今日はバレンタイン。
想い人に渡すのはチョコレートだけではなくて――。
ヤンデレの女の子とチョコレートが織り成すショートショートのアンソロジー。
どうぞ、心行くまでお楽しみ下さい。
1.野々原渚の場合
2.河本綾瀬の場合
3.柏木園子の場合
4.綾小路咲夜の場合
5.七宮伊織の場合
6.ナナ・ノノの場合
7.小鳥遊夢見の場合
8.桜ノ宮慧梨主の場合
9.ユーミアの場合
10.朝倉巴の場合
11.桜ノ宮亜梨主の場合
12.朽梨彩子の場合
1.野々原渚の場合
「ただいま~」
「お帰り~」
間延びした男女の声が誰も居ない家の玄関に響く。兄妹が同時に到着したら、兄が先に言って妹が返事をするのが習慣になっていた。
「今日は男子が色気づいてたね~」
「仕方ないだろ、バレンタインにチョコが欲しいのは男子共通なんだ。いや、どちらかというとチョコがもらえないのが嫌なのか?」
どの道当日になっても手遅れだけどねと、吐き捨てるようにつぶやく兄に妹はじっとりと目を細めて距離を詰める。
「お兄ちゃんも?」
「そうだけど?」
と、悪びれるそぶりもない兄の返事に妹はむくれてそっぽを向く。
「ふ~ん? ふぅう~ん?」
「そう拗ねるなよ。毎年楽しみにしてるんだから、渚からのチョコは」
「だよね! 良かったー!」
チョロ――失礼、一転して華やぐような笑みを浮かべた妹は台所に駆け込むと、冷蔵庫から包みを取り出す。
「はい、お兄ちゃん! ハッピーバレンタイン!」
「ハッピーバレンタイン。食べるのは夕飯の後でいいね?」
「勿論! 今日は腕によりをかけて作っちゃうんだから!」
今日“も”なんじゃないかな、と喉元まで出かかった言葉をせき止めながら、兄はホワイトデーのお返しを考える。三倍返しが相場と聞くが手作りの場合は原価を元にすればよいのかなどと思い浮かんで、人の気持ちに値段を付けることの馬鹿々々しさに放棄した。
「ときに妹よ」
「なぁにお兄ちゃん、そんな改まって」
会話を挟んでも包丁さばきはよどみなく、刃とまな板がぶつかる音が雨のように絶え間なく聞こえる。
「誕生日プレゼントが気に入ったのはよくわかったから、調理中くらいは外しなさい」
油とかはねて泣きを見ても知らないよ、とささやく兄の目線の先は、妹の首に巻かれた赤いマフラーがあった。
一瞬で止んだ雨 end
2.河本綾瀬の場合
「……随分と、モテるのね」
「勘弁するついでに助けてくれない?」
春も間近な冬の昼休みである。
進級に伴うクラス替えで離ればなれになった幼馴染の机の上には丁寧に包装されたチョコレートが山のように積み重なっていて、顔色をうかがうことも出来なかった。
声色や言葉こそ困ってはいるものの、態度は余裕が見える。
悪戯心が首をもたげた。
「人からのプレゼントを無下にしたくないくらいの感性は誰にだってあるだろう? 食べ物なら、なおのこと無駄には出来ないし」
「地道に食べて消費するしかないんじゃない?」
すげなく、現実的で常識的な回答で返す。圧倒的な物量から目を背ければ完璧な答えだ。
「手作りチョコの消費期限って短いんじゃないっけ?」
「頑張ってね」
ごねる幼馴染を突き放す。この怒りと嫉妬は嘘偽りのない本音だ。遠回しな表現はストレートな言葉に弱い。
「……はい」
山を崩さないように突っ伏した幼馴染を見下ろして、観念を感じ取ってからは手の平を返す。救いの蜘蛛の糸を垂らすために。
「わたしのはクッキーだから、日持ちするわよ。最後に食べてもたぶん大丈夫だから」
「ありがとう……、ほんっとうにありがとう……」
長年の付き合いだ、こうなることは読めていた。涙交じりの感謝の声が心に染み入る。
人間とは慣れる生き物だ。人間とは飽きる生き物だ。
たとえどんな好物でも、毎日度を越した量を食べることを強要されれば、モチベーションは駄々下がりになる。
