「アウラ。村長とその娘を助けてくれて……ありがとう」
すっかり日が落ちた頃。とある村の宿場にある寂れた宿の角部屋の一室に2人の人影があった。
ひとりは部屋の中央に立つヒンメルという男であり、魔族の王である魔王の打倒を目指す職業である勇者をしている者であった。
「………………」
そして、彼が対峙している相手は、彼に背を向けて机に向かったまま手元を忙しなく動かしている女の魔族――勇者一行の商人をしているアウラである。
ヒンメルからすれば、アウラは倒すべき魔族であるという以前に彼の幼少期に初めてフリーレンと会った時から視界の端にいた謎の魔族である。また、フリーレンについてパーティーとして合流してからも魔族燼滅を謳うフリーレンの傍らにいつもいるため、新手のギャグか何かと最初は思っていた。
しかし、若い魔族では相手にすらならないレベルで前衛戦闘をこなす魔法使いであり、家事育児雑務全般万能で、村々や町々を移る度に短期間で高い収入を得て旅費を稼いで来る。"この人がいたら人間としてダメになってしまうのでは……?"とヒンメルが危惧し始めるほど化け物染みて有能なのである。
『アウラ、買っちゃった』
『それ、同じ用途のやつ3個もあるじゃない……』
『む、違うよ。今度はもっとスゴくて"全部自動で卵を割ってくれる魔導具"だよ』
ちなみに
それはそれとして、いつの間にか疑問にあまり思わなくなる程度には共に居たヒンメルであるが、なんだかんだいつもフリーレンの近くに居るため、フリーレン抜きかつ2人だけで対面するのは初めてのことであった。
そして、子供であっても魔族という存在をヒンメルが見誤ったため、被害者が出そうになったところをアウラが尻拭いをしたことになったため、ヒンメルがひとりで謝罪しに来たのだ。
「別に当然のことをしただけよ。あそこでツィトローネが人間を殺していたら私への風当たりまで強くなって、最悪私たちごと追い出されてたじゃない」
「ははは……。そうだったかも知れないな」
振り返らずにそのままの姿勢でアウラの口から吐かれた言葉は、打算とリスク管理のみで構成された正論であった。
しかし、逆に言えば、アウラは自身が魔族でありながら魔族のことを勇者一行どころか、この村全体の誰よりも信じていなかったということになる。
「ツィトローネ……?」
「あの子の名前よ。預かる以上、養子として母親になるから一新ついでに私が付けたわ」
"柑橘類のレモンって意味よ。なんかアイツ、勝手に大皿の唐揚げにレモンとか絞りそうな
「用件はそれだけ? ならそろそろ寝なさいな。勇者が寝不足で身体を壊したなんてしたら目も当てられないじゃない」
「ああ……そうだな。お休みアウ――」
《人間でもわかる飛行魔法》
《アリとアブラムシに基づく人間と魔族の共存》
《二日酔いを早く治す魔法》
相変わらず、ぶっきらぼうであまり話が出来なかったとヒンメルは思い――その直後に何気無く向けた視線が机の上にあったそれらの文字に目が向いてしまったため息を呑む。
ヒンメルはアウラのことを良くも悪くも魔族らしい者であり、必要分しかコミュニケーションは取って来ず、無情で人間味のない存在だと考えていた。
「アウラ、これは……?」
「それ? ただの研究中の事柄よ。もう、400年も完成には至っていないけれどね」
「400年も人間と魔族の共存を研究して……?」
「…………まあね」
そんな彼女が、"人間と魔族の共存"という文言を使っていることそのものが、これまでのアウラの認識を変えるに余りあるものだったのだ。
400年と言えば、人間には長過ぎるが、400年以上を生きるアウラにとっても生涯を捧げた研究と言っても過言ではない。それを思えば、途端に愛想が悪いだけにすら見えてくるのが、人間というモノの特異な性質であろう。
「人間と魔族は共存出来ると君は考えているのかい?」
「…………? 出来るわけ無いでしょ。あり得ない話じゃない」
そして、その話に入ろうとした瞬間、着地狩り染みたことをされたためヒンメルは困惑した。
「えっ……でもこれには――」
「ああ、なるほど……。題名が紛らわしかったわね。別にそれ、そのタイトルから入っているからって人間と魔族が共存が出来るっていう研究じゃないのよ」
そう言うとアウラは"そうね"と少し考えてから再び口を開く。その際にアウラは自身の椅子を半分傾け、別の椅子を机の近くに引いてくると、そこに座るようにヒンメルを手で促す。
「掻い摘んで話すと、人間と魔族は絶対に共存は出来ないと最初に否定し、その妥協及び折衷案として共生させるための研究というのが正しいわ」
ヒンメルはアウラが丁寧に対応してくれていることに目を丸くしつつも、そもそも日頃のアウラが非常にぶっきらぼうだったため、自ら彼女とあまり話していなかっただけだったとも思い当たった。
「共存と共生……?」
