影の国の女王と常闇の邪竜   作:星乃 望夢

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第四話

 

 竜殺しの祝宴から数日が過ぎた。

 

 僕の身体には、劇的すぎる変化が訪れていた。

 

 魔力が、無尽蔵に溢れ出してくるのだ。

 

 比喩ではない。文字通り、泉のように滾々と湧き上がり、身体の芯から熱い奔流となって四肢を駆け巡っている。

 

 ただ呼吸をするだけで、大気中のマナを取り込む以上の効率で、体内で魔力が生成されていく感覚。それはもはや、人間という枠組みを超えた「何か」に変質してしまったかのようだった。

 

 杖や指輪の補助がなくとも、指先一つで爆炎を起こせそうなほどの出力過多。

 

 これは絶対におかしい。普通じゃない。

 

 恐怖すら覚えた僕は、書斎で寛いでいた師匠の元へ駆け込み、この異常事態について問い質した。

 

「師匠! 身体がおかしいんです! 呼吸するだけで魔力が暴走しそうで……僕、一体どうなってしまったんですか!?」

 

 慌てふためく僕に対し、スカサハ師匠は読んでいた本から視線も外さず、実にあっけらかんと答えた。

 

「ああ、そのことか。当然だろう」

 

「と、当然?」

 

「うむ。人の身で、獲れたての『竜の心臓』と『精巣』を喰らったのだ。お前の心臓自体が、竜種のそれと同等の『炉心』へと作り替えられたのだよ」

 

「は……?」

 

 思考が停止した。

 

 いま、この人は何と言った?

 

 竜の心臓。うん、それは分かる。あのステーキのメインディッシュだったし、英雄譚でもよくある話だ。

 

ジークフリートだって竜の血を浴びたし、心臓を食べた逸話を持つ英雄もいる。

 

 僕の心臓が魔力を生み出すエンジン──『竜の炉心』になったというのなら、この無限の魔力も納得がいく。

 

 だが、その次だ。

 

 心臓と、何を食べたと言った?

 

「せ、せ……?」

 

「精巣だ」

 

 師匠は本を閉じ、涼しい顔で繰り返した。

 

「あの白くてプルプルとした部位だ。滋養強壮、精力増強には竜のそれが一番でな。特にあの個体は活きが良かった。生のままスライスして出した甲斐があったというものだ」

 

 頭を鈍器で殴られたような衝撃と共に、世界が回転した。

 

 あの、妙に濃厚でクリーミーだった、白子のような食感のアレか。

 

 「希少部位だ、残さず食え」と言われて、ありがたがって食べたアレが。

 

 まさか、竜の……タマ……!?

 

 精巣と聞いた瞬間に強烈な目眩がしたのは、決して僕が貧弱なせいではない。なんかこう、なんか、もう、ね?

 

生物学的には同じ雄として、ね? あるよね?

 

「な、な、な……っ!?」

 

「ほう、顔が青いぞ。魔力酔いか? それとも精がつきすぎてのぼせたか?」

 

「違いますよ!! なんてもの食べさせたんですか師匠!!」

 

 僕の絶叫が、石造りの城に虚しく響き渡る。

 

 九歳の子供に、あろうことか竜の金玉を食べさせるなんて! 教育的配慮とか、食材としての倫理観とか、そういうのはどうなっているんだこの影の国の女王は!

 

「何を怒ることがある。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないぞ」

 

 スカサハは心外だとばかりに肩をすくめた。

 

「本来、人の器では竜の因子になど耐えきれず、内側から崩壊して終わりだ。だがお前は生き延び、適合した。それはお前の魔術回路の質が良かったこともあるが、何よりあの食材の力が大きい。心臓で魔力を生み、精巣で生命力を底上げする。完璧な栄養管理だ」

 

 彼女はニヤリと笑い、僕の下腹部あたりに視線を流した。

 

「それに、男として生まれたからには、強さの象徴を取り込むのは本能的な喜びだろう?安心しろ。副作用で鱗が生えることはあっても、性格まで爬虫類になることはない……たぶんな」

 