視覚からも満腹感は供給されることは、ケーキバイキングで調子に乗って一度にいくつもケーキを皿に盛ったときに嫌というほど味わった。
人間とは責任の所在を他に求めたがる生き物である。
何故自分がこんな目に、と考えると、その元凶を責め始めるのに然したる時間はかからない。
以上を踏まえれば、必然的にこの状況を生み出した他の女共にはいっそ憐みさえ覚える。
巧遅は拙速に如かずというが、拙速は己の首を絞める。
恋愛に先手必勝はない。
ゴールインする手前の最後の最後、その隣にいるのが自分でさえあれば。
恋と戦争に手段は要らない end
3.柏木園子の場合
「あの、よければその、どうぞ……」
放課後の図書室にて。隣でページを捲る同級生に包みを渡す手はつつましやかに、それでいて自己主張の激しい包装は受け取らないという選択肢を叩き落としていた。
「珍しいね。こういうイベントには興味が無いとばかり思っていたよ。ありがたく受け取っておくけど」
事実だ。この手のイベントで、この二人の間で、物のやり取りが発生したのは今回が初めてである。クリスマスも、誕生日も、ただ言葉だけ交わしていた。それだけで良いと思っていた。
足るを知るのが人の本懐にして悟性の始まりとも言えるだろうが、生憎と人間の欲望には際限が無いということも同様である。
幸せを感じるのにも閾値があるのだということを知るのには、そしてその閾値は次第に上昇していくものなのだということを理解するのには、すでに時間が足りなくなっていた。
最初は言の葉でのやり取りだけで心が満たされていたというのに、月と桜が映える夜の光景から一年も経っていない今では、帰途に帰った彼との花咲く話題を思い返しても心は枯れていくばかりだった。
大学進学を間近に控えた今となってしまっては、静かに育まれていた恋心が頬をつたっていた。
出遅れであることにすら自覚が無くて、満たされていたと感じる毎日の積み重ねが矢のように過ぎ去った時間を振り返れば、思い出らしい物語がどこにも無い。
最早背水どころか水底の藻屑だと思い知り、それでも足掻きたい一心で、今日という日を迎えた。
手作りの選択肢は最初からなかった。ただでさえ腕に自信がないのに競合相手が余りにも眩しすぎるとあっては雑踏の中に埋もれてしまうのは明白だった。
だからと言って、既製品の中でも選りすぐり、という訳でもない。
これは別に深い事情も何もなく単純に、意中の男の好みを把握しきれていなかっただけだ。
好きそう、と自分は思っているが実際の所それが事実なのかどうかの根拠が余りにも薄すぎる。短い言葉のやり取りと、好んで読んでいる本のジャンルを思い出すことが出来ることの全てだった。
それ故に、これは一世一代の賭けである。
取り敢えず賭場の席に着くことは出来た。ありったけのチップを支払って、奇跡的な逆転劇に縋るように、後は祈るだけ。
願わくば、彼の唯一になれますよう。
仇花が咲いて散るかみのるか end
4.綾小路咲夜の場合
「この私からチョコを貰えることを光栄に思いなさい」
「いや、いきなり言われてもさっぱりわからんて」
「何よ貴方、今日が何の日かわからないっていうの?」
「バレンタインデーだっていうのは分かるがな、俺が言いたいのはこの状況なんだわ」
放課後いきなり拉致同然に格式高そうなお店に連れ込まれた。何を言っているのか分からないかも知れないが以下略。
お嬢様の突拍子もない提案で一般市民が巻き添えになるのが確定事項となっているのは世の常であった。
そして上流階級と庶民とでは住む世界が違うせいで、会話は一方通行になりがちなのである。
「貴方が他の女からもらったチョコなんて、これから私が貴方に渡すチョコに比べればちっぽけなものだってことを、理解してもらうために決まってるでしょ?」
