001.新たなる冒険譚。
10歳でマサラタウンを旅立ってから1年が経過したある日のことであった。もじもじとしたブルーからこれに声を吹き込んでほしい、とマイクを手渡され、ある説明を受ける。
なんでも自分たちがたどった、あの旅の記録をポケモントレーナーたちへの戒めとしてブルーの視点で物語として描くことにしたから、アニメーションの製作にあたり、幼馴染役の声優を探しているのだとか。
「ふーん?」
ブルーが主体となって製作するため、彼女が納得できる声でなくてはならないのだが。件の人材を東西南北探しに練り歩いても見つからず。それならば本人たちにやってもらうのはどうだろう、と監督の一声にブルーが同意したことが、そのマイクを掲げられることとなったようだ。
代役立てんのじゃダメなのと聞いたところ、「ぜぇぇぇったいに!だめっ!」とのことだった。食い気味の否定である。彼女の中では、幼馴染は他にはいないという表われであったことが嬉しかったから、グライスは二つ返事で了承した。初のアニメ化である。デビューおめっとさん、という祝いの言葉はブーメランとして返ってきた。カウンターでも展開しとったんかワレ…。
他のレッドやグリーンの声の吹き込みは終わっているようなので、臨場感を増させるためにゲンガーによる『催眠術』で記憶を掘り起こしながら音声を記録する。直後はベッドに沈むことになったのは驚きであった。ジョーイさん曰く、リハビリ中だったことも相まって、身体への負荷が戻ってきてしまったのだろうと。
再びぴくりとも動かなくなった左腕を見て、ブルーは青ざめてしまったけれど。度重なるリハビリのおかげで動かせる程度には回復していたのだから、あとは時間経過による療養で観察するほかないだろうとのことだったから安心である。また頑張るから気にするなよ、と肩をすくめられる程度には余裕があるのだから。
彼女は、旅の記録をたどったそれを子どもたちが楽しめるアニメーションながらに感じた恐怖や冒険の楽しさなどの実感をそこかしこに追求した一品にするつもりなのだと言った。
「私にとっては、怖いだけではなかったんだもの。」
にっこり笑ってそう言った彼女は、もう内気なだけの少女ではなかった。臆病風を吹かせながらでも、恐怖を胸に震えながらでも、ちゃんと前を見据えて立ち続けることのできる人の姿だ。
そうか。と糸が解けるようなやわらかさを伴った声が返し、彼女の成長をつよく感じるであろうマサラタウンのハナノ夫妻を思い出した。
入院することとなった彼女の身を案じ、彼女の見舞いと一緒に眠り続けるグライスのもとまで足を運んでくれた人たち。守ると約束したのに果たせなくて、大事な娘さんに傷を負わせてしまったのに。恨みつらみではなく、感謝の言葉を掛けられるとは思ってもみなくて驚いてしまった。
もう、あの子を守らなくてもいいの。―――そんな風に言われて、拒絶だと受け取ってしまったのはグライスにとっての生き甲斐のようなものだからなのだろう。
やることがないんだ、なくなってしまったんだ。
ブルーもレッドも、グリーンも。それぞれがぐらつくことなく自立し、グライスによる庇護をもう必要とはしなくなった。押し付けるような真似はせず、素直に引き下がることが出来たのは後天的に覚醒した人間性だろう。このやろうと思えば何でもできるを地で突き進む敵視集めのための的のようなスペックを持った肉体の中に、高校生の記憶があってよかったと心底思った。やけっぱちを起こすのはもったいないという感覚だけで粘っている。
廃人化を回避することに成功したものの、やっぱり生き甲斐である以上は精神に影響を及ぼす。精神と肉体の関係は直結しており、再び療養の住民と化してしまったのは言うまでもない。
だらだらと過ごすうちに、目的を見失ったことを察したのだろう。少年が強くなることも、戦うことも、すべては守る対象ありきでのことであったのだと。どうにかしようにも目的探して見失っての悪循環。負のスパイラルとはこのことかと茶化すことも出来ぬまま、すっかり寝たきりの生活が板につき始めた頃、カントー地方の王者であるレッドとジョウト地方の王者であるワタルから、ある提案を受けた。
「監査官としてジョウト地方のジム巡りをしてみないか、ってレッドと? なんで?」
