ロキシーとの別れからしばらく経った。
私の方は特に変わったことはなかったが、ルディは外で遊ぶようになった。そして、
「今日は何をする? ルディ」
エルフの女の子を連れてきた。
名はシルフというらしい。極悪非道な魔族として知られるスペルド族と同じ緑の髪が原因でいじめられていたシルフをルディが助けたのだとか。
その日以来、毎日のように一緒にいる。今日のように私に仕事がない時に、ルディが私を誘ってきたことも数回あるが、大抵は二人だ。
「うーん、どうしようかー……。シキは何がしたいですか?」
「……私は鍛錬がしたい」
「あー、あはは……ちょっとそれは却下で」
「……む」
いいではないか。魔術にしろ剣術にしろ、鍛錬というものは面白いものだ。技を鍛え、己を高めることの何がいけないのか。
「ルディ」
「何?」
「今日もシキさんといっしょなの?」
「うん? そうだけど……」
なぜだか私はシルフに怖がられて、警戒されている。だからシルフはいつも私がいると不満げにしている。
ルディもそれには気がついているようだが、どういうわけか私とシルフを近づけたがるのだ。
「そ、そうだ! 今日は無詠唱の練習をしよう! シキは僕より教えるのが上手いから、きっとシルフもできるようになるさ!」
ルディの提案で、今日は結局魔術の鍛錬をすることになった。
◆◇◆◇◆
「むむむ……」
シルフが頑張って魔術を発動しようとしているが、魔術は発動されない。かれこれ三十分。私がアドバイスしようにもシルフから避けられているため、どう声をかければいいか分からない。
「こういう感じなんです。シキ、どうすればいいと思います? 僕にはどうにも教え方が分からなくて」
ふと、ルディがわざとらしく声を出して私に尋ねる。
「……魔力自体は集まってる。恐らく、魔術を発動するためのプロセスを明確に意識すればできる」
私は不思議に思いながらも、その質問に答えた。
(シルフ自身に伝えないと意味がないと思うが――そうか、本人に伝えるためにわざと聞こえる音量で言ったのか。しまった。今頃になって気づいた。あまり大きな声で答えてないから、聞こえているといいのだが……。)
「魔術の、発動のプロセス……むむむ」
どうやら聞こえていたようだ。先程よりも成功に近づいている。これなら――
『ポコン』
シルフの杖から、【
「や、やった……やったぁー!! できた!! 見てた!? できたよルディ!!」
「ああ。見てたよ」
「シキさんもありがとう!! やったやった――あ、えっと、その……。」
勢い余って私にもお礼を言うシルフ。途中で避けていた相手であることに気がついたのか、声が尻すぼみになっていく。
「……よかったね」
「!――うん!」
私が頭を撫でてみると、シルフは一瞬驚いたような顔をして、嬉しそうに私に微笑んだ。
◆◇◆◇◆
次の日、私とルディ、そしてシルフは、一緒に無詠唱魔術を使って模擬戦をしていた。模擬戦といっても危険がないように気を使った遊びのようなものではあるが、ルディやシルフはとても楽しそうにしていた。
しばらく遊んでいると、急に空に暗雲が立ち込め始めた。
「……降りそう」
「そうですね。ここは帰った方が――」
『ポツ』
遅かった――そう思う間もなく雨はすぐさま酷くなり、一瞬で私達はずぶ濡れになった。
「……急ごう。私が二人を担ぐ」
「「え?――わぁっ!!」」
私は二人を魔術で作った即席の屋根付きの椅子に投げ入れ、それを持ち上げ、全速力でグレイラット家へ帰る。ゴツゴツしてて痛い上に揺れが酷いだろうが、我慢してもらうしかない。急がなければ、二人に風邪をひかせてしまう。
日頃の鍛錬の成果か、私は風を切ってぐんぐんと加速し、そう時間もかからずに目的地へ到着した。
「……ただいま」
椅子を消して、顔色の悪い二人に肩を貸しつつ家の中に入る。
「おかえりなさい。シキ様……それに坊ちゃまと、お友達の方。お湯の準備ができておりますが……お二方は大丈夫でしょうか?」
「ウプッ……大丈夫です、ありがとうございます。シルフ、こっち来て……」
「うん……」
「……私も」
3人で階段を上がる。
「じゃあまず僕とシルフが入るから、シキは外で待っててくれますか?」
「え?」
「……え?」
自然な様子でそんな事を言った。
「……何を言ってるの、ルディ」
「え? 別に普通ですよね? 確かに少しは恥ずかしいかもしれませんが――」
