狂って歪んで   作:むきむき

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夢現

 

「はぁ……はぁ……」

 

 耳元に響く荒い呼吸音と自分の意識とは無関係に揺れる体が朦朧とした意識を覚醒させた。

 今の状況を把握しようといまだにぼーっとしている頭を働かせる。

 たしか、体育の時間でシャトルランをしてて……そうだ、ちょっと無理して……どうなったんだっけ? 

 しばらくそうしていれば自分が倒れて保健室かどこかに運ばれているであろうことに気が付いた。

 別にそのままにしておいてもいずれ回復していたと思うけれど、と自分でも少し捻くれているなと思う考えが脳に浮かび内心苦笑してしまう。

 誰が運んでくれているのだろうか。いや、先生か。先生にしては少し小さい気もするが、業務以外でわたしをここまでして運ぼうとする人はいないだろう。別に仲のいい人もいないし。

 しかし、本当に久しぶりに人に触れた気がする。なんだかとてもいい。わたしの語彙では上手く表すことは出来ないが、足りなかったものが埋まっていくような……そんな感じだ。

 寂しい寂しいとよく思っていたが自分でも驚くくらい人の温もりというやつに焦がれていたのかもしれない。

 

「おも……」

 

 それは聞き捨てならない。

 わたしは標準体重だ。最近の子が痩せすぎていて相対的に少し太って見えることもあるかもしれないが本当にわたしは標準体重なんだ。

 乙女に重いとはなんてデリカシーのない先生なん……あれ? 先生ってこんな声だったっけ? 

 疑問を覚えまだ浅い記憶を遡るがこんな鈴を転がしたような声ではなかったと思う。むしろこの声は……いや、まさかそんなことはあるまい。

 あり得ないと一瞬浮かんだ考えを否定するが、まるで蝋燭に灯った火のように心に灯った期待はなかなか消すことが出来なかった。

 

 気がつけばわたしは疲労でほぼ閉じてかけていた瞼を無理矢理こじ開け、密着している人物をこの目に写そうとしていた。

 

 始めは窓から差し込む春の日差しが眩しくてよく見えなかった。やがてその光量になれ、ぼやけてよく見えなかった視界が少しずつ鮮明になると共に視界の端にサラサラと絹のような黒髪が揺れる様が写し出され、その隙間から宝石のような汗を滴らせながら荒い息をしている琴乃ちゃんのご尊顔が垣間見えた。

 

 顔面が……強すぎる……

 

 そのあまりの破壊力にわたしの脳は焼き切れ、意識を失った。

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

「知らない天井だ……」

 

 もう一度意識が覚醒したときには既に琴乃ちゃんの姿は見えず、わたしは保健室のベットの上にいた。

 

「……夢?」

 

 それは琴乃ちゃんがわたしを汗水かきながら保健室まで運ぶなんてことあるのか? という疑問が湧けば当然の帰結だった。

 

 幸せな夢をもう一度見ようと瞼を閉じても一度完全に目覚めてしまえば上手く寝つくことは出来ず、いつまで経ってもあの夢の続きを見ることはない。

 

「……はぁ、教室いくかー」

 

 無駄な足掻きを早々にやめてぽつりと独り言をこぼす。

 このまま保健室で暇を潰してもいいがどこも悪くないのに保健室に居座るのは気が引けるので教室に向かうことにした。

 辺りを見渡しても近くに誰かいる様子はなかったのでベットの脇に置いてあったわたしの制服にパパっと着替え奥の方にいた保健室の先生と業務的な会話を交して保健室を出る。

 

 歩を進める間、とうに現実へと巻き戻されている筈なのにわたしは夢のことを考えることをやめられなかった。

 

 考えれば考えるほど夢のような状況なのに酷く鮮明でどこか夢ではないような……そんな気もしてくる。もしかしたら夢ではないと思いたくて勝手にそう思っているだけかもしれないが。

 そういえばシャトルランを終えた直後に背中をさすられたような気もする。すごく優しい、慈しむような手つきだった。これも夢だったのだろうか? 