「たぶんって言いました!? 今たぶんって言った!!」

 

 ああ、溢れ出る魔力が恨めしい。

 

 この無尽蔵のスタミナのおかげで、気絶して現実逃避することすら許されないなんて。

 

 僕は涙目で、ニヤニヤと楽しそうな師匠を睨みつけることしかできなかった。

 

「どうりで……! あれから毎日、身体が火照ってどうしようもないと思いましたよ!!」

 

 僕は顔を真っ赤にして叫んだ。怒りではない。羞恥と、やり場のない情動が限界を超えていたからだ。

 

 この城の中──いや、この影の国において、領域の支配者である彼女の監視(千里眼)から逃れられる場所など存在しない。

 

バレると分かっていて、浅ましい自己処理などできるはずもない。

 

僕は毎晩、ベッドの上でのたうち回りながら、必死に理性で本能を抑え込んできたのだ。

 

それなのに、その元凶が、涼しい顔で「精がつく」などと宣ったのだから。

 

「責任、取ってくださいよ師匠!!」

 

それは、半ば八つ当たりに近い叫びだった。

 

だが、その言葉が引き金となった。

 

フワリ、と身体が宙に舞う。

 

受け身を取る暇もなかった。僕はスカサハ師匠にひょいっと抱えられると、そのままぬいぐるみを扱うような手つきで、背後の天蓋付きベッドへと放り投げられたのだ。

 

ボフンッ、と柔らかな羽根布団が沈み込む。

 

何が起きたのか理解するよりも早く、視界が紫の闇に覆われた。

 

僕の上で四つん這いになった師匠が、逃げ場を塞ぐように覆いかぶさっていた。

 

長い髪がカーテンのように垂れ下がり、僕の顔をくすぐる。

 

至近距離にあるその顔は、この世の者とは思えぬほど美しく、そして背徳的なまでに淫猥に見えた。

 

彼女は赤い舌で、艶めかしく唇を舐める。

 

「──責任を取れ、と言ったな? 織姫」

 

その声は、甘く、鼓膜を溶かすような響きを帯びていた。

 

心臓──いや、竜の炉心が、早鐘を打つどころか爆発しそうなほど激しく脈打つ。

 

不意打ちだった。

 

まさか、あの孤高の女王が、本当に弟子の戯言に付き合うとは思わなかった。

 

逃げようと思えば、縮地で逃げられたかもしれない。けれど、僕の身体は金縛りにあったように動かない。いや、動きたくなかったのだ。

 

(ああ、そうだ……)

 

僕は思い出す。

 

あの日、暗闇の荒野で彼女を見上げた瞬間から。

 

恐怖よりも先に心を奪われた、あの一目惚れの瞬間から。

 

僕は一日たりとも、彼女のことを忘れたことなどなかった。

 

竜の因子がもたらす獣の衝動。

 

そんなものが後押ししなくたって、僕の想いはとっくに限界だったのだ。

 

彼女の赤い瞳が、僕を射抜く。

 

試しているのか、誘っているのか。

 

そんなことはもう、どうでもいい。

 

僕は震える手を伸ばし、彼女の頬に触れた。

 

冷たい肌の感触。

 

吸い寄せられるように、僕は自分から身体を起こし──師匠の唇に、口づけをした。

 

 

◇◇◇

 

 

竜の心臓を宿した人間の体力は、限界という概念を知らなかった。

 

気づけば、三日三晩が経過していた。

 

食事も摂らず、眠りもせず。ただひたすらに互いの体温を求め合い、貪り合うだけの濃密な時間。

 

無限に湧き上がる魔力は、そのまま無尽蔵の精力へと変換され、僕の身体を突き動かし続けた。

 

そしてついに、その瞬間は訪れた。

 

音を上げたのは──僕ではなく、影の国の女王、スカサハだった。

 

「はっ、ぁ……、ま、待て……! 織姫……っ!」

 

不老不死にして最強の戦士。神殺しの槍を振るう彼女が、乱れた髪を汗で張り付かせ、荒い呼吸を繰り返しながらシーツに沈んでいる。

 