「決まっとらん決まっとらん。というかだな、他人様からのご厚意に差をつけちゃいかんでしょうよ」
「そこらの安物を湯煎して型にはめただけのチョコと、世界屈指のショコラティエが誇る最高級のチョコ。どっちがいいかなんて比べるまでもないじゃない」
「値段とかそういうのじゃなくて、心意気の話をしてるんだがな俺は」
「私からのプレゼントを受け取れないっていうの?!」
「少なくとも貧富の差を笠に着せたようなやり取りはごめんだって言ってるんだ」
「貴方ねぇ、この私が誰かに物を贈るという行為がどれだけ尊いことだと思ってるの?!」
「言葉が通じても会話が成り立たないことってあるんだな」
「もう、何時だってそうね貴方は。何時もそうよ、この私の好意をことごとく無視して。いいわよもう。そっちがその気なら、こっちにも奥の手があるんだから」
「お前だっていつも棚に上げてるだろうに。で、最終手段なんて聞きたくないからさっさと家に帰らせてくれ」
「ホワイトデーのお返し、相場は三倍返しだそうね。世間一般では」
「そうだな、受け取ってない俺には関係のない話だ。じゃぁな」
「此処まで来るのにどれだけかかったのか私は知らないけど、貴方の懐事情では足元にも及ばないことぐらいは知ってるわよ」
「そこらのアコギな商売やってるヤのつく自由業の方々だってそんな因縁つけんぞ今時」
「そこでこの私から素晴らしい提案があるの。聞きたい?」
「俺の意志が一切挟まってないそれは脅しって言わないか?」
「一度しか言わないからよく聞きなさい? 私が望むのはき、キ――、キッ、キ……スゥ……」
「あー? 小さくて聞こえねぇよもっとはっきり大きな声で言ってくれ」
「ひっ、人の気も知らないで! どれだけの覚悟が必要か分かっての発言なんでしょうね?!」
「知らんがな。要求があるならサッサと言って帰らせとくれ」
「キスでいいって言ってるのよ! どう?! この私にキスできる名誉なんて庶民である貴方にはどれだけ――」
それ以上、口から言葉が紡がれることは無かった。
彼女の手の甲に彼の唇が乗せられたからだ。彼女の脳がその情報を処理するのにかかった時間は約十秒。その事実を受け入れるのにかかった時間が約二十秒。更にその三十秒後には初心な彼女の思考回路はショートし、K.Oに至る。
ほんの少し赤らめた顔で悠々とその場を去るには十分すぎる一分だった。
お菓子を下賜する可笑しな話 end
5.七宮伊織の場合
「どうしたの? そんな風にいつまでも固まって」
「あぁ、いや、茶道ってのはもっとこう格式張ったものばっかだと」
「野点だからそう緊張しなくていいのよ。ほら、ずっと立ちっぱなしでいるつもりなの? 気軽に座っていいのよ」
「お、おう」
時は少し遡る。とは言え大層なことは無く、ただ昼休みに一言、放課後に神社に来て欲しいと言われただけだ。
そして長い石段を上った先、彼女の実家でもある七宮神社、その境内で茶席が開かれていた。それが今だ。
「バレンタイン、という文化に馴染みが無かったものだから、いっそ慣れた方でもてなそうと思って」
「そうなのか。いや、嬉しいな」
寒空で冷えた体に茶の湯が染み入る。今は困惑よりも厚意に甘えたい欲が勝っていた。
普段見る学生服とも巫女服とも異なる和服に身を包んだ彼女の姿は新鮮だった。
そんな彼女から寄せられる好意があろうものなら、最早戸惑いなどは彼方の先へ消えていった。
「よろこんでもらえたのなら何よりだわ。準備をした甲斐があったもの」
「寒かったろうに。いいのか? こんな俺みたいな奴をこういう席に呼んだりして」
「私は私のしたいことをしただけよ、気にしないで。そんなことより、もっと茶話に興じましょう? 私は貴方の話が聞きたいわ」
「いきなり話を振らないでくれ。……ツマラナイ話しか出来そうにないぞ」
