初めまして先生、それと隣にいるのは……ああ、ヴァルキューレの『狂犬』か。まあいいや。会って早速で悪いんですが、あの人を殺してください。
ああ、殺せないんだった。何せ私が散々試した後だ。いえ、なんでもありません。ともかく、あの人をとっ捕まえて睡眠薬なんかで永遠に眠らせといてくれたらいいんです。ほら、死ぬのを永眠って言ったりするじゃないですか、だからあの人が死ねないなら死ねないなりに違う方法で殺してやればいいんじゃないかってね。
へ、あの人が誰かって?決まってるだろ、芹澤マユミですよ。あのアマ、私たちを騙しやがった。いや、アマなんて言っちゃいけない。あの人はあの人なりに私たちを、だがやっていい事と悪いことがある。それを踏み越えたとあっちゃあの方だとしても。
いや、すいません。取り乱してしまいました。もう大丈夫、もう大丈夫です。ご安心を。
私はあの人の居場所を知っています。貴方たちが今一番知りたい情報なのでしょう?わざわざ指名手配までして懸賞をかけて。
私が連れて行ってあげます。だから早く、あの人を。今この瞬間もあの方がのうのうと息をしていると考えると虫唾が走る。
あの人が、あの人が悪いんだ。だから私は絶対に悪くない。嫌、極悪非道だ。そうであるべきだ。
善人に騙されたとなればあの人があまりに報われない。
けれどもあの人の行いは目に余る。何が勇気ある玉砕だ。ただ自分のできるかも分からない自殺に大勢を巻き込んでいるだけじゃないか。しかもそれも嘘とくれば私はあの人の何を信じればいいんだ。もうあの人は頭の先から足まで嘘つきだ。悪質なペテン師と一体何が違う!?
あの人に目をつけられさえしなければ今でも私たちはブラックマーケットで過ごしていくことができていたはずだ。
幸せと言えないまでもまだ死なないでしばらくは生きながらえていくことができたはずだ。
けれどもその生活を選べないほどにはあの人が見せてくれた光は眩しすぎた。
あの人は私たちにとっての先生なんです。
ただ無気力に今の現状に妥協して生きていた私たちに新しい価値観を持ち込んで希望を見せてくれた。
初めてあの人が私に声をかけてくださった時、私は初めて運命の存在を信じました。
ああ、私のこの身はあの人の役に立つ為にあるんだ。生まれて来れて良かった。心の底からそう思うことができました。
あの人と行動を共にする様になってから私の世界は光に満ち満ちていました。
他の人をあの人を完璧な存在だと考えている様ですが、そんな事はありません。何年も生きてきているはずなのに苦手な事は山ほどあります。
家事の類は出来ないし、致命的なほどに方向音痴。その上銃器の扱いもお世辞にも上手いとは言えない腕前でした。
けれども私にはその欠点の全てが輝いて見えました。
『ああ、あれほどの方でも私たちと同じ存在なのだ』そう思えることは私にとって何よりの幸福でした。
その上、あの方が苦手なことに苦戦している姿は基本的に私にしか見せられません。自身のカリスマ性に疑問を持たれているあの人はそれが削がれそうな要因を排除しようとしていましたので。
あの人は私たち皆のものです。それは間違いありません。しかし彼女の身の回りのことを手伝わせて頂いている間だけは私があの人を独占できるのです。その事実は私の優越感を育て、あの人への想いも大きくさせていきました。
それがいけなかったのでしょう、身の程を弁えていればよかったのでしょう。
あの人を独占など、出来るはずもないのにそのような身の程を知らない願望を持ってしまったのはあの時期からなのです。
思えば、それが全ての間違いだったのでしょう。あの人は崇高な存在です。私たちにとっての救世主であり、叱って心配してくれる親であり、導いてくれる師でした。けれども私はそれらの前提を全て捨て置いてあの人を愛しているのです。救世主としてでも親としてでも師としてでもなく、芹沢マユミその人が好きなのです。断じて私は醜い性欲からくる愛などを持っているのではありません。確かにあの人は面目麗しいです。けれども私はそれよりも目を焼くほどに魅力的なあの人の人間性に惹かれたのです。
私が持つのは至って純な恋心です。けれども、その純愛によって盲目的になった私は彼女を見つめ続け、あることに気づいてしまいました。
おめでとう御座います、先生。彼女は貴方が誠に好ましい様ですよ。
落ち着けよ、『狂犬』別に先生をそのことで手にかけようってんじゃねえ。大人しく犬小屋に引き篭っとけ。……失礼、話に戻します。
私はあの人の恋を喜ぶべきことだと思っています。これは彼女にとって生きてきて初めての恋なんです。もう何百年も生きてきているのにね。
青春がやって来ないあの人だ。ようやくできた恋愛くらいは謳歌させてやりたいんです。
え、私は諦めて平気なのかって?私は既にこっ酷くふられてしまった後なのでね。
ある日言ったんですよ、何も死ぬまで立ち向かわなくてもいいんじゃないかって。貴方に出会えただけで私たちは既に幸せだと。
だからもう逃げ出して慎ましくも幸せな生活を送るという道もあるんじゃないかって。そして私ならその道を示すことができると。
分かりきったことでしたが彼女は私の提案を跳ね除けました。
私がもしそうした後に残された者たちがどうなるか考えろと叱られてしまいましたよ。
まあ、それでも貴方を妬む気持ちがないかと言えば嘘になってしまいますがね。
結局のところ何が言いたいのかというと、彼女はただの少女なんですよ。ただ長い年月を諦観と共に生きてきただけのね。
だからこそ私も彼女の計画には精一杯協力したかった。けれども、やはり自分を振った相手には快く従えないのが人情なのでしょう。
私はやはり心のどこかであの人を周りの者たちと同じ様に一種の神格化して見ていたのです。
