時はエレン脱獄の直前まで遡る。
「・・・」
場所は地下深くの牢。
エレン・イェーガーは寝具に腰掛けながら、厳しい表情でただ前を向いていた。何か特別なことをしているわけではない。ただ座っているだけだ。だが、鋭い面構えで鏡を見据える彼の周りには刺々しい雰囲気が漂っていた。
『コッ、コッ、コッ』
靴が地面を叩く音が牢内に響く。誰かが来たようだ。
エレンはどうせまた尋問しにきた憲兵だろう、と特に気にしなかった。
しかし、檻の向こうから現れた男は予想外の人物だった。
エレンは僅かに目を見開く。
「すまんな。おそらく、おまえが想像していた者とは違う客だ。」
「・・・デイビット。・・・何の用だ。」
「接触までの段取りを確認しに来たついでに、お前の様子を見に来たが、調子は悪くなさそうだな。」
どうでも良さそうな表情でそう口にしながら、鍵を開けて牢内に入るデイビットに対し、エレンは鋭い視線を止めない。
「フロックの根回しで民衆はお前を解放しろと躍起になり、ザックレーも先ほどオレが始末した。」
「・・・」
エレンの強い視線に対しても気にする様子はなく、デイビットは淡々とした状況報告を続ける。
「これで兵団側の力は弱まり、パラディ島勢力はほぼ手中だ。イェーガー派も総じて悪くない動きだ。ここまでは順調だな。」
パラディ島内の情勢に関する総括を一通り聞き終えると、エレンは低い声で問いかけた。その問いには苛立ちの声色が微かに含まれている。
「・・・俺がいつお前に後押しを頼んだ?一体何がしてぇんだ・・・お前は。」
「オレの目的は4年前から変わらない。始祖の・・・お前の描く道筋を整備することだ。」
「だから・・・いつそれを頼んだって聞いてんだよ、こっちは。」
「これはオレが勝手にやってることだ。オレは個人的な信念に基づき、オレの意思で動いている。お前が特に気にする必要はない。」
デイビットがそう説明し終える頃には、エレンは苛立ちを隠す努力を放棄していた。眉間に皺が寄り、険しい目つきでデイビットを睨み始める。
さて、エレンがここまで不快感を露わにしている理由は3点に大別できる。
1つ、デイビットという男が最大の不確定要素であるため。
エレンには限定的に未来が見えている。勲章授与式で見えた光景、エレンはその未来を現実にするべく、この4年間動いてきた。全てが見えている訳ではない。極めて断片的な未来しか見えない中、エレンは手探りで動いてきた。
そんなエレンにとって、デイビット・ゼム・ヴォイドという男はあまりにも乱数であった。何せ正体と目的が全く見えない。未来の断片的光景にも一切現れない。一秒先に何をしでかすか、全く不明。かと言って、味方戦力としての重要度を考えると、簡単に殺す訳にもいかない。求める未来へ導くための戦略を立てるうえで、デイビットの存在は不気味だった。
そんな相手がこうしてふらっやってきて、動機も全く分からないまま手助けしてくる。結論だけを口にし、問い詰めれば『こっちのことだから気にするな』と返すのだ。気味悪がられるのも仕方ない。
2つ目だが、そもそもエレンはデイビットの事が苦手としていた。初めて邂逅した時から抱いてきたこの感情は、いわば根源的な嫌悪感にあたるのだが、この点はまた今後に語るとしよう。
最後に、エレンはジークから聞いていた。他の兵士達が知らないデイビットの真実について。それは共に戦ってきた兵士として、とても見過ごすことのできない所業だった。
「・・・お前、壁の外について最初から知ってたんだってな。」
エレンはその許されざる真実を、デイビットへストレートに突きつけた。しかし、デイビットがそれに動揺する様子はない。
「まぁ最初からではないが、お前達より早い段階には要点を抑えていたな。」
衝撃的な事実のはずだが、デイビットは全く悪びれる様子なく口にする。その様子にエレンの苛立ちは過熱する。
「・・・いつからだ。」
「確信に至ったのは845年ごろだ。シガンシナ区侵攻から少し前だな。」
「・・・どんな面で俺達のことを見ていたんだ。命を賭して必死で壁の外に出ようとしていた調査兵団を見て、何を思っていやがった。」
「そうだな、キリの無い事をよくやるものだ、といったところか。抱いた感想としてはその程度だ。」
