―――全てのユミルの民に告ぐ
―――俺の名はエレン・イェーガー。始祖の巨人の力を介し、全てのユミルの民へ話しかけている。
―――パラディ島にあるすべての壁の硬質化が解かれ、その中に埋められていた全ての巨人は歩み始めた。
―――俺の目的は、オレが生まれ育ったパラディ島の人々を守ることにある
―――しかし世界は、パラディ島の人々が死滅することを望み、この島のみならず、全てのユミルの民殺されつくすまで止まらないだろう
―――俺はその望みを拒む
―――壁の巨人は
―――この島の外にある全ての地表を踏み鳴らす
エレン・イェーガーの宣告は、全てのエルディア人に届いた。
当然、彼らの仲間にも。
アルミン、ミカサ、ジャン、コニーの4人は民家の上で超大型巨人の大行進を眺めていた。目の前に広がる圧巻の光景、それを引き起こした張本人であるエレンの目的は今明らかとなった。
壁外人類の虐殺。
ジャンは敢えて考えを偏らせて、絞り出すように、自らを納得させるように言葉を紡いだ。
「終わりだ。まさか壁外人類を皆殺しにするつもりとは思わなかったが、奴らが消え去れば全ての遺恨も消え去る。俺達の生存を脅かしてきた敵も全てぺしゃんこだ。まっさらな更地だけを残してな。」
ジャンは頭のいい兵士だ。それは、自分達の立場とは異なる立場の理屈も理解できてしまうことも意味している。しかし、賢しくもあるジャンは敢えてそれに目を向けないことも選択できた。
ジャンは続けた。
「海の外の連中が一番恐れていたことが起きちまった。俺達を悪魔だと決めつけて皆殺しにしようとしたばかりに。・・・つまり、これは外の連中が招いた結果であって、俺達にはどうすることも出来なかった。そうだろ。」
そう自分と周りに確認するように言ったジャン。しかし、その場には同じく聡明なアルミンもいた。
「でもこれは・・・度が過ぎている。前代未聞の大虐殺だ。」
アルミンは『海の外の連中』と一括りにした者達の中に、善良な人間も大勢いることを知っている。自分達に刃を向ける者たちだけを都合よく排除できる方法などない。虐殺とはそういうものだ。
「じゃあ、止めるか?エレンを、デイビットを。」
ジャンはアルミンに、か細く、優しく、それでも残酷な問いを投げかけた。
投げられた問いは誰の下にも着地する事はなく、空中に留まり4人の口を噤ませるだけに終わる。
しばらくの沈黙を破ったのはコニーだった。
「エレンだけじゃなくてデイビットも・・・か」
コニーがジャンの言葉に疑問を投げかける。ジャンはそれに対し、己の考えの根拠を説明した。
「お前らも壁の上にいたデイビットを見ただろ。奴の合図で巨人化が発生し、戦況の行方は一気に決まった。恐らく奴らは始めから組んでいて、このことを計画していたんだろう。エレンとデイビットのタッグでイェーガー派を率い、ジークらを出し抜いてこの結果を勝ち取った。」
ジャンは状況から見た自身の推測を口にし終えると、「とにかく」と話を本題に戻した。
「デイビットはジークとエレンを接触させ、エレンに始祖の巨人の力を手に入れさせた。
始祖の力を手に入れたエレンはジークの安楽死計画を拒み、ヒストリアを犠牲にすることを拒んだ。エレンは俺達を守るために壁外人類を犠牲にした。
この大虐殺の恩恵を受けるのは、俺達だ。」
4者の間に、葛藤の沈黙が流れる。
大虐殺という倫理を外れた行為への反意と、それが自分達のために行われているという事実。その間の葛藤が、自分達が次に取るべき行動を判断しづらくさせていた。
沈黙の間を破ったのは、爆発音とエルディア兵士の悲鳴の声だった。
「あれは、巨人が兵士と戦っている!?マーレ兵を食い尽くしたのか!?」
「仲間を喰っている。加勢するぞ!!」
ジャンの号令でアルミンたちは会話を止め、戦闘に入る。
彼等は先程までの葛藤を一旦頭の端に置いておき、目の前の問題を片付ける事に意識を切り替えた。素早い判断力が求められる調査兵団の兵士にとって、それは必須の能力である。
