外に出たこと。外に出たことで何やらメリットがあるらしいと知ったのは、どこかのえらく賢い大学医学部の研究レポートを読み込んでからのことである。
緑の多い屋外で過ごすことには、心の健康に関わるメリットがたくさんあり、鬱のリスクを減らし、ストレスから早く回復することもその一例だそう。―――言われてみれば、サーナイトに引っ張られるがまま越してきた新天地・マサラタウン、という環境は、緑の多い屋外そのものであったなと感心する。
やっぱりひとたちはグライスのことを一番に考えて行動してくれたのだと実感が、かつては刃のようであったのに、今はただただ温かい。
大自然の中では、都会にあった人間まみれの気配にごった返してもみくちゃにされることなく、ただ大きな腕に抱かれて自分と向き合うことができた。
終焉の奴隷だった頃、自由になったこと。俺はどうだったかな、後悔しなかったよな。あっさりと自問自答で回を得ながらも、ならばどうしたいという未来の計画に対する答えには、即答できなかった。―――だけど、同じことを聞くだけでも良いかもしれない。
「じゃあ、外の世界に出て、後悔した?」
「後悔ばかりです。知らなければよかったと思うことの方が多くて、―――でも、アイツの息子である以上、オレは知らなくちゃいけない気がして。いえ、知らなきゃいけないんです。」
追い立てられるでなく、己でそう思ったのならば、とグライスは身体を反転させ隣に腰掛ける少年へと、しかと瞳を合わせ、雪原の中にそのすがたを閉じ込めながら凛とした声で叱咤した。
「納得できるまで、やり遂げなさい。」
一応見つけたことや元気であることの他には、様子を見ることだけはワタルさんへと連絡させてもらうが。もしもポケモンと歩む道を、少年が踏み外してしまった時は自分が責任を負うとも一報を入れておく。
ワタルさんの右腕なんてものを名乗らせてもらったこともあるけれどポケモンGメンにだって未所属で、実際には一般の協力者扱い。ポケモンリーグ協会からジョウト地方の監査官なんて地位も頂きましたが、実質的には休暇のおまけのようなものである。
情報を制する世界を支配するグライスにとっては自分のことを気遣ってくれた彼らの計画なんてお見通しなのだ。少年が納得できる答えを得るまでの時間稼ぎ程度にはなるだろう。
「本当なら連れて行くべきなんだろうが、今の俺のお仕事じゃないんっすよね。のんびり休暇しろって言われてるし、よければ君が、ジョウトを案内してくれないか。」
「は、え…?」
困惑しきった様子の少年に、相手の攻撃力を下げる顔でにこりとした。
「少なくとも俺はそれなりだし、見つかっても、…まァ悪いようにはならないさ。」
ジュンサーさんたちへ見つけられたとしても様子見中の、件のポケモントレーナーなのだなと理解を貰えるし、行動を共にするのは少年にとって悪い話ではない。
破格な待遇を遠回りに提示されたことを理解したのだろう。おひとよしですね……。まさしく言葉を失くしたように呆然とつぶやくように言った少年へとグライスは満点の温もりを宿した雪原をニッと笑わせて「お言葉を返すようだが、」とモンスターボールを示した。
「おまいう。」
「だっ、誰が!」
俗に言う、お前が言うな、である。ヒワダタウンを騒がせるイトマルを捕獲したのは、目の前の少年である。―――しかも、わざわざバトル&ゲットをした。
今回のコレは、ただのゲットではなく。町を騒がせるやんちゃ坊主の捕獲に、警察署から正式にポケモントレーナーへと懸賞金まで吊り上げられた危険な行為でもある。治安向上やら治安維持やらにかかわる、ある意味ではポケモントレーナーの正式なお仕事。
少年は強いポケモンをゲットするのだと言いながらも、見るからに体調の悪そうな旅行客へと悪質なイタズラを掛けるイトマルに挑発のごとき物申しながらのバトル申し込み。
ゲットした後の事件解決へ献上したことへの表彰や懸賞金の辞退するさまや、現場の後片付けを最後までやり遂げる―――と言った、彼のゲットからアフターフォローまでの現場に居合わせたが為の発言でもあった。
「たすけたわけじゃ…!」
「そう、意図したことじゃないってことがポイントなんすよ。」
「え……?」
彼にとっては意図して人を助けることこそが正義で、明確に人を助けると信念を掲げた行為こそが尊ぶべきものなのだろう。