『もう我慢できねぇ』
過熱していたエレンの怒りが沸点に達した。沸騰した水の様に、熱のこもった言葉がエレンの口から零れだす。
「・・・なぁ、てめぇは訓練兵の時からいつも知ったような物言いだったな。過程も話さずに結論だけ切り取ったような説明しかしねぇ。何考えてんのかも、何がしてぇのかも分かんねぇ面で常にいやがる。」
「生憎、一分一秒が惜しい質だ。その性質上オレは、お前のように他人と信頼は築けない。」
「それは随分と偉そうな立場だなぁ!?そんな口を叩ける一体てめぇは何者なんだ?一体なにを根拠にほざいてんだ!?」
「・・・」
「さっき俺の様子がどうとかほざいてたな。てめぇに俺の何が分かるんだ?言ってみろよ、デイビット。」
「・・・」
激しい追及に対して何か返すわけでもなく、ただじっと無表情でエレンを見つめるだけのデイビット。怒っているのか、呆れているのか、悲しんでいるのか、一切の感情を読み取れないその様子を見て更にヒートアップする。
「・・・ッ、俺はてめぇのそのスカした面がずっと嫌いだった。何もかも見透かしたように人を見下すその眼も、全て知ったかのような偉そうな口ぶりも、イライラしてくる。」
エレンは寝具から立ち上がり、デイビットの胸倉をつかんで怒鳴り散らす。
「いつも何でも知っているような面してるなら、言ってみろよ!!!これから何が起こるのか、俺が何をするのか!!!」
「・・・ジークを裏切って安楽死計画を放棄し、パラディ島を守るために地ならしを選択する、とでも言えば満足か?」
「っ!・・・・・・」
極少数の身内にしか語っていない計画を当然のように看破するデイビット。この時点でエレンの表情には同様の色が見えていたが、気にせずデイビットは更に奥へと進む。
「いや、それだけでは本質とは異なるな。無論、敵を排除するという目的はあるだろうが、その根底には仲間たちへの思いの他にも、お前の自由に対する愚かな―――
「もういい、黙れ。」
自身の行動原理の核心に迫られる間際で、エレンはデイビットの考察を無理やり止めた。俯きながらそう呟くエレンから先程までの怒気は感じられなかった。
デイビットもエレンの指示にあっさりと従い、口を閉じた。
「・・・そうか。」
沸点に達していたその場の熱が一気に冷めてゆく。先程の怒鳴り声が反響として微かにその場に残っていた。ボルテージの急低下に取り残されたように。
やがて、その反響音も消えてなくなる。
「話がそれた。戻すぞ。今日の時間は残り少ない。」
自らの胸倉をつかむエレンの手を払うと、デイビットは襟を整えながら仕切り直す。
「質問だ。なぜ戦力の補強を行わない。新兵だけで勝つつもりか。」
「・・・何のための戦力だ。兵団は混乱状態だ。クーデターは容易い。」
「・・・まったく、目先か、遥か遠方か。極端な時間軸の事象しか思慮出来ないのも難儀だな。
―――マーレ軍はどうする。
海を渡ってお前とジークの接触を必死で阻止しようとするはずだ。」
「・・・ライナーの入れ知恵か・・・。」
「それもあるが、向こうの戦士候補生を攫ったのも大きい。あれでこちらに攻めてくることがほぼ確実になった。既に侵入されていると考えてもいい。シガンシナ区は戦場となるが、お前はマーレ兵とどうやって戦うつもりだ。」
「・・・構わない。俺と親衛隊で戦うだけだ。」
「それもいいが、確実性は低い。イェレナを始め、親衛隊は大して役に立たないことはレベリオでの戦いで分かった筈だ。それでいいなら止めはしないが・・・まぁ推奨は出来ないな。」
「・・・」
「・・・まぁ、幸いマーレとの戦いの方はまだ何とかなる程度の綻びだ。オレも出来る事はしよう。お前はお前のなすべきことに集中すればいい。」
デイビットはポケットの中の『液体の入った容器』に目を向けながら口にする。視線を再びエレンの方に戻すと、会話を締めくくるように忠告した。
「世界連合の艦隊がそろそろ集結する。牢から出るなら今日中がいい。直行でシガンシナ区へ向かうならともかく、お前にも野暮用がある様だしな。」
「・・・」
「最後に言っておくが、成すか、成さないかはお前次第だ。オレとしてはどちらでもいい。」