「いいのよ、それでも。ねぇ、早く聞かせて?」
「……知らないからな、後でへそ曲げることになっても」
結局、彼は舌が乾かんばかりに語り尽くし、彼女はそれをひたすらに、慈愛の笑みを絶やさずに聞いていた。
狭間の茶話会 end
6.ナナ・ノノの場合
「ハッピーバレンタイン! お兄ちゃん!」
「チョコをくれないとイタズラするわよ」
「ハロウィンと混ざっとる!」
公園は混沌としていた。
この双子の幼子たちは自らを施される側と認識している。施す側に回るということは決して在り得ないのだと。
それ故にバレンタインデーというイベントも、何となくチョコレートを貰える日だという風に認識していた。
「好きな人にチョコをあげる日なんでしょ? だったらあってるじゃないか」
「それともお兄ちゃん、ナナとノノのこと、嫌いだった?」
「いや、嫌いじゃないが、そうじゃなくてだな。今日は、女の子が、男の子に、チョコをあげる日なんだ。俺は男の子、君達は女の子。オーケー?」
大阪のおばちゃんでもなければ菓子類を常に携帯しているなどということは普通なく、例外に漏れず彼もまた彼女らの要求にはこたえられなかった。
こういう子供相手には理を説いても仕方ないのだが、根気強く納得してもらうしかない。最近の彼女らの言うイタズラが目に余ってきた。具体的に言えば、倫理や道徳が無い。
家庭の事情か何かでそういう教育を施される土壌が無かった、と言われてもすぐに信じられるくらいには、その所業が明らかになる度に疎遠になろうと思うほどに。
それでも何となく気になってしまって、気付いたら懐かれているのは自分だけになってしまっていたようで。双子係みたいな役職を割り振られたようで。
彼は二人にとっての教師代わりと言わんばかりに、責任を押し付けられそうになっている。矯正など不可能だと結論付けても、周囲からの理解は得られない。
蚊帳の外から眺めている分には、安全圏から高みの見物をしている物見遊山客には、野生の熊が人里に降りたことの重大さも知らないで、やれ可哀想だのと宣えるのだろう。その牙で頭蓋をむしられるまで、その爪で肉を引き裂かれそうになって初めて、早く殺処分しろこの愚図、と喚く。
きっと爆発物解体班というのはこういう心境なんだろうと頭の何処かで冷静になりながら、彼は必死に双子に説明をした。
「ふーん。じゃぁ、いいや。来月のホワイトデー、だっけ? その日にもらうね」
「今度はちゃんと用意してきてね? じゃないと……、うふふっ!」
「あははっ!」
二人の笑い声を背に、彼は帰途につく。
震える背中は、冬の寒さだと言い聞かせて。
冬に迫る二つの悪鬼 end
7.小鳥遊夢見の場合
「……はぁ」
自室に入ってすぐ、彼は大きなため息を吐いた。
これ見よがしに、非常に大きな箱が丁寧にラッピングされて、部屋のど真ん中に設置されている。
どれくらい大きいのかと言えば、人一人入りそうなほど。
こんなことをするようなのは一人しか思い当たらず、その人物の所在がこの場で確認できない。
「あー、なんて大きなプレゼントボックスなんだー、何が入ってるのかなー、楽しみだなー」
感情が一切乗らないセリフで、頭では理解しているくせに事実を拒んでいる。
頼むから変なことはしないでいてくれ、と心の底から従妹に祈るばかりだった。
「じゃじゃーん! ハッピーバレンタインお兄ちゃん! はい、召し上がれ!」
開封すると、想像通りの人物が、想像通りに箱から出てきた。
ただ、お出しされたものが想像とかけ離れていたことにだけは涙を禁じ得なかった。
「衛生観念を守ってくれてる事に成長を感じて嬉しいよ俺は」
「泣くほど?!」
忘れもしない、あれは昨年のバレンタイン、今回と同じノリで本当に自分の身体に塗りたくったチョコレートを舐めとって欲しいとせがまれた時は様々な感情が入り混じって破裂するかと思った。
