富士の樹海。ツガやヒノキの根が地面から隆起し、複雑に入り組んでいる。昨日まで雨が降っていたからか、抜かるんだ泥地が黒く光る革靴を容赦なく汚していく。
「それにしても…広いっすねぇ」
先頭を行っていた白髪の若い男が沈黙を破って語る。目が薄く閉じられていて、まるで目を閉じているようにしか見えないが…しっかりと見えているらしい。その証拠に、足元にある根や隆起した地面を容易く避けながら、くるりくるりと回っている。名は田沼健、今回三人の分隊を率いる隊長だ。
「隊長…仕事中ですよ」
それを戒める多義原江見先輩、やれやれと言った風に頭を左右に何回か振りながら、黒スーツについた誇りを手で何度かはたいている。
「…いつもこうなんですか?」
思わず口に出してしまう。私は講習を受けただけの新人で、入庁五日目も過ぎていない。それなのにもう実戦投入で、緊張で頭が痛くて仕方がないのに…先輩方は一切の緊張が見られない。
「そうね、そこに居る頭おかしいやつは今年で"八年目"なのよ」
「えぇ!?八年目ですか!?」
私が入庁した林野庁鎮守部は祓魔師の世界でも曰く付きの場所だ。殉職率20%という異常なほどの値、人の移動が物理的に激しい部署。代わりに給与面や死亡年金といった金銭面での魅力が大きい。自分もその魅力に引かれたが、入庁したあとに知った。
「三つの峠を越えたのはすごいです!」
入庁してから三つの峠がある。初陣、二年目、四年目のこの三つが統計的にも、感覚的にも最も死亡率が高い。そして、その峠の一つを今まさに上っている。
「どうだってことないっすよ、ただ生き残りゃ良いんすよ。そうすりゃ、"生存序列"で収入も上がって、年金額も上がる。みんな、ハッピーハッピーっすよぉ~」
「…はぁ、真に受けないでくださいね…」
「は、はぁ…」
そのまま、自殺の名所を突き進んでいく。何重にも重なった枝の傘が陽光を遮り、そこから漏れでた光が柱のように立っている。
「んじゃ、おさらいしよっか」
「今回は律殕度0.4の案件だ。まぁ~どうせ、自殺が出たのに誰も気づかずに放置したせいで界異になっちゃったんじゃないっすかねぇ」
「あっそっかぁ、キミ環境庁からの出向だから律殕度わかんないっすよね。多義原、キミのでば~ん」
大袈裟に多義原先輩を指差し、ガハハと笑っている。八年目ともなると…これ程タガが外れるのかと恐ろしくなる。
「はぁ…講習でやったと思いますけどおさらいしますか。律殕度は林野庁鎮守部が採用している界異の等級です。律殕度1.0が所謂五号級に該当し、そこから数字が減っていくごとに0.9なら四号級、0.8なら三号級、0.6なら二号級、0.4なら一号級って感じです…わざわざ別のを使うの非効率的だけど上層部は意地でも使うって明言してしまっています。水産庁も別の等級があるみたいですよ」
「せいかい~、今回は0.4だからあんまり緊張しなくて良いよ。ペーペーなら死ぬけど、キミ対策課から来てるじゃないっすか」
「は、はい。対策課では祓穢係に所属していました」
「ん…ならなんとかなっか」
雑談を続けながら、行方不明情報のあった地点に向かっていく。幸い、樹海内ということであり、管轄は林野庁である。
「予想されるのは『てけてけ』じゃないっすかね」
「あれは線路付近だけじゃないんですか?」
「違うよ、新人君。森の中じゃ、何が出てもおかしくない。バラバラという概念だけで似たのが生まれちまう。ここはあの世と近いっすから」
わかりましたと返答して、赤不浄とイツナBをチェックする。今日初めて持たせられた赤い鞘が特徴的な制式刀、良く知っている黒不浄とは全く原理が異なる。穢れを物質化した黒不浄に対して、界異の忌み小屋を物資化して製造している。故に、使用者が血を流せば流すほど強くなっていく効果を持つ。
妖刀みたいで恐ろしいが、使うしかない。
「ジャムったら、すぐにAに切り替えてくださいね」
鎮守部の職員は二丁の拳銃を手渡される。イツナAとイツナBで、Aは対界専用、Bは対人も兼ねられる弾薬を使えるというもの。
「わかりました…あ、境界が開いてきました!」
「来たっすか」
赤不浄を勢い良く抜刀し、もう片方の手にイツナAを握る。
「援護しま…」
現れたのは『てけてけ』ではなかった。
何重にも尖った牙が生えている大きな口の周りに無数の巨大な手や足がくっついていて、常に開いてる汗腺から赤い液体がこぼれ落ちている。ずしりと空間を握りながら、地面に振れずにそれ…こちらに近づいてくる。
