朝露が葉からほどけて滑り落ち、ちょん、と水面を揺らすのをゆっくりと眺める。カントーから連れ出してもらってジョウトをめぐりはじめ、早2週間も経過した。
なにしてんだろう、とぼんやりとした意識のまま夢を揺蕩うように旅を続けた期間でもある。己のためだけの、己の夢とやらを見つけるために遠回りしたような気もするし、ある意味ではこれでよかったような気もする。
人間として生きるために、楽しく日々を送るために。まずは、人間の自分が何をしたいのかという生きるための指針を―――揺らがぬ芯を持たねばならぬと考えてのことだった。
箱庭をつくろうとしたのは、己の心を守るため。ポケモンたちと紡ぎあげる楽園は、かつて竜であった頃の名残のようなものである。つまりは、生体としての本能。である以上は、もはや趣味の領域だろう。壮大な趣味である。
本能以外での。他の目的や夢を持つ必要を感じたからこその思考の旅であったのだが、そもそもの話、グライス・エトワールの本質は”守護”にあり。
やりたいこと、使命感のようなもの、習性のようなもの。もう全部それに集約されてんだとすべてひっくるめて自分の夢を言い張ってしまえば良いと衝撃を受けたのは、件の子どもがあまりにもあきらめることに慣れた様子であったからだ。人間だからと抑制しようとした本質が、抑制の反動を押し上げバネのように飛び抜け、一周回っておかえりなすったといっても過言ではない。
かつての記憶も、今の自分も。せっかくバイバイしたはずなのに再びコンニチハする羽目になろうとは、おそらく本能を揺さぶられるまで思いもよらなかったことだろう。
戻ってきたものは仕方がない。どうしようもないことだし、そもそも変えられるようなものでもなかったのだと満面の笑顔で己の生き様を生まれて初めて肯定した。―――てなわけで、まずは、リハビリの一環としてお散歩と称した見回りをすることにする。
目星は付けてあるのだ。ポケモンセンター周辺から、すこしずつ活動範囲を拡大する。…ある程度、自由に動けるようになったらまた旅をしよう。
「今度は、自分探しの、」
「ぐ?」
爆発音が近くで発生した。聞きなれた音で、人のざわめきがなかったことからポケモンバトルで生じたものなのだろうと思う。
風が巻き起こり、前髪を乱す。瞬時のことで普段ならば飛ばされそうになるはずのシグマは勇ましく、すかさず地面に鋭利な爪を突き立て掻き上げた。―――まるで、砂の壁。レッドのピカチュウが遠隔から放たれる技を回避する際に編み出した見事な技術。
任せろ。ふんすと威張る顔が、最高にカワイイ。でもやっていることが殿堂入りチャンピオンのそれであったことには、彼らの仲を思い出してちょっと納得した。
「ぐ!」
「どうした、シグマ―――……ポケモンセンターはそっちにはないぜ、少年。」
悔し気に引き絞られた唇。爪の跡が残る手のひら。倒れ伏したポケモンへぎこちなく伸ばされる手に、すり寄ろうとするポケモンたちのすがた。……十分だろう、判断するには。
「……だからなんだ。」
「手当のやり方なら教えてやるから、ちゃんとやんな。」
「は?」
「ほら、そっち詰めて座れ。」
グライスは有無を言わさず、流れるように赤髪の少年を拘束した。
自分が人として生きるための道探し。そのための下心を含んだ動機による行動は、人によっては善なるものに見えるようだと肌で感じることは奇妙なものだと思った。
ワニノコとズバットを手持ちのポケモンに、ポケモントレーナーが利用することを許されたポケモンセンターから遠ざかるポケモントレーナー。どこかでバトルでもしてきたのか、ポケモンたちのボロボロな状態を放っておけず手当したのが数秒前のことである。
一秒でも惜しむように見開かれた瞳孔は、ポケモンたちの怪我の手当を行うグライスの両手へと注がれており、技術を手に入れることに必死だ。
