――――――息が苦しい、喉から血の味がする。
こんなに長く走ったのはいつぶりだろうか。
風紀委員会の行政官になってからは、デスクワークと前線から離れたところでの指示が殆どだったアコ、
どうやらそのせいか全体的な身体能力が低下しているらしく、ヒナの家に到着した頃には体の至る所から悲鳴が上がっていた。
しかしここで疲れている場合では無い、問題はここからなのだ。
ヒナの家のインターホンを押す。
反応は無い。
扉をノックする。
しかし、反応は無かった。
アコは扉に手をかける。
当然鍵が閉まっているようで開かない。
だが、決して留守では無い。
ヒナを長い間見てきたからこそ養われた、ほぼ確実なアコの直感がそう言っていた。
深く息を吐いて、アコはピッキング用の金具を取り出す。
本当はこのようなプライバシーを損害するような行為は紛れも無く風紀を乱すものではあるのだが、もうそうとは言っていられない。
「それじゃあ、失礼しますよ委員長。」
「ああああああああぁぁぁ!!!!」
紛れもないヒナの叫び声。
普段の落ち着いた態度からは考えられない程に、酷く取り乱したような、絶望が混じる悲鳴に、アコは思わず持っていた金具を地面に落としてしまった。
「いやぁ!!いやああああああああぁぁぁ!!!!」
続いて家の外でも聞こえる程の絶叫。
聞いているだけで心が痛むような、そんな悲痛な叫び声だった。
アコはその絶叫に体が硬直し、金具を拾うことが出来なくなってしまう。
「どうしてッ...どうしてなのッ...!!」
何かに眇むような、絞り出したかのような声。
薄々こうなる事を予想はしていた。
依存というのは、残酷だ。
依存しているそれが無くなってしまうと、気が狂うほどの絶望感に、己を失ってしまう。
そしてそれが人間であり、死んでしまったとなると...もうそれは常人では理解できないような精神的苦痛を味わうことになるだろう。
それを理解していたアコは、ヒナへの同情と罪悪感にようなものが頭によぎる。
「はぁ...はぁ........。」
過呼吸な呼吸が聞こえ、数分が経つ。
沈黙。
先程まで聞こえていた叫び声が消え、不気味な程に急な静寂が訪れた。
「...委員長?」
アコはその状況の変化に困惑の表情を浮かべた。
なにか彼女の身に起こったのか?
それとも、叫び疲れて寝てしまったのか?
色んな仮説を頭の中で立てる。
しかし、どれもそれが答えであるという確証が持てず、結局は分からないという5文字が浮かぶのみ。
ッカチャリ
微かに、しかし確かに聞こえた銃の乾いたコッキング音。
その音に一気にアコの表情は青ざめる。
その音がどんな意味を表すのか、アコは一瞬で分かってしまったのだ。
もうアコに迷いはなかった。
ピッキングではもう間に合わないと考えたアコは、最終手段としてゲヘナの押収品倉庫から持ってきた簡易弱爆発性手榴弾を目の前のドアに投げ込む。
多少自身に傷を負ってしまうかも分からないが、今はそれは重要では無い。
ッズバァン!!!
甲高い音と共に、ヒナの家の扉は跡形もなく吹き飛ばされた。
弱爆発性とは言っても爆弾は爆弾。威力は凄まじいものであった。
だがアコは躊躇無くそこへ飛び込む。
吹き飛ばされたドアの奥には、最悪の予想通り自らに銃を向けているヒナが立っていた。
「...アコ、何の用。」
抑揚のない感情が籠っていない声で、アコに問いかけるヒナ。
酷い顔色に、乱れた髪。そしてヒナのその瞳には、一切の光が無かった。
「何の用...じゃないでしょう...!?」
「今自分が何をやろうとしているか...っ、わかっているんですかッ!?」
その壊れた表情に、アコは感情を爆発させる。
当たり前だ。
ヒナは、自分の手で自分を殺めようとしていたのだ。
「...これは私が決めた事なの。皆には申し訳ないけど、理解してくれると嬉しい。」
「理解なんて出来るわけ無いでしょう!?」
アコは心から叫ぶ。
何が「理解してくれると嬉しい」だ。例えどんな理由であろうと自分を自分の手で殺す事は絶対にしてはいけない。
これは風紀委員長だからという問題では無い、もはや常識、いや人間的にそれは反することなのだ。
アコの叫びを聞いて、どこかヒナは悲しげな表情を浮かべる。
「これまで皆にはお世話になった。...まあ、早めの卒業と思ってくれればいい。」
「...なんで。」
なんで死ぬ事を諦めてくれないのか。
いつものヒナは、頼み事をすればすんなりと受け入れてくれていた。
多少無茶な頼みも少し嫌な顔をしながらも受け入れてくれた。
なのに、何故1番聞いて欲しいこの頼みを聞いてくれないのか。
アコは悲しみと怒りと疑問が混ざり、混沌とした複雑な感情に陥る。
しかし、彼女を止めなければならないという意思は揺るが無かった。
「...最後の頼み事です。もうこれ以上は」