しかしアルミンだけは、かつての仲間や上官を倒しながらも、絶えず思考を続けていた。先ほどジャンが話していた推測に感じた違和感の正体を、彼は探っていた。
「(・・・エレンとデイビットが手を組んで、この結果を作った。・・・つまり、デイビットはイェーガー派の一員だった。)」
ジャンの言うことをまとめると、こういうことになる。
「(・・これが、僕が彼に感じていた得体の知れなさの正体なのか・・・。彼へ感じていた恐怖の結末が・・・これなのか?)」
104期生の中に、デイビット・ゼム・ヴォイドという男を理解した者は1人もいない。しかし、彼の異質性を感じ取っていた者は複数いた。その筆頭格がアルミン・アルレルトだ。他の誰よりも、デイビットを見ていた彼の勘がジャンの出した結論を否定する。
「(違う。まず、エレンがデイビットと組むことが想像できない。・・・なによりも、信煙弾を打ち上げたあの時のデイビットの眼は、人類を等しく観ていた。)」
マーレ兵を蹴散らし、エルディアに勝利をもたらした時でさえ、彼の眼には差別はなかった。あれは1つの民族を優先して大虐殺を行う人間の眼では決してなかった。
「(・・・まだ、まだ靄は晴れていない。エレンはジークに勝ち、始祖の力を手に入れた。もう終わりのはずだ。エルディア人に何かできるステージに最早ない。それはデイビットも同じはずだ。だけど、まだ・・・まだ何かあるのか!?デイビット・・・!!!)」
無数の超大型巨人と、その中央にいる始祖の巨人が歩みを進める様をデイビットが傍観していると、背後に1人の兵士が立体起動でやって来た。フロックだ。
始祖の誕生に興奮する気持ちを持ちつつも、いたって冷静な表情で勝利を宣言する。
「エレンがやってくれた。俺達イェーガー派の勝利だ、デイビット。」
「そのようだ。良かったな。」
「・・・お前のことは信用していなかった。それはエレンも含めた俺達全員がお前のことを理解できていなかったからだ。」
「・・・」
「しかし必要なのは理解ではない、結果だ。お前の作戦で要所を簡単に掌握できた。お前のあの信煙弾で、俺達は大きな傷もなく完全勝利した。デイビット、お前もエレンと同じくこの国を救った
「・・・」
「・・・だから、これからも結果で俺達に示し続けろ。エルディア帝国を指導する
「・・・エルディア帝国・・・オレの記憶にはない名称だな。」
「エレンとお前がこれから導く国の名だ。お前は宰相となり―――
「興味がない」
「・・・なに?」
フロックの声に被せたその回答は、その場の雰囲気を一気にピリつかせた。その雰囲気に動じることも無く、デイビットは淡々と続ける。
「オレは秩序の維持の為に動く。それが善いことだからだ。よって・・・エルディア人の繁栄に興味はない。宰相という立場など以ての外だ。」
その言葉を聞くと同時に、フロックは腰のピストルに手を掛けた。1秒にも満たない速度で銃口をデイビットに向けた。
「そうか、裏切るのか・・・イェーガー派を、エルディアを!!!」
「裏切った覚えはない。元々この関係は始祖が誕生するまでの期間だった筈だ。」
「っ!そうじゃない!!!俺達はエルディア人だ!この国に生まれ、この国の人間として、この国のために、常に心臓を捧げ戦い、守ってきた!!!お前もそうだ!そんな長い間共にしてきたこの祖国を、お前は裏切るのかと聞いている!!!」
「それなら尚更裏切りとは異なるな。オレは今まで人類の為に動いてきた。それは兵団に入る前からだ。一度たりとも『エルディアのために』動いたことはない。これまでの動きとこれからの動きに特段変化はない。」
それは・・・ずっとフロックが一番聞きたくなかった言葉だった。そんな気がしていた、と言えるほど確証していた訳ではない。しかし、フロックはデイビットの眼がエレンや自分達とは性質が異なる事に薄々勘づいていた。その眼は何処までも人類を平等に見ていた。その視線は、価値観は、異質性は・・・エレンに従い他の人類を滅ぼそうとするフロックにとっては都合が悪かった。
だからこそ、フロックは宰相などという立場を与え、なんとかデイビットをエルディアの味方として引き留めようとした。全くの無駄だったわけだが。