あの人は崇高な存在なのだから恋などという些事に気を取られたりしないと、そう思っていたのです。
いわば、勝手に期待して勝手に失望しているだけなのでしょう。そのことは分かっています。それでも私にはその時から彼女を今までのような尊い存在として見ることが出来なくなってしまっていました。
そして私からの彼女の認識が決定的に変わってしまったできごとが起こりました。
今までと同じようにキャンプ地であの人を起こしに行こうとあの人のテントまで近付いた時のことでした。
テントから独り言が聞こえてきたんです。それそのものは別におかしなことではありません。あの人はいつも老人のようにかなり大きな独り言を口ずさんでいるので。問題はその内容でした。あいつなんと自分たちが戦いを終えたあとどうすれば私たちが元いた環境に戻れるか、計画を立てていたんですよ。
あの人があの人なりに私たちのことを考えてくれた結果の行動だということは理解しています。それがあの人なりの優しさであり、自分の自殺に巻き込んだ私たちへの贖罪であることも。
私たちは皆、玉砕することを前提に残り短い人生を全力で生きていました。
そして誰もそれに不満など抱いていませんでした。マイナスで終わるところだった自分たちの人生を何とかゼロに戻して死ぬための戦いだということを承知の上で戦線に加わっているのです。それを踏み躙るような行為なんです。
到底許せることではありません。
その時私は思ってしまいました。今まで自分はこんな奴の下について世話を焼かされていたのか。確かにこの人は素晴らしい人だったのだろう。それは間違いないのだろうが、もうダメだ。老いぼれてしまった。肉体がじゃない、精神がだ。もう、この人に着いて行っても無駄なだけだと。
あの人は花のような人です。けれども、花は萎まぬうちこそ花なのです。
ですが、あの人はもう萎み始めてしまっている。ならば、この私の手で摘み取り綺麗なまま思い出として置いておくことが礼儀だとは思いませんかね、先生。
ええ、貴方ならそう言うと予想してましたよ。『“マユミが君たちのことを想った末の行動だから許してやってほしい”』全く、なんて甘い考えでしょうか。
敢えてはっきり言わせてもらうと嫌です。私たちにとって『運動』の中止を計画することはどんな裏切りよりも重い罪です。本来であれば死ですら生ぬるい。その上あの人は不死で、死を望み続けてきた人だ。なんなら褒美ですらある。けれどもそれでいいんです。死こそが決して許されない彼女が犯した罪に対する罰であり、私が彼女に与えることができるたった一つの恩返しとしてのプレゼントなんです。
裏切り者だったとしてもあの人は私たちを人生のどん底から掬い上げて前を向かせてくれた人なんです。そのことに関してだけは恩を返さなくてはいけない。そうでなければ私は彼女と同じ裏切り者となってしまう。
ええ、これは恩返しなのです!私は悪くない、悪くない!
あの人が裏切りを犯したと分かった後、私は彼女を攫って私が彼女に拾われるまで雨風を凌ぐために用いていたセーフハウスに閉じ込めました。
全ては彼女を殺すためです。私は放火、毒殺、絞首、切断、圧殺など、ありとあらゆる方法を試しました。そのつもりです。
初めはあの人の不死性はヘイローを由来とするものだと予想し、麻酔で眠らせて銃を撃ちました。その試みはある程度は成功でした。私の放った弾丸はヘイローの守りを失った彼女の頭蓋を掻き回し、彼女を間違いなく死に至らせました。私が、私自身の手で!彼女の命を奪ったんです!そのはずなんです!ですが、彼女の特異性はその命をそこで終わらせることを良しとしませんでした。
あの人の肉体はみるみる内に元の美しさを取り戻していったのです。
何度試しても無駄でした。何発打ち込もうが、あの人の命を完全に奪うことなど出来なかったのです。
え?泣いてなどおりません、私は決心したのです。何がどうなってもあの人を殺すことが出来ないのであれば、あなた方権力を持つ者に売り、その後改めてあの人が理想とした動乱を完遂すると!ですから、ここで泣いている暇などはないのです!
え、“ここは見逃すから帰ってやり直してはどうか?”ですか?
ああ、貴方はそのように全ての人がやり直せると思い、全ての人が善性を持つと心の底から思える人なんですね。
ええ、それは間違いなくただの人では持ち得ない感覚でしょう。貴方の特異性であり、最も素晴らしい長所と言っても過言ではないでしょう。しかし、世界はそれほど甘くはないのですよ。
あの人が起こしたうねりは今やあの人の手を離れ、誰にも止めることなど出来ない大きな力となって解き放たれるのを今か今かと待ちわびています。
ええ、ですのであの人が居なくても私たちの望んだ破滅と、貴方たち連邦生徒会との対立は必定でしょう。
だからこそ今私がするべきこととはあの人の身柄を貴方達に引渡し、なんの憂いも無く運動を始めることなんです。
話を聞いて頂き、ありがとうございました。この紙にあの人の居場所を記しています。助けるなり、情報を引き抜くなり好きにすると良いでしょう。
それでは。
おい、『狂犬』なんのつもりだ?私にそんな豆鉄砲を向けて。
『このように敵の総本山まで無事に帰れると思っているなんて愉快な頭をしているようだな』だって?
まあ、私としてもここで散る覚悟自体はしていたさ。それに私がいつまで経っても帰らなければすぐさま運動を始めるように言付けてあるから別にここで死んでも問題は無いのだがね。だが、いいのか?今ここで私と一戦交えるようなことがあったならそこにいる先生を巻き込まないとは限らないぞ?
ああ、そうだそれでいい。
ここはお互い引き下がって後日きちんと顔を合わせて争おうじゃないか。
戦場で会えるのを楽しみにしてますよ、先生。