強くなると決意を新たにしたグライスは、ワカバタウンからヒワダタウンまでの道のりを薄ぼんやりとした記憶から掘り起こした。
まずは情報。何よりも情報。情報をもとにあらゆる事情を想像し、算出し、仮定まで持ち込んでからの実行する。情報を制してこその、己の戦闘スタイル。魂に縛りつく昔取った杵柄とやらは、早々に切り捨てられるものでも切り替えられるものでもなく、じゃマァ使えるんだから磨けやとばかりの疾風迅雷の速度で情報網をひそやかに敷く。
ああも苛烈な戦火を駆け抜けた記憶を忘れられるはずもなく、少年の自分のモノとするには些か時間はかかるだろうけれど。完全モノに出来れば、これ以上と言うほどもない力となるはずだ。
というわけで、情報収集のリハビリがてらに現在滞在中の町のことを調べ尽くした。その過程で交流し、仲を深めたジムリーダーツクシのもとへと足を運ぶ。
なんでも、良い蜂蜜がもらえる時期なんだとかで。栄養価が高く、健康に良いから休暇中の身体をより癒せるだろうとおすそ分けをしてくれることになったのだ。後半ちょこっと愚痴を吐き出したいという弱音には、どちらも本音なのだろうなと思ったが。
ヒワダタウンは、町中にヤドンがいるのどかな町である。ヤドンがあくびをすると雨が降るとの伝承が伝わっており、一時は旱魃で大変な時代を潤した彼らに敬意を表し、神聖なポケモンとして崇められている。―――そのおかげで、妙な噂が立っていた。
曰く、うっかり踏みつけようものなら住民たちの怒りを買ってしまう恐れがあるらしく、観光客の中では出禁になった者も居るのだとか。
あはは、この村の風習だけはどうしようもないんです。後頭部に手をやりながら苦笑する、ジムを引き継いだばかりの若きジムリーダーを見やり、思わず「事実なんか」と確認した。かろうじて浮かんであった苦笑は落ち込んだように変わる。「力不足ですみません。」項垂れる頭の横。肩に軽く手を置き、励ました。
カントー地方からの警告は役立ったらしく、現在ではワタルさんを主体とした防衛組織が結成されつつあるのだとか。
あの人Gメン所属しているうえに、ポケモンリーグ・ジョウト地方のチャンプで、新設されたポケモンリーグ警備部隊の特攻部隊の精鋭なんて肩書きを重ねているのに。その上でまた防衛部隊の所属を増やすとか働きすぎなのでは? とは、思わなくもなかったが、後押し要因の一つは自分の件だろうとも理解があるので、早々に前線へと復帰できるだけの能力を身につけなくては。
イレギュラーである俺が、何もしてなくても誰かがやってくれるってのは分かっているし、オツキミ山のようなことが生じる可能性も考えた。
だけど、あれは、あんな風な事件は、俺が居ても居なくても、「生きる世界」があるならば何処でだって生じる可能性のあるものだ。関わらなくても良くて、遠ざかっても良くて。ぼんやりしながらレッドやワタルさんたちの行動を見聞きして、ヒビキくんの旅路を情報で追って。
だから、全部承知した上で、関わることを決心した。開き直ったとも言う。いっそのこと、足の先から頭のてっぺんまでどっぷり浸かってやろうと決めたのだ。
「ツクシくんはよくやってるっすよ。」
何目線だと言われることを承知で言わせてもらうなら。ロケット団の残党なる存在やトゥランプル団の部隊がのっそりと蔓延らんとする世の中で、その年頃のジムリーダーにしてはよく防衛やら対策やらとれている方である。
けれど、小さくとも町を預かる若き領主はそうは思わないようで、向上心を見え隠れさせる弱音を小瓶からこぼれた蜂蜜のしずくのように、指で掬える程度のほんのちょこっとこぼした。
「うう…ビークインの蜜のような優しさがうれしいよ。」
「俺それ虫タイプポケモン言われてる?」
なお、ビークインとは、ミツハニーの♀だけが進化する、その名のとおり女王蜂の姿をしたポケモンのことである。三つ子だったミツハニーが進化して一体化したと言われており、元になったミツハニーの意識はどうなったのかは不明とちょっと驚きの生体。
彼女自身が巣のようであり、巣の中心部でもあるのだろう。ドレスのような下半身は蜂の巣の形になっており、そこにミツハニーの子どもがぴょこりと顔を出した。