 

 それにしても無理をしすぎた。琴乃ちゃんに勝って連絡先を交換したかった……というのも少しあるが頑張ってすごい記録を出したら誰でもいいから話しかけてくれるのではという淡い期待がわたしを突き動かした。今となっては無謀にも程があるなと思うがこれでも結構真剣に考えたのだ。

 結局は記録も出せずぶっ倒れるという醜態を晒してしまったが。

 

 また失敗してしまった。いつもわたしは努力が空回りする。要領が悪いのと肝心なところで他人任せにするからだろう。高校だってもっと華やかな生活になる予定だったのだ。周りが全員わたしのことを知らない人たちならばきっと友達が出来ると思っていたし、わたしを守ってくれる素敵な人との出会いも……なんて期待していた。そのために県外の高校に受験したのだから。

 

 まぁ、親の反対も張り切ったわたしの一世一代の決断も意味をなさず、わたしの夢見た高校生活は夢のまま終わってしまったけれど。

 

 背中をさすってくれるとか肩を貸して運んでくれるとかは唯一話せる両親とも離れてしまい孤独に耐えられなかった心が生み出したシチュエーションなのかもしれない。実際とても心地よかったし。

 

「あ……」

 

 根暗な思考をしているといつの間にか目と鼻の先に教室があった。

 

「どうしよう」

 

 授業中だったらしい。とても入りにくい……が引き戸のガラスからばっちり教師と目があったので逃げるわけにはいかない。くそ、こんなことなら夢に浸らず時間を見ておけばよかった。

 

 

 ガラガラという引き戸の音に教室中の視線が集まる。

 

 人に見られるのは苦手だ。自分に自信がないからなのか、そもそもそういう性分だからなのかは分からないが……どちらにせよ、今が危機的状況だというのは変わりない。

 

 針の筵になりながら誰の気も引かないよう、そろりそろりと席に向かった。

 

 

「陰山さん、どこに行っていたんですか?」

 

 

 しかしわたしの願いも虚しく教壇から咎めるような声がわたしに降りかかり、体が鎖で絡め取られたかのように動かなくなる。

 

 硬直した体とは相反してドキンドキンと胸が破裂するような嫌な鼓動を刻む心臓をブレザーの端を握り締めて押さえつけ、声を振り絞る。

 

 

「ほ、保……室に……い……した」

 

「……ごめん、先生最近耳が遠くなってきてね……もう少し大きな声で言ってくれるかな?」

 

 

 

《ふふっ》

 

 

 小さな音が聞こえる

 

 

《くすくす》

 

 

 わたしを嗤う音が聞こえる

 

 

《ふふふ、あはは》

 

 

 嘲笑が伝播していく

 

 

 

 

 教室に響くほど大きくはない

 

 そよ風のような音量

 

 しかしわたしの心には嵐が吹き荒んでいた

 

 

 口が乾き、呼吸が乱れ、不必要に大量の息を吸い込んでいる。胸が苦しいのは息を吸い過ぎたせいなのかそれとも他の要因か。

 

 

 言葉を発しようとしても声の出し方を忘れてしまったように喉が動かない。

 

 

 わたしはぱくぱくと金魚のように無様に口を動かしていた。

 

 

「……本当にごめん、全然聞こえない」

 

 

 怖い

 

 

「だ、だから……」

 

「いやー歳とったなー、あ、ごめん……今言ってた?」

 

 

 怖い……! 

 

 

「もう一回言ってくれない?」

 

「あ……の……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……体調が悪そうだったので保健室連れていってました」

 

 ……え? 

 

「あー、そうだったんだ。最近寒かったり暖かかったりするからねぇ……えーと、どこまで読んだんだっけ……?」

 

 何事もなく授業が再開し、まとわりつくような視線から解放される。あれ程うるさく感じた笑い声もなくなり狭苦しい地獄は呆気なく終わりを告げた。

 

 唐突な、そして意外な幕切れに呆然とするのも束の間、わたしは逃げるように席に戻った。

 

 

 

 ♢♢♢♢♢♢

 

 

 

 琴乃ちゃんが近くにいる

 

 手を伸ばせば届くほどの距離に

 

 

 いつものように目線だけ動かしてその姿を盗み見る。

 

 その姿は凛としていて、可憐で、どこか幼い。

 

 そんな彼女だからクラスのみんなから……いや、違う制服の子がたまにこの学校に来るくらいだ。きっと町中の生徒から注目されているのだろう。

 

 わたしなんかとはまるで住む世界の違う人間で……どれだけ手を伸ばしても届く気がしない。

 

 

 だから一目見た時から彼女に憧れて……

 

 

 

 

 ……友達にはなれないって無意識に思っていた。

 

 

 

 

 それでもよかった。このまま彼女を近くで眺めていられればよかった。

 

 

 でも……それでは満足出来なくなってしまった。

 

 

 もっと近くで彼女を見たくなってしまった。

 

 

 このまま諦めたくはない。

 