盗み出されたはずのワニノコや他の子たちが少年の方へと甘えるように、慰めるように、祈るように、すり寄る姿。主犯を担ぎ上げられたズバットの様子も良好。―――それだけでも、彼の行いは褒められたものではなかったとしても、一方的に否定するような真似は出来なくなってしまう。ポケモンとトレーナーの絆は、それだけの価値を見出せるものだから。
どちらとも何も言わず、しばらく共をすることとした。チャンピオンロードへ挑戦するための旅ならば自然と監査官としての役目も果たせるし、何よりも、そろそろキキョウシティから旅立たなければ導入したばかりのGPS機能で心配させてしまうから。
「ところで、ヒワダタウンまでってどうやって行くんすか。」
「……32番道路から行ける。」
そんなことも知らずにジム巡りを? とありありと顔に描きながら少年は道路の中央にある看板を示して言った。こちらだとは声に出さずに、ちらと振り返りながら進んで行く。
つながりの洞窟、と呼ばれるそこを通り抜けずに、ほんの数日滞在して。その最中で、洞窟での過ごし方やヌオーの特性に触れると興味を示し。話題の翌々日には、少年がウパーをゲットしにかかり、水鉄砲でモンスターボールを弾かれてサンドをゲットする瞬間を目撃した。なお、サンドの入ったモンスターボールが返ってくる際に、少年の顔面へと直撃した瞬間も。
なんなんだっ!とモンスターボールの戻り方に軽く憤りながら、でも、すぐさま冷静さを取り戻す姿は一つ下の10とは考えられないトレーナーっぷりであった。―――彼の育った環境では、そう生きなくてはならなかったのだろうと考えを裏付けるようなことでもあったが。
(―――ヨシ、振り回すか。)
遊び方も、遊ぶのも、大の得意である。お兄さんにお任せあれ、ってね。
まずは洞窟の湖での遊び。石はじきでも良かったけど、とにもかくにもポケモンとのコミュニケーションを取るならイッツァワニノコタイム! 水タイプのポケモンを主体とした遊びを展開し、少しずつ暗闇を好むパーティーへと広げる遊びを彼の中へと浸透させて行くことにした。
だって、張り詰めた訓練ばかりじゃあ息が詰まってしまうだろう? ワニノコやラプラスたちに周囲を見回ってもらう。「わにゃっ」飛び出したワニノコの笑みを見やり、にこりとする。
たまには息抜きも必要だとせっつきながら更なる軽装になり、湖へ飛び込んだ。シグマに急かされるようにして軽装となった彼も、どぼんと水飛沫をあげながら。
ゆっくりと全身を浸して水中探索をはじめると、濁るばかりの彼の瞳に相応の輝きが灯る。手をとり、見つけたばかりのパールルの前まで連れて行く。
彼は興奮したように手を動かした。こぽぽと泡のベールをほどきながら二枚貝は開かれて。通常の桜色でも、稀に見かける透き通った青色でも、色味の抜け落ちた白色でもなく、燃え上がるような紅。その横に鎮座する見事な玉をうっとりとした眼で見送る。
眼前を波打つように身体を滑らせるワニノコが通り過ぎ、少年は思わず、と言った風に手を伸ばした。するりと手の内に己の一部を握らせ、水鰐は驚くべく速度で彼を振り回す。
優雅にするするヒレを動かしやってきたラプラスの甲羅に捕まりながら、全力で振り回されながらも、どこか楽しそうな表情をする彼らを見て。グライスは相棒たちとともに顔を見合わせ、その今を全力に感じる表情に、喜びを伴った叫びに、ただ笑った。―――そうだよ、オマエが今見るのはその子たちなんだ。
「シグマ、遊ぼうぜ。」
「ぐ!ぐ!」
もちろん、俺が見るのも
左側はまだちゃんとは動かなかったけれど、飛び込んでくる弟を受け止められる程度には感覚も体力も戻ってきたし、ちゃんと回復の兆しはあるのだから気長にな。