その子はちょっと変わった子、と言う訳でもなかった。
話の輪の中に入るでもなく、誰かと喋っているところも見たことが無いと言われたらそう思い出すくらい印象が薄い生徒。
視界の中に入る訳でもなく、マキ自身も喋った記憶はない。
いわば、登場人物達の話の中の脇役。
舞台を盛り上げる訳でもなく、日常の中に必ずいるモブ。
そういう言い方は良くないが、ハッキリ言えばそんなレベルの印象だった。
名前だって聞いたのはあの建物の前が初めてだった気もする。
「ねえねえ! そっちのスプレー取ってくれない? あたしの髪と同じ色の赤!」
「これですか?」
「ありがと! ふふん! 今回のも良い感じだね!」
出来上がったグラフィティの数は、もう壁一面の隅まで届き。
ついには建物の中にまで描くようになっていた。
出来上がった芸術を見渡しながら、マキはふと思う。
「ねえ、どうしてあの時あたしを助けてくれたの? あなたには関係なかったのに」
マキも勝手に人の家の壁や地面にスプレーで彩るのは悪い事だと理解している。
それでも辞められないのが自分の性と言えるが、それでも彼女が自分を数百万もの金額を棄てるように使ってまでこの建物を買い取ったのは何故か分からない。
「警察に連れていかれたかったんですか?」
「そういう訳じゃないけど……それにあんなにお金使っても大丈夫なの?」
マキを助ける為と言っても、それまで彼女とマキの間には何一つ縁もゆかりも存在しなかった。
他人のマキの為にそこまでしてくれた彼女の行動に困惑を覚えていた。
「あなたの描いたグラフィティが欲しかったんです。その為ならあの程度大した額ではありません」
「え、ほんと~! 嬉しいなぁ、そんなこと言ってくれたの初めてだよ! だってあたし、グラフィティを描く度に怒られて叱られてばっかりだったし」
「まあそうでしょうね」
自分の作った物を怒られるのは日常で、消されるのもまた日常だった。
だからお金を出してまで欲しいと言ってくれた彼女の言葉とても嬉しくて新鮮だった。
此処で絵を描く時だけ、マキはとても高揚する。
部室以外の居場所を見つけたようなそんな感覚、上手く言葉では表現できないドキドキをマキは感じていた。
「本当にありがとね!」
「私こそありがとうございます、マキちゃん……あ、すみません」
「いいよ! マキちゃんで!」
薄く笑みを浮かべる彼女にマキも笑みを返す。
だがそうしているとマキは高揚感以外の熱を感じた。
「……そ、そうだ! あのお金は本当にだいじょうぶ? お金持ちとかなの?」
気恥ずかしさに顔が熱くなっていったのを感じてあわてて別の話題を振るが、咄嗟に出たにしてはマキもそういえば気になっていたなと思い出す。
服装はマキと同じミレニアムの制服だが髪型は女性らしい、しかしアクセサリーなどの装飾品はなく、飾りっ気はあまりない。
格好からはお金持ちと言う印象は感じなかった。
「仕事をしているのでお金には余裕があります」
「へー? どんなお仕事?」
「飲食店やアパレルなどを」
「副業してるんだ……すごいね」
今更の話だが彼女にはかなりの大金を消費させてしまっている。
端金と言うがマキから見てもその額は笑えないほどに高い。
セミナーの冷酷な算術使いが見れば目玉が飛び出るほど驚く姿を容易に想像できる。
助けてくれた上にグラフィティの場所まで提供してくれたマキにとって、彼女は友達であり恩人だ。
そんな相手にお金で大きな貸しを作っているのは気が引ける。
「お、お金はいつか返すね」
「必要ないですよ」
「でも……友達に助けられっぱなしなのはなんか……悪いし」
いくらマキでも罪悪感が募る。
大金だが、部長や彼女のやっているように仕事をすれば稼げるだろうか。
「友達? 私と……マキちゃんが?」
「え? うん、そうじゃないの?」
何やら驚いた顔をして固まる彼女。
まさか友達だと思われていなかったのかと、マキは少し不安になる。
今まで一緒に絵を描いて友達と思われていなかったのか。
「いえ、そうですね……じゃあ、やっぱり金は要りません。友達にお金の話は止めた方がいいでしょう?」
「あ! う、うーん、でも……」
その理論を持ち出されるとマキも反論しづらくなってしまった。
友達にお金の貸し借りの話をするのは確かに厳禁かもしれない。
しかし引き下がらないマキを見て何を思ったのか、彼女は思案するような姿勢を取る。