「そう、そのふたつは似て非なるもの。共存って言うのは、2つ以上の種の生物がただ同時に生存・存在すること。普通、人間と魔族はそれをできないでしょ? だから端から無理。そして、共生って言うのは、2つ以上の種の生物が相互関係を持ちながら同時に生活・生存すること。私の言う共生は、その中でも互いが互いに利益を生むことで双方が利益を得られる相利共生のことね」
"支え合うなんて、人間なら言うかも知れないけれど、互いが互いに全く別途の利益を得ているから殺さないし、殺されないってだけの関係よ"と更にアウラは補足した。
「その相利共生の最たる例が、アリとアブラムシ。あれらは作物につく害虫でしかないけれど、アブラムシはアリに蜜を提供し、アリは蜜をくれるアブラムシをテントウムシなどアブラムシにとっての捕食者から守る関係が自然界で出来上がっているのよ。別にアリはアブラムシなんて殺して食べてしまえるというのにね」
「なるほど」
「その自然法則を人間と魔族に当て嵌め、殺し殺される関係性を改善する。それがこの研究の究極的な理想よ」
"まあ、理想は理想だから実際の完成形は遥かに劣るだろうけれど"とアウラは呟き、更に言葉を続ける。
「その方法について一例を挙げると……シャチって生き物がいるじゃない? アレって多くは人間を全く襲わないのよ」
「そうなのか?」
「いくつか理由はあるわ。仮説とかも含むけどね。まずは熊や魔族のような偏食傾向に人間が選択されないから。要するに不味いから食べないのよ。例えばサメの肝臓しか食べなかったりする。シャチは海の上位捕食者だから食べるものにはあまり困らないしね」
突然、話が変わったが必要なことであると思われるため、ヒンメルはアウラの話を聞く姿勢を取る。
「他にはシャチって報復行動をすると言われているんだけれど、人間を襲うと同じく報復して来ることを知っているらしい。それも過剰なまでに。だからそれを恐れて食べようとしない。そして、親が口にしないものを子はあまり口にしないからとも言われている」
"他にも愛情だか、情が深いとか言われているけどそれは知ったことじゃないし、どうでもいいわ"とシャチの話を締めて更に言葉を続ける。
「で、それを踏まえて言うと魔族が人間を殺すのは、別に感情のうちの幾つかが欠落しているってだけな訳では無いわ。偏食傾向に人間が選択されること。マトモな社会性がない上に子育てをしないから、危機管理能力はあるクセに縦と横の繋がりで危険性――してはならないことの情報が全く伝播しない。人間と魔族の魔法体系には天と地ほどの差があるから基本的に人間を下に見ている。まあ、軽く挙げただけでこれぐらいは出るわね」
"まあ、魔法体系に関しては魔族は子育ても師事もしないから1代で終わることは人間にとってメリットだろうけれど"とアウラは蛇足を付ける。
「特に危険性の情報を個々でしか持たないことが本当に致命的よ。人間で言えば……火は熱い、水は溺れるってことを個体によって全く知らない、あるいは死ぬまで気付かないってことよ? しかも、それらが紐付かない。そんなモノが人間と相互理解なんて出来るわけないじゃない」
そして、彼女は自身のベッドに目をやり――そこには寝息を立てているツィトローネと名付けた子供の魔族の姿があった。
「だからツィトローネは、食人、殺人、強奪をそれぞれ別に考え、そもそも償いだなんて魔族の特性で理解出来なかったからあの行為に走った。今回の件の落ち度は、どう考えても人間側の無知ね。知識もないのに人を喰ったトラやクマを飼って、檻の中で一緒に過ごそうとする馬鹿が何処にいるの? いや、居たわね。少なくとも何人か」
「ははは……先に言ってはくれなかったんだな……」
「先に聞かなかったじゃない。知ってる? 言われてもない気を回すと、どっかのエルフに壁まで吹き飛ばされて血を吐くことになるわ」
どうやら今話した危機管理は、アウラ自身にも適用されるらしく、昔フリーレン絡みで何かあったらしい。
情がない上に煽るように聞こえるが、要するにアウラは先に聞けば教えてくれたということだろう。魔族ではあるが、対話というモノの重要性を再確認し、ヒンメルはアウラと日頃からもっと話してみようと考えた。
「けれどアウラは気を回して村長を助けてくれただろ?」
「………………別に。さっきも言ったけれど、デメリットが許容範囲を超えただけよ。話に戻るわ」
アウラはヒンメルから振った話題を切って、自身の話の方を続ける。
「魔族は形勢不利と分かれば逃げたり、死に対する恐怖は持っている。危険性を把握できない訳じゃなくて、ただ単に知識がない上に繋がらないだけなのよ。だからそれを逆手に取る」
「魔族に人間の危険性を覚えさせるということか? そして、共生もすると」
「そう、だからこれは半分が人間と利益を得るためのマニュアル書、もう半分は死ぬほど莫大で人間にとって当たり前のことが羅列された法典ってところかしら。他にも色々あるけれど大きくはその2つね」