そう告げると、用件を終えたと言わんばかりにテキパキと牢の外に出るデイビット。エレンは去り際の彼に檻越しに尋ねた。
「・・・お前はこれから何をするつもりだ、デイビット。」
「穴だらけの計画とはいえ、ジークの計画にオレも途中までは乗るつもりだ。
―――よって、お前達の計画における最大の綻びを修正してくる。」
「・・・『マーレとの戦いの方はまだ何とかなる程度の綻び』って言ってたな。つまり『何とかならない綻び』が、ジークの計画にはあるってことか?」
「あぁ。というか、このままだとほぼ確実に失敗するだろう。お前もよく奴の計画にそのまま乗ったな。」
「・・・いちいちうるせぇよ。それは何だ?」
「―――なぜジークがリヴァイから逃げられる前提で話を進めているんだ。」
結論から言うと、デイビットは正しかった。巨大樹の森で軟禁されたジークは計画通り、脊髄液入りのワインでリヴァイの部下を全員巨人化させ、その混乱に乗じて逃走を試みた。
ただ、余りにもリヴァイの力を測り切れていなかった。
その結果が、今の光景だ。
半殺しを超えた惨憺たる身体で台車に括り付けられるも、巨人の力で死ぬことも許されない。身動きも取れないままリヴァイに折檻されている、そんな絶望的な現状。
計画は失敗だ。とてもこの状態でジークはエレンと合流するためにシガンシナ区へ向かうことは出来ない。
つまり、結論に戻るが・・・
「お疲れ様です。リヴァイ兵長。」
「・・・なぜ、ここにいる、デイビット。」
デイビット・ゼム・ヴォイドの行動は正しかった、ということだ。
雨が降り注ぐ草原にて、リヴァイとデイビットは相対していた。その脇には、見るも無残な姿で拘束されているジークが転がっている。
「ジーク・イェーガーを回収しに来ました。」
雨の音が支配している場でも、デイビットの声は良く響いた。
曇天で辺りは薄暗いが、それでもデイビットの紫の瞳は良く目立った。
いつも通りの無表情で答えるデイビットとは対照的に、リヴァイの顔つきはいつもに増して鋭い。
「・・・そうか。てめぇもイェーガー派とかいう、エレンに付き従うガキどもの一人ってことか。お前がそんな小物とはエルヴィンも思ってなかっただろうよ、デイビット。」
その言葉を聞くと、デイビットは一瞬目を閉じ、軽く息を吐いてから、再び紫瞳を見せて答える。
「・・・否定はしない。やることは彼らと同じだ。ジークを回収し、エレンと接触させ、始祖の巨人を生み出す。その先については・・・
まぁ、今はどうでもいいことだ。」
それまでの敬語を捨ててそう言うと、デイビットは自然な動きでブレードを抜いた。刃の指す向こうにいるリヴァイは表情を更に険しくさせる。
「・・・何のつもりか知らねぇが、お前じゃ俺には勝てねぇ。最初で最後の忠告だ。くだらねぇ真似は辞めろ。」
リヴァイはブレードを構え、戦闘態勢に入りながら投降を告げるが、デイビットは構えを解かない。彼の身体から、闇とも黒ともつかない、形容しがたい靄がうっすらと出始める。
「それは知っている。オレの身体構成は何処までも通常の人類だ。どうあがいても、そちら側には敵わない。
―――だが・・・困ったことにオレの『在り方』については人類とは程遠くてな。」
その瞬間、デイビットの身体からこの宇宙の言葉では形容しがたい、『別次元の異物』が解き放たれた。
「――――、―――ふぅぅ。―――、ふぅぅぅぅぅ――――――。」
勝負が決するまで、そう長い時間は要さなかった。
だが、それは決して一方的なものではなかった。
片方しか残っていない膝を地面に着け、肘から先の無い右腕で穴の開いた腹を抑える男の表情は、いつもの無表情とは遠く離れた苦痛に満ちているものだった。
しかし、それでも意識を保っている。結果としてデイビットは生きている。そして、リヴァイは彼の眼前に倒れている。
最大の切り札を切り、情報戦で優位を取り、立体機動の使えない平野という有利な条件を整えた。それでもなお、辛うじて掴み取った勝利だった。
その結果を喜ぶことも無ければ、悪魔のごとき強さで己を苦しめたリヴァイを恐れることも無く、デイビットはジークのいる台車へ向かう。
「・・・い、今の力は・・・・・・」
