道路は平野がほとんどで天候の変化などもない、とても穏やかな性質の地脈を持つカントー地方とは異なり、観光客がなだれ込んでくる町もあるここは、確かに「歴史の宝庫」なのだろう。
ジョウト地方には、歴史を感じさせる文化や建物が数多く残り、地方まるまる大きな世界遺産とも呼ばれ、考古学者たちの間では「歴史の宝庫」と異名が名高く広がり、数々の発表に合わせては観光客が足を向ける。故郷より人通りが多く感じる理由は、それだ。
世界遺産が鮮明に残るそれは誰が言うでなく珍しく、専門の技術者たちのたまごを育み、空や海のように広大な世界へと羽ばたかせた業績はどの時代にも名を残すところ。
直近―――と言ってもウン十年前のことであるが―――世界に名を残すジョウト地方の技術者と言えば、やはり「ぼんぐりの実」で特殊なモンスターボールを精製するガンテツ名人であろう。
「ジョウト地方を旅する理由が増えたな。」
「……。」
首肯するとともに揺れるのは、宵にも負けぬ漆黒の糸だ。めずらしく帽子を被っておらず、癖のない髪がピカチュウの手で弄ばれるのを目で追う。見るからに興奮冷めやらぬ紅の瞳に楽しみが増えたと言葉をこぼせば、彼はやっぱり輝かんばかりの瞳でこくり、こくりと首肯した。
それでも、本当ならこういう話を前に飛び出したいだろうに待っていてくれるのも、早く治してねと急かしてこないのも、グライスの体調をよく知ってのことなのだろう。
何故モンスターボールの話で盛り上がるかと言えば、単純に、その話題を知る人からの情報提供である。助けてもらったお礼にジョウトの話を聞かせてくれるという、そんなお礼。
水浸しのヒノアラシを抱えながら悲痛な声で助けてくれとポケモンセンターのドアを蹴り開け、懸命に訴える彼の様子を見て、どちらも何も言わずにリザードンの炎とぬくもりを分け与えることで手当てを申し出た―――というのが、彼らを助けたという要因なのだろう。お礼を受け取るべくはレッドにあるだろうと関与せずにソファーでぼんやりとしていたところ、応急手当の間はずっと指示を飛ばしたのはグライスである。
ヒノアラシの状態が落ち着き、ジョーイさんの手によってあれよあれよと癒しを受けてすっかり回復した頃に、ポケモンセンターに入ってからずっとぼうっとしたままのグライスのところまでトコトコと近づき、彼らは言った。ド直球すぎるほどの感謝の言葉であり、心ばかりのお礼。金品を前に突き出されて、ようやく意識がかろうじて復活したグライスはそれを断った。
『アイツも俺も、そういうのを貰うためにやったわけじゃない。―――君の相棒、元気になって、よかったな。炎タイプの子たちは水に弱いんだ、次からは気を付けろよ。』
通常とは色の異なるラッキーに世話を焼かれながらそう言って、再びぼうっとし始めたグライスに慌てたのは「助けられた」と己を称した少年の方である。
それでもなんとかお礼を、と懸命な様子を見せるのは、きっとそれだけこの少年にとって最初のパートナーであるヒノアラシの存在が、とても大きなものであったからなのだろう。
『じゃあ、』
何かジョウト地方のことを聞かせてやってくれないか、と言ったのは情報の重要性を理解するグライスならではのポケモンバトル以外での金銭のやり取りを回避する方法であり、ある意味では最も迅速に集めたかった土地の話題だ。
出身地だと言うからおそらく会話のネタにも困らんだろうし、何よりも足止めの時間中にレッドを退屈にさせずに済む―――と思考ができる程度には回復したつもりなのだが、他でもないレッドや旅の体調管理を努めるラッキーからの許可が降りずに足止めを食らってしまった。
軽く自己紹介を済ませて。最初は身振り手振りも乱雑で拙かったはずが、話し出すうちにノリにノリはじめたのかして、相棒のヒノアラシと一緒にそれはもう大袈裟な語りをしてくれた。
ウツギ博士のところでポケモンリーグ推奨ポケモン。通称、初心者用の御三家のうち一体ヒノアラシを相棒に選び、旅を始めたばかりの少年からガンテツ名人のことや特殊なモンスターボールの話を聞き、そうして最後のあたりでこの少年が誰だか分かって耳打ちする。
彼は三日ほど前に旅立ったばかりの新人トレーナー。ウツギ博士が教えてくれた新人のひとり、件のワニノコと同期だったヒノアラシを手持ちに加えた「お調子者のヒビキくん」だ。
グライスは確かにポケモンセンターに入ってからこのソファーから一歩も動いていない。―――だけども、観光客のポケモントレーナーもごった返す人混みの中から、迷わず目的の人物を探し当てることのできる目の持ち主であることは、将来有望の証であると最初の旅立ちから一年も過ぎた先輩トレーナーの二人には明確に理解できることだった。
だってそれは、”観察眼”の優れた人の特徴であったから。とどのつまり、確固たる地位に腰据えるレッドにとっては経験のあることであり、他の誰かから指摘されたことでもある。
まさかぼくがそう思う側になる日が来るなんて。思ってもみなかったけど、楽しみだねと獰猛な獣の飢えをひっそりと隠しながら微笑む幼馴染の顔を見て、グライスは空を仰ぎ見た。
わあ、ピカチュウってあんなリザードンフェイス出来たんだあ。俺知らなかったナー! バトルジャンキーって、きっと普段は穏やかなマイペースなんだぜ。
ともすれば自分にも当てはまりそうな特徴を脳内に挙げ、緑の体毛がよちよちせこせこ動くのをぼんやりと見つめる。ひとたびその音色を耳にするとじんわりと癒されると言う、癒しの鈴か、やすらぎの鈴が欲しくなるな。
肉体を置き去りに精神だけがしっかりとした状態で漂う。魂が肉体から解離する離別のそれとは異なり、単純に魂が身体を置き去りにする状態が続く。
今のグライスの状態は、ふわふわとした後者の感覚が断続的に、けれども日常的に訪れる状態であった。周囲はその状態をぼんやりとすると称するが、思考はわりとしっちゃかめっちゃかだけどハッキリしているし、身体が思うように動かせないこと以外には問題はないのだ。
そのぼんやり状態が問題なんだって言ってんだろーが! と緑が居たらツッコミを入れてくれそうな焦点の合わぬ瞳を見かねて、声をひそませながらヒビキは言った。
「それじゃあ、あの、ぼくそろそろ行きますね。ヒノアラシのこと、ホントあざっした!」
「ひのっひの!」
歴史のこと、職人のこと、モンスターボールのこと。力になってくれそうな話題をわざわざ選び抜き、最後まで簡潔になるように頑張って説明してくれたことが分かる。
わたわたと慌てたそぶりを見せてヒビキはそうっとポケモンセンターを後にした。お別れの挨拶をした最初から最後まで手を振り続けるヒノアラシをキャップの上にのっけて、彼は自分の冒険へと再び歩き出したのだ。
緩やかな瞳でそれを見送って、やわやわと蕩けてゆく視界で動く赤に甘えるよう瞼を落とした。―――どうやら今日は、ポケモンセンターで一泊することになりそうだと。身をゆだねるように力を抜けば、あたたかな鱗の感触がした。