「隊長、これ等級違いじゃないですか!?」
「そうっすね…これは…」
「九相図じゃないですか!」
あれは…広島にある寺にも現れた四号級の界異。環境対策課でも殉職する人が出た化物。
「今は血塗相の段階みたいです。これを放置したら、律殕度1.0越えますよ!?」
「不味いっすね…援護してださい!切り込むっす」
田沼先輩が樹海の木々の枝を走るように次から次へと跳んでいく。陽光に照らされ、赤不浄の刀身がキラリギラリと輝いている。
そして、それが振るわれる。九相図の手足の一つを斜めから切り落とすように。
界異の鮮血が吹き出し、林野庁鎮守部の制服である黒スーツを真っ赤に染める。ポトリと手足が地面に落ち、鈍い音を立てながら泥地に沈み込む。
「大吉をなめないでください!」
多義原先輩が放つ弾丸の一つ一つが青白く光輝いて、空間にヒビをつけている部位を狙い打っていく。着弾すれば、火が絶叫をあげながら食らい尽くす。
「これが鬼火!」
木の後ろに隠れながら、特に効いてなさそうなのに界異を撃ち込んでいるだけの私なんかに比べて先輩方は本当に強い。
任務前の御神籤で大吉を引き当て、一日限定で鬼火が使える多義原先輩。中吉で走れる速度が二倍になった田沼隊長。小吉で何も得られなかった私。
「ぐktいqk(f)gdくぃxじね」
界異の悲鳴と共に、垂れてくる赤い液体がどんどん溢れてくる。
「それに触れたら溶けますよ!」
「ッ、知ってるっすよ!」
空中で一回転し、着地。素早くバックステップで距離を取り、拳銃に切り替えて何発も発砲。
「隊長、援軍はまだ来ないんですか?」
「カメラがイカれてなければくると思うっすよ。」
各職員は胸ポケットに小型のカメラがついており、本庁にあるオペレータールームにその映像が繋がっている。もともとは無かったが、あまりに多い殉職者数によって総理大臣よりお叱りが入ってこのシステムが確立された。
「…これはきついっすね。装備が律殕度0.8以上用じゃないっすよ…撤退っす。」
「でも…逃がしてくれないみたいですよ」
蛙が跳ねるように、先ほど私達の居た場所に界異が地面ごと食らいながら突っ込んでくる。横に避けたから良いものの、避けられて居なかったら形代を一機まるごと消費していただろう。
周りの木々をへし折りながら、界異の進軍は止まらない。優先的に隊長を狙い、何度も何度も声帯なき口から呻き声を漏らす。
「いっ、ぐ…あ…ぁ!!」
界異が隊長の左手を噛み砕き、すかさず形代が発動して事なきを得るが…この界異の特性の一つに形代を貫通して痛覚を与えるというものがある。
「隊長、くそッくそッ。こっちこい化物、俺が相手になってやる!」
大声で叫びながら、界異に弾丸を発砲するがびくともしない。この弾丸が悪いのではない、界異にしっかりとダメージ入っており、負傷箇所だって広がっている。…その箇所がすぐに修復されていく点を除けば、だが。
「なんで、こっちを向かないんだ。この化物!こっちを向け、向けよ!」
痛みで倒れている隊長に、じわりじわりと近づいていき…
多義原先輩が口を開いた。
「先輩、約束守れないようです」
「多義原、やめろ!それを使うな!」
自身の眉間にイツナAを押し当て
「先輩…先に逝きます!どうか…ご無事で!」
引き金を引いた。
すると視界が真っ白に染まり…どこから聞こえているかわからない声が遺書を読み上げた。
『死なば、味方を安全地帯へ』
林野庁鎮守部が任務前に必ず書かされる遺書。特別な紙に血判を押し、得たい効果を書く。強化を得るや、退避する、界異を目眩ましするなどいろんな効果が書けるが…発動の代償は遺書を書いた人の死。
改めて、私はこの職場の異常さを知った。
殉職率20%、死すら道具として見る異常性。そして、三つの峠。どうやら、多義原先輩はあの任務で四年目の最後だったらしい。
やはり、峠が…峠が迫ってくる。
私にはまだ二つ、確率的な死が近づいている。
あの後討伐されたらしい九相図がまた…私を殺しにくるかもしれない。
私は再び、林野庁鎮守部のチラシを見た。
『林野庁鎮守部は職員の健闘を期待しております』
グシャグシャに丸めてゴミ箱に捨ててやった。明日を一瞬でも忘れるために。
…この集団幻覚を最後まで読みましたね?さぁ、これで貴方もタクティカル祓魔師の世界へ一歩踏み入れました!
自分の思うタクティカル祓魔師を書いていこう!