力の奔流。それが、ある一部分へと集い、束ねられていく。

 剣や腕ではなく、もっと下――フィサリスの、左脚へと。

 そして。

 

 

 「――“閃突”ッ!!!」

 

 

 ドン、と、何かが爆ぜる音がした。

 真下、間近で聞いた花火のような。あるいは軍艦が放つ大砲のような、重く轟く爆発音。

 今度は錯覚ではない、体が吹き飛ばされそうになる突風を受け、ふわりと浮いた体を姉に抱き留められた。

 浮いた体で前を見る。円形に吹き飛び、風穴の空いた壁が目の前にあった。

 

 「急げッ!!!」

 

 続く兄の言葉に、弾かれたように走り出す。剣を抱えた俺を抱えた姉が、二人の兄と一緒に真っ直ぐに走る。

 

 「“サルヴァ”――っ」

 

 「待て、ミアッ!! 僕が逸らすッ!!」

 

 続けざまに魔術を唱えようとした姉の腕を、次兄が止めた。

 神気の豪雨が体を包む、その瞬間――その瞬間が、いつまでも訪れない。

 抱えられながら正面を見上げる。俺達の周囲だけ、降り注ぐ神気の豪雨が逸れていく。まるで巨大な傘に受け止められて流れていくように。

 

 「ゼフ兄……っ!? まさか!?」

 

 「ッ――さ、すがに、キツいなっ……!! けどこの程度、妹の負担に比べりゃ屁でもないさ……ッ!!」

 

 横目で見えたゼフィールの目が、ぼんやりと紫色に光っている。普段は白い布が巻かれて隠れていた目。

 神気の雨が逸れていくのは、彼のその目の力だろうか? 瞬きひとつせず、意識を集中させ続ける兄の目の端からは、既に数滴の血が流れ始めていた。

 

 「振り向くなよ、フィスッ!! 僕の魔眼が両目ともぶっ潰れようが、全員、絶対に守ってやるからなッ!!」

 

 「……っ、すまん、ゼフィール!!」

 

 心苦しそうに、けれど走る速度は落とさないまま、フィサリスが答える。

 全員――全員?

 

 「……っ……あれ……」

 

 姉の小脇から、周囲を見渡す。ゼフィールの背中。フィサリスの背中。

 足音が少ない。聞こえてくるはずの音が、ない。

 

 「ちょっ、と……待って!! ガラハは!? ガラハはどこだよッ!!?」

 

 誰も返事をしなかった。

 振り返ってかろうじて見えた後方、風穴を開けられた鍛冶屋の周囲に、魔物などいなかった。

 

 「フィス兄さんッ!! なあってばぁッ!!!?」

 

 ……ごおん、ごおんと、鐘が鳴っていた。

 

 鐘の音と、ぬかるんだ大地を駆ける足音と、俺の声だけが聞こえていた。

 預かった剣を抱きしめること以外、今の俺に、出来ることは何もなかった。

 

 *

 

 

 体は、とっくに限界だった。

 

 両の目から血が流れる。鼻や口から血が流れる。

 後頭部を金槌で乱打されるような痛みがずっとある。

 へし折れた大腿を聖神気でつなぎ合わせ、正面を見上げた。

 

 神気の豪雨に全身を打たれ、紫色の水に塗れたイドが、苛立ちそのものを吐き出すように吠えた。

 

 自分の周りをいつまでも飛び回る蠅がいたら、それは目障りなことだろう。

 蠅が棘や雷を飛ばしてくればなおさらのこと。いつまでも死なない厄介な害虫。

 

 「……お互いさまだね」

 

 崩れかけた光翼を広げ、衛天使シフェルは姿勢を正す。

 今一度飛翔し、奴をここに食い止める害虫であり続けるために。

 