「・・・今のは聞かなかったことにしてやる。もう一度聞こう、イェーガー派、いやエルディア帝国のために動け。祖国へ忠誠を誓え!デイビット・ゼム・ヴォイド!」
最後の望みをかけ、再度呼びかけるも、それに対する返答は残酷なものだった。
「時間の無駄だな。」
「そうか・・・ならば敵だ。ここで処刑するまでだ。」
「好きにしろ。ただ、オレも別件があってな。そろそろここを離れなければならない。方角はあっちだ。丁度お前に背を向けて歩くことになる。やるならその間にしてくれ。
―――じゃあな。」
そう言い放つと、くるりと背を向けてデイビットは松葉杖を使い、ゆっくりと歩み始めた。隙だらけの背中だ。3発でも打ち込めば倒れるだろう。倒れた所を5発でとどめだ。なにも難しくはない。
それなのに、フロックは引き金を引けなかった。その理由を、彼は直感で気付いていた。
フロックがデイビットを『エルヴィンらを殺害した犯人』として糾弾できなかった理由は、彼を失うことによる戦力低下を恐れたからではない。
『彼自身』を恐れたからだ。
報復を恐れた、という訳ではない。
ただ、気味が悪かった。ただ、関わりたくなかった。刺激したくなかった。
今撃てば奴の生命は朽ちるだろう。それは間違いない。だが、それで終わる気がしないのだ。寧ろ、今の今までデイビット・ゼム・ヴォイドという存在を『人間の形に留めていた』楔を壊してしまうことになるのではないか。人間として彼を終わらせてしまうことで、ヒトというハードウェアに収めていた彼の異質性を、身体の中から解放させてしまうことになるのではないか。そんな空想染みた恐怖を感じていた。
どんな巨人を見ても、この様な感覚を覚える事は無かった。そこにいるのに、いないような、そんな感覚。
震える身体。引き金を引けない代わりにせめてもと、フロックはデイビットに対し、問いを発した。
「どこへ行く!?何をするつもりだ!?もう始祖の巨人は始動した!!!壁外の世界は終わる!!エルディア人のお前が出来る事は何もない、何のために動くんだ!?」
「人類の為だ。」
こちらを振り返らず、体をひきづりながら即答するデイビット。
「またそれか!!!じゃあ俺達に手を貸したのも人類の為か!?」
「あぁ。」
「っ!!!じゃあ・・・それなら・・・エルヴィン団長らをあの時あの場所で殺したのも!!!人類の為ってか!?」
「あぁ」
何でもない様に同意した。
その様は、フロックがすでに真相に勘づいていることすら承知の上であるのだと、静かに示していた。
そしてなお、フロックが真相を知りながらも、それを告発しないであろうことまで、織り込み済みであったこともうかがえた。
「・・・あ・・・あぁぁぁ・・・・・・」
フロックは膝をつき、言葉にならない感情を、ただの音として吐き出した。
そして彼は、改めてデイビットの後ろ姿を見上げる。
見上げた先に佇むその姿は、エルヴィンとも、エレンとも、明確に異なっていた。
フロックはそのとき初めて、自身が致命的な誤解をしていたことに気づく。
なぜ今まで自分は、デイビットを彼らと同じ『悪魔』として分類していたのだろうか。
ウォール・ローゼ側へと歩み去るその男の頭上に、輪状の異物が浮かんでいるような・・・そんな錯覚に、フロックは見舞われた。
その場に銃声が響くことは無かった。
「協力はここまでだ、エレン。ここから先はお互い目的が異なる。悪いがオレはお前の・・・いや、人類の空想に付き合うことは出来ない。」
ゆっくりと、国の内側へと足を運ぶデイビット。その迷いのない足取りは・・・到着先に目的があることを悠然と語っていた。
エルディアは歓喜に包まれていた。エレン・イェーガーという英雄が、長年自分達を苦しめ続けていたマーレを、世界を、跡形もなく踏み潰す。自分達の国が、民族が、勝利する。自由を勝ち取る。
地ならしの発動に困惑していたエルディア人だったが、状況を把握するや否や、エレン・イェーガーを称え、祝った。
デイビットは希望に満ち溢れた壁内人類を背に、北へと歩みを進めた。