グライスの言動を今まで受け入れてくれたのは、「困ってるみたいだったから」と簡素な理由で手を貸し、「お礼欲しさにやったわけじゃない」と何も求めず立ち去ろうとしたから、なのかもしれない。無条件の何かに飢えて、無条件の何かを己に課した彼には、物珍しいものだったのだ。
「オマエにそんなつもりがなかったとしても、初めての聞かん坊をなだめろなんてミッションで、興奮状態の虫ポケモンを前に冷静さを保てるほどベテランでもない。」
「ぐっ」
苦虫を嚙み潰したような顔に、ふ、と笑みを一つ浮かべる。挑発でも嘲笑でもなく、木漏れ日の中の穏やかさをなびかせる、そよ風の如し柔らかさを持った瞳で。
「褒めてんだよ。つまり、正真正銘、あれがオマエの本音ってことなんすから。」
「な、ぁ…っ」
オクタンの如し赤に染まった頬を見かね、開眼しがちだった瞳をゆるやかに細める。一言一句読み上げてやるつもりだったが、やめてあげよう。『追い打ち』が過ぎる。
アリゲイツの水鉄砲をウマイ具合に誘導したのはグライスであり、彼の最初の相棒であるシグマだったけれど。―――厄介な存在だと思わせることこそ当時の思惑であったのだが、息を切らせて揺れる世界に翻弄される自分を庇ってくれた赤髪は、彼が発した言葉はすべて本音だった。
ある意味では簡単にゲットできたのはグライスのおかげでもあることを、他でもない誰よりも理解のある少年は言葉を詰まらせて顔を歪める。
しかし、そこではない。彼が自分を庇ったときの発言こそが本音なのだと遠回しに伝えたつもりだが、ずいぶんと余裕がないようだ。素直じゃないなあ。
微笑ましい気持ちを抱きながら、素直になれずがんじがらめに鎖で蓋をする少年の様子を横目に見つめ、旅をともするわけではなくとも一つだけ言っておこうと。彼の歩む道がすこしでも明るく楽しいものであるように、ほんのすこし手を貸すための一歩を踏み出した。
「”強くなる”―――その理由をポケモンと一緒に探しなさい。今のままでは、君は昏く沈むための穴を覗き込み続けるだけになってしまう。」
嗚呼、だけど。強くなることの
彼との旅は、ここで終わりを告げる。遠くに見える水色が、ぺこりと頭を下げるのを見た。赤き飾り羽を揺らした漆の獣が、木々の合間をぬってオレンの実を投げ寄こしてくる。
ポケモンたちには元気でな、とさっぱりと。少年へ送るのは、人並みの言葉でしないけれど、しかしてやっぱりこの言葉しかない。諦めを抱きながらやみくもに強さを求め、相手を支配することだけを視野におさめる今の彼には周囲の声なんて届きはしないだろうけど、その茨の道を通り過ぎたときには、今よりもきっと素晴らしい世界が待っているはずだから。
「がんばれよ、君ならできる。そう信じてるからな。」
己を打ち破れと鼓舞することばを、風にのせて。あの子が旅に出る理由を作ったのは、自分たちだと恨みを買ったはずの立場にありながら一欠けらもその気配を見せなかった彼の強さを信じる。こうして生きて旅をともしたことこそが、彼の強さの証明になるはずだ。
だって、彼は、グライスと行動をともにしたことで、ぴえんトレーナーの正体を知る人になったから。少年とは異なる方へと背を向けて、グライスは相棒とともに歩き出した。
「おまえと歩くの、久しぶりだな。」
「ぐ~う」
トッコトッコとのんきな足音。のどかな草原のなびく音に揺られながら、ジムの方へとゆったり足を進める。―――ここではどんな、一体どんなバトルが待ち構えているのだろうか。
久しぶりにバトルを楽しもう。キキョウジムで出来なかったことを、ここで。歌うように吠え、踊るように翻り、願うように攻め立てる。生きるために強く、大事なものを守るために強く、それを言葉に出来るように強く。そう、ありたいと心の底から願いを込めて。高ぶる気のまま古びた門をぎしりと開き、お決まりのセリフを声にした。
「たのもう!」
「ぐあーう!」
今まさしく、この時より、己の為だけに揺るがぬ強さを求める旅とする。だって、あの子たちものことも、ポケモンたちのことも、守りたいって思うのは俺だけの消せない本心なのだから。
「
それなりに体調を気に掛けながら、ここから先はノンストップで突き進んで行くぜ。彼方の流星にも勝るとも劣らない閃光の如き修行の旅路の始まりだ。―――ありとあらゆる盤上を、ひっくり返してやる!