 わたしは衛天使(センチエル)だ。神の御使いとして、人を護らなくちゃならない。

 衛天使(センチエル)が敗れるということは、あってはならない。

 たとえこの場にいる天使がひとりきりだったとしても、わたしは敗れるわけにはいかない。

 今この場において、この街において、わたしそのものが、衛天使(センチエル)そのものだ。

 

 「“空を(エル)”――――ッッ」

 

 地を蹴って飛びたたんとした瞬間、光翼がへし折れた。

 べきりと鈍い音がして、ぐらりと体が崩れ落ちる。姿勢の制御がきかなくなって、後頭部の痛みがさらに増していく。

 見上げた先に真っ赤な口があった。イドが振りかざした前脚の内側が、空となってシフェルに襲い掛かった――瞬間。

 

 「“神鎧(じんがい)”ッッ!!!」

 

 何者かがシフェルの前方に跳び出し、粘菌のように広がる真紫の結界を展開した。

 ばぢんと結界がイドの前脚を衝撃によって弾き、真っ赤な前脚の内側に青い血液を滴らせながらイドが後退する。

 

 自らの前に躍り出たその者を見つめながら、シフェルは何とか立ち上がる。

 

 「……っ……な――にを、しているの、ですか……あなた、は……っ」

 

 口にするのは、衛天使(センチエル)としての言葉。

 男は動じる様子もなく、振り返り、シフェルを見ながら微笑んだ。

 その微笑みに、シフェルは怒る。

 

 「避難を、命じたはずですが……!? 神気の雨に晒されては、人間など即座に魔物と化しますよ!! 疾く、物陰へと身を潜めなさいッ!!」

 

 男は、静かに首を横に振った。

 

 「知ってるよ。……もう手遅れだ。見かけはこうでも、中身は半分――置換が終わってる」

 

 「……はっ…………?」

 

 神気の浸食には段階が存在する。接触、浸食――そして、置換。

 聖神気を用いた治療魔術によって浄化できるのは、浸食の段階まで。

 すでに魔物のものへと置き換わってしまった部分を治す手段は、物理的に取り除く以外に存在しない。

 

 腹の内で蠢く、自分のものでなくなった部分を手のひらで感じながら、男はそれでも剣を構えた。

 

 「では……では――貴方は」

 

 「俺はテンセイ人だ。天使様」

 

 「……」

 

 「一番街にもう一人、テンセイ人がいる。そいつは俺よりずっと幼い、十歳くらいの女の子だ」

 

 横に並び、シフェルもまた、折れた翼をそれでも広げた。

 

 「貴方がここに……イドの目の前に居さえすれば――貴方が……イドを引き付けることが、できると……」

 

 「そういうことだ、天使様」

 

 体勢を整えたイドは口を大きく広げ、だくだくと唾液を流し始めた。

 肉体の変質と巨大化を行い、続けざまに神気の雲を吐き出すという行為は、イドにとっても大きな負担であり。

 極度の飢餓の最中にあるそれは、確実に目の前の獲物を捕食するために、四つ足を地面に食い込ませ、割れた無数の眼球で獲物をしっかりと見据えた。

 

 「神纏と神鎧――神気を用いる武術を修めたハディマを失うことになるのは……大きな、損失です」

 

 「……そんなに大したものじゃないさ。ここで彼女を生かす方が、俺なんかの損失より、ずっと大きな益になる」

 

 ごおん、ごおんと、鐘が鳴っている。ザアザアと、雨が降っている。

 吠えるイドの咆哮にたじろぎもせず、二人はそこに立っている。

 

 『シフェル』

 

 シフェルの懐から、凛とした声が放たれた。

 

 『貴女は、そこに居ますね』

 

 淡々とした、けれど仄かに優しくもある、女性の声だった。

 

 「……その声は……」

 

 「はい。わたしはここに。標的の、目の前に」

 

 シフェルの声色がはっきりと変わる。その声に対する、絶対的な忠誠と信頼が故に。

 