大人のミツハニーたちが彼女のドレスへと、せっせと花からお取り寄せした蜜を運ぶ姿は、こうも間近で見ることなんてなかなか出来ないからああして育児をしているのかと感動を覚える。君が頼めば見せてくれそうですよね。なんて言ってくれるな、本当に。
「あのほんと見せようとしなくても大丈夫っすよ、ありがとう気持ちだけ受け取っとくな…。」
「冗談になりませんでしたね?」
「やったな? ツクシくんが小腹すいたってー」
「言ってませんが!? あ、あっ、ビークイン?」
ビィィンと羽根の音を響かせた女王蜂は、くるりと主人の周囲を舞う。その目下に浮かんだクマを、空のそこをなぞるように手を動かし、こくりと首肯した。
ドレスの下からは小さなミツハニーたちが顔を出し、柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。絶対的な女王蜂である彼女が危機的状況に陥った際には、ああして庇護下に居るこどもたちは巣穴から飛び出し、命がけで相手を撃退するほか。様々なフェロモンを出してこどもたちを自在に操り、敵への攻撃・自身の防御・回復を行わせるようだ。
また、フェロモンを多く出すビークインほど多数のミツハニーを従えられるらしく、群れの統一性を重視してか。ミツハニーの群れ一つに女王一人ずつ。
群によって蜜の味が異なるようで、伝説級の「
「ビークインの蜜のような優しさ……なるほど、確かに。」
以前野生のビークインから頂戴した蜂蜜は濃厚な甘さで真正面からぶん殴ってくるようなものであったが、こちらはほんのりとした香りに相応の控えめな甘さ。本来ならば蜂蜜独特のもったりとするはずの粘り気はなく、舌触りは絹の表面を滑る水のようなまろやかさがさっぱりとしていて。ビークインに勧められるがまま、お茶に垂らして一口。
「んまい…」
じゅっ、と絞られたレモンのさっぱりとした果汁もマッチして。程よく身体から力が抜けて、あー、と声をあげながら腰掛ける椅子にゆったり背中を預ける。
「癒されすぎて寝そうなんすけど」
「植物園でお昼寝ですか、いいですね。」
ああ~、とだらしなく肢体を投げるように伸ばして天井を見上げた。
植物がよく育つように障害物を出来る限り取り除かれたガラス張りの天井は、その儚き見た目に反してピジョットの暴風に耐え得るほどの耐久力を誇るそれである。―――だからこそ、遠慮なく植物園でポケモンジムを運営しているのだろうけれど。
虫ポケモンを専門とするジムだが、決して虫ポケモン以外が居ないというわけではない。ヤドンを奉る町なだけあって、適性があるのは水タイプのジムなのだろう。
以前はそのような問題もあったのだと言う。「ジム設立の件を何度も町内会で話しました。」 ちょっとぶすくれたように眉をしかめたツクシに、どちらの申し分にも理解を示す。
奉るポケモンの属性は水・エスパーであるが故に彼らが安全に暮らせるよう、苦手とする電気、草、虫、悪といった属性のポケモンたちは、そもそも町から遠ざけられてきたのだと。
「どんな形であれ助け合っとったのに、どんな属性だってのうなったら生きてくことなんて出来んのに、ようさん助けてもらっときながら遠ざけるなんて―――そんなのったらないです。」
けれど、それは、大昔に巫女なるものが居た痕跡のある町ならではの特徴で、ツクシのみんなで共存することを見据えるのは現代の指針であり特徴なのだ。
己が唱えた不満に対し、めっちゃわかるわー、と軽い同意の声が返ってくることに、寄せたばかりの眉をほにゃりと和らげる。「あまり気負ってばかりだとこーんな感じになるっすよ。」 リハビリが進んで三角巾がなくなったけれども、未だ鈍い左肩をまわしておどけたように言った。
経験者の体験談をリアルタイムで目にすると、説得力は何倍にも跳ね上がる。グライスの腕は、なんでも背負えるなどと力量を履き違えた傲慢さで犠牲を支払うこととなったので。
「僕、虫ポケモンが大好きです。…特に、ストライクが大好き。」
「うん、」
ストライッ、と剣を掲げるように片刃を持ち上げ、にこりとするツクシの相棒。今の幼馴染には聞かせらんねーな、と頭の隅に浮かべながら鋭利な刃を携える戦士のような風貌の主を見やる。
「かれは最初のポケモンなんです、僕の。」