毎年、ポケモンリーグから公認を受けるポケモンジムが”公認の名に相応しいもの”であるかどうかを確認するためのテストが行われる。
身内可愛さに贔屓したくなる気持ちは分からんでもないが、そう言った公平性を保つ意味を込めてテストを実施する試験官―――ポケモンリーグでは、監査官と呼ぶ―――の選出は、実力と名声に文句のつけどころのないチャンピオンより。実力者だったり、チャンピオン自らだったり。今回のケースでは、実力者としてグライスを選出したのだろうと思われるのだけれども。
カントー地方は巡ったことも仕事をともにしたこともあり、客観的に見て公平性を欠いてしまう可能性を考慮し、麗しき竜王ワタルの膝元であるジョウト地方はどうかという提案であった。
しかし、レッドが一緒であるというのは不思議なことで。監査官としての仕事を自分にまかせるならば、その間にレッドはカントー地方が誇るチャンピオンとしての仕事や休息をした方が良いのではないかと疑問をこぼした。
「ああ、彼の息抜きでもあるんだよ。グリーンのおかげで、未だに挑戦者はゼロ人だからね。ある意味では、期待を寄せても落選者ばかりで不完全燃焼続きのようだから。」
「なるほど……」
あれでいて、加減、という言葉を知らぬ男である。手加減という技を覚えてもいいだろうにとは思ったが、永遠なる地獄の始まりとなってしまうなと頭を振った。
それまでの間、ポケモンバトル教(そんなものはない)の熱心な信者であるレッドが無戦状態を耐えられるはずもなく。ポケモンリーグの由緒正しき仕事を口実に、長期休暇を一緒にとらせて息抜きさせようって腹のようだ。
それならば、と喜んで引き受けるとあれよあれよのうちに旅支度が整い、安心した表情のジョーイさんたちに見送られるがままワタルのカイリューへ乗り込んだ。
「ああ、そうだこれ。」
「なんすか? ………本当になんすか?」
受け取って。と有無を言わせぬ声に従って右手を差し出せば、首に引っ掛けられる布。ずっしりとした重みが身体の前側に集まるのを感じ、バランス調整をすると。
「ポケモンのたまご?」
「何が生まれるか、生まれるまでお楽しみだよ。」
「えっ、ま、えっ?」
憧れの人であるワタルから直接ポケモンのたまごを受け取ったことが原因だろうが、グライスは見るからに狼狽える。しきりに夢か現実かを尋ねてくる姿は年齢相応に見えて微笑ましく、ジョウト地方のジム巡りはこのルートが最短ルートになるだろうと案内された最初の街にたどり着くまで興奮が冷めやまなかった。
ワァ、ワッ……と半ば鳴き声のようなものをこぼしながら少年はジョウト地方に降り立ち、聞き馴染んだ口癖を最後に落として最初の一歩とした。
「ぴえん…っ俺いまワタルさんの聖地に足を踏み入れてる……っ」
「おれの整地……? した覚えはないが、」
「そうじゃないと思いますけど楽しそうで何よりです…」
両足で大地を踏みしめるものの、感動を前にテンションごと言動がバグったと言おうか。ひとしきりに感動した少年二人の見送りを受け取りながら、ワタルは再び空へと翻る。
「では、ウツギ博士。彼らのこと、よろしくお願いします。」
「はい、任されましたとも。」
興奮したきりであちこちの茂みをのぞき込む少年たちの微笑ましさ全開の行動を見やり、17歳を迎えた王座を背負う青年と二十歳を越える大人はにっこりとして別れを告げた。
王者としての貫禄のおかげでワタルは年齢より年上に見られがちだが、まだ若者と呼ばれるような年頃で、お酒だって飲めないぐらいの若葉である。隣接した土地に誕生した新たな王者は、最年少かつ最短を記録した殿堂入りを果たした新芽。
将来が有望すぎる大樹の芽たちを迎えられることや頼られることの喜びを噛みしめ、腕を三角巾でつるしたままの少年を見た。―――たしか、体調に不安が残るからと理由で数々の検定を乗り越えたポケモンによる、ドクターストップならぬポケモンストップが掛かるのだったっけ。一応、顔合わせだけでもとちらちらと身体を左右に振って探してみたが、どの子だか分からなかった。
ウツギ博士の様子に気づいたらしく、カントーの王者が軽く三角巾のない方の肩をとんとんとやわく叩き。やわらかな声で返事をした少年は、挙動不審な博士の行動を目にして。
「あ、スミマセン。」
「いえいえ、こちらこそ…?」