その赤い瞳は潤み、焦点が定まらないほどにトロトロに溶かされていた。

 

「これ以上は……身が、持たん……。お前は、底なしか……」

 

彼女の口から零れたのは、まさかの降伏宣言。

 

だが、僕の中の「竜」は、それで満足することを許さなかった。

 

炉心はドクンドクンと熱く脈打ち、全身に猛るような熱を送り続けている。

 

「……まだ、足りませんよ」

 

僕は師匠の言葉を遮り、汗ばんだその豊満な胸に顔を埋めた。

 

耳元で聞こえる彼女の早鐘のような心音。それすらも、僕の昂ぶりを加速させるスパイスにしかならない。

 

「というか、まだ全然猛りが収まりません。……竜の因子、甘く見すぎですよ」

 

僕は顔を上げ、かつては遠い憧れの存在だったその唇を、獲物を味わうように甘噛みした。

 

「責任、取ってくれるんですよね? 師匠」

 

彼女が放った言葉を、そのまま返す。

 

もはや師弟の立場は逆転していた。

 

捕食者は、この僕だ。

 

「──っ、んぁ……!」

 

彼女の喉から、甘い悲鳴が漏れる。

 

僕は逃がさないと言わんばかりに、その白くしなやかな身体に再び身を寄せ、愛しき師を、あるいは最愛の女性を、骨の髄まで味わい尽くすべく貪り続けた。

 

影の国の夜は、まだ明けない。

 

 

◇◇◇

 

 

師匠との濃厚な夜を越えてから、日常は戻った──わけではなかった。

 

師匠の武芸修行は、以前よりも三倍ほど厳しく、そして苛烈を極めるものとなっていたのだ。

 

模擬戦の最中、師匠の放った魔力弾が直撃し、僕は吹き飛ばされて岩盤に叩きつけられた。

 

「……ッ、痛ったぁ……」

 

土煙の中から、僕は身体をさすりながら立ち上がる。

 

竜の心臓を宿した僕の肉体は、変質していた。ただ突っ立っているだけでも並大抵の魔術を弾き返し、物理的な衝撃に対しても鋼鉄以上の堅牢さを誇るようになっていた。

 

だからこそ、死なない。

 

死なないからこそ、師匠は手加減という概念をドブに捨てたらしい。

 

「遅いぞ、織姫。竜のタフネスにかまけて動きが鈍っている。それではただの頑丈なサンドバッグだ」

 

涼しい顔で次なるルーンを空中に刻む師匠。その赤い瞳は、獲物を追い詰める捕食者のように輝いている。

 

彼女は「お前の基礎スペックが上がったのだから、訓練の難易度を上げるのは当然の理だろう?」と言い放ったが……。

 

「絶対、あの時の仕返しも込めてますよね、師匠!?」

 

僕が叫ぶと、彼女はふいっと視線を逸らし、口元だけで妖艶に笑った。

 

「何の事だ? 私は弟子の成長に合わせて、適切な負荷を与えているに過ぎんよ。……まあ、少々腰に来たのは事実だがな」

 

認めた! やっぱり根に持ってる!

 

あの最強の女王に「音を上げさせた」という事実は、僕の勲章であると同時に、彼女の戦士としてのプライドを(別の意味で)刺激してしまったらしい。

 

雨あられと降り注ぐ朱槍の弾幕を、僕は杖と指輪のフル稼働で回避し、迎撃する。

 

逃げるだけじゃない。攻めなければ、この理不尽な修行は終わらない。

 

「上等ですよ……! なら、こっちにも考えがあります!」

 

僕は飛来する槍を紙一重でかわし、魔力放出の加速で一気に距離を詰める。

 

「また三日三晩、相手してもらいますよ! 逃がしませんからね!」

 

「ほう? 口先だけは達者になったな。やれるものならやってみるが良い!」

 

「言いましたね? ちゃんと覚えておいてくださいよ、師匠!?」

 

僕は杖を振り上げ、師匠の眼前へと肉薄する。

 

狙うは、その涼しい顔に一撃を入れることだ。

 