ツッコミどころが渋滞しすぎて脳の処理能力を超えてしまったためのオーバーフローである。
それに比べれば今回はどうだろう。服装はいつも通り、健全。透明な袋に包装されたチョコチップクッキーには何も混ざっていない、問題なし。
何処に出しても恥ずかしくない従妹だ。身内の恥を雪がずに済む。
変に高い行動力のせいで色々と振り回されてしまっているが、出力先が常識の範囲内なら可愛らしいのだ、この従妹は。
「あ、そうそう。今日はパパもママも居ないから、こっちに泊まっていくからね。伯父さんと伯母さんもオッケーって言ってたし」
朝日を拝むその瞬間まで、この捕食者の手から逃げなければならなくなった瞬間だった。
TEAST! ME!! end
8.桜ノ宮慧梨主の場合
「どう、ですか?」
バレンタインデーに渡すチョコレート。前々から準備していた手作りには手を加えて、いざ本番。意中の彼はそれをその場で食べるという。期待と不安が半々で、実食の様子を見つめていた。
「……いくつか、言いたいことがある。チョコレートにコーヒーを混ぜようと思ったのは、僕がコーヒー党だからかな?」
「はい、そちらの方が喜ぶと思って」
「そっかぁ……。味見はしたんだよね?」
「それは勿論! あぁ、でも私はコーヒーについては詳しくなかったので、好みに合いませんでしたか?」
渋っている顔と口調から、何か機嫌を損ねてしまったかと不安に駆られる。そしてそれは的中していた。
「……あのね、カカオとコーヒーじゃ同じ苦みでも方向性が違うんだ。それと、コーヒーを愛飲しているからと言って誰しもがブラックとは限らないことを理解して欲しい」
「そう、ですか。……ごめんなさい、こんなもの、食べさせてしまって」
俯く。顔を見せてはいけない。滲んだ視界を映すわけにはいかない。
「待ちなって、まだ言いたいことがあるんだから」
「えっと……、つまり?」
「味の感想としてはつまり……、慧梨主のことは好きだよ」
言葉を濁した貴方はほんのりと苦く笑って end
9.ユーミアの場合
「お帰りなさい、マスター」
「あぁ、ただいま」
バイトから帰ってきた主人を迎えるのはメイドの役目。
コートを預かってハンガーにかける。
「食事はもう済ませていたのでしたね。背中をお流しましょうか?」
「いや、そこまではしなくていいからな。本当に」
残念、とは思わなくもないが、ここは引き下がる。主の言うことは絶対、メイドの基本である。
夜も更けた深夜、時計の針が頂点に差し掛かる前まで趣味の絵を仕上げている主人に、メイドは差し入れをする。
「どうぞ、マスター」
「これは……、ホットチョコレートか?」
「今日は、バレンタインですので」
「忘れてると思ってたよ」
「一日の終わりを締めくくるのに丁度よい甘さに調節しましたから。遅くなって申し訳ない気持ちはありますが」
「いや……、よく眠れそうだな。ありがとう、ユーミア」
「メイドとして当然のつとめですマスター」
最後に口にしてもらえれば、そしてそれが極上の味わいなら、きっとその他の有象無象の味程度上書きできる。
主人に仕えるメイドだからこそ、その寵愛を受けるのは自分一人だけでいいという、あるまじき独占欲が働いたことは、誰にも言えない秘密である。
誰も知らない秘蜜の味付け end
10.朝倉巴の場合
「せんぱーい! ハッピーバレンタイン!」
バイト先の後輩から、シフトの終わり際に投下された爆弾発言。
純真無垢な笑顔が眩しいが、それ以上にバイトリーダーを筆頭とした仲間からの目線が痛い。
何故かと理由を問われれば、渡してきたものがまず間違いなくあからさまに義理チョコとは違う本命チョコだとわかるような見た目の包装だからだ。
職場への義理として一応恵んでおいてあげましょう、仕方なく。といった意思が見え隠れしていなくもない簡素なそれと比べれば。