 ――刹那、一瞬にして距離を詰めたイドの巨体が、男に向かって爪と牙を剥いて襲い掛かる。

 男はそれを再び粘菌の結界――神鎧によって受け止め、振りかざされる爪を紫色の剣閃、神纏によって迎撃した。

 神気を用いる武術の欠点は、膨大な神気の集中を必要とすることと、使用者への甚大な神気汚染。

 前者は神気の雨が降り注ぐというこの環境、後者はすでに汚染を避けねばならない状態ですらないという状況を利用することで、男はその欠点の無視を成した。

 

 結界によって牙を砕かれ、前脚を再び切り裂かれ、イドが踊るようにのたうちまわって悲鳴を上げる。

 その顔面、砕けた無数の眼球めがけ、シフェルは自分の体に残されたありったけの聖神気を、光翼から槍と変えて撃ち放つ。

 

 「ッッ――!!! ぅ、っぐ、ぁ、ぁあぁああぁああああああああああああ――ッッ!!!」

 

 瞬時に全身を蝕む神気。精神への浸食を気力ひとつで振り払いながら、シフェルは叫ぶ。

 

 「――『聖剣』をッ!!! ユウヒ・アズア様ぁあッ!!!」

 

 眼球に突き刺さった槍の輝きが、イドを苦しめる。引き抜こうと添えた前脚すら、光に包まれて焼かれていく。

 苦しみ悶えるイドの天上、神気の雲に光の筋が描かれはじめ、やがて引きちぎれた雲の隙間から巨大な光が射しこんだ。

 

 「ごぷ――かふ、かひゅ――――っ」

 

 最後の最後、すべてを使い尽くした少女の体が、逆流した血液を噴きながらどさりと地面に倒れ伏す、その直前。

 その小さな体は、ひとりの男の腕によって抱きかかえられた。

 

 「……すみません…………」

 

 「いいさ」

 

 光が迫る。雲が裂ける。

 イドの眼球に突き立てられた聖神気の塊めがけ、聖剣の光が落ちていく。

 

 綺麗だ、とシフェルは思った。

 男の腕に抱きかかえられながら、血に混じる涙を流した。

 

 「ぁぁ」

 

 

 「…………ぁぁ」

 

 

 万感の詰まったうめき声。 

 思いを口にすることすら、今の彼女にはできなかった。

 それでも、男には彼女の思いが聞き取れた。

 自分もまた、同じ思いを抱いていたからだった。

 

 

 「なあ、天使様」

 

 「…………?」

 

 「テンセイ人は……記憶と一緒に、力を失うって話だったな」

 

 「…………」

 

 男はそう言って、そっとシフェルを寝かせた。

 そして彼女の傍に立ち、地面に剣を突き立てる。

 親友に託されたものではない、あの鍛冶屋で借りた剣を。

 

 「だったらよ」

 

 「……記憶を取り戻せれば、力も――取り戻せるかも、しれないよな」

 

 シフェルには、何を言っているのか理解できなかった。

 男もまた、自分が口にしていることと、自分が成そうとしていることを、理解しきらないまま行おうとしていた。

 

 テンセイ人は前世の記憶を持って産まれてくる。

 そしてこの地で過ごし、やがて新たな記憶に飲まれて前世の記憶を失っていく。

 同時にテンセイ人は、生まれ持った力を記憶とともに失っていく。

 一万年前、神代を生きたテンセイ人たちが成した大業。それに連なる、ひとつの力。

 

 

 雲が、円形に開く。

 そして、雷とともに円柱の光が降り注ぎ。

 視界が光に包まれ、その衝撃が到達する寸前に、ガラハ・オンズは叫んだ。

 

 かつて失ったその力。新たなテンセイ人と出会ったことで、再び息吹を取り戻したその力。

 ステラエモルクにおいて転生人が得る……転生人の力(チート)の名は。

 

 

 「――――“神殺しの権能(ブレイス)”ッッ!!!!」

 

 

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