劇的な決着から一月。ミコの勇名と、その強さはゲヘナ中に轟いた。
「万魔殿には最速の変態がいる」? いや、それは元からの方だ。今やその声は「万魔殿には空崎ヒナを止めることの出来る戦力がいる」へと変わっている。
そして、今日。その噂は、その真実は、書き換わる事になる。
「マコトちゃ……じゃないか。羽沼マコト」
「……改まって、どうした。ミコ」
「分かってんだろ? 私はここにはいられないことくらい」
そんな言葉から、世界を変える決断の結果が告げ始められる。
「情報戦の得意なそちらもよく知っての通りだろうけどね、私のの旧友の故郷で大変なことが起きたらしいって」
「山海経の一件は知っている。レッドウィンターとの交流、そしてそこで起きた『反乱騒ぎ』……」
「じゃあ、その主犯にぃ……『教唆』したヤツが居ることは知ってるぅ?」
その言葉に、マコトの口が止まった。どういうことなのか、と。その真意を問う瞳が、目の前に立つミコを貫いている。
「あぁそうさ。私のクスリの出処にして大親友。元山海経所属、現脱走犯……なんだっけ、七囚人のうちの一人。そう呼ばれてんだったっけぇ?」
「……『五塵の獼猴』……申谷、カイ」
「まあ、とにかくそういうわけだ。彼女の元へ、私は向かう。ゲヘナに迷惑は、かけられなくてねぇ。君にならどんな迷惑もくれてやるけど……それ以外は、巻き込めない」
マコトは、考え込んだように見えた。私人と公人の狭間の中で揺れ動く彼女に、そっと背を向ける。
「マコちゃん」
「……お前、その呼び方はやめろとあれほど言ったじゃあないかっ……!」
「この学園を統率し続けてきた『羽沼マコト』を私は信じている。マコちゃんに出番はない。今この場において、私が信じ、求めるのは万魔殿議長の『羽沼マコト』だ。分かるな?」
マコトは、その言葉に席を立った。そしてこちらにつかつかと歩みを進め、ミコの胸倉を掴みあげる。……肩から落ちた上着の下の、見たこともない戦闘着。漆黒を基調とし、アクセントに深紅が加えられたエンブレムがあしらわれたソレは、彼女の新たな道を示していた。
「お前は、私を置いていくというのか……?」
「じゃあこう言うよ、マコト。私をあの地に置き去りにしておいて今更何を言うつもりだ? ゲヘナに、キヴォトスの危機にさあ……私をヒノムに置き去りにしておいて。要らなかったと自覚させておいて。なにを、なにを今更……っ」
掴み上げられながらも、マコトの胸倉をミコは掴みあげた。相互に胸倉を掴み、つばすらかかるような至近距離で二人は言い争っていた。
「あの時は悪かったと思っている! 分かったんだ、私にはお前が必要だったということが! 万魔殿には『夜久野ミコ』が必要なことが!! 山海経如き何するものか! お前はただ居てくれればいい……!」
「必要か、必要じゃないかじゃない。私の今が、ゲヘナにとって、どれだけ害であるか。ゲヘナという学園が後世にどのような汚名を残すかの分水嶺、それが今なんだ。過去を理解したなら今を理解しろ『羽沼』……今日から私は、君たちの敵だ」
その言葉が外にまで漏れ出ていたか。扉が勢いよく開き、一人の生徒が飛び込んでくる。赤の髪が勢いに揺れ、そして躊躇いなく彼女は口を開いた。
「話は聞こえていました。夜久野さん……あなたに罪はないでしょう? ここからあなたが出ていく必要はありません。私たちがあなたの無実を証明すれば……」
「……無実、か。そんなこと、言ってないんだけどねぇ?」
あぁそうか、とミコはひとつ頷いた。なんで、学校を飛び出してきたのか。なんで、カイは『停学』で自分は『退学』なのか。その辺、話してなかったな、と。ミコはやっと頷いた。
「マコト、闖入者だけどまあちょうどいいところに来てくれたねイロハちゃん。私は退学で、カイが停学。理由、わかるかな? ヒントは二年前の山海経だ」
「……『枉死城反乱』……?」
「正解だよ、イロハちゃん。サボりの割に勉強できてるじゃあないか」
『枉死城反乱』。それは、山海経に起きた反乱の流れのひとつ。申谷カイの、『ファーストプラン』。
『ミコ。……頼みたいことが、あるんだよ』
『ふふ……カイの頼み、ね。聞くだけ聞こうか!』
『山海経を、転覆させたい』
『くく……くふっ、ははは! たまんないなぁ、君は! わーかったわかったよ。……チャンスは一度きりだからね?』
かくして山海経に戦の狼煙は立ち上り、その戦乱は幾月を数え、そしてたった一人の『超人』の介入によって終結した。
首謀者申谷カイの確保と……実行犯、夜久野ミコの逃亡。そして、率いていた反乱軍の山海経への帰依という形で。
「当時、山海経から発布された情報では首謀者の名前だけが挙げられていました。実行犯が誰か、というのは情報網だけでは追えなかった部分ではあるのですが……それが、夜久野さん?」
「……キキキッ、知ってたさ。あぁクソ、分かってたとも。ちょっと思えば分かったことだ」
マコトは、悲しそうに手を離した。ミコもまた、その手を離す。
「……そうさ。今更だ。だがな、それを言うなら私も今更なんだよ、ミコ。私は全て、分かっていた。お前がその事件の首謀者に近い存在だと聞かされた二年前のあの日以前に、私は分かっていた。それでも私はお前を匿った。……あの時からもうとっくに、公人の私は、『羽沼マコト』は既に居ない。お前のせいでな」
