キヴォトスという土地は普通の場所ではない。
広さと言う意味でも、神秘と言う意味でも真っ当な場所ではない。
そうこの世界の異物である私は思う。
私は昔、俺だった気がする。
若しくは僕、いやそのまま私だったかもしれない。
その記憶が朧げな程の時間が過ぎた、訳ではない。ただ自分に関する過去の記憶だけが曖昧なのだ。
だがそれ以外の事は憶えている。
少なくとも、この世界がゲームの世界だったという事だけは。
ミレニアムサイエンススクール一年生。
ゲームであれば名前のないモブ。
全てを省略して簡潔に自己紹介をするなら自分はこの世界がゲームだという事を知っている。
正確には、ゲームを通してこの世界の事を知っている元ただの人間。
現在は頑強な肉体と若々しさを持つ、頭の上に何の特徴も無い光る輪っかが存在する表向き生徒の一人。
「……」
鏡の前に立つ自分の顔を見る。
今日も相変わらず美しい。
ナルシストな訳ではない、この容姿は私のものに変わりはないのだが、実感を覚えないので客観的感想が出ただけである。
美しいのはこの容姿だけではない、通学路を歩けば美しい青空と街並みが見える。
前の自分では到底見られなかった透き通る景色だ。
硝煙の臭いさえ感動を覚える。
「キャー!」
やはり覚えないかもしれない。
この学園に入学してから、誰か特定の友達が出来たことも部活に入ってもいない。
強いて言うなら帰宅部と言える存在だろう。
まあそんなことは些細な話だ、私にとってこのブルーアーカイブの世界に直に存在してることは天国よりも極楽に感じる。
「でねー、ペロロ様が可愛くて」
「そうなのー?」
モブキャラでさえ可愛らしい。
だがオタクの自分にそんな子達と真正面から話が出来るほどコミュニケーションはない、オタクだからと言うのは偏見か。
単に私が喋るのが下手というだけのこと。
言い訳の様に聞こえるが、私にはこの景色を見るだけで白飯単品五杯は行ける。
「コソコソ、コソコソコソ……」
「?」
いつもの光景を目に焼き付けていると、目の端に何かが動くのが見えた。
赤い髪色の小柄な生徒が、隠れるように移動している。
見覚えのある容姿だ
「うわ! 待ちなさーい!!」
「うわーん! 許してよー!?」
怒鳴り声と共に現れた大人によって少女が引き摺られて連れて行かれる。
気になったので声の方向へ行く。
「全く! せっかくの商品に落書きをしよってからに!」
「落書きじゃないよ! 芸術だよ!」
「何が芸術だ! 勝手に描くなって言ってるんだ!」
そこには怒り心頭と言った様子の大人と、俯いて涙目の赤髪のミレニアム生徒がいた。
「どうかしましたか」
「え、ああ。落書きだよ」
住人が壁に描かれている絵を見て頭を抱えている。
建物には落書き、グラフィティが描かれており、そこにはヴェリタスと文字が色鮮やかに描かれていた。
そして叱られていた赤髪の女の子は小塗マキ。
ハッカー集団ヴェリタスの部員の一人、マキちゃん。
彼女の部の名前であるヴェリタスと色鮮やかに描いてるのでこの絵の作者は彼女で間違いない。
「売却予定だって言うのに、これじゃあ商品価値が下がってしまうよ。どうしてくれるんだい!?」
「うぅ……」
涙目のマキちゃんもかわいい、じゃない。
このままでは恐らく絆ストーリーのようにマキちゃんは警察を呼ばれるだろう。
その時は先生のお陰で助かるが。
「こうなったら警察に連絡するしかないね」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
先生はまだキヴォトスに来ていない。
正確には姿を見ていない、が正しいか。
仕方がない。
「ここ、売るんですか?」
「うん、元の会社が売れて別の会社に引っ越すらしくてね。それがまた大きな会社で、社員ごと引っ越したんだ。こっちの小さい会社はまだ全然使えるけど、もう必要ないからって社長が売り払うことになったんだけど……まさかその直後に落書きされるとは」
「うぅ……」
「いくらですか?」
「うん?」
建物の入口には売却する旨の看板が立てかけられ居た。
「買い取ります。勿論値下げ無しで結構、このままで」
「え、ちょ、ちょっと!?」