「僕が一本取ったら、また今夜から……今度は『七日七晩』付き合ってもらいますからね!!」

 

僕の宣言に、スカサハ師匠は驚くどころか、獰猛な笑みを深くした。

 

それは、強敵を前にした戦士の顔であり、同時に雄を挑発する雌の顔でもあった。

 

「ハッ……! 大きく出たな、小僧! 良いだろう、その蛮勇に免じて受けて立つ。――できるものなら、やってみせろ!!」

 

轟音と共に、赤と青の魔力が衝突する。

 

影の国の荒野にて、色気と殺気が入り混じった、壮絶な夫婦喧嘩(修行)の幕が切って落とされた。

 

 

◇◇◇

 

「ソニック・アクセラレーション!!」

 

荒野に、少年の裂帛の気合いが轟いた。

 

 宙を舞う織姫が、指先から『束縛』のルーンを投射する。

 

見えない鎖が対象の動きを一瞬だけ固定し、その瞬間に自身の周囲へ『斥力』の魔力を爆発的に放射した。

 

反作用による超加速。

 

音速の壁すら置き去りにする踏み込みで、彼は瞬きの間に竜の懐──ゼロ距離へと肉薄する。

 

そして、解放。

 

接触点から叩き込まれた膨大な魔力は、竜の強靭な鱗も肉も関係なく、その存在を内側から崩壊させた。

 

断末魔を上げる暇すらない。巨体は瞬く間に塵となって風に消えた。

 

その光景を、スカサハは丘の上から静かに見下ろしていた。

 

彼女の美しい眉間に、僅かな皺が刻まれる。

 

(……異常だ)

 

確かに、以前彼に食わせたのは竜の心臓と精巣だ。人の身に余る生命力と魔力を与える劇薬ではある。

 

だが、今の織姫はどうだ。

 

もはや「竜の力を得た人間」という枠を飛び越えている。

 

あの魔力回路の駆動音、肉体の強度、そして魔術への適応速度。

 

あれではまるで、完璧な神代の竜種そのもの──『人造魔竜』とでも呼ぶべき存在ではないか。

 

いくらこの影の国が神代の神秘を色濃く残し、幻想種が跳梁跋扈する魔境であり、修行環境が過酷だとしても、流石におかしい。

 

そう判断した彼女は、その夜、織姫を寝台に呼びつけ、その身体と魂を徹底的に調べることにした。

 

「……なるほどな。ようやく合点がいったぞ」

 

スカサハは、診察を終えて身を起こした。

 

彼女は寝台に横たわる織姫を見下ろし、呆れと感嘆が入り混じった溜息を吐く。

 

「師匠? 僕の身体、やっぱりどこか悪いんですか?」

 

「いや、健常だ。健常すぎて呆れるほどにな。……織姫。お前のデタラメな魔術特性、人の身で空を飛ぶ理屈、そして今まさに『人造竜』として身を成しつつある理由が分かった」

 

彼女は織姫の胸──心臓のある位置に、冷たい人差し指を突き立てた。

 

「お前の『起源』だ」

 

「起源?」

 

「ああ。全ての存在が根源から発生する際に定められた、魂の方向性。絶対命令のようなものだ。お前の起源は──『創造』だ」

 

「創造……」

 

 スカサハはその言葉を噛み締めるように告げる。

 

「材料さえ渡してしまえば、その通りのカタチにしてしまう。ルーンという『知識』を与えれば、即座に魔術師としての自身を創造し。飛行という『概念』を与えれば、翼なき身で空を飛ぶ理屈を創造し。竜という『血肉』を与えれば……お前は己の肉体を作り変え、竜そのものへと再創造してしまったのだ」

 

彼女は楽しげに、しかし底知れぬ深淵を覗くように目を細めた。

 

「空っぽの器に、何を注ぐかで中身が決まるのではない。注がれたものを触媒に、器そのものが変質する。とんだ化け物を拾ったものだ。……あるいは、最強の傑作になり得る原石か」

 

僕の起源が『創造』だというのならば、それは言い返せば『なんでもできる』という事の裏返しでもあった。

 

 

 

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