「なら、もっと描いてくれませんか? このビルを埋め尽くすくらい、あなたの作品を」
「……それでいいの?」
「先程も言いましたが、このビルはあなたのグラフィティが欲しいから買いました。なのにあなたにまだ描いてもらえている、私はもう既に払った額以上の価値を得ているんです」
彼女はマキの顔に付いたペイントを拭き取って笑う。
「私が払ったお金以上の、あなたの芸術を見せてください」
「────ふふっ! いいよ! わかった! あたしがこのビルに最高のグラフィティを描いてあげる! あなたの為に!」
今までマキは、自分が描きたいと思ったから描いていた。
しかし、今は彼女の為に描いてあげたいと思っている。
友達にここまで言われたのだから決して手は抜けない。
彼女のためだけの、最高のグラフィティを作ろう。
そうしてマキは日が暮れるまでビルを彩り続けた。
後日、ヴェリタスの部室。
「で……こうなっちゃったわけ?」
「うん……」
副部長、現部長のチヒロがスマホに映っているものを見て震える。
それはマキが彼女の為、彼女の為だけを思って作り上げたアート。
マキの髪色と同じ赤色を全面に使用した最高傑作。
のつもりで意気揚々と作って失敗した、全てが赤く染まったビル。
「うぅ! 完成した時は最高だと思ったの!」
「次の日改めて見たら全部真っ赤っ赤なだけと気付いたと? ……ふっ!」
「わ、笑わないでよー!」
「くくくっ! ごめん、でも……っ!」
SNSでも呟かれているビルへの書き込み。
あまりにも眼が痛い程に赤だけで彩られたビルはバズり、ネットではちょっとしたお祭り騒ぎになっている。
作者であるマキにとっては自分のグラフィティが多くの人の目に映り、話題をかっさらう事は嬉しいが、明らかな失敗作は恥でしかない。
一生消せないデジタルタトゥー。
更に言えば彼女の為と思って作った、今思い返せばかなり重たい作品。
それがキヴォトス中に現在進行形で拡散されている事実にマキは堪えられなかった。
「おねがーい! 副部長の力でこの画像全部消してー!」
「無茶言わないで、そんなこと出来る訳ないし。友達の為に作ったんじゃないの?」
「そうだけど! そうだけどもー!」
反論すべき言葉が見つからない。
最高傑作どころかグラフィティとすら言えない羞恥の塊を世間に見られ、マキは顔をビルにも負けないほどに真っ赤にしていた。
熱で火さえ点きそう。
今のところ誰が描いたものかはバレていないが、マキはこれがキヴォトスの全ての住人に見られる前にハッキングで全ての画像を削除してもらおうと思っていた。
「私、あの子に褒められて嬉しくて! だからみんなが羨ましく思うくらいすっごい物を作ってあげようとしたんだよ! 初めて誰かの為に描きたいと思ったのに……!」
そう、全ては彼女に喜んでもらう為。
自分のグラフィティを心から肯定してくれた彼女に恥ずかしくないものを作ってあげたかった。
最初は軽い気持ちで始まった物だったかもしれないが、それでも何の戸惑いもなく受け入れてくれたのは初めてだったのだ。
だが思い通りの結果にはならず、マキの目に涙が溜まる。
「これじゃあ、あの子にも……」
きっと彼女も失望しているのではと思ったら、怖くなってしまった。
もしかすると友達でなくなってしまうのではとまでマキは考えてしまい動けなくなる。
「マキ、心配しなくても良いと思いますよ」
「コタマせんぱい……」
「ほら」
コタマからスマホを見せられ、そこに映っていたのはSNSでバズっている様子の赤いビル。
しかし唯一違う点は投稿されたコメント。
【YamaNeko】
『友達が私のために描いてくれた最高のグラフィティ』
SNSはハンドルネーム、当然本名ではないので誰かは分からない。
だがマキがこのグラフィティを彼女の為に描いたと知っているのは、マキと彼女の二人だけ。
話を聞いていたコタマは微笑んで言う。
「マキの気持ちはちゃんと届いていますよ」
「ううぅ、うわあああん!! よかったぁあああ!!」
友達が喜んでいてくれたことに安心して、マキは泣きながら喜んだ。
「それにしても、マキのグラフィティの為にビル一つ買い取るなんて……相当な大富豪だね、トリニティの生徒?」
「いえ、ミレニアムの生徒みたいですよ。同じ一年生………………あ」
「どうかしたコタマ先輩? 知り合い?」
「い、いえその……」
「私も見たことがあるような気がするんだけど……外で見たような? うーん?」