「……いや、普通じゃない。どこからそんな事を学んだの?」
「そ、そうなんですか?」
「……パウロとゼニスが裸になっているのでも見た? あれは夫婦だから許されているもの。普通は許されない」
やはり毎日あんなに物音を立ててヤッていればルディにもバレるだろう。当然だ。しかもそこからルディが間違った知識を覚えてしまっている。やはり一言言うべきか。
いくら元々煩悩が多くてロキシーのパンツを盗むルディでも、今回はわけが違う。なんせ女の子と風呂に入ろうというのに下心が微塵も見えないのだ。つまり、これがいやらしい行為であるという自覚がない。一歩間違えれば、付き合ってもない女の子と風呂に入ろうとする変態の完成である。
「……私は少しパウロとゼニスに話ができた。二人は先に温まっておいて」
私はそう言って階段を降りた。
水で濡れた床を拭いているリーリャが目に留まる。
「――おや、どうされましたか?」
「……パウロとゼニスに用がある」
部屋でイチャイチャしていたパウロとゼニスがこちらを向く。
「あら、私達に用事ってどうしたの?」
「……毎夜行っている性行をもっと静かにしてほしい。後、ルディに正しい知識を教えてあげてほしい」
「はっ!? え、お前っ……なんっ」
パウロが慌てている。ゼニスも声こそ出していないが顔を真っ赤にして、感情も羞恥の色に変わっている。どうやら、気づかれていないと思っていたらしい。
「……2人がそのような行為をするのは当然。それは否定しない。でも、そのせいでルディが間違った知識を持ってしまっている」
「え? 間違った知識ってどういう――」
ゼニスが私に対して聞き返そうとした瞬間、
『イヤーッ!』
上の階から悲鳴が聞こえた。
「どうした!?」
パウロが急いで階段を駆け上る。私も後をついていった。
勢いよく悲鳴の聞こえたお湯のある部屋に入ると、そこには裸の2人の姿。泣いているシルフと、呆然としているルディ。私はすべてを察した。
「……シルフ、こっち」
そっとシルフを抱き上げ、服を着せてから、こういうのが得意そうなゼニスの下へ向かった。
シルフが泣き止み落ち着いた頃、パウロと話を済ませてきたらしいルディが降りてきた。その顔色は優れず、感情は反省の色でいっぱいだった。どうやらパウロにきちんと説明されたらしい。よかった。
「ごめん、シルフィエット! 髪も短かったし、今までずっと男だと思ってたんだ!」
――ルディの衝撃の謝罪と告白。私も一瞬思考が止まった。まさかルディがシルフ、いやシルフィエットを女の子と認識していなかったとは。道理で話が噛み合わないわけである。別にパウロとゼニスの夜の逢瀬のせいではなかった。
「うぅ…うわぁーん!」
再びシルフィエットがゼニスに抱きついて泣き出してしまったのを横目に、私は未だ今起こっていることを脳で処理できず、固まってしまっていた。
◇◆◇◆◇
数ヶ月後
あれから、2人は無事に仲直りして元の関係に戻った。シルフィエットはメキメキと魔術を上達させ、既にある程度の魔物ならば追い払える程度の実力を身につけていた。
―――そして、グレイラット家では、
「……おめでとう」
「シキ、ありがとう」
ゼニスが懐妊した。
まあ当然だ。私としては、逆にあれだけやっててこれまでできなかった事に驚くレベルだ。
夫婦2人は抱き合い、喜びあっている。
(ああ、本当にめでたいことだ)
家族が心底喜びあっている光景を見て、私も心が温かくなる。やはり、私はこの家族が好きだ。
「申し訳ありません。妊娠いたしました」
その日の昼食中、その報告がリーリャの口から飛び出し、温かかったグレイラット家の空気は瞬く間に凍った。
皆、悟ったのだ。
「す…、すまん! た、たぶん俺の子だ」
パウロは、不貞をしてしまったのだと。
『パンッ』
頭を下げたパウロの頬をスナップの効いた平手が襲い、綺麗な音がなった。
この世界では様々な宗教があり、一夫多妻やある程度の不貞が許されている宗派もある。法律的にも、一夫多妻を認めている国はままある。その観点から見れば、パウロはまだ許されたかもしれない。
―――しかし、ゼニスが信仰していたのは、不貞を固く禁じているミリス教であった。
◇◆◇◆◇
家の空気は最悪だった。