晴天が続き、雨の気配一つなく、ヤドンの姿も見えずにヒワダタウンで天地がひっくり返るほど珍しく、旱魃とした日の一つ。
原因を調査し続ける大学教授の父親をリーダーに調査部隊が結成され、両親が揃って周辺の水質調査のために出かけてしまった日。
近所に住まうモンスターボール作りの名人・ガンテツ爺のもとに預けられたツクシは、ひたすら無事を祈って両親の「良い子にして待っていて」という言葉を信じて待った。
しかし、待てど暮らせど、両親の帰りはなく、部隊の人たちの姿も返事もない。彼らの無事を確認しようにも、調査部隊の赴く場所は分からず、あちこちを探すには町中に残った人は女こどもや老人ばかり。遠くまで行くには足となる車や重量級のライド可能なポケモンはおらず。そんな三月立ったある日のこと。
町中では両親を含めた調査部隊の死亡説がまことしやかに人々の噂話で流れ始めたのだ。無論、ツクシは信じなかった。「だけど、」「でも、」「だって、」 彼らが行方をくらませてから、月日ばかりが過ぎるのだと誰もが同じような言葉を吐く。
条件はみんな同じだった。同じであるにもかかわらず、こどもの身を言い訳のように使う。だからツクシは、こどもであるツクシが唱える希望論のことごとくを絶望へと塗り替えようとする大人の声を、自分を大事にしてくれた両親との思い出で上塗りして否定した。
―――「ツクシくんはまだ幼くてわからないかもしれないけれど、」
それが、当時の大人たちの言い分であった。
猛反発したツクシはお気に入りのリュックに道具や食べ物を入れて。父親が指した地図の一部を頼りに、必ず帰ると言った両親を探すべく旅に出た。ツクシ6歳の冒険である。
「はじめての冒険は、散々なことばかりでした。」
野宿のやり方なんてわからず、キャンプだって父親に引っ付いてまわってばっかりだったものだからやり方をきちんとは覚えていなかった。
最終的にはテントは壊れてしまって。綺麗にぴんと広がるはずだった布は、ぼろぼろに崩れて。布が木デコボコに引っかかって出来上がった天井の下に、かろうじて幼い子どもの手で広げられた寝袋にくるまって、母の子守唄を口ずさんで闇が深まり恐怖が濃くなる夜をやり過ごす。
三日も続けば、不安は大きくなるばかりでなかなか寝つけず、寂しくてぐすぐすに泣きながら夜の森を歩き回った。両親の姿を、面影を探しながら、地図を広げてあっちこっちと歩き回って。
「そこで出会ったのが、訓練中のかれだったんです。」
人間の子どもなんて、出会ったのは初めてのことだったのだろう。―――だけど、ストライクは無造作に扱わず、ないものとしても扱わず。「おとうさん、おかあさん。」 対話のできる存在を前に、ぼろぼろと涙した。面倒見の良い性格を滲ませて、器用にも両手の刃を隠すように葉を巻きながら小さなツクシを腕に抱えて、夜の森を歩きだしたのだ。
悲しくてこぼれる声に倣うようにして、一緒になって両親を探してくれて。リングマに襲われそうになったときに庇ってくれて、怪我をしたストライクへつたない手当てで感謝を伝えた。
「そうするうちに、”ヤドンの大井戸”という湖のある洞窟に出まして。僕の両親は、そこで連絡もせずに、のめり込むように何日も水質の調査を続けていたことが発覚したんです。」
お疲れ様です、それは、もう大変お疲れ様です。町の人も、ツクシ自身も。とても大事になりました、と付け加えられた言葉には主語はなかったけれど、だろうな、と同意を返した。
町内会でちらっと小耳にはさんだ、ツクシくん家出事件はここに関わってくるんだろうなと。触りだけを語ってくれた彼の両親の顔色を頭に浮かべながら、「俺でもそうするかもしれん。」と、グライスだけは当時のツクシをとびきりの笑顔でにこりと共感を示す。
ジムリーダー間での共通知識。有言実行の象徴そのものと言わんばかりの、実際にそうしてきたグライスの放つ言葉には、いやに説得力がある。
おかげで間違ったことはしていないと胸を張れるけれども、なんだか心配になったツクシはそっとポットを傾けておかわりを注ぐ。君はうちのハピナスかと思わんでもない行動を前に。無言の休んでコールを受け取り、背もたれに身を預けながら談話を続けることにした。