 遠くで見ているだけなんて嫌だ。

 

 

 

 わたしを見てくれた

 

 わたしを心配してくれた

 

 わたしを守ってくれた

 

 

 

 

 そんな彼女にわたしは……狂わされてしまったのかもしれない。

 

 

 自分でもよく分からない感情に突き動かされている。こんなにも気持ちが揺れ動いたことはない。

 

 

 連絡先を交換したいだなんて宝くじに当たったらいいなくらいのおちゃらけた……それこそ馬鹿げた夢みたいな考えで思っていたし、断られたら、嫌われたらと思うと足がすくんだ。だから行動にも移すことはなかったけれど……それもここまで。

 

「……ふぅー」

 

 深呼吸して息を整え覚悟をきめる。気がつけばより強くブレザーの端を握り込んでしまっていた。

 

 

 

 ガタリと椅子を引く音が聞こえる。

 

 彼女はカバンを肩にかけ帰路についていた。

 

 

 

 ……早くしなければ彼女は帰ってしまう。

 

 明日でいいんじゃないかという弱気な心を叱咤し、わたしは勢いよく立ち上がって彼女を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 口が乾き、呼吸が乱れる。不必要に大量の息を吸い込んでしまって胸が苦しい。

 

 今ほど自分の体力のなさを恨んだことはない。

 

 優雅に歩く彼女と違い這うように駆けるわたしは無様だろう。数多の視線を感じる。でも、逃げたりしない。今だけは……! 今じゃないときっと動けないから! 

 

 

 

「あ、あの!」

 

 

 

 一際大きな視線を感じる

 

 不快感からではなくむず痒さから視線を嫌うのは初めてだった

 

 

 

「わたしと……と、友達になってくれませんか!」

 

 

 

 ぎゅっと目を瞑ってこれでもかってくらい素直に気持ちを吐き出す。ブレザーはもうしわくちゃになるくらい握りしめていた。

 

 

「…………」

 

 

「あぅ……」

 

 

 沈黙が場を支配し、顔が燃えるように熱くなっていく。きっと今のわたしはゆでだこみたいに真っ赤っかになっているのだろう。

 

 

 

 ……やっぱりまた失敗してしまったのかな。今回はいけると思ったのに……ずっとずっと頑張ったのに。

 

 顔と負けないくらいに目頭が熱くなっていく。そもそもなんだ友達になってくださいって、幼稚園児かよ。きっと彼女も困惑しているに違いない。ああ最悪だ。こんなことなら行動しなければ……

 

 

「……ふ、ふふ……くくっ……」

 

 

「……?」

 

 

 何かを堪えるような音が聞こえる

 

 

 その音には聞き覚えがあった

 

 

 

 ……わたしが嫌いな音だ

 

 

 

 でも……少しだけ違う……そんな気がした

 

 

 恐怖と期待で恐る恐る瞼を開き、少し滲んだ視界で前を見るとそこには──

 

 

 

 

「……あはは! あはははは!」

 

 

 

 

 

 ──大輪の花を咲かせた彼女の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 笑われている。

 

 

 だけど嬉しい。嬉しくてたまらない。

 

 この笑顔を作ったのはわたしだと声高に叫びたくなる。それほどまでに歓喜の嵐がわたしの心で吹き荒れていた。

 

 

 もっと……もっと笑ってほしい。

 

 

 その笑顔を見せてほしい。

 

 

 気づけばそう思っていた。

 

 思わずにはいられなかった。

 

 

「あははっ……あーおかし……うん、いいよ、よろしく陰山さん」

 

 

 ……ああ

 

 

「とりあえず連絡先交換しよ」

 

 

 こんなに簡単なことだったんだ……勇気さえ出せればそれで……

 

 さっきから嬉しいが止まらない。

 

 嬉しすぎてまだ夢で彷徨っているのではないかと錯覚してしまいそうだ。でも夢じゃない。

 

 

 わたしが、夢見た世界は夢ではなかった。

 

 

「……おーい」

 

 

 彼女がぼっーとしたわたしを心配するように手を振って顔を覗き込む。

 

 するとふわふわとしたような……むずむずするような……そんな気持ちが胸に去来する。

 

 

 

 

 

 

 何故かわたしの顔の熱は引くことはなかった。

 

 





嘲笑は鈴鹿がそう聞こえていただけで実際は先生のミスを笑っていただけかもしれません
意外といい人って多いですからね

あと新学年まだ友達できてない人はまだ間に合うので頑張ってください
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