「よかったじゃないか、マコト。今なら……今ならお前は、取り戻せる。……公人に立ち返れよ、マコト。お前は一言言えばいい。ただ……この『退学届』を受領したと、そう言えばいいんだ」
マコトは、机の上に最初から置かれていた退学届を一瞥もしていなかった。どころか、マコトは次の瞬間それを空に投げ上げた。
「イロハ」
「ここばかりは、同意見です」
リボルバーと、スナイパーの銃声。天井に二発の弾痕が刻まれ、落下した退学届に大小の穴が空いた。
「……認めんぞ。私はな、お前が何をしていようが、お前を手元に置いておきたいんだ。お前が居なければ、今の私はないも等しいのだから。せめて、その恩のひとつくらいは返す機会が欲しかったんだ……!」
「それに、あなたは今去るにはイブキに肩入れしすぎです。イブキ、きっと泣くでしょうね。泣かせたら許さない、と。私もサツキも、それに議長もずっと言っていたはずです」
それでも、と。ミコの口はそう告げた。
「それでも。それでも、それでも……私は今ここを去るぞ、マコト。私は既に『選択』したんだ……君を守ることより、カイの傍に居ることをね」
「そうか。なら、私もまた選択しよう……お前の退去を許さないことをな。イロハッ!!」
「もちろんです……『最初から連絡してます』。『今来ます』よ」
その言葉と同時。銃声と、バリンと窓が割れる音がした。走り出したミコが、腰のリボルバーを引き抜いて放ったのだ。
「……ッ! 『時間稼ぎ』か、羽沼マコトッ!!」
外に飛び出したミコを穿つ弾丸を、ミコは拳銃の先の小さな鉄製打撃部分で叩き落とす。
「銀鏡……だな?」
「こっちが当たり、か」
外に出た私を、風紀委員会が包囲する。そして、珍しくクロスレンジではない、ロングレンジからイオリがスコープを覗き込んでいた。
「私だってたまには狙撃くらいする……ミコみたいに踏み込ませたら勝てない人にはね」
「いい選択だ。だけどさあ……その距離維持して勝てると思うなよ……ッ!」
傲然と言い放って、全員の警戒が引き上がる。その瞬間、ポーチから零れ落ちる榴弾ふたつ。
「ぼんっ、ってね」
閃光、次いでもうもうと煙。これでもかと視界を遮る要素、仕掛けを警戒して咄嗟にスリーマンセルの形態を作った風紀委員会……言い方を変えれば、包囲をゆるめざるを得なくなったその穴を、ミコは駆け抜ける。
銀鏡イオリと、真逆の方向へ。
(戦う必要は無い! 私の勝利条件は脱出オンリー、捕まることこそ愚の骨頂……ッ!)
全速力で逃げ出したミコは、されどその目的を達成することが難しいことを理解した。させられた。
「……どこへ行こうというのかしら」
「……あぁ、もう。最悪だ。最悪だよ」
翼をはためかせ、校外に出向く門の柱の上。白髪が揺れる。
身の丈に合わない巨大なマシンガンの銃口は既にこちらを向いていて。
「邪魔をしてくれるな……空崎!」
「会いに行くのでしょう? ……それは、止めないと」
「追いかけっこ、その体躯なら好みでしょ? 楽しもうよ」
「……子供扱いして挑発のつもり? 乗ってあげるわ……覚悟して」
ミコが事前に摂取していたメメントラルの効能が活性時よりなお『馴染み』始める。メメントラルは即効性と遅効性、ふたつの性質を併せ持つ薬物だ。
キメ始めに力を齎すのは、いわば『慣らし』。真の力は、その慣らしの段階に耐えきったものだけが振るうことを許される。
脳のリミッターを外し、身体の限界を超える……だけにあらず。申谷カイ謹製の、その上で『副作用度外視』の怪物薬が、そんなことで終わるわけが無い。
「
「っ! ミコっ!!?」
「はぁーっ……はぁー……やっと、同じ土俵に立てたね。ヒナぁ……っ!」
「……そんな、それは……翼?」
その背から生えたのは、骨の翼。見るからに飛ぶことは不可能そうなそれは、しかしながらミコが、頭上のヘイローが輝くと同時にその身を浮かべたことでその意義を証明した。
「……さあ、1VS1。追いかけっこの時間だ……!! あはっ、ははははっ!! ついてきな!!」
「言われず、ともっ!!」
壁蹴り羽ばたき、かくしてヒナもまた、空へ。最後の決戦は、しかしながら一瞬で決着した。
「律儀についてきてるんじゃあまだまだだね」
砲撃。対空砲と思われるそれが、ヒナへとぶち当たる。空中で大口径の炸裂型対空砲に直撃すれば、さすがのヒナとて危うい。その翼を地に落とすことこそできなかったものの、ダメージを与えていた。
黒旗に、赤の意匠。彼女の戦闘服のエンブレムと同じ旗が上がっている。そこまで空でも最速を名乗るに相応しい速度で飛び込んだ彼女は、車の開かれた扉を見た。
「お頭ァ!! こちらです!!」
叫ぶ女に頷きも返さず、ダイレクトに地に足付けず飛び込むと、即座に扉を閉じる。
「ありがとう! 飛ばせ!!」
「りょー、かいっ!!」
運転手がギアを一気に叩き上げ、車を出した。ミコの乗った車は勢いよくゲヘナの外へと向かう。
「一度さよならだ。また帰っては……これるかな、これないだろうなぁ……」
「お頭! この後は事前合流地点でカイ様と合流になります!」
「ありがとう。任せる」
枉死城反乱の残党を、恐らくカイは糾合した。そして、それを今回の反乱の実行役に貸し与えたのだろうと何となく推察しつつ、ミコは車に揺られる。
「
車中の彼女の下ネタを交えた呟きに、ついぞツッコミが返ることはなかった。