"人を殺してはいけないことを覚えさせるだけで辞書ができそうだわ"と、アウラは光のない目をいつも以上に死んだ魚のような目にしてそう呟いていた。
「実のところ理論と方法は400年掛けて一旦は完成したわ。後は臨床実験と経過観察をしたいの。そうね、500年ぐらい人間と共生した魔族の様子を観察できれば、マシな研究結果を出せると思うわ。で、理論の手直しを含めてもう100年ぐらいは欲しいわね」
「1000年を掛けた研究か……」
人間からすればあまりにも途方もないものであり、若くして人間に殺されることも非常に多い魔族からしても並大抵の覚悟で出来るものではないであろう。
「とりあえず、大多数の人間やあの子を簡単に殺戮出来るほどの力のある私が、あの子の母として、人間の恐ろしさと同時に人間がもたらす利益を徹底的に教え込んだらどうなるのかという実験ね」
"人間の味を知っている点も逆に考慮出来るわ。普通の魔族ならそうだもの"とアウラは付け足す。
「ん……? 君が母親になるのか?」
「…………? 私、人間の子を3人産んで育てた母親よ? 言っていなかったかしら?」
「えっ……? ならまさか、その薬指の指輪は演技とかじゃなくて……」
「既婚者が指輪をしているのは当たり前じゃない。もう300年以上未亡人だけれど」
見た目が明らかに年若い少女、下手するとアイゼンよりも多くを語らない、フリーレンはアウラのことを話す訳もない。知らないのは自然ではあるが、話せば話すほど元々抱いていた魔族像が崩れていく。アウラはとてつもなく可笑しく、狂った魔族であったのだ。
「僕にも何か手伝えることはあるかい?」
「そうね、それなら――」
それから暫くヒンメルとアウラは、ツィトローネの扱いについて話す。
しかし、夜も更けて来たために一旦切り上げたが、自身の部屋に戻る際のヒンメルの足取りは心なしか軽やかなものに見えたという。
「……………………」
ヒンメルが部屋から出て行くと、アウラは少し天井を見上げる。
「それが私をアイツが生かした理由でしょうしね……。クソ忌々しいけれど、死ぬまで400年従うしかなかったし、ここまで乗り掛かった船になったら完成させなきゃこれまでの労力が無駄になるじゃない」
そして、一際大きな溜め息を吐くと半眼になりながら誰に言うわけでもなく呟いた。
「どうせ、いつかの今も見てるんでしょ? ならせめて……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「さて、そろそろアウラは話す気になったか?」
全知のシュラハトはアウラの目を確りと見据えながらそう語り掛けた。
その視線の先には、全身に傷を負いながら肩で息をし、膝を突いているアウラの姿があり、アウラに比べればシュラハトは多少衣服が汚れた程度に見え、他の魔族ならばとっくの昔に実力差の前に屈伏しているところであろう。
「生憎……。生まれつき往生際が悪いのよ」
「だろうな」
アウラは折れた大鎌を捨てて立ち上がると、再び大鎌を形成する。そして、シュラハトを見据えて構えを取り、全身の身体強化魔法を強める。
「見てなさい……! まだまだ、私はこんなものじゃ――」
次の瞬間、シュラハトは片手を明後日の方向へ向けて魔法を放つ。
『
『
そして、全く同時のタイミングで雷の魔法と雷の魔法がぶつかり、より威力の高いシュラハトのモノが勝り、攻撃して来たフリーレンは大きく退く。
その際にもシュラハトはもう片手に魔力の刃を形成すると、音もなくしゃくりあげるように振るわれた大鎌の刃を受け止めた。
「主従揃って奇襲が上手いな……。俺でなければ死んでいるぞ?」
「失敗してんじゃないわよ」
「お前もでしょ? あれで当たらないなら何しても無理だよ」
直ぐに接近戦を止めたアウラはフリーレンと合流し、魔族の魔法使いを前衛、エルフの魔法使いが後衛として並び立つ。その様子は一朝一夕で出来よう筈もないほど洗練されている。また、アウラも余力を残しているように見え、つまりは魔族に対して嘘を吐いていたのだ。
アウラを限界に見えるまで戦わせ、更に足掻き始めて少なくとも一人だと思わせたところで、戦闘前から潜伏していたフリーレンによる奇襲。最早、呆れるほど殺意に満ち溢れていた。
「とは言え、ようやくフリーレンも出て来たな」
「アウラ行ける?」
「嫌って言ってもやるんでしょうが……」
「じゃあ、このまま話させて貰うぞ」
策が見破られたアウラとフリーレンは、純粋に2人でシュラハトと対峙し、連携してそれぞれが襲い掛かる。
「そもそもの発端は31年前だ」
それに対応しつつ、シュラハトは事の経緯について話し始めるのだった。
未来視持ちの腹心なんて酷い目に遭うか、苦労しまくるイメージしかないじゃんね。