ついお互いに謝り合うという謎のファーストコンタクトを取ってしまった。やっちまいやしたァとばかりにお互いが頭の後ろをかき、ひょこひょこと頭を下げ合う。
「自分、カントー地方のマサラタウンから……いや、トキワから? ん? なになに、ポケモンリーグチャンピオン・ワタル直下の監査官としてマサラタウンからやって参りました、グライス・エトワールです……得意なことは情報収集なので、ばっちり頑張ります…? え、なに……? 自己紹介用のメモ帳なの? しかもこれ俺用なんすか?」
病院から直行したからトキワシティからだろうかと首を捻ったグライスの前に、カントーの新たな王者はふんすと鼻腔を膨らませてカンニングペーパーを高く掲げた。
得意げな表情ではあるが、読み上げた内容はなんとも言えないものである。まさかとは思うが、グライスのことを自己紹介できないようなコだと思っているのか…? どうだと言わんばかりのどや顔には軽く戦慄きながら読み上げ、しっかり混乱した。
内容的には一から二である。だけど、ウッソだろお前! 考えてくれたのはよくわかるから一応ありがとうだけど、俺もちゃんと自分のことは自分で紹介できますよ…? ジョウト地方のチャンピオンであるワタルさん直下の監査官って肩書きは今知ったばっかりだったけども。
ウツギ博士もカンニングペーパーにはビックリした様子を見せたけど、一瞬だ。すぐさま適応した。状況に馴染むのが早ェよ。自分の切り替え能力の高さにも匹敵するような気がする。
「あ、ええっと、医療用の”ピンプク”です……。なんかジョーイさんのラッキーがたまごを孵化させて育てたベテランの助手見習いだそうで、そのまま譲り受けました。」
ひょこ、と再びレッドによって持ち上げられたカンニングペーパーには、ジョーイからのお言葉がある。一時は生死の境目すらさまよった少年の身を案じるように始まったそれから、ヒナと呼ばれるような段階のポケモンでの譲渡である理由まで。
そこかしこがボロボロだが、本人のやる気を買ってリハビリと称した監査官を任命したものの、その後の体調には不安しか残らなかったから進化さえすれば立派な看護師となれるほどのベテランを譲ったのだと旨が書き込まれてあった。
ピンプクであることについては、本ポケモンとしては進化できるレベルには達したが、入院中のグライスの側をちょこちょこと歩き回り、しっかりと看護師としてのお役目を果たすのを見て決定したことであるとも。女医育成学校で長年勤める”伝説のベテラン女医”の名を冠する学園長曰く、癒しを得意とする性質を持つポケモンである己を心の底から必要とする患者の声を待っていたのだろうと快く承認してくれたことまで記録にある。
「名前はペチュニア。」
「ああ、ピンク色の優しいお花のペチュニアは暖色系のとても綺麗な色ですし、見ていると心が優しくなれそうだもんね。―――たしか、花言葉は心の安らぎだったかな?」
「そうそう、イメージそれっす。」
突如として襲ってきた眠気は、ジョーイ曰く肉体が感じる疲労の蓄積である。身を委ねて眠るようにと厳命されてしまった以上はおとなしく従わなければ後が怖い。とは言え、話しの途中だからとこくり、こくりと舟をこぎながら、それでもグライスは言葉を肯定した。
ウツギ博士が言った通りの意味で名を付けさせてもらったことに変わりはない。とうとうカックリと頭が落ちた瞬間に、「らき!」と聞き覚えがあるようでないような、思わず待たんかいと言いたくなるような声がしたような気がする。ぼすりと被せられたレッドの帽子で影が濃くなり、雪原を写し取ったかのような瞳はゆるりと閉じて寝息を立て。
帽子を被せた本人は、どこか得意げな雰囲気の無表情で胸を逸らしてメモ帳を取り出した。……デカデカと「連携」と爆発したエフェクトまで付けた文字を眼前に突き付けられたウツギ博士は、うっかりサインペンでやることか、微笑ましさ全開じゃないかと笑ってカントー地方のチャンピオンのヘソを若干曲げてしまったのは余談である。
なお、彼のご機嫌を取ったのはチコリータであった模様。そのままレッドは新人用のチコリータを、流れるようにグライスにも一体譲り受けることで機嫌は何事もなかったかのように回復したと言っておこう。
こうして、最初からなんやかんやとありながらも、グライスらは新たなる冒険譚の第一歩を踏み出したのである。