夏の終わりの綺想曲(カプリチオ)~メモリーズー夏ー   作:飛鳥 螢

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遁走の果てに

 俺は登って来た登山道ばりの急勾配の遊歩道ではなく、もう一つのルートの方を選んだ。走ってあの道を下るのは危険だし、こっちは幾ら何でもあれよりより道は酷くないだろう。

 でなかったら、杏はともかく藤林やことみが俺達より先に展望台に辿り着ける筈がない。

 別ルートの道はすぐに見つかった。思った通り、その道は緩やかなスロープになっていて、しかも舗装されていて自転車でも登れそうな道だった。

 ——くそっ、杏のやつ……

 こんないい道があるのに、あんな道渚に教えやがって。

 心の中で杏に毒づきながら、俺は渚の手を引っ張ってそこを駆け下りた。

 が、すぐに背後からエンジン音が迫る。

 走りながらチラッと後ろを見ると、杏がバイクに乗って追って来た。

「朋也ぁっ、逃がさないわよっ」

 杏の当初の魂胆は、俺と渚のキスシーンを盗み撮りし、それをネタに俺にタカるつもりだったと思うが、もはや「盗み撮り」の部分は綺麗さっぱり忘れ去られ、今や背を見せて逃げる獲物を条件反射で追う肉食獣のそれとなんら変わらなかった。

 ここで捕まったら理性を失い、既に猛獣と化している杏の事だ。それこそ俺と渚のキスシーンを撮る為に、俺を半死半生の目に合わせ、動けなくなった俺の命が惜しかったらと、渚にキスを強要するくらいしかねない。

 記念すべき渚との初めてのキスを、そんな形で済まされるなんて、死んでもイヤだ。

 とはいえ、相手はバイクだ。このまま道なりに逃げていては、すぐ捕まるのは目に見えている。

「渚、こっちだ」

 俺はもう一度チラッと後ろを見ると、意を決して道脇の雑木林の中に突っ込んだ。

 途端にずるっと足が滑る。

 人が踏み込まない場所だけあって、地面が(もろ)いのだ。

 咄嗟に転びそうになる渚を抱いて庇い、俺はそのまま山の急斜面を滑り落ちた。

 案内板で確認した時、あの道は山沿いに蛇行するように続いていた。このまま滑り落ちてうまく下の道に出られれば、その分距離をショートカットする事ができる。

 もっともそれが、バイク相手にどれ程通用するか分からないが。

 しかし、俺のその考えは甘かった。

 俺達が滑り落ちている急斜面が、途中で切れていたのだ。

 その先は崖なのだろう。

 ここからでは崖の高さが分からない。だが、このままの勢いで落ちたら、二人とも大怪我するのは間違いなかった。

 止まらなければ。

 俺は滑り落ちながら足を踏ん張ったが、脆い地面は勢いを殺す役には全く立たなかった。

 ——落ちるっ!

「くっ」

 崖の手前、咄嗟に俺は目に付いた人の腕程の太さの木を利き手で掴んでいた。

 昔痛めた肩に痛みが走り、更に渚と自分の全体重がその一本の腕に掛かる。

 その重みに耐え兼ね、激痛が腕から全身へと駆け抜け、俺は声にならない悲鳴を上げた。

 あまりの激痛に、意識が遠くなる。

 その拍子に木を握った指が緩み、離れた。

 馬鹿だった。咄嗟とはいえ、肩を痛めている腕で木を掴むなんて。

 だが、今更後悔しても遅い。それに咄嗟に出るからこそ利き腕なのだ。

 そんな益体も無い事を考えながら、俺は片手で渚の体を強く抱き締める。

 殆ど勢いを殺せないまま、俺達は崖の上から投げ出された。

 

 

 ………

 …………

『…——朋也くん、朋也くん……』

 遠く何処からか、声が聞こえる。

 俺の名を呼ぶその声を聞き、俺はホッとした。

『朋也くん、朋也くんっ』

 不安を(にじ)ませたその声が、段々涙声になってきた。

 ああ、早く応えてやらないと、あいつが泣いてしまう。

 ——渚……

 うまく声が出たかどうか分からないが、そう口を動かして俺はうっすらと目を開けた。

「朋也くんっ」

 ぼんやりとした視界の中に、今にも(こぼ)れそうな涙を瞳一杯に溜めた渚の顔があった。

 どうやら俺は崖から落ち、気を失って倒れていたらしい。

 もっとも落ちたと言っても平屋の屋根程度の高さだったらしく、全身強く打ち付けて痛いものの、利き腕の肩ほどではなかった。

「うっ……」

 痛みに()えて俺はゆっくりと体を起こし、崖に体を預けて一息ついた。

「渚……怪我、無いか?」

「はい、朋也くんが庇ってくれましたから」

「そうか……」

 涙声で応える渚に俺は安堵の笑みを浮かべ、渚の頭に手を乗せようとした。

 それが、俺の癖のようなものだったから。

 そう、俺は渚が不安そうにしていると、思わず渚の頭に手を乗せていた。

 そうすると、渚はどこかホッとしたような表情を浮かべるから。

 今も不安一杯に俺を見る渚を、安心させたくて腕を伸ばした。

 でも、残念ながら更に痛めてしまった肩が痛くて、渚の頭まで腕が上がらなかった。

 だから俺は、頭の代わりに渚の背中に腕を回し、そっと引き寄せて渚の唇に自分のそれを重ねた。

 ごく自然に、俺はそうしていた。

 

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