このままだとマキちゃんが警察に補導されてしまう。
まあ立派な器物損害の罪なのでそれは当然だが、このまま見過ごすなんてできない。
それに建物に描かれているグラフィティはマキちゃんの手で描かれたもの、マキちゃん推しであれば涎を垂らして欲しがるサイン色紙相当の貴重なものだ。
欲しい。
絶対に欲しい! 何が何でも欲しい! 写真に収めるだけでは我慢できない。
「既に買い取られているんですか?」
「い、いやまだ誰も買ってはいないけど、お嬢ちゃん本気かい?」
「価格は?」
「え! えーっと……」
慌てて大人、いや芸術品の売り手は手元にある書類を見る。
「中古の建物で荷物も無い、水道電気コンロとか諸々の生活用品はもうあるから……これくらい」
「高っか!? こんなのあたしのお小遣いでも買えない……」
「買います」
「ええ!?」
「お嬢ちゃん本気!?」
「どうぞ」
「しかも現ナマ! じゃ、じゃあ此処にサインを……」
その場で売り手と諸々の手続きをし、お金を渡すと会社の鍵を受け取る。
「ま、マジか……何が良かったんだ。まあ高く売れたから社長も文句言わないだろうし……良いか!」
きっとこの世界に住む人の多くは分からない。
私という存在だからこそ価値を見出せる、建物ではなく描かれたグラフィティ。
最高だ。
しかし、何も考えず小さいとはいえビル一つ買ってしまった。
自宅として利用するにしても自分には寮がある、ビルではなく壁だけ買い取れば良かっただろうか。
「ね、ねえ……だいじょうぶだったの? あんな大金簡単に渡しちゃって」
「はい、だいじょぶですよ。でもこれから壁にグラフィティを描く時は許可を取ってくださいね」
「うぅ……で、でもあの壁が自分にも彩りが欲しいって語りかけてきたんだよ! それであたしの芸術魂が勝手に……」
大変理由になっていないが。
このまま放っておけばまたマキちゃんはグラフィティを描いて今度こそ通報されるだろう。
どうして説得すれば良いか。
「大きなキャンバスを用意してそこに絵を描けばいいのでは? 複数組み合わせれば、壁のように出来るでしょう?」
「複数のキャンバスを? でも……うーん」
やはり先生のようには上手く行かず、マキちゃんは悩んでいる。
「もしもその芸術魂が抑えられないと言うのなら、この建物を使ってください」
「え? さっき買い取ったのを? 使って良いの!?」
「はい、この建物はあなたの言う通り無地のキャンバスです。寂しくないように、描いてあげてください」
「ありがとう!」
弾けるような笑みで喜んでくれるマキちゃん。
私としても彼女が喜んでくれるのは嬉しい、そしてこれからこの建物はマキちゃんの芸術店となる。
その店に私は無料で、好きなだけ入ることが出来るのだ。
お釣りが来るレベルだ。
「ただし他の所で描くのは控えてくださいね。どうしても描きたいときは許可を取ってください」
「うんありがとう! そうだ! あなたも一緒にグラフィティを描かない? 私一人じゃ描き切れないよ!」
「いいですよ、お付き合いします……絵に自信はありませんが」
「いいんだよ! 思う通りに描けばね!」
原作キャラと話せたことに内心感動を覚えながら、グラフィティに視線を向ける。
「それじゃああたしは行くね。そうだ、名前聞いてなかった。私は小塗マキ! よろしくね!」
知ってます。
とは空気を読んで口に出さず、マキちゃんと笑顔で自己紹介して握手する。
……ん? ということは私は次またマキちゃんと話すことが確定している? というか私、なんで堂々とマキちゃんと喋ってるの!? 不味い、原作キャラと会話するなんて私には無理だ。
「それじゃああたし行くね! 助けてくれてありがとー!」
「あ……」
そう言って楽しそうに去って行ったマキちゃん。
止める間もなく行ってしまった彼女を追いかける度胸もなく、追いつけたとしてやっぱりなしと言う事も出来ないが。
ただでさえ美少女の居る世界に同居している罪深さを日々感じているのに、会話するなんて100憶万年早いだろう私よ! だが可愛いマキちゃんを間近で見られる機会を逃すのか私よ? そんな矛盾を抱えながら私は天を仰ぐ。
私はキヴォトスで再び生まれた、元ブルアカユーザーのオタクだ。