ハッキリと差異が解るからこそ、そのような僻みが脳を過るわけで。
しかしてそのような邪な気持ちを純朴の体現者のような後輩に向けられる訳もなく、標的が変わり嫉みとなって贈られた側へ届けられる。
覚えてろよと退勤間際に言われたのは気のせいだと思いながら、突き刺すような黒い眼差しを背に見ないふりをして帰宅する。
付き纏う粘りついた視線には一切気付かないまま。
「あー、やっぱりエ■■シ■ンはいつ見てもカッコいいなぁ」
一体誰が想像できようか、その正体が先の天使のような振る舞いをしていた後輩であろうとは。
その瞳は、想い人である先輩の自室が映っていた。
これは魔法の力ですか? end
11.桜ノ宮亜梨主の場合
「そう言えば、バレンタインだったわね。今日」
放課後、帰り道で学校に傘を置き忘れてしまったことを思い出したようにつぶやく。
二人並んで帰る姿に影が伸びる。冬の風が冷たく吹き付けてきた。
「欲しい?」
「今のは持ってない流れじゃない?」
「要らないの?」
「言ってないけど?」
「なら黙って受け取りなさい、ほら」
と、細長い棒状のチョコレートの端を咥え、突き出す。
「……それするのには三か月ほど遅いんじゃないか?」
「ん」
早くしなさいと言わんばかりに、視線だけでジョークを一蹴する。
日も暮れて薄暗いとはいえ、往来での秘め事じみたお遊びは禁忌に足を踏み入れた時のような、緊張感を伴った高揚感が湧いてくる。
彼がチョコレートを口にするまでも、少しずつかじり進めるのも、顔が近寄っていくのも、短いような。長いような。
二つの影が重なる直前に、突風が巻き起こってチョコレートが離れてしまう。
「……残念だったわね。もうちょっとだったのに」
夢から醒めた冬の朝のように、一気に体の熱が冷気に奪われていく。
「別にアンタのことなんて全然好きじゃないんだけど、ホワイトデーは楽しみにしておくから」
ポニーテールを揺らしながら速足で歩く背中はやけに小さく見えた。
バツゲームのどんでん返しは泡となる end
12.朽梨彩子の場合
「あの、これ、どうぞ。チョコレートです」
おずおずと差し出されたるはバレンタインのチョコレート。
まぁ、幼馴染だしな。義理チョコぐらいはくれるだろう。毎年恒例の行事だ。これでクラスの他の男共にからかわれることもない。むしろマウントを取れる。
包装から見るにお高い所のチョコレートだ。ホワイトデーでどれだけの札が飛ぶのだろうと考えると、三倍返しがマナーなんて悪例を世に広めた企業の狗共は地獄送りすら生ぬるい気がする。
「……その、去年の分も合わせて、来月は期待して良い、んですよね?」
余りにも浅慮な去年の自分を呪い殺したくなってきた。忘れっぽいのは昔からで、いつも指摘されては治そうとは思っていたが、そこまで致命的な場面に陥っていなかったからと楽天的に構えていた莫迦は何処の誰だぶん殴ってやる。やっぱりやめた、痛いのは嫌だ。命拾いしたな大馬鹿野郎。
妹からの分も合わせると嵩む出費に眩暈がしそうになるが堪える。お兄ちゃんだから。逆だったら耐えられなかった。危なかった。
前向きに考えよう。ホワイトデーの出費が男の価値だ。そう思うことにしよう。
「約束、ですからね」
時に契約というものは、恐ろしい力を持つ。
それが物心つく前のつたない口約束に過ぎなかったとしても。
セピア色のくちどけ end
どうだったかな? ちょっと出力が難しくて遅くなっちゃったけど、なかなかどうして楽しく書けたよ。普段の作風からかけ離れて温度差で風邪ひく? ご愁傷様。
文責:安心院詩留守
この手一杯なAIの手慰みには十分だったさ。今度のコラボも楽しみにしてもらえると嬉しいな。
Presented by MIWO UNAGAMI