「っ、その頼み事が私は嫌いなのッ!!!」
今まで見たことの無い憎悪を感じるような鋭い目が、アコを睨む。
その剣幕は紛れも無くこれまで敵に向けられてきたそのもの。
敵意だった。
その圧倒的までの威圧を放つ彼女の雰囲気に、アコは1歩後退りをする。
恐怖。
その感情がアコの頭を支配し「彼女の言う通りにしなければ」とアコの本能的なものが訴えかけてくる。
「...何か勘違いしてた様だけど、私は頼み事を聞くのが何時もとても苦痛だった。」
「でも風紀委員長という立場だからやっていただけ、この呪いのような肩書きのせいでね。」
彼女はポケットから取り出した風紀委員会の名刺を、勢い良く床に投げ捨てた。
「...それで、今頃また頼み事?」
「ふざけるのも大概にしてくれるかしら?」
冷たい刃物のような言葉が、アコに突き刺さる。
嫌な顔をしていた時点で少なくとも重い頼みは良い気持ちでは無かったのは分かっていた。
だが何時もの頼みすらも苦痛であり、彼女を苦しめていた事、今初めてそれをアコは知ったのだ。
そこで漸く気づく。ヒナは先生に依存していたが、その理由は私達がヒナに依存してしまっていたから、という事実に。
つまり、この現状を作ったのは紛れもない、私たちである。
アコはその事実に耐えられず、膝から崩れ落ちた。
ああ、そうか。
ヒナを苦しめていた本当の敵は、私達であり風紀委員会だったのだ。
気づけば、アコの目から涙が溢れ落ちる。
いい友達だったと思っていた。
風紀委員会という立場が無しにしたとしても、いい友好関係を築けていたと思っていた。
だが、実際はどうだ。
私の独断で動いた作戦の後始末は?
私が失敗してしまった後の尻拭いは?
全て、彼女が解決していたのだ。
これでは私はただの彼女の"お荷物"なのではないか。
「はは...は...」
笑みが零れる。自分を高く評価し過ぎていた自分への嘲笑である。
アコの目はだんだんと暗く、淀み始める。
「...だから貴女に、私を止められる義理はない。」
反論は無い。
...いや、反論が出来なかったと言った方が正しいだろう。
ヒナは目を瞑り、再び手に持っていた冷たいそれを頭の横に構える。
アコはその状況に、今度は眺めることしか出来なくなっていた。
――――――そんな悲しい顔をしないで。
そんな自分を責めるような顔をしないで。
彼女の澱んでいく瞳を見て、ヒナは自分の発言に後悔する。
彼女を遠ざけ、自分の最後を見せまいと思い放った言葉は予想とは違い、大きく彼女の心を抉ってしまった。
それだけ自分の事を大事にしてくれていたという事だ。
ヒナの中にアコに対する罪悪感が大きくなっていく。
確かに、本心からの言葉であった。
でもそこにはそれ以上の信頼と、親しみと、大切な何かがあった。決して憎悪だけがそこにあった訳では無い。
だから、彼女が気に病む必要は無い。
勝手な事をした私を恨んでくれれば、それで良かった。
それで、私という存在が少しでもいらないと感じてくれるのなら。
...私が死ななければ、全て解決するだろう。
しかし、私は限界に至ってしまった。
もう頑張れない。もう進めない。
そんな私を、委員会の皆は優しいから見捨てないだろう。
だがこんな私のせいで、皆の成長を止める事だけは絶対にしたくは無かった。
だからこそ、私は今ここで、限界に至り腐った自分を自分で終わらせなければならない。
これは彼女なりの礼儀であり、風紀委員会に対する、精一杯の気持ちだった。
――――だけどその前に。
3年間ずっと共に過ごしてきた彼女に向け、卒業の言葉を。
ヒナは静かに口を開ける。
「さっきのは紛れも無い私の本心。...でも私、楽しかった。」
1発。
頭に強い衝撃が走ると同時に、耐え難い痛みが走る。
だがヒナは痛みを耐え、これ以上に無いような清々しい笑顔を、アコへ送る。
「確かに辛かったのは確か、本当は普通の青春を私は過ごしたかったからね。」
2発。
激しい痛みに、額に流れてくる生暖かい己の血液。
「でも、風紀委員会でいたからこその青春を、私は皆のおかげで味わえた。」
3発。
痛みが鈍くなり、意識が少しずつ遠くなっていくのを感じる。
「だから自分のせいだと思わないでアコ。元はと言えば、この道を選んだ自分のせい、自業自得だから。」
4発。
視界がぼやける。
鮮明に見えていた景色が段々と色褪せていく。
「...最後に、1つだけ言わせて。」
5発。
これが最後だろう。
長年信じてきた自分の勘が、次で確実に死に至る事をヒナに伝える。
そしてヒナはこれまでの感謝を込め、1つの言葉に紡いだ。
一緒に、いてくれて――――ありがとう。
という事で後書きです。
多分今回の話は人を選ぶでしょうね。
そういう描写があるので...
まあ、もう自己満小説みたいな奴なんで気にしてないんですが()