巨人の力以上に異常な光景を目の当たりにしたジークは、咳き込みながらデイビットに問う。
「意識があったのか。まぁ構わない。どの道、お前達には分からないモノだ。」
片手にも関わらず器用な手つきでジークに取り付けられていた雷槍を取り外す。
「デイビット・・・ゼム・・・・ヴォイド。マーレ側では決してない・・・エルディアの兵士かと思えば自分の上長をたった今裏切った。お前は・・・一体誰の味方なんだ。」
掠れた声で、そう問うジークに対し、片足をひきづって馬車に乗り込みながらデイビットは答える。
「さぁな。だが少なくとも、人類の敵には違いない。お前達とは違う。」
そう口にすると、デイビットは軽く手を上げる素振りを見せる。その合図の矛先には、フロックらイェーガー派の兵士が数名いた。フロックも警戒と恐れを隠せない表情のまま、それでも、勇敢にデイビットの下まで近づいた。
デイビットが先に口を開く。
「悪いな、ここまで送らせて。ただお前達の希望通りザックレーは殺した。これで運賃代わりにはなっただろう。そして今、リヴァイもミンチにした。帰り道の分もこれで頼みたい。」
「・・・確かに、兵団側の意思で動いていないことは今確認した。だが・・・今の力は何だ!?お前への謎はさらに増えるばかりだ、デイビット!!! そしてお前への評価も、信頼も、訓練兵の頃から・・・シガンシナ区でのあの戦いの頃から!!!・・・ずっと変わらない!!!」
強い語気でそう吠えるフロックの右手にはピストルがあった。銃口の先にはデイビット。
フロックはデイビットに対し常に疑いの目線を向けていた。それは、4年前のシガンシナ区での戦いからずっとだ。多くの死体が転がったあの戦場の中、何故か『空いた穴が小さい』遺体を数名見つけた時から、イェレナら親衛隊からの武器の支給を受け、その穴の正体が銃撃によるものだと勘づいた時から、ずっとデイビットに対し疑いを持っていた。
銃口を向けられたデイビットはそれに対し、何でもない様に返す。
「別に信用はしなくていい、慣れている。これは取引の話だ。オレは既に運賃を払った。その代価を求めているだけだ。」
「もし、断ったら?」
「1人で帰るが・・・少し困るな。生憎
そのケースで、フロックらがどうなるかは想像するまでもない。
親指でジークを指しながらそう返すデイビットに対し警戒心を募らせる一方で、フロックには1つの確信もあった。
それはデイビット・ゼム・ヴォイドが『悪魔』であること。
デイビットに対して明確な疑いを持っていたにもかかわらず、なぜ彼を糾弾しなかったのか。それはフロックが悪魔の存在を必要としていたからだ。
巨人を滅ぼすことが出来るのは悪魔だ。人類には悪魔が必要だ。フロックはシガンシナ区の戦いでその考えに至っていた。だから、悪魔であるデイビットを失うことを恐れた。
今、壁内人類には悪魔は2人しかいない。フロックはそのうちの片方の悪魔に従い、世界と戦うことを決めた。そして彼の戦いが正念場を迎えるタイミングで、もう片方の悪魔が囁いてきた。
「(エレンとデイビットが揃ったら・・・エルディアは無敵だ。負ける姿が想像できない。そうなった時、巨人は・・・マーレは・・・世界は・・・・・・)」
2人の悪魔が味方になった時の世界。その妄想の甘美さはフロックの警戒心を上回った。
「・・・俺達の目的はエレンとそこのジークを接触させ、始祖の巨人の力を目覚めさせることだ。これを邪魔する気はないんだな。」
「あぁ、誓ってない。手助けもするつもりだ。」
デイビットは信用できない男だが、これまで嘘を吐いたことはない。虚言かと思われた言葉も、後になって意味があったと分かる。
「(こいつが何かを企んでいたとしても、結局はエルディア人だ。エレンが始祖になれさえすれば、こいつに出来る事は何もない。)」
フロックは熟考の末に答えを出し、呟いた。
「・・・・・後ろに乗れ。」
「あぁ、助かる。」
先程まで降っていた雨がやみ、雲の隙間から光が差し込む。その光を一身に浴びながら、デイビットはフロックらの馬車に乗り込み、視線だけをジークに向けて出発を告げた。
「争いももうじき始まる。身体を早く修復しろ。行くぞ、シガンシナ区へ。」