ロウソクの灯だけがほのかに辺りを照らすだけで、薄暗い家。ゼニスは俯き、沈黙。リーリャも何も言わない。件の原因は肩身が狭いのか壁を隔てた別の机で項垂れている。ルディも心配そうにリーリャとゼニスを見ているが、何も言えずにいる。私も、何も発言できなかった。
「それで、どうするつもり?」
ゼニスが口を開く。
「奥様の出産をご助力した後、御暇させていただこうかと」
落ち着いた様子でリーリャが答える。
「子供は、どうするの?」
「故郷で育てようかと思います」
淡々としたゼニスの質問にリーリャは淀みなく答える。パウロとの子がデキたと気づいた時点で、もう出ていくことを覚悟していたのだろう。
「南へ馬で一月ほどだったわね」
「はい」
「子供を産んで体力の衰えたあなたでは、長旅には耐えられないわね」
「……かもしれませんが、他に頼るところもないので」
リーリャの故郷は遠いところらしい。確かに、生まれたばかりの赤ん坊とその母が、たった2人でこの時期に1ヶ月の旅をするのは自殺行為だ。
「あの…母さん、さすがに……」
「あなたは黙っていなさい!」
情けなくもパウロは撃沈。それはそうだ。原因が何を言っても無駄だろう。
……この件、確かにリーリャにも非はある。敬虔なミリス教徒であるゼニスからすればひどい裏切りだろう。
しかし―――私はリーリャに恩がある。ここは……
「……私も、リーリャについていく」
「シキ様……」
「シキ、あなた……」
「……私なら、道中の安全も保証できる。医療知識もある。私が護衛をして、必ずリーリャを故郷に送り届ける」
それが、彼女への恩返しだろう。
「シキ様……ありがとう、ございます…!」
リーリャが涙を流している。恐らく、死ぬ覚悟だったのだろう。
「……泣かないで、リーリャ」
私は肩を震わせるリーリャを優しく抱擁した。
「………」
ゼニスも、迷っているようだ。色々な感情がごちゃ混ぜになって、整理できずにいる。リーリャを許してやりたいが、どうにも踏ん切りがつかないようだ。
―――その時、
「母様。一度に2人も兄妹ができたというのに、なんでこんなに重い雰囲気なのですか?」
ルディが、動いた。
「お父さんたちが、やっちゃいけないことをしたからよ」
「そうですか――しかし、リーリャが父様に逆らえるのでしょうか?」
嘘をつくときの色。
「どういうこと?」
「父様はリーリャの弱みを握っています」
「えっ?」
「…は!?」
壁の向こうでパウロも反応した。
「この間、夜中にトイレに行こうと思ってリーリャの部屋の前を通ったら父様が『何とかを言いふらされたくなかったらおとなしく股を開け』って言ってました」
「ルディ、何をバカな――」
「あなたは黙っていなさい!」
「そ、そんな……」
哀れパウロ。自業自得とはいえ、全責任を擦り付けられるとは。
「リーリャ、今の話は本当?」
「いえ、そんなことは……」
当然、事実ではないとリーリャは否定する。しかし、
「そうよね。あなたの口からは言えないわよね」
「いや…俺は…、そんなこと……」
こうなる。ルディ、恐るべし。まさかこのようにして、リーリャにのしかかっていた責任を転換するとは。
「母様、リーリャは悪くないと思います。悪いのは父様です」
「……そうね」
ここぞとばかりにルディが畳み掛ける。
「父様が悪いのに、リーリャが大変な目に遭うのは間違っています」
「………そう、ね」
「僕はシルフィといて毎日が楽しいのですが、生まれてくる子にも友達がいるといいのではないでしょうか」
「…………そう…ね」
「それに母様、僕にとっては両方とも兄妹です。――母様、僕はまだリーリャやシキとお別れしたくないです」
「くっ…ううぅ……ハァ」
ゼニスはため息をついて、
「分かったわよ、もう。ルディには敵わないわね」
折れた。心は、リーリャを許す方向で固まった。
どうやらパウロ云々は嘘と気づいているみたいだが、恐らくはゼニスは踏ん切りをつけるための許す言い訳が欲しかったのだろう。パウロにしろ、息子の懇願にしろ、自分が折れるのに納得できる理由が。
「リーリャ、うちにいなさい。あなたはもう家族よ。勝手に出ていくのは許さないわ」
そう言ってゼニスは背を向けた。話は終わりのようだ。別れる必要がなくなって本当によかった。再び泣き出してしまったリーリャを抱きしめながら、しみじみとそう思った。
「あなた。後でゆっくりと話を聞かせていただきますね」
「ヒィッ」
パウロ……今